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妖精の円舞曲 ~Fairy Waltz~  作者: ことぶき司
第1章『 夏の陽炎はよく揺れる 』
1/21

第1話『陽炎の子供』

前作『妖精の戯曲』の続きです


読んでない方はまずこちらから → https://ncode.syosetu.com/n6417dn/


 

 どこ……。


「どこに、いるの……」


 聞こえない。

 いつも優しいあの声が、聞こえない。

 厳しくもあり、優しくもあり、決してぼくを見放さなかったあの優しい声。

 あの暖かい大きな手が、今はどこにも見つからない。


「ぼくを、一人にしないで......っ」


 手を伸ばせども、手にかかるのは暗い闇夜のみ。

 まとわりつくような暑い空気も、時折飛び交う小さな虫の音も。

 今は全てが冷たく感じる。

 あの暖かい手がそこにないだけで、これほどまでに世界が寒々しい。


「どこ……。どこにいるの……」


 呼べども呼べども、あの大きな背中は見つからない。

 呼吸すらままならぬ暑い夜の世界で、次第に視界が揺らいでいく。


「おじい……さ……」


 不意に、ふらついた足が掛け違い、その小さな体が投げ出される。


「っ…………」


 しかし、いくら待てども衝撃が襲ってくることはなく。

 代わりに、


「きみ、大丈夫かい?」


 聞いたことのない、しかし懐かしさを覚える嗄れた声が、途切れかけの意識へと投げかけられた。



   *



 陽炎が揺れていた。


 思わず目を覆いたくなるような白い夏の日差しに、それを全て受け止める漆黒の土瀝青。真っ直ぐに伸びているはずの一本道は、なぜか遠くで隆起して見えて。

 まるで自分が異界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚を、夏真っ盛りの景色はそう少年に思わせる。


「暑い……」


 つまるところ、それだ。


 青く澄み渡った空も、深い影を滑らせる入道雲も、真夏の騒音奏でる蝉の音も、手をついただけで火傷を負わせる鉄柵も、果てには時折流れる熱風も。


 もう何をとってもとにかく暑いのだ。

 本日の最高気温三十八度。

 なんだ? なんだ三十八度って。そんなん熱じゃん。高熱じゃん。風邪なら普通に高熱。学校ももちろん休むしプリンも買ってもらえるレベル。

 そんなの温度が日本の気温として許されるのだろうか。いいや許されない。許されていいはずがない。


 だというのに。


「おーーーい……」


 こんな異常な暑さだというのに。


「おーーーーーーーーい…………」


 こいつは……。


「おい、聞いているのか人間?」


「なんでこんな炎天下の中外に引っ張り出されなきゃならないんだよ!!」


「うおっ……、どうした急に。驚くではないか」


 急に叫び出す俺に、黄金色の髪を振りまく少女――アリスは目を丸くして訴える。

 そんなアリスを、俺——宇佐美黒衣うさみ くろえはマジマジとした視線を彼女に注ぐ。


 スラリと線の長い手足に出るところはしっかりと出ているワガママ英国ぼでぃ。それら黄金の肉体を覆うのは無垢なる純白のワンピース。派手好きなアリスにしては、過度な装飾などがほとんど見られない簡素な一着だ。


 だが、それが逆に問題でもある。色は純白。装飾は少なく。裾の丈も決して短くはない。見えている肌色は肩から先と膝下くらいなもので、決して露出も多くはない。


 だというのに、どうしてもそのアリスの姿には唆られるものがある。


 それも当然なのだろうか。僅かな挙動でも跳ねるように揺れる、夏の日差しを吸い込んだかのような黄金の髪。異国の海を思わせる碧玉の瞳。神々が造形したと言っても遜色のない魅惑の肢体。そんな誰もの視線を惹き寄せる魅力の少女が、一切の着飾りもないただの白のワンピースを見にまとっているのだ。


 それはまるで、剥き出しの刃のように。一目見た者の眼球を、心臓を、もろとも一突きにしてしまう。

 それほどの威力を持った魔性の姿だ。

 彼女の手にかかれば、申し訳程度に被ったツバ広の帽子でさえ、魅力の一部に見えてしまうから不思議だ。


「ん~~~~……」


 そんな俺の視線に気付いたのだろう。アリスはニヤニヤとした表情をゆっくりと傾けて、俺の視線をなぞってくる。


「おやおやおや~~? 何やら項垂れているから喝を入れてやろうと来てみたが、まさかこんな道のど真ん中で盛っていたとは、流石のわたしも思わなんだなぁ~~」


 案の定、良くない方向に話を持っていかれてしまう。


「断じて違う。これは、あれだ。あまりにも暑すぎるから白いモノでも見て気分だけでも涼まろうとしてだな」


「その結果欲情してしまったと」


「だーかーらー!」


 まったく。ああ言えばこう言うとはまさにこのことだ。


 確かに、俺も一応のところ男だから? 見た目金髪お嬢さまなアリスを見て? 僅かながらでも劣情を催さなかったと言えば嘘になる。


 だがしかし、こいつは違うのだ。こいつは俺たちとは、普通の人間とは違うのだ。


 【妖精】――。こことは違う別の世界、【妖精の園】と呼ばれる異世界より来たれり超常存在。その世界はこの世界で言うところの『おとぎ話』の住人たちが暮らしていて、俺たちが知るとおりの物語を繰り返し演じる、終わることなき永遠の世界。しかし、時たま【妖精】たちは自分たちの暮らす世界を捨て、こちらの世界へとやって来る。理由は様々。こちらの世界に何かしらの目的が存在する者。ただの気まぐれでこちらへと足を伸ばす者。たまたま迷い込んでしまった者。自身の野望のため悪事を企む者。その理由はまさに千差万別十人十色様々だ。


 そして俺の目の前にいるアリス。


 アリスもまた、そうした目的を持って向こうの世界からやって来た異世界の住人、【妖精】なのだ。


 こんな可愛い姿をしているが、その実態は人間などではない。

 人を遥かに凌ぐ身体能力と、奇跡を可能とする力『魔法』を操る、正真正銘の――。


「ん、どうした?」


 不意に、アリスが俺の顔を覗き込む。

 下から見上げるように屈んだアリスの瞳が、俺の視線と交差する。

 どこまでも続くような碧の瞳が、俺を捕まえて離さない。

 吸い込むように、吸い込まれるように、俺はその瞳に惹き寄せられ。

 夏の暑さに関係なく、思わず頰が熱くなる。


「ふふん」


 瞬間、しまったと思った。


 一瞬その瞳に見惚れてしまった俺を、アリスは当然見逃さず。ニヤニヤと口を猫のように変えて卑しい笑みを浮かべる。


「ほれ見たことか。お前、今わたしの胸を見てただろ」


「いや、別に見てな――」


「よいよい。そう言い訳せずとも良い。男ならば仕方なきことだ。美の女神にも引けを取らぬわたしの身体につい目を奪われてしまうのは、それはもう宿願のようなもの。致し方のないものなのだ」


 うんうんと、何やら勝手に納得していらっしゃる。相変わらず人の話を聞かないやつだ。


「だが、ここは人の往来もある道の真ん中だ。流石のわたしも、他者に情事を見せつけるような野蛮な趣味はない。残念だが、家に帰るまでの辛抱だ」


 そう言って、アリスはくるりと反転し先へと進む。


「ほれ。それよりも今は、お前が言っていた店が先だろう。急がねば、登った太陽も恥ずかしがって身を隠してしまう」


 まるで散歩にはしゃぐ大型犬のように、アリスは白いワンピースを振りまいて一人陽炎の向こうへと駆けていく。


「おい、ちょっと待――たないよな、お前は……」


 陽炎の向こうへと消えていく最中、アリスはお前も早く来いとばかりに大きく手を振る。

 元気に揺れ動く黄金の少女を見て、俺は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「————————」


 不意に、俺は視線を感じて顔を振り上げる。


 アリスの去った陽炎の向こう側。水たまりのようにも見えるその場所に、今しがた誰かが立っていたような、そんな気がしたのだ。


 だがそこに目を向けても、やはり誰もいない。

 アリスの姿はすでに見えず、人通りの少ないこの道に通行人もいない。

 もし本当に誰かがいたというのなら気が付かぬはずがないのだ。


 だがやはり、そこには誰の姿すらもなく。あるのは短く伸びる自分の影ばかり。


 いやしかし、さっきの視線は本当に誰かのものだったのだろうか。視線のような感覚を覚えたのは確かだ。だがそれは誰かに見られている、などという通常のものとは違うような。


 そうまるで、覗き込まれているかのような。

 それも、どこか別の――此処ではない異なる場所。

 陽炎の向こう側に潜む何処かから覗き込まれているかのような、そんな気味の悪い感覚。


「…………まさかな」


 そこまで考えて、俺は否定する。

 そんなわけはないと。考えすぎだと。

 きっと、ここのところ色々とあった所為で過敏になっているだけだ。もしくは暑さにでも浮かされたか。


 どちらにせよ、今はとにかく先を急ごう。これ以上到着が遅くなれば、アリスに何を言われるか――、


「おじいさん?」


「え――」


 唐突に、下から鳴り響いたその声に、俺は視線を向ける。


 そこには、一人の少女がいた。


 大きく円らな黒の瞳に、目にかからない程度に切り揃えられた前髪。まるでお姫さまのドレスのように纏った長い黒髪が、性別のわかりにくい年齢である彼女を女の子たらしめていた。


 だが俺が気になったのは、この子の衣服。猛暑日を優に超える暑さだというのに、この子が身につけているのはなんと長袖のパーカーだ。首元から手の先まですっぽりと覆った、見ているだけで汗が吹き出るような、黒と灰色で彩られた縞模様のパーカー。しかしそんな暑苦しい上着とは打って変わって、下に履いているのは黒のショートパンツ一枚のみ。大胆にも大きくさらけ出された少女の太腿は、暑い夏の日差しを受け白く反射している。そのショートパンツすらも、少女の体には大きすぎるパーカーに隠れ、あたかも何も履いていないかのように見えている。


 そんな少女の登場に俺は二重の意味で驚き、思わず後ろに後退る。


「キミ、は……」


「おじいさん……?」


「え?」


 くいくいと、少女は黒衣のズボンを引っ張り訴えてくる。

 よく見れば、その少女は表情こそ変わらないものの、不安そうな瞳でキョロキョロと辺りを見回している。

 俺も少女に倣い辺りを見回すが、少女の保護者らしき人影は見当たらない。


 そんな少女の姿に察して、とりあえず俺は腰を屈めて話しかけてみる。


「どうしたんだい、お嬢さん?」


 なるたけ優しく話しかけたのが功を奏したのか、少女は俺の方へと顔を向けてくれる。

 それでもやはり不安そうな瞳は変わらぬまま。


「と、そうだ……」


 そこで俺は思い出したようにポケットを探ると、あるものを取り出す。

 よかった。まだ溶けてはいないみたいだ。


「ほら」


 そう言って少女手に握らせたのは――、


「? ……あめ?」


 くるくると包み紙に包まれた、小さな飴玉だ。


 少女は自身の手のひらに乗ったアメを不思議そうに見つめると、再び俺に視線を合わせてくる。それを食べることへの可否を問うてる感じた俺は、


「おう。食べていいんだぞ」


 俺の言葉に、少女は少々苦戦しながら包み紙を開き、中の飴玉を口に放り込む。


「ん、どうだ? うまいか?」


 少女はしばらく口の中で飴玉を転がすと、コクンと首を縦に振り、答える。


「お、そうか」


 子供らしいその反応に、俺はつい少女の頭を撫でてしまう。


 少女の方も特に嫌がる素振りもなく、ただひたすらに俺の目を見つめながら飴玉を舐め続けている。

 朝出てくるとき、たまたま姉さんに手渡された飴玉。いつも何かしら理由をつけて渡してくるのだが、今日貰ったのが塩飴やカロリーメイトじゃなくてよかったと、心底思う。


「それでお嬢ちゃんはなんでこんなところに一人でいるのかな?」


 その問いに、少女は頭を傾げる。どうやらよくわかっていないらしい。


「んー、それじゃあ次の質問。誰かを探してるみたいだったけど、誰かを探してるのかな?」


 今度の問いに、少女はフルフルと首を横に振る。


(違う……のか?)


 と思いきや、今度はコクンと首を縦に振る。


(どっちなんだ……?)


「えと……、じゃあお嬢ちゃんの名前は?」


「なまえ…………、なまえなまえ……」


 今度の質問に、少女は少し悩んだように俯くと、


「ゆう……た……?」


 となぜか疑問形で答えてくれる。


「ゆうた……くん?」


 俺が確認がてらそう呟くと、少女はまたもコクンと首を縦に振る。


 ゆうた。それがこの子の名前か。

 っていうか男の子……なのか?


「…………」


 もう一度マジマジと少女を見つめるが、如何せん、この年頃の子の性別はわかりにくい。

 単純に髪が長いから女の子なのだと思っていたのだが、違うのだろうか?

 確かに、言われて見れば服装も女の子よりも男の子より……なのだろうか?

 一応スカートではなくパンツルックだし。ただ髪が長いだけの美少年といえばそうなのかもしれない。

 あのお嬢さまみたいに胸があるわけでもな――……っていやいや。子供相手に何を考えてんだ俺は。そんなんだからアイツに妙なからかわれ方をされるのだ。

 うん。ここは、正直に聞いてしまおう。


「あ……のさ、キミって実はお――」


 って聞けるかぁーーーー!!


 いや。いやいやいやいや。ダメだろ、それは。さすがにそれはいけんだろ。たとえ子供相手といえ、男か女かなんて聞くのはさすがに失礼すぎやしないか? もし相手が正真正銘のレイディだったなら、俺の一言で一生消えない傷を負わせてしまうやもしれない。さすがに、それは……。


「…………?」


 俺が口を開いたまま固まっていると、ゆうたくんが不思議そうに黒衣を傾げる。


 うん。そんな些細な仕草一つとっても可愛らしくて、やっぱり女の子にしか見えないよ。


「……こほん。えーと、ゆうたくんはおじいさんを探してるのかな?」


 コクン、とゆうたくん。


「じゃあ、そのおじいさんが今どこにいるのかわかるかな?」


 男か女かはひとまず置いておくとして、兎にも角にも、この子を探しているだろう保護者の元へと返してあげるのが先決だ。そう考え、まずはその「おじいさん」の場所を聞いてみる。


 するとゆうたくんはまたもコクンと首を縦に振り、


「おじいさん」


 と、真っ直ぐに俺を指差す。


「え――――」


 とっさに俺は後ろを振り返るが、そこに誰かがいるわけでもなく。

 やはりゆうたくんの人差し指は、ただ真っ直ぐに俺一人を差している。


「俺、が……、おじいさん?」


 目を丸くしてそう問うが、ゆうたくんはさきほどとなんら変わりのない動作で首肯する。


「おじいさん」


 指し示す指先と同様に、俺を見つめるその瞳は真っ直ぐで。

 俺を騙そうとか、からかおうとするようなそんな邪な色は、少なくとも俺には見えない。

 その黒の瞳はどこまでも純粋に。映し出す全ての世界が真実であるかのような錯覚すら覚えてしまう。


 そんな、かつて自分も持っていたはず何かに当てられて、俺は言葉を失ってしまう。


 だからこそ、問わずにはいられない。


「それは、どう……いう――」


「おーーーーい、に~~んげ~~~~ん……」


 と、そこで不意に声がかけられる。


 俺が顔を上げて振り向くと、そこには遠くの方から手を振り叫ぶアリスの姿があった。


「お前……、まだこんなところでのんびりしているのか」


「あ……、ああ、すまない。ちょっとこの子が迷子みたいでな。それで――」


「この子?」


 そう説明する俺に、アリスは怪訝な声を上げる。


「この子とは、誰のことだ?」


「え――?」


 アリスの問いに視線を下へと向けるが、そこにさっきまであったはずの小さな影はなく。

 まるでさっきまでの少女は夏が見せた蜃気楼とばかりに、跡形もなく消え失せていた。


「あれ?」


 俺は辺りを見渡すが、やはりゆうたくんの姿はどこにもない。


「おいおい。大丈夫なのか人間」


 そんな俺に、アリスは気遣うような言葉を投げかける。


「いや、さっきまで本当に――」


「なんだ? まさか【妖精】が出たとでも言いたいのか? はっは。それなら確かに一大事だ」


「いや、だからそうじゃなくて――」


「それより、早く行くぞ。お前がいなくてはわたしが何も食べられぬではないか」


 そう言ってアリスは俺の手を引っ張って行く。


 俺はアリスに引きずれられながら元いた場所を振り返るが、やはりそこには何もなく。早くも逃げ水がその場所を満たしていた。


(気の所為……? そんなはずは……)


 俺は胸中に抱いたモヤモヤとしたものを拭い去れぬまま、熱波立ち昇るアスファルトの上を歩いて行った。




 陽炎の奥で揺れる小さな影に、気が付かぬまま。



次回、あの子と戦闘です

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