封印するもの(下)
ついに眼を覚ましたシオン。
「お母様、なんてことをしてくれたのですか!!」
鎖に繋がれていたシオンは叫んだ。
シオンが目覚めたと同時に、その鎖もすぐに取れる状態になっていた。
ダーク・ファントムは鎖を投げ捨て、シオンの躰を押し飛ばした。
「あと一歩だ! セーフィエル柩を開けるんだ!!」
「もうわたくしの利害とあなたの利害は一致しておりませんわ」
淡々と述べた。
ダーク・ファントムの焦りは募るばかりだ。
「セーフィエル!!」
「はじめから申し上げていた……ことじゃぞ?」
途中からセーフィエルの口調と雰囲気が変わった。
そこにいるのは人間セーフィエルではない。
あと一歩のところで前に進めない。ダーク・ファントムは怒りを露わにする。
「アタシに勝てると思うな!」
ダーク・ファントムが狙おうとしたのは未だ弱っているシオン。
セーフィエルの最大の弱点こそがシオンだ。シオンを手中に収めてしまえば、セーフィエルはダーク・ファントムに従うしかない。
だが、セーフィエルは微笑んだ。まるで月に照らされたようなその表情。
なぜそこまで余裕なのか?
ありえないことが起きてダーク・ファントムは思わずその動きを止めてしまった。
光を呑む込む闇の中に光がある。
まるで月のように輝く淡い光がそこにある。
この世界に光が存在している。
セーフィエルは静かに囁く。
「〈タルタロスの門〉を開くには3人の人間が必要。3人の過半数の承認が得られたからこそ、あの扉は開いたのじゃ」
「謀ったなセーフィエル!!」
「その言葉は返させてもらうぞよ。御主は妾を危険視しておったようじゃからな、いつか排除するつもりだったのじゃろう?」
先手を打ったのはセーフィエル。
夜闇を照らす月のように輝くその場所にあったのは神刀月詠だった。
それを持っているのは雪兎。
だが、そこにいたのは前までの雪兎ではなかった。
その皮膚を覆う蛇の鱗。
雪兎は蜿の呪いを断ち切った際、その呪いを受け継いでしまったのだ。
月詠は月のように他者から光を得ていた。それこそが雪兎。
刹那、月詠が薙がれた。
迸る光の玉。
ダーク・ファントムがついに斬られた。
「ギャァァァァァッ!!」
因果を断ち切られたダーク・ファントムが消える。もう思念として蘇ることはない。また結界や〈邪柩〉に異変が起きない限り――。
「クソォ……セーフィエル……セーフィエル……お前が最大の叛逆者だ!」
影は光によって消える運命なのか?
それともただ姿が見えなくなるだけなのか?
「これで……終わりはしない……そう決められている……預言書にも書かれた運命だ……セーフィエル……次に会ったときは……」
そして、ダーク・ファントムは跡形もなく消えた。
「次に会ったときはどうするというのじゃ?」
嘲笑を浮かべたセーフィエルは、次の瞬間には優しい笑みでシオンに顔を向けた。
「行くぞ、シオン」
「できません、私にはここでの役目があります!」
そこで口を挟んだのは雪兎だった。
「その役目は僕に移りました」
「なんですって!?」
シオンは驚きを隠せなかった。
すべてはセーフィエルの思惑どおり。
だからと言って雪兎は完全に乗せられたわけではない。望んでこの場にいる。
〈タルタロスの門〉が開いたとき、雪兎とセーフィエルが承認したからこそ、扉は開いたのだ。
雪兎がここでダーク・ファントムを斬ることも決まっていた。
そして、雪兎が新たな人柱になることも……。
「僕は〈ヨムルンガルド結界〉の一部となりました。そして、神刀月詠の力も持っています。あなたよりも僕のほうがより強力な呪縛となるでしょう」
「そんなことが許される筈がありません!」
シオンは認めなかった。
この場所に囚われていたシオンは、その意味を重々承知していた。
だが、セーフィエルは、
「許されないというのなら、シオンが生け贄になった時点で言えることじゃ」
「私が生け贄なんて……私はワルキューレの一員として……」
「捨て駒にされただけじゃ」
「そんなことは!!」
「そこにおる雪兎は自らの望みでここに残る」
雪兎はその言葉を承けてうなずいた。
「さあ、お行きなさい」
もうこの場はシオンのいる場所ではなかった。
それ以上の言葉はないまま、3人は〈タルタロス〉を去った。
残された雪兎がつぶやく。
「さよなら……命」
元の世界に残されることになるひとりの妹。
たとえそれが雪兎が望んだことであったとしても、シオンを囚われたセーフィエルと何が違うのか?
命にこの事が伝えられることはないだろう。
だが、万が一知ってしまったら?
静かに月詠が鞘に収められた。
月が沈んだ世界に陽は昇らない。
そこは闇に閉ざされた世界。
いつまでこの世界は闇に閉ざされたままなのだろうか?
もしかしたら久遠かもしれない。
しかし、ダーク・ファントムは終わらないと言った。
光が存在する限り、闇も存在するのだから……。
3・31事件から数日が過ぎ去った。
帝都の街は復興に向かっている。
街に溢れていた強力な妖物たちはいつの間にか姿を消し、結界はさらに強力なものとなった。
戦いで傷ついた多く者たち。
ワルキューレたちの中にも重傷を負った者がいたが、彼らの驚異的な再生力ですでに完治していた。
だが、その裏で女帝だけは病に倒れ、床に伏せっていた。
セーフィエルが最後に残した復讐。
〈ヨムルンガルド結界〉を弱らせたのは、シオンを救うためだけではなかった。
月詠は〈ヨムルンガルド結界〉の力を得た。その〈ヨムルンガルド結界〉はセーフィエルが盛った毒に犯されていた。
その月詠がダーク・ファントムを斬った。
今やダーク・ファントムの本体は柩の中で毒に犯されて藻掻き苦しんでいる。その片割れである女帝にも同じ事が起きていた。
すべてはセーフィエルの思惑どおり。
シオンは外の世界に戻り、女帝にも苦しみを与えた。
一方、シオンが躰から離れた時雨は――?
「はっくしゅん!」
もう桜も散ったというのに、こたつを引っ張り出して中に潜っていた。
そこへハルナが駆けてきた。
「テンチョったら、ちゃんと仕事してくださいよぉ」
「やだよぉ、寒いんだもん」
寒さの後遺症は未だ残っているようだった。
「寒いってもう4月ですよ、しーがーつー!!」
「じゃあ7月になったら活動するよ」
梅雨明けまでコタツに潜っているつもりだろうか?
「そんなこと言ってたらお米買うお金だってなくなっちゃいますよ!」
「それは困るね。じゃあちょっとバイト行ってくるね」
「ダメです、ダーメ! もう危ないことしちゃダメですから!」
「今までしてたじゃん?」
「もうダメなんです。そう決めたからダメなんです!」
ハルナは自分が巻き込まれてみて、その危険を身に染みて実感したのだ。
そうと決まれば時雨はコタツに潜るだけ。
「ああぁっテンチョったら!」
叫んだハルナ。
時雨の身体がコタツの中から引っ張り出される。
「ちょっとやめて……よ?」
時雨は眼を丸くした。自分を引っ張り出した人物がハルナではなかったからだ。
「ひっさしぶりねぇん、時雨〜っ♪」
そこに仁王立ちしていたのはマナだった。
マナの出現に時雨はバッと起き上がって身構える。だいたいマナが現れるとロクなことがないからだ。
その予想は果たして当たるのか?
マナはある物を無造作にコタツテーブルの上に置いた。
それはシンプルな指環だった。しかも2個。
思わす時雨は、
「はぁ?」
そんな時雨にマナは、
「とりあえず付けてみなさい!」
「はぁ?」
「まあ、いいからいいから!」
「ちょっと!」
時雨は無理矢理指環をはめてこようとするマナから身を守った。
なにがなんだか時雨にはわからなかった。
「意味わかんないから、説明しようよ!」
「簡単に言うと、ちょっと旅行先の古代遺跡でちょっと拝借してきたのよね」
「盗掘したんでしょ?」
「そーゆー言い方もできるわねぇん」
「言い方の問題じゃないよね?」
「とにかくパクって来たのはいいのだけれど、どんな力を持ってるのかわからないのよね」
パクったとハッキリ口にした。
そんな得体の知れない指環なんて付けたら最後だ。
これでもマナは魔導士としては一流。そのマナがわからないと言っている物を身につけるなんて、無謀というのもほどがある。
ここで時雨が取る行動はひとつ。
「ちょっと出掛けてくるねハルナ!」
逃げた。
家を飛び出した時雨は近所の商店街を駆け抜けた。振り返ればそこにはマナの姿が!
「こんなこと前にもあったような」
しみじみと今年の初旬を思い出す時雨。
逃げ込む場所もあとのときと同じだった。
時雨が逃げ込んだのは神威神社の境内。
未だ復興作業が続けられていた。
巫女装束を着て境内を掃除している命の姿。
時雨は死にものぐるいで命に泣きついた。
「みこと〜っ、マナにまた殺されるぅ〜」
「……はぁ、またか」
さすがに呆れているのか命は溜息を落とした。
時雨は子犬のような瞳で命を見つめ、何度も何度も彼女の肩を揺さぶった。
「わぁ〜ん、もうすぐそこまで来てるよぉ〜」
「わかったら落ち着け!」
命は時雨を振り払って、その肩越しにマナが迫ってきているのを見た。
なぜか大鎌を持っているマナが凄いスピードで近付いてくる。なぜ指環をはめようとしているだけなのに、大鎌を装備しているのかまったくもって不明だ。
「し〜ぐ〜れ〜ちゃ〜ん♪」
ブンブン風を切って回される大鎌。
ここまで乗りかかってしまった船だ。命も諦めた。
「仕方がないのぉ」
身構えた命。
マナもそれに応じた。
「命ちゃんヤル気満々ってわけぇ?」
「仕方ないじゃろう、それも定めじゃ」
「前回はちょっとしたトラブルで負けちゃったけど、今回はそうはいかないわよぉん!」
「ならばこちらも初めから本気じゃ」
命は念を込めた御札をマナに向かって投げつけた。
「同じ手は食わないわよぉん!」
前回、マナはこの御札を貼られて身動きを封じられている。
マナは大鎌で札を切断した。
「ふふ〜ん、こうしてしまえば……っな!?」
斬られた御札はヒモとなってマナの身体を拘束したのだ。
「いやぁん♪」
イモムシのように地面でもがくマナを命は見下ろした。
「今回は呆気なかったのぉ」
だが、往生際の悪いマナはこんなところではあきらめない。前回も黒猫になってしまってやむなく敗北したのだ。
身体を拘束されたマナは念動力で大鎌を操った。
大きな鎌で器用に身体に巻き付いた御札が切られていく。
そしてマナ復活!
「おほほほほほっ、この程度でへこたれるアタクシではなくってよ!」
「じゃろうな」
重々命も承知済みだった。
命が空[クウ]に印を描く。
「汝は童の守護者なり、“招”!」
命は右手の中指と人差し指で空[クウ]を突き刺した。
その空間から飛び出してきた謎の影。式神を呼びだしたのだ。
呼び出された式神の姿を見て時雨は唖然とした。
「……どう見ても」
さらにマナも驚きを隠せない。
「ただのぬいぐるみじゃないのよぉん!」
そこにいたのはクマのぬいぐるみだった。
命は至って真面目に説明する。
「ポン太君じゃ」
思わず時雨がツッコミを入れる。
「名前とかじゃなくて……ただのぬいぐるみだよね?」
「捨てられておったところを妾が保護した。それ以降、妾の式神となって家事手伝いなどをこなしてくれておる」
前回呼びだしたのは掃除機だったような気がする。今度は家事手伝いだそうだ。ずいぶんと主婦思いの式神たちだ。
命は輝く眼差しでマナを見つめた。
「お主にこの可愛らしいポン太君が倒せるというのか?」
戦闘力とかの問題ではなかった。そもそも普段は家事手伝いという時点で戦闘力には期待できなかった。
後退ったマナ。
「くっ……私が大のぬいぐるみ好きだと知っての所業ね。しかもクマのぬいぐるみを愛用してると知って!」
「知らん」
命はバッサリ切り捨てた。
しょんぼりした様子を見せるマナ。
「私の負けだわ。お詫びの印として時雨ちゃん、これを受け取って頂戴」
と言われて、思わず時雨は手を出してしまったが最後。
マナはすばやくあの指環を時雨の左手薬指にはめた。
「おほほほほほっ、引っかかったわねぇん!」
「ひどいよマナ!」
わめいたところで後の祭りだ。
時雨は指環を外そうとしたが、お約束どおり外れない。どうやら呪われていたらしい。
「外れないよこれ!!」
だが、これと言って変化もなかった。
命は時雨の手を取りまじまじと指環を見つめる。
「妖気は感じるが、妾にもわからんな。物理的に外した方が早いのではないかえ?」
指環が外れなくなったときの最終手段は工具による指環切断だ。
時雨は溜息を吐いた。
「はぁ……もっと大変なことにならなくてよかったけどさ。とりえず家に帰って石けん試してみよう」
時雨はとぼとぼと家路に着いた。
家に帰ると、いきなりハルナは飛び出してきた。
「テンチョ〜っ!」
半分涙目で焦っているのは見て明らかだった。
「どうしたの?」
時雨が尋ねるとハルナは、
「指環が外れなくなっちゃんだですぅ!」
見るとハルナの指にもあの指環が。しかもなぜか左手の薬指だった。
「はぁ、ボクもだよ。でもさ、なんでハルナまで?」
「えっ……そ、それは……」
急にハルナは顔を真っ赤にしてしまった。
そんなところへゴスロリ少女……もとい、ゴスロリ男子の夏凛が飛び込んできた。
「お兄様ぁ〜、近所で仕事があったので遊びに来ちゃいましたぁ♪」
時雨はまた溜息を吐いた。
「はぁ、だからさ……お兄様ってやめてくれるかな。なんの血のつながりもない近所の子だったってだけなんだから」
「お兄様……記憶喪失は?」
時雨は過去の記憶を取り戻していたのだ。
それにはハルナも驚いた。
「テンチョ、記憶が戻ったんですか!?」
「まあね」
「じゃあ、本当の名前も思い出したんですよね!」
「ボクの名前は時雨だよ。別に過去なんてどうでもいいんだよ」
時雨は優しい笑みを浮かべた。
ただならぬ雰囲気が時雨とハルナの間に漂っていることを夏凛は感知した。さらに二人の薬指の指環まで見てしまった。
「ぎゃ〜〜〜っ、お兄様いつその女と結婚なさったんですか!!」
「え?」
時雨はきょとんとした。
そこへまた新たな訪問者が現れた。
「仕事の依頼が会ってきたのだが、中が騒がしいもので気になって無断で入ってきてしまった」
紅葉だった。
そして、紅葉もすぐに二人の指環に気づいた。
「いつに結婚したのか時雨。式を挙げるのでれば報酬の代わりに私が準備してやってもいいぞ?」
「はぁ?」
時雨はとんとん拍子で進む話についていけなかった。
ハルナは顔を赤らめながら時雨に寄り添った。
「わたしたちそう見えますぅ?」
まんざらでもなかった。
そこへ時雨を追ってやって来た命。
「ほう、それで日取りはいつにする?」
さらにマナまでが、
「おめでたい話ねぇん。式当日には私からのプレゼントとして、魔法花火をガンガンに上げちゃうわよぉん!」
そして、夏凛は泣きながら走っていった。
「お兄様のばぁん!」
それを見た紅葉は、
「妹が出ていったぞ、追わなくていいのか?」
「だからボクの妹なんかじゃないから。あっちが勝手に自称してるだけなんだって……はぁ」
どっと溜息を吐いた時雨はコタツの中に潜った。
コタツの外ではあれやこれやと式の段取りが話し合われている。
風に乗って窓から桜の花びらが舞い込んできた。
春麗らかな日々。
帝都で1つの物語が終わり、同時に新たな物語がはじまろうとしていた。
そして、聞こえてきたのは誰かの溜息。
穏やかな世界に相応しい溜息だった。
封印するもの(完)