ダークファントム
ベレー帽を被り軍服で身を絞めた凛々しい女が、腰から抜いた大剣を白い女の首元に突きつけた。
「なぜ貴様がここにいるのだ!」
剣を突きつけたのはワルキューレの最高責任者アイン。
そして、剣を突きつけられたのは夜魔の魔女セーフィエル。
「昔話をしようと思って……かしら?」
含み笑いを浮かべながらセーフィエルは静かに言った。
ここは帝都政府の中枢である夢殿の敷地内。ワルキューレたちが異変を感じたときには遅く、すでにセーフィエルはヴァルハラ宮殿の中まで侵入していた。
部屋の奥からズィーベンを引き連れて、小柄な少女が姿を見せた。
「剣を納めていいよアイン」
それは女帝ヌルの言葉だった。
「ですが!」
アインは猛烈に反対する。
しかし、女帝は首を横に振った。
「彼女は昔話をしに来たと言ってるんだ、そこに剣は必要ないよ」
2度まで言わせては剣を引くしかあるまい。
円卓の席に女帝ヌルが着いた。
「セーフィエルも好きなところに座ってよ」
「お言葉に甘えて」
セーフィエルが座った席は、科学顧問であるゼクスの席。
それを見た女帝は楽しそうに笑った。
「やっぱりそこなんだ。だってもともとそこってキミの席だしね」
「今のワルキューレが組織される遙か以前のお話ですわ」
「ついこないだの話だけどね」
「人間のわたくしに取っては想像もできないほど遙か昔のお話ですわ」
「人間ねぇ」
納得しかねる言いようだった。
円卓にはアインとズィーベンの席もあるが、彼女たちは座ろうともせず警戒を強めている。
セーフィエルの目的が未だ不明。
女帝は身を乗り出した。
「いろんなとこにちょくちょく顔出してるらしいよね。目的もハッキリしないし、キミがどこのセーフィエルかもハッキリしてない。キミはだれ?」
「今目の前にいるわたくしは8割ほどが貴女方の知るセーフィエル。残り2割が人間としてのセーフィエルかしら」
「らしいよね。調べさてビックリしたよ。転生したってこといいわけ?」
「それでよろしいわ」
「生まれ変わってまでアタシらに復讐したいってこと?」
「それはどうかしら」
セーフィエルは静かに笑った。
復讐される心当たり。
なぜセーフィエルは転生したのか?
転生すなわち、その前に訪れた死の原因は?
女帝が語る。
「はぐらかさなくてもいいよ。アタシのこと恨んでるんでしょ、キミのことを殺したのはアタシなんだし」
セーフィルを殺したのは女帝ヌル。
かつで円卓を共にした仲間ともいうべき存在をなぜ殺した?
月のような笑みをセーフィエルは浮かべた。
「殺されたことなど些細な問題ですわ」
己が殺されたことを些細と言い切る。
女帝はすでに察していた。
「だろうね。自分の命をかけてまでキミは守ろうとした。もしかして救いだそうなんて考えてるんじゃないだろうね?」
「ええ、何があろうと娘は救い出しますわ」
これを聞いていたアインとズィーベンにも動揺が走った。
あの日、なにがあったのは二人は知っている。
蘇る光景。
〈裁きの門〉の完全発動と道連れにされた仲間の姿。それはやむを得ない犠牲だった。しかし、セーフィエルはそれを認めなかった。
そして殺された。
アインが眺める円卓の席は――永久欠番ノイン。
女帝は椅子に深く腰掛け、天井を仰ぎ見た。
「いくつかの予想はしていたさ。アタシたちを殺そうとする可能性。ノインを救い出そうとする可能性。でもね、絶対にやらせないよ!」
女帝から覇気が放たれた。
嗤うセーフィエル。
「うふふふふ、例え御君が我らの祖でろうとも、義体で妾に勝てるとお思いかえ?」
口調が違う。
それよりも『我らの祖』とは?
アインが大剣を抜いた。
「この場所では貴様に勝ち目がないことを貴様自身がよく知っている筈だ!」
薙ぎ払われた大剣を躱したセーフィエル。
「たしかに〈夢殿〉で魔力が封じられるように設計したのはこの妾。肉弾戦を得意とするうぬが有利な場所であることもたしか。しかし設計者である妾が抜かるとお思いかえ?」
急に明かりが落ちた。
〈夢殿〉のシステムがダウンしたのだ。このタイミングと言うことは、セーフィエルの仕業と言うことは明らか。
女帝が叫ぶ。
「奴がいる!」
ズィーベンも叫ぶ。
「まさか〈ゆらめき〉が!? そんな筈が……〈ヨムルンガルド結界〉は何の反応も!」
セーフィエルの気配が消えている。
代わりにこの場を満たした気配は暗きもの。
「元気にしてた姉上?」
それは女帝ヌルとまったく同じ声だった。
ゆらめく影。そこに本体の姿はない。あるのは少女の“影”のみ。
妹の“影”と対面した女帝は笑った。
「まあ睡眠時間はたっぷりと取ってるよ」
それは皮肉だった。
“影”はうんざりしたように両手を軽く上げて、手のひらを上に向けた。
「困るんだよね。姉上が起きてくれなきゃ、アタシも起きられないんだから。この敷地のどこで寝てるんでしょ本体が?」
この場から移動しようとする“影”。狙いは女帝の本体を発見することだ。
騒ぎを駆けつけワルキューレのほかのメンバーも集まってきていた。
アイン、フィーア、フィンフ、ズィーベン。欠番を含む9人中、4人もの戦乙女がこの場に集結した。
素早く動いたアインが出入り口の1つを塞いだ。
「案ずるな、相手はダーク・ファントム。ただの幻影でしかない。しかし、抜かるな。幻影と言えヌル様の片割れだ!」
ほかのメンバーも道を塞いだ。
防御はワルキューレに任せ、女帝自らダーク・ファントムに攻撃を仕掛ける。
「アタシが添い寝してあげてるんだから、アンタも大人しく寝ててよね!」
女帝はホーリーロッドを振り下げた。
影であるダーク・ファントムは、捕らえどころがないようにゆらめきながら躱した。
「いっしょに寝てくれなんて頼んでないけど!」
逃げに徹するダーク・ファントムは女帝の横を擦り抜け、フィーアの元へと向かっていた。
帝都政府のスポークスマンであるフィーアは重い溜息を吐いた。
「やはり狙うなら戦闘力のないわたくしですわよね」
フィーアの武器はホーリーチェーン。自由自在に動く鎖だ。
縦横無尽に動き回る鎖を縫うようにダーク・ファントムはいとも簡単に躱す。
フィーアの援護にワルキューレ最速のフュンフがホーリースピアを構えて翔る。
さらにズィーベンは持ち場を守りながら、ホーリースタッフから光の攻撃魔法を放った。
光の玉がダーク・ファントムの腹を打ち抜いた。
影に空いた風穴が元に戻らない。
「やっぱり影じゃ分が悪いなァ。〈光の武器〉の攻撃をちょっと喰らっただけでこれだもんね」
その場に立ち尽くすダーク・ファントムに女帝が飛び掛かる。
「なら大人しく消えちゃいな。光よ!」
ホーリーロッドが激しい閃光を放ち、ダーク・ファントムに直撃した。
ダーク・ファントムが呟く。
「闇は光に弱い。けどね闇はいくら消したってなくならないよ。だって世界はもともと闇に包
まれてるんだから」
光によって消えゆく影。
そして、影は完全に消失した。
だが、微かに残った声の幻影が響き渡る。
「輝き続けなきゃいけない光に比べて闇は楽なもんさ。光が力尽きるのをじっと待っていればいいんだから」
言い残して気配は完全に消えた。
戦いを終えた女帝は円卓に腰掛けた。
「あの子も譲らないよね。アタシも譲る気なんてないけどさ。だからずっと戦い続けてるんだけど」
そこにアインが言う。
「しかし、最後は必ず我々が勝利すると私は信じております」
揺るぎない信念だったが、すぐにそれは女帝によって否定された。
「昔はアタシもそれに躍起だったけど、今じゃどうなんだろーって思うよね。だって未だに勝負はドローのまま。今はかろうじてアタシが優位になってるけどさ。そもそもさ、勝負なんてつくはずないんだよ。だって双子で片方が消滅したら、もう片方も消滅するんだし。だったらなにをもって勝利とするの?」
だれもその問いには答えなかった。
女帝は溜息をついた。
「今度妹に会ったら聞いてみよ」
けれど、すぐに首を横に振って、
「やめた。きっと妹もアタシと同じ考えだから」
この姉妹は表裏一体。
答えは初めからわかっていた。
陽が落ちた。
湖の畔で月を詠むセーフィエルが佇んでいた。
女帝との対面を果たし終えたセーフィエルは結果として何を残したのか?
彼女は何のためにあの場所に赴いたのか?
1つ断言したことがある。
――何があろうと娘は救い出しますわ。
そのためにセーフィエルは何をして、何をこれからする?
森が不気味なほど静まり返った。
風もない。
だがゆらめいている。
現れた少女の影――ダーク・ファントム。
「失敗しちゃったよ」
「それは残念だことですわね」
「せっかくキミに道を切り開いてもらったのにね。きっと防衛が強化されるよ」
帝都政府の中枢〈夢殿〉に侵入を果たしたダーク・ファントム。その手引きをしたのはほかならぬセーフィエルだった。
ダーク・ファントムは無警戒でセーフィエルの目の前までやって来た。
「それにしても、まさかキミがアタシの味方をするとはね。前にここでキミに会ったとき、あれは明らかにアタシを倒そうと画策してるように思えたんだけどね」
神刀月詠の件だ。
「はじめからわたくしは誰の味方でもありませんわ」
「それにしては向う側に肩入れしていたけど。だってキミは元々アタシの眷属の筈なのに。しかも〈裁きの門〉なんて厄介な物まで創ってアタシを封じ込めたんだから」
「わたくしを怨んでいらっしゃる?」
「そーゆーのには興味ないよ。それにさ、アタシを封じ込めた罰をキミはすでに十分受けているでしょ?」
揺れる影が笑った。
セーフィエルの目つきが変わる。凍てつく瞳。その瞳で見つめられた世界はダーク・ファントムを残して戦慄した。
ダーク・ファントムはわざわざセーフィエルに近づき、その瞳を眼前から覗き込んだ。
「キミとアタシは目的こそ違えど、課程という点では一致してる。キミの目的は娘のノイン――いやシオンを取り戻すことだよね。彼女は今アタシを縛る枷となりいっしょに幽閉されてる。つまりアタシが脱獄すれば、彼女もこの世界に舞い戻るって寸法だよね?」
「それが半分の目的」
「半分?」
「元々のセーフィエルの目的ですわ」
「転生後のキミの目的もあるってことかな?」
「そうね」
「それはどんな?」
「どんなかしら、うふふ」
はぐらかすセーフィエル。
おそらく人間であるセーフィエルの目的は、アリスに関わることだろう。
「ま、いっか」
あっさりとダーク・ファントムは追求せずに引いた。
ダーク・ファントムは一度背を向けてセーフィエルから離れ、かかとで体を反転させて再び顔を向けた。
「ところでさ、どうやってアタシを復活させてくれるのかな?」
「まずは〈裁きの門〉を開かないことにはどうにもならないですわね。さらに〈裁きの門〉を開く前にもいくつかの結界をどうにかしなければならないわ」
「最大の結界は〈ヨムルンガルド結界〉だよね? あれを考案したのもキミだ。実際に形にしたのはズィーベンだろうけど」
「すでに〈ヨムルンガルド結界〉の問題は大方片付いていますわ。あなたもいくつか片付けてくれていたから、わたくしは最後の仕上げをしただけですもの」
〈ヨムルンガルド結界〉に大きな変動をもたらした事件は、帝都タワーの破壊と神威神社の全壊だろう。
「最後の仕上げっていうのはなに?」
「蛇に毒を盛りましたの。外から飲ませたのではなく、体の中から毒を飲んでもらったの」
「どうやったの?」
「どうやったのかしら?」
静かにセーフィエルは笑った。
ここでもダーク・ファントムは特に追求しない。
「ふ〜ん。じゃあ次はどうするの?」
「〈裁きの門〉を召喚いたしますわ」
「あれを召喚できるのはあっち側の奴らだよね?」
「今は女帝ヌル以下、ワルキューレに名を連ねる者のみ」
「そして本当の意味で開くことができるのは、アタシの眷属の一部。今じゃキミだけでしょ?」
「いいえ、わたくし以下の血を引く者ですわ」
「いつの間にかそういう仕様にしたんだね。それにしても元々あれはアタシと姉上で考案して使っていた物なのに、まさか自分が閉じ込められるハメになるんなんて、酷い皮肉だよまったく。しかもアタシを閉じ込めるために、わざわざ深い階層まで新たに創ったりなんかしてね。嫌がらせにもほどがあるよ」
〈裁きの門〉の奥深く、さらに深い階層にある〈タルタロス〉に〈闇の子〉は幽閉されている。
「あなた方双子は自分たちが堕とされた時の再現を自分たちに刃向かう者にした。でもあなたにも罰が回ってきたようですわね」
人間の歴史など及ばないほど昔、まだ〈光の子〉と〈闇の子〉の戦いがはじまる前、〈裁きの門〉はセーフィエルによって設計され創られた。
「だからって2度も堕とされることはないと思うけど。だったらさ、いつかアレも堕とされることになるのかい?」
「いいえ、子は親を超えることがあっても、創造物は創造主を超えられないというのがわたくしの持論ですわ」
「そーゆーのは納得できないからアタシらは叛逆したんだけどね。たしかに結果として今のところ、キミの言うとおりになってしまってるけどさ。でもアタシは〈裁きの門〉を出て、姉上との決着をつけたら、絶対に楽園に戻って見せるよ」
「決着がつけばいいけれど」
「…………」
なぜかダーク・ファントムは押し黙った。決着をつけると言ったばかりなのに――。
何事もなかったようにダーク・ファントムは口を開く。
「まあいいさ、今は〈裁きの門〉から出るのが先決だからね。姉上とワルキューレだけしか開けない門をどうやって開かせるつもりなの?」
「どうやるのかしらね?」
またはぐらかした。
「またそれか。でもちゃんと開くならいいさ、気楽に待ってるから」
「開く手はずは整えていますわ。問題は最後の結界をどう解くかよ?」
「アタシを閉じ込めてる〈柩〉かぁ。中からはまったく壊せないし、扉を開いた後、悠長に外から壊してるヒマもなさそうだよねぇ。まずは〈柩〉を別の場所に運んで隠すのが先決かな」
「あなたがそうしたいのならどうぞ。わたくしの目的はそこまで必要ないですもの」
「そうだね、キミの目的は〈タルタロスの門〉を開いた時点で達成されるだろうから。あとはアタシが自分でどうにかするさ」
「わたくしはあなたの都合には合わせませんわよ。準備があるならお早めに、〈裁きの門〉はもうすぐ開きますから」
「じゃあ忠告どおりに急ぐことにするよ」
ダーク・ファントムは瞬く間に消えた。
静かな夜。
水面の月を詠んだセーフィエルは静かに微笑んだ。