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氷の中のアリス

 学校をサボった金髪の少女は自宅に帰って姉を呼んだ。

「姉貴!」

 部屋の奥から出てくる若い女性。顔立ちは少し幼さが残るが、どこか大人の色気を纏っている。着ているナイトドレスのせいかもしれない――当時16歳のセーフィエルだった。

 セーラー服を着た金髪の少女とセーフィエルの黒髪は似ても似つかない。その雰囲気もセーフィエルが落ち着いているのにたいして、金髪の少女からは血気が出ていた。

 金髪少女の蒼眼がセーフィエルの黒瞳を威嚇するように睨んだ。

「姉貴、金貸して」

「駄目よ」

「3万くらいでいいから」

「なにに使うの?」

「1万でいいから」

「なにに使うか言いなさい」

「もういい」

 背を向ける少女の腕をセーフィエルが掴んだ。

「待ちなさいアリス!」

「なぁーにー?」

 真摯な瞳でセーフィエルはアリスを見つめていた。

「学校を行きなさいとはもう言い飽きてしまったわ。けれど、危ないことはよしてね。あなたはたったひとりの妹なのだから」

「妹なんて馬鹿らしい。どーせ姉貴とアタシ血が繋がってないんだから!」

「なんてこと言うの!」

 セーフィエルの平手が上げられ、バシンとアリスの頬に紅潮をつくった。

「なんでアタシが叩かれなきゃいけないわけ!」

「血が繋がっていないなんて二度といわないで頂戴」

「本当のこと言ってなにがイケナイわけ?」

 二人の髪色はあまりにも違いすぎた。方や金髪、方や黒髪、それが二人の地毛だった。

そして、瞳の色も違う。

 光を全て吸い込むセーフィエルの闇色よりも濃い黒瞳。

 どこか光を帯びた神聖なまでに美しく蒼く深みのある蒼瞳。

 姉妹としては、似ても似つかない存在だった。

 死んだ両親も黒髪、黒瞳だった。だから、常々アリスは自分はこの家の子供じゃないと幼い頃から思っていたのだ。

「アタシの本当のパパとママはどこにいるんだろ」

「何度言わせたら気が済むの。今は亡きお父様もお母様も……わたくしも、あなたと本当に血が繋がっているのよ」

 アリスが怒りを滲ませながら反発する。

「……騙されない。あの話からして胡散臭い。あの人はアタシを妊娠中に魔導被爆したから、アタシみたいな子が生まれたって」

「そうよ、それが原因でお母様はあなたを生んですぐに亡くなったのよ」

「その話がホントだとしても、アタシはどっちにしたって出来損ないジャン」

「あなたは生まれながらにしてわたくしよりも魔導の才能があったわ。そのまま魔導の鍛錬を積めば、一族最高の魔導士になったのに……」

「そんなの100億詰まれたってなりたくない!」

 魔導実験によって魔導被爆したアリスの母は、当時アリスを身ごもっていたために、それが胎児に大きな影響を及ぼしてしまった。生まれたアリスは体内に大量の魔導力を秘め、魔導と同化している身体は魔導を全てすんなりと受け入れる体質になっていた。アリスの瞳の蒼は魔導の蒼なのだ。

 セーフィエルは悲しそうにアリスを見つめていた。

「どうして信じてくれないの?」

「そんな顔でアタシのこと見ないで……だって嘘は嘘だから信じられない」

「だったらDNA検査をすればわかることだわ」

「偽造するつもりでしょ、信じないんだから」

 本当は怖かったのだ。

 本当に血が繋がっていないことを証明されてしまうのが怖かった。目の前のいるのが本当の姉でないことがわかるのが怖かった。そしたら本当に独りになってしまう。

 アリスはセーフィエルに背を向けた。

「金貸してくれないならいーよ!」

 アリスは走って玄関を飛び出して言ってしまった。

 こうしていつも物別れになってしまう。

 物心つく前のアリスを思い出し、セーフィエルはとても悲しくなる。

 ――あんなに無邪気で笑顔の可愛い子供だったのに。

 窃盗、殴り合いの喧嘩、酒、煙草、ドラッグ。

 アリスの悪い噂や、警察署にアリスを向かいに行くたびに、セーフィエルの心は闇に蝕まれた。

 今のアリスに怒りを覚えることはない。

 ただ悲しさが雪のように積もるだけだった。

 どこまでも退廃していく妹を見ていられなかった。

 しかし、アリスはいつも逃げてしまうのだ。

 もっとアリスにきつく接することもできたが、セーフィエルはアリスに嫌われたくなかった。もう十分嫌われているが、どこか遠い場所に姿を隠してしまうのが怖かった。

 セーフィエルにはアリスしかいなかったのだ。


 家を飛び出したアリスはケータイでオトコ友達を呼び出した。

 すぐにやってきた友達はバイクを乗ってアリスの前に姿を見せた。アリスと同い年の13歳で無免許だ。

 バイクの後ろに跨ったアリスは指で前を差し命令する。

「どっか遊びに連れてって」

「ゲーセン行こうと思ってたんだよ」

「じゃ、ゲーセンにしゅっぱ〜つ!」

 走り出したバイクは風を切り、すぐに道路の制限速度を越えた。道路標識なんて知らないガキが乗っているのだ。速度表示の標識など、記号としか見ていない。

 グングンとスピード上げ、2人を乗せたバイクは次々と車を抜かしていく。前を走る車を抜くことがゲーム感覚なのだ。

 だが、そんなゲームもすぐに飽きる。

 最初に飽きたのはアリスだ。

「ゲーセンまだぁ?」

「ほら、すぐそこだよ」

 バイクは急ブレーキをかけて停車した。思わずアリスは前に乗っている友達に力いっぱい抱きついてしまった。

「もぉ、後ろにアタシ乗ってんだから気ィつけてよ」

「俺はおまえの胸の感触感じて得したけどなー」

「もしかしてわざとやったの?」

「知らねぇーよ」

「ユースケのヘンタイ!」

 笑いながら二人はバイクを降りると、さっそく目の前のゲーセンに入った。

 店内を見回してアリスは客を見た。

 クレーンゲームで遊んでる若者、歩きながらしゃべっているカップル、背広を着たオジサンもいる。

 アリスはクレーンゲームに熱中している若者に目を付けた。

 理由はアリスの財布が知っている。

 アリスの財布はゲーセンでは使えない小銭しか入ってなかったのだ。ほぼすっからかんに近い状態だった。

 クレーンゲームの台を見ているフリをして、アリスはクレーンゲームに神経を注いでいる若者の後ろを通った。そのときだった、歩きを止めないままアリスの手が動き、ズボンの後ろポケットに入っていた財布を抜き取ったのだ。

 アリスは何気ない顔をして歩き、後ろで財布がないと叫ぶ男の声を聞いて足を速めた。

 格ゲーをするユースケの首根っこをアリスは掴み、無理やりユースケを立たせて歩かせた。

「財布すったんだけど、すぐに気づかれちゃった」

「もっとうまくやれよな」

「顔は見られてないし、すぐにクレーンゲームの影に隠れたから後姿も見られてないはハズ。でもさっそと別の場所移動しよーよ」

「オッケー。さっさと出ようぜ」

 2人は何気ない顔でゲーセンの外に出て、すぐにバイクに跨った。

 エンジンを掛けて走り出す前、ユースケが言う。

「俺がやってたゲーム1回分、途中だったんだからおまえに料金貸しだぞ」

「すぐにこれで何倍にして返すから」

 アリスはすったばかりの財布を叩いて笑顔を浮かべた。

 それを合図にバイクは走り出したのだった。

 ゲーセンの中ではやっと店員が呼ばれたころだったが、アリスたちにはもう無関係の人間だ。街で偶然会っても顔すら見ず知らずの関係だ。

 盗んだ金の最初の使い道は腹ごしらえだった。

 アリスの指示でバイクはファーストフード店に向かっていた。

 ついたファーストフード店はバーガーショップだった。

「俺てりやきセットな」

 ユースケに頼まれ、アリスはレジの列に並んだ。

 自分はポテトのLとオレンジジュースを頼み、ユースケのてりやきセットを持って店内を見渡した。

 奥の席でユースケが軽く手を振っている。

 席についたアリスはポテトを摘み、飲み物を口に運んだ。

「てりやきとかよく食えるね」

 アリスがてりやきに視線を落として言うと、ユースケがそれを口いっぱい頬張った。

「てりやきが一番ウマイんだよ」

「アタシ、マヨネーズだめー」

「そうだけっけ?」

「ポテトが一番美味しいよ」

「でもそれって冷凍だろ?」

「美味しければなんでもいいの」

 何気ない会話をしながら食事を進めていると、アリスたちの横を他校の制服を着た男子生徒が通りかかった。

 上目遣いをするアリスと男子生徒の視線が合った。

 ヤバイ、あまり遭いたくなかった相手だった。

 以前から因縁のある他校の生徒――しかも高校生だ。名前を武山といって、こいつの上には暴力団がいると噂されている。

 武山の手が伸び、アリスの飲んでいたカップをわざと倒した。

「悪いな、手が滑った」

 倒れたカップはふたがしまっていたために、中身がこぼれることはなく、それを見たアリスは武山を小ばかにして笑った。

「ダッサー、中身こぼれてないし」

「なんだと!」

 メンツを切る武山に対抗して、席を立ったアリスも相手の眼を睨む。

 その間に割って入ったのがユースケだった。

「オイオイ、やるなら外でやろう――ぜッ!」

 語尾と同時にユースケのフックパンチが武山の頬を抉り、倒れた武山が後ろの席に激突して乗っていた食べ物やジュースをぶちまけた。

 恥をかかされた武山の眼は完全にイっていた。ドラッグでもヤッてるんじゃないかと思うほどだ。

「テメェッ!」

 勢いをつけて飛び起きた武山の拳がユースケの顔面に入った。

 鼻を押さえてよろめくユースケ。鼻から手を離すと、大量の血が手に付着していた。

 仲間が殴られたのを見て激怒したアリスは、近くにあった食べ物の乗ったままのトレイを手にとって、思いっきり武山の後頭部に叩き付けた。

 前のめりになる武山にアリスは続けさまに踏みつけるような蹴りを喰らわせた。

 気を失ったらしい武山を尻目に、アリスは紙ナプキンでユースケの鼻血をふき取る。

「大ジョウブ?」

「わかんね、鼻曲がったかも」

 騒ぎを聞きつけて店員がやって来た。

「手を上げて大人しくしなさい!」

 その手には拳銃が握られていた。店員の拳銃所持はこの街では基本だ。

「アタシたちなにもやってないし、そいつが最初に吹っ掛けてきたんだよ」

 アリスがそいつと指さす先には、床に倒れてわなわなと震える武山の姿があった。ゆっくりと立ち上がろうとしている。すぐさま店員が制止させる。

「動くな、動くと撃つぞ!」

 それでも武山は起き上がり、突然、ユースケに抱きつくように押しかかってきたのだ。

 ユースケが眼を剥いた。

 アリスはなにが起きたのかわからなかった。

 いきなりユースケが笑い出した。

「ははは、やっべー、刺されちゃった」

 ユースケの腹に突き刺さるナイフ。血が滲み出し、腹を押さえるユースケの手にはべっとりと血液が付着していた。

 まだナイフを握っている武山が、抉るようにナイフをねじ回して深く突き入れた。

 ユースケは眼を開けたまま動かなくなった。

 出血性ショック死だった。

 人が目の前で刺された。

 それはアリスがはじめて眼にする死の瞬間だった。

 恐怖なんて今まで感じたことがなかった。それが今、死を目の当たりにしてアリスは恐怖という感情を覚えたのだ。

 怖くなってアリスは逃げ出した。

 制止する声もアリスには届かない。

 自分がどこを走っているのかわからない。

 自分と現実が切り離されたような気分だった。

 追ってくる奴らからアリスは必死で逃げた。本当になにかが追ってきているかはわからない。ただ、見えない追跡者から逃げた。

 前々の道路でバイクに乗ろうとしている人を発見した。そのバイクを自分でも気づかないうちにアリスは盗んでいた。背後から殴りつけて引きずり落としたような気がする。

 アリスはバイクなんて運転したことなかったが、友人の見よう見まねで運転した。

 はじめてだったが、意外にちょろいもんだと思った。

 でも、奴らがまだ追ってきているような気がする。

 恐ろしかった。

 だから逃げたかった。

 姉の顔を見たかった。

 アクセルを回し、スピードをあげた矢先。バイクのバランスが崩され、ハンドルが持っていかれそうになった。

 必死でアリスはバイクを止めようとしたが、目の前には巨大な影が迫っていたのだ。

 悲鳴があがった。

 次の瞬間、アリスは宙に大きく飛ばされ、バイクはトラックの荷台の下に巻き込まれていた。

 トラックの荷台に激突したのだ。

 アリスは冷静に思った。

 ――奴らに捕まってしまったのだと。

 逃げ切れなかった。

 鈍い音とともに、頭蓋骨は地面に叩きつけられた。

 金色の流れる髪から血が海のように広がっていく。

 蒼い瞳は涙を流していた。

 アリスは死んだ。


 すぐにアリスは救急車で運ばれたが、搬送されるときにはすでに心配停止状態だった。

 奇跡的に蘇生しても、頭を激しく打ち付けているために、脳が損傷を受けていないとは言い切れない。

 そして、やはりアリスは再び目を覚ますことはなかった。

 悲しみに暮れたセーフィエルはアリスの遺体を引き取った。

 アリスを火葬することも埋葬することも拒み、セーフィエルは自宅の実験室でアリスを液体に沈めた。安らかにアリスが眠れるように――。

 世界でただ二人の姉妹。

 両親はとうの昔に死んだ。

 残されたたったひとりの肉親だった。

 ひとりになったことをセーフィエルは決して認めない。

 セーフィエルはすでに決意していたのだ。

 今はできなくとも、いつか必ず再び妹をこの手で抱くことを――。

 アリスを液体に沈め、セーフィエルは装置のスイッチを押した。

「いつかわたしがアリスを蘇らせてあげるから」

 アリスの入れられた装置に静かに静かに霜が降りはじめた。

 蒼く冷たい氷の中に眠らされるアリス。

 その眠りは表情はとても安らかだった。


 ――さあ、眼を覚醒さまして、アリス。

 優しい声に導かれ、アリスは蒼い眼を開いた。

「はじめまして主人マスターセーフィエル」


 氷の中のアリス(完)

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