二人の魔女(上)
偶然にも、その日に二人も弟子の志願者がきた。二人とも幼い女児だった。
ひとりは名門――星神家の息女。
ひとりは駆け込みのどこの馬の骨とも知れない女児。
18世紀のフランスで流行した、室内装飾や家具類に囲まれたロココ様式の部屋。込み入った曲線模様と、華やかな色彩で部屋は飾られていた。
足を組み、優雅に椅子に腰掛けているのは、この屋敷の主であるヨハン・ファウストだ。
「弟子はここ数十年とっていない」
ファウストは目の前に座らせた二人の女児を見比べた。
星神家の息女は日本とヨーロッパの混血らしく、金色の巻毛が似合う女児だった。絢爛なドレスに見えるのは魔導衣だ。地位も財力もある息女だとひと目でわかる。
一方の女児は黒い質素ワンピース姿だった。黒髪と黒瞳からは東洋系ともラテン系とも取れる。目に見える才能を持っているのは星神家の息女だが、磨けば光るのはこちらの女児だろうとファウストは考えた。
「名前は?」
とファウストが聞くと、相手を差し置いて勢いよく答えたのは神星家の息女だった。
「はぁい、私の名前は神星マナ。おとー様に言われてしょうがなく来ました」
快活で自己主張の強いとファウストは瞬時に判断した。
次にファウストが視線だけでもうひとりを促した。
「わたくしの名はセーフィエル」
「それは姓かね、名かね、それともミドルネームかね?」
「セーフィエルだけです。それが姓か名か、わたくし自身も知りません。セーフィエル――それがわたくしを表す記号」
横にいるマナが不思議そうな顔つきでセーフィエルを見つめている。それを感じ取ったのか、セーフィエルはマナに顔を向け、月のように静かな微笑みを湛えた。
金糸の法衣をはためかせてファウストが立ち上がった。
「よかろう、二人とも弟子として迎えうけよう」
「えぇーっ、私、弟子なんかやりたくなーい」
騒ぐマナの横で、すっと立ち上がったセーフィエルが深々と頭を下げる。
「ありがとうございます」
こうしてこの日、二人の女児がファウストの弟子となった。
両親の言いつけで無理やりここに預けられたマナは怠惰そうな顔をしている。
一方のセーフィエルは静かながらも、積極的な顔つきで真摯にファウストを見ている。
真面目な者よりも、不真面目な者に目が向いてしまうのは必定。
ファウストの視線はマナに向けられた。
「修行にペーパーテストはない、常に実践だ。血反吐を吐くまで扱いてやるから、そのつもりで覚悟しろ」
他の部屋とは違い素っ気のない石壁の部屋。
床には焼け焦げた黒ずみや変色した部分が見受けられる。
「さて、それでは二人の実力を見せてもらおうか」
ここは魔導の室内訓練場であった。
ファウストに促され、マナは待ってましたと胸を張る。
「私の実力を見て驚くんじゃないわよ」
マナの周りにオレンジのフレアが現れた。それは蛍火のように、ゆらりゆらりと宙に浮く。
目を瞑りマナがゆっくりと掌を胸の前に突き出した。
「ファイア!」
紅蓮の炎が掌から放たれ、それはファウストを飲み込まんと飛んだ。マナはファウストを殺す気で炎を放ったのだ。
鼻で嘲笑するファウストが法衣のマントを翻した。
すると炎はあっさりとマントに呑み込まれてしまった。
「くだらん手品だ。私のマントに焦げ跡すら残ってらんぞ?」
悔しそうにマナは口をへの字に曲げ、石畳をヒールで蹴っ飛ばした。
「あなたのこと殺せば家に帰れると思ったのにぃ!」
「私を殺せるのなら、殺せばよかろう。いつ何時、命を狙おうと構わんぞ」
声をかみ殺すようにくつくつとファウストは笑った。
マナのファウストへの殺意が、お遊びから憎悪に変わる瞬間だった。
再びマントを翻したファウストは身体をセーフィエルに向けた。
「さて、おまえはなにができる?」
「わたくしは魔導力があまりありませんので、魔導具を使うことをお許しください」
「魔導具使うなんてずっるーい!」
口を挟むマナにファウストが一括する。
「おまえは黙っていろ。魔導具の使用を許そう、さあはじめろ」
セーフィエルが出したのは杖だった。
本人の身の丈ほど杖の先には、木を刳り貫いて掘った翼が模ってある。その左右の翼の中心には蒼玉が埋め込まれている。
おそらくこの杖は魔導力を増幅する装置なのだろう。
セーフィエルの唇が三日月の笑みを浮かべた。
「……ファイア」
杖を通して紅蓮の炎が放たれた。その規模はマナとほぼ互角。微かにマナが上か?
紅蓮の炎はファウストの横を掠めたが、彼は微動だにせずに炎を間近で見定めた。
炎が後ろの壁に煤を付け消えたの同時に、ファウストが静かに口を開いた。
「ふむ、その魔導具はどうした?」
「わたくしが自分で作りました」
「おもしろい、少し見せてはくれないか?」
「はい」
献上するように杖はセーフィエルからファウストに手渡された。
手彫りで丁重に作られた細工は、目を凝らすほどに繊細だ。宝玉は人工のようで、魔導の力を結晶化したもののようだった。
「この結晶も自分で加工したのかね?」
ファウストが尋ねると、控えめにセーフィエルは微笑んだ。
「ええ、四季の森にある泉の水を蒸留して使いました」
四季の森は別名〈迷いの森〉。ニーハマ区にある自然公園だが、今は一般の立ち入りが禁止されている。
あの森で迷わず、目的を果たして外に出る。それを成し遂げたセーフィエルは賞賛に値する。
杖をセーフィエルの返し、ファスウトは言った。
「おまえは魔導を直接使う才能より、魔導具を作る才能に恵まれているらしいな。他にどのような物が作れる?」
「アミュレットやタリスマンも作れます。けれど、今は魔導人形に興味があります」
二人の会話をマナは不機嫌顔で聞いていた。自分が以外が人から賞賛されたり、脚光を浴びるのが許せないのだ。
「私なんかセーフィエルちゃんより、もぉっとスゴイ魔導具作れるわよ!」
威勢の良いマナが負けじと出任せを吐いたことをファウストはすぐに見破った。
「よかろう、では今より24時間後に二人の作った魔導具を見せてもらう」
「う゛っ……」
威勢の良かったマナが一歩後ずさりをした。身から出た錆び。負けず嫌いな正確と快闊な気質が災いした。
マナにたいして、セーフィエルは事を受け止め淡々としている。
「条件はおありでしょうか?」
「二人には同じ材料で同じ物を作ってもらう――アミュレットだ。材料は四季の森にある冬の泉の水。早く作った者が勝ちではない。制限時間内に1つ、良品を作った者を勝ちとする。では、初め!」
突然のスタート合図にも慌てず、セーフィエルは静かに部屋を出て行った。
しかし、マナは目をパチパチしてファウストの顔を覗きこんでいる。
「ちょっと待ちなさいよ。四季の森って行ったことのあるセーフィエルが有利じゃないのよ」
「実践において有利もなにもない、結果が全て。御託を並べるのは敗者のすることだ、見苦しいぞ」
これ以上ファウストに食い下がるのはプライドが許さない。マナは自分の力に絶対の自信を持っている。たとえ自分が不利でも勝ってみせなくてはならないのだ。
マナはセーフィエルを追って屋敷を出た。
大きな鉄の門を潜り、道路に出たがすでにセーフィエルの姿はない。姿が見なくとも行き先はわかっている。すぐに追いかけなければならない。
これは競争ではない。時間内により相手よりも良質の魔導具を作ればいい。しかし、それではマナの気は治まらないのだ。
セーフィエルに全てにおいて勝つことが大前提。次にファウストの鼻をはかしてやりたい。それが一番の目的かもしれない。
現在、マナがいる位置は魔導街の一角。ここは帝都の中央部から少し横にずれたマドウ区で、魔導産業によって繁栄した街だ。魔導工場も多く点在するが、その一角には中世の屋敷を思わせる魔導師たちの家が立ち並んでいる。
四季の森――通称〈迷いの森〉があるのは、ここから北東に進んだニーハマ区だ。ニーハマ区は帝都の端にある区で、この場所からはだいぶ距離がある。
マナは辺りを見回した。こんなに早くセーフィエルの姿が消えるなんて、運良くタクシーでも拾えたのだろうか。
この場所から駅までは遠い。
バス停は少し行った所にあるが、四季の森への交通手段はステーションで電車を乗り継ぎ、またバスに乗って四季の森の近くのバス停から徒歩だ。とてもじゃないがお嬢様育ちのマナは、それを実行するほど悠長ではない。
しかし、近くに交通手段がないのだ。あるのは自分の足が2本。
タクシーや人を呼ぼうにも、ケータイ電話はファウストの元に預けられる前に没収された。クレジットカードも没収され、残されたのはわずかな現金。
「おとー様は私に甘いのに、どーしてお祖父様は厳しいのかしらぁん」
ファウストのもとに修行に行けと命じたのもマナの祖父だ。魔導に関しては尊敬できる人物であることは認めるが、マナは祖父があまり好きではなかった。
ファウスト邸を出てすぐの道路でマナが突っ立っていると、すぐ後ろで歯軋りのような音を立てながら鉄の門が開かれた。
振り向くとそこにいたのは、先を越されたと思っていたセーフィエルだった。
「あらぁん、まだいたの?」
不思議そうにマナが尋ねると、セーフィエルは微笑んだ。
「準備をしていたの」
「準備?」
「マナはしていないのかしら……うふふ」
静かに笑われ、マナは小ばかにされている思いだった。
マナは手ぶらだった。それにたいしてセーフィエルは箒と皮の袋を持ってる。皮の袋は膨らみや凹凸を見せ、中にいろいろと物が入っていることを伺わせる。
四季の森に行くにはなにか準備が必要のだ。それがなんであるかわからないマナは悔しかった。
それを見透かしたようにセーフィエルは言う。
「冬の泉で水を掬うには特別な道具が必要なのよ」
「知ってるわよ!」
思わず口をついて出てしまった。本当はどんな道具が必要なのかさっぱりわからない。
マナの強がりもセーフィエルも黒瞳で見透かした。
「教えてあげるわ。あなたがわたくしに頭を下げれば」
「そんなこと――」
「できないわよね、知っているわ。あなたはそんなことはできない。うふふ、少しからかっただけ」
ガキのクセになんて性格が悪くて、子供っぽくないんだろうとマナは内心思った。それを言うのならば、マナもませていて子供なのに変な色香を醸し出している。
セーフィエルは皮袋から二つの道具を取り出した。小船のような三日月状の形をした器と、白銀に煌く髪飾り。
「これは三日月の器と銀の髪飾り。三日月の器で水を掬い、銀の髪飾りで水を梳いて清めるの。この二つ、マナにあげるわ」
「えっ?」
勝負の相手に手を貸すなど、マナの常識にはないことだった。
セーフィエルを勘ぐるが、二つの道具を今から入手する余裕はマナにない。ここはひとまず受け取って置いたほうがいいかもしれない。
小さな子袋に二つの道具を入れ、それをマナはいちようスマイルで受け取った。
「ありがとぉ、感謝するわぁん」
と口で言いつつも、これは罠かもしれないと脳内で考え続けている。
もしこれが本物の道具だとしても、それはつまり泉の水を二人が取ってきても、良質の物を作れるのは自分だと、セーフィエルには絶対の自信があるのかもしれない。だから、わざわざ人を上から見る態度で、魔導具をくれたのかもしれない。そう思うとマナは腹立たしくなったが、そこはレディとして腹の奥にぐっと怒りを抑えた。
要するにこの勝負に勝てばいいのだ。マナはそう考え心を鎮めた。
セーフィエルはどこだろう?
マナは辺りを見回したが、すでにセーフィエルの姿はない。
上に気配を感じた。
セーフィエルは箒に跨って宙に浮いていた。空飛ぶ箒までセーフィエルは作っていたのだ。
空飛ぶ箒は作る工程も難しいが、材料を集めるのも容易ではない。その上、操作性も悪く、乗りこなすのは熟練した腕が入るのだ。
それをセーフィエルは易々と乗りこなし、遠くの空に消えていった。
取り残されたマナは地面にしゃがみ込み頭を両手で抱えた。
「もぉーヤダヤダ。絶対に負けたくないわぁん!」
だが、手短な交通手段は近くにはなかった。
もう歩くしかないとマナは決意し、とりあえずセーフィエルが消えた空に向かって歩き出す。
四季の森までの道のりは遠い。