表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/42

曇る空の色

 濠[ホリ]に囲まれた丸い土地に聳え立つ、天突く豪華絢爛[ゴウカケンラン]な巨大建築物。バロック建築の宮殿を思わせる宗教がかったデザイン。それが帝都政府の中枢――夢殿[ユメドノ]。

 その敷地内に女帝の住まいであるヴァルハラ宮殿はあった。

 夢殿及び、その建物が立つ敷地内は帝都一の警護が敷かれ、帝都でもっとも安全な場所と称されていた。

 女帝の警護にはワルキューレと呼ばれる者たちがあたり、最高責任者のアイン以下九名がワルキューレに名を連ねる。ワルキューレは全員女性であり、番号で名を呼ばれ、欠員が出た場合は補充されることになっている。

 ワルキューレのひとり、ズィーペンはある人物の着替えの手伝いをしていた。

「お着替えを済ませたら、すぐにイスラフィールの塔へ向かいます」

 法衣の袖を通し、この世ならぬ美貌を持つ女性は玲瓏たる声でズィーペンに応じた。

「毎年毎年、よく人が集まるもんだね」

 その声は顔にふさわしい美しい声音ではあったが、口調はまるで少年のようであった。

「ヌル様をひと目見ようと、みな集まってくるのです」

「それが莫迦らしいんだよ」

「そのようなこと口にするものではありませんよ」

「本物アタシは今もお寝んねしてるってゆーのにさ。人間なんてものはやっぱり見た目に騙されるんだよ」

 一〇月十八日――聖祭。女帝の生誕日を祝う祭典である。

 街中がお祭りムードに包まれ、道路は全て歩行者天国となり、煌びやかに飾られた街には屋台が軒を並べ、絢爛豪華なパレードが催される。

 このパレードには女帝が国民の前に姿を見せるとあって、全国から熱狂な信者たちが帝都の街に集まってくる。

 女帝の名はヌル。世界三大美女にその名を記録する絶世の美女である。

 彼女には過去に関する記述が一つもない。それが彼女のミステリアスな魅力に拍車をかけていた。しかし、彼女には謎めいている事が多い分、それに比例して常に悪い噂が付きまとってしまう。

 煌びやかな法衣に着替えを済ませた女帝ヌルは、溜息を吐きながらズィーペンの顔を覗き込んだ。

「ところでさ、アタシの何回目の誕生日だか覚えてる?」

「――回目の誕生日ということになっています」

 眼鏡を直しながらズィーペンは正確な数字を答えた。

「そんなくだらないことなんてよく覚えてるね。永久に縛られたアタシたちに、歳なんて概念はくだらないよ」

「それはごもっともです。しかし、歳の概念は必要なくとも、時間の概念は必要です」

「まったくだね。時間が流れること、それは……」

「あの方の復活を意味します」

 言葉の途中で口を噤んだヌルに変わって、ズィーベンが言葉を紡ぐ。常にヌルの傍に仕え、着替えからスジュール管理、ヌルの一切を引き受ける側近のズィーベンには、ヌルの些細な仕草や言動に表れる心中を察することは造作ない。

 そして、あの理由があるからこそ、ズィーベンとヌルは常に共にしなければならない。

「そのとーり。ところでキミの精神状態はどう?」

「〈ダーク〉の面が強くなっているように思えます」

「結界師としての実力は、このアタシが身に沁みて一番知ってる。けどさ、力を取り戻したアイツなら、簡単に結界なんて破るよ」

「それは命に代えて死守いたします」

 ズィーベンの瞳は神々しいまでの光を湛えていた。女帝のためなら喜んで命を燃やす。

「命になんて代えなくていいよ。どーせ、君が死守してもアイツは復活する。それなら、無理なんかしないで、キミには生きて欲しい」

「わかっております。再びあの方を封印するときに私の力が必要になりますから」

「そーゆー意味ないってば」

 それもズィーベンにはわかっていたが、あえて彼女はそれについては触れなかった。わかっていると言えば、ヌルは頬っぺたを膨らませて恥ずかしそうに怒り出すだろう。

 懐中時計を確認したズィーベンは部屋の扉を開けヌルに向かっていった。

「予定が詰まっております」

「今日は無駄に忙しい日だよ。明日はゆっくりできるんだよね?」

「明日の予定はヌル様の偽体を取り替えるだけです」

「アタシの偽体の調子が悪いって、よくわかったじゃん」

「いつも傍におりますから」

「ホントだよねぇ、キミとはいつも一緒だけど、明日会うゼクスとは前に偽体の整備をしてもらって以来だよ。あいつが一番ワルキューレの中で顔を合わせない」

 ゼクスとはワルキューレの科学顧問で、研究バカでいつも研究室にこもりっぱなしなのである。

 話がひと段落したヌル、ズィーベンの開けたドアをくぐった。


 〈光の子〉と〈闇の子〉の戦いを記した書物は世界にいくつもあるが、その戦いのことを刻銘に記した書物は、世界にひとつしかないとされる。その書物があると噂されているのが、夢殿の施設のひとつである〈夢幻図書館〉である。

 〈夢幻図書館〉はこの世界とは違う次元の存在し、図書館内部の空間も迷路のように入り組んでいる。そこにある書物は門外不出のものばかりで、禁断の魔導書から国家機密文書まであるとされる。

 この図書館の中でも、女帝ヌルにしかた観覧できない場所に〈ステラの黙示録〉はある。この書物こそが〈光の子〉と〈闇の子〉の戦いの真実だけを綴った書物である。

 〈ステラの黙示録〉は単なる歴史書ではない。そもそも、この書物は自動筆記により書かれた物であり、早い話が超能力によって書かれた書物なのだ。そのことにより、ここに記されているのは過去だけではなく、未来も記されているのだ。

 女帝ヌルは年に一度だけ〈ステラの黙示録〉を観覧する。

「何度読んでも内容は変わらないもんなァ」

 イスラフェールの塔に出かける数時間前、少女の姿をしたヌルは〈夢幻図書館〉の奥部屋にいた。

 何千回と読んだ〈ステラの黙示録〉。

 過去の内容は完璧に記されている。しかし、未来のこととなると、断片的で矛盾も多い。

 未来はすでに決まっているものなのか、そうでないのか、説はいろいろとある。

 世界は〈大いなる意思〉と呼ばれる天秤のようなモノの謀であるとも云われている。その〈大いなる意思〉に本当に意思があるかは不明であり、この世の法則のようなものだとも云われている。この〈大いなる意思〉が望むのは、最終的な調和である。

 ヌルは知っている――〈大いなる意思〉の代行者が、歴史に介入していることを。

 最終的な調和に向かうシナリオがあるとしても、アドリブもあることをヌルは気づいている。

 いくつもある過去と未来。時間とは円ではなく、球である。一点を起点とし、そこから無限ルートの一つを選び、進み、起点に戻ってくる。ヌルはそう解釈している。

 いくつも過去と未来があり、時間軸が球の上に存在していたとしても、すでに過去というレールを進んできてしまった以上、ある程度未来へのレールは限られてくるのだろう。

 そう考えると、〈ステラの黙示録〉に書かれた未来が断片で矛盾が多いことが理解できる。

 起きてしまった過去から、高確率で導き出される未来。

 〈闇の子〉の復活。

 二人のメシアの激突。

 メシヤによる真のエデンの樹立。

 そして、〈裁きの門〉が開かれるところで〈ステラの黙示録〉を終わってしまっている。ここで未来が尽きたわけではない。この書を記していた途中で、魔導師ステラの命が尽きたのだ。

「どっちが勝つのかがわからないんだよね」

 果たして勝つのはどちらのメシアなのか。

 伝承によると、〈光の子〉と〈闇の子〉は二度に渡って戦いを繰り広げたとされている。

 一度目は人類が文明を気づく遥か以前。

 二度目は1万年ほど昔だった。

 金色に輝く六枚の翼を持つ天使と、闇色を湛える六枚の翼を持つ悪魔の戦い。軍勢とワルキューレを率いた天使軍が勝利を治めたが、悪の王を倒すことはできず、封印するに留まった。

「あの頃はアタシも若かった」

 そう呟いたヌルは〈夢幻図書館〉を後にした。


「あのぉ〜テンチョ、ちゃんと聞いてました?」

「ふわぁ〜ん」

 大口を開けて時雨はハルナに答えた。

「もぉ、テンチョったら!!」

「ごめんごめん」

「テンチョが聞きたいって言うから話してあげたのにぃ」

「話はちゃんと聞いてたからだいじょぶ」

 相手の顔を覗き込むハルナの瞳には、眠そうな表情をしている時雨の姿が映っていた。

「ホントですかぁ〜」

「ホントだって」

 誤魔化すように笑った時雨を見て、ハルナは怒る気もせずため息をひとつ吐いた。

 時雨がハルナに聞いていた話は、天使と悪魔が戦う神話だった。

 その神話では、〈光の子〉と呼ばれる天子軍と、〈闇の子〉と呼ばれる悪魔軍が天上界ソエルで戦いを繰り広げる話であった。この話の結末は、天使軍がかろうじて勝利を治めるものの、〈光の子〉と〈闇の子〉は互いの配下の一部と、決して堕ちては上がれないとされるリンボウと呼ばれる空間に閉じ込められるというものであった。

 リンボウに堕ちた天界人たちは、そのリンボウに存在した文明に溶け込み、時には権力者を影で操って歴史を操作しているのだと云う。

 今もなお、密やかではあるが、〈光の子〉と〈闇の子〉の戦いは続いているのだ。

 時雨は何か考え深げな表情をしながらお茶をすすった。

「どうしたんですか、テンチョ?」

「あぁうん、何でもないよ」

 記憶喪失のままハルナに拾われた時雨。未だに記憶は戻らない。しかし、今聞いた神話にはなにか感じるものがあった。

 まだ冬本番でもないのに、こたつの中に入っていた時雨はお茶を一気に飲み干すと、急に立ち上がった。

「ところでさぁ、今日って聖祭なんでしょ?」

「はい、そうですけど?」

「女帝を生で見れるらしいんだけど、どこで見れるか知ってる?」

「イスラーフィールの塔ですけど?」

「じゃあ、今から入って来るね」

「え!?」

「店番よろしく」

「ええっ!?」

 驚くハルナをよそに、時雨はさっさと家の外を出た。

 空は薄暗いグレー。けれども街全体は祭りということもあり、活気付いているように思える。

 イスラーフィールの塔のそびえ立つのは、帝都の中心部にあるエデン公園。夢殿やヴァルハラ宮殿も近くにある。

 公園は自然公園で、釣堀としても開放されている湖や、野鳥の多くすむ森があり、ほとんどの場所は立ち入り禁止区域で、イスラーフィールの塔も普段は立ち入り禁止区域に指定されている。

 広大な大地が広がる場所に、ぽつんとイスラーフィールの塔が立ち、その周りには女帝を一目見ようと多くの人たちが集まっていた。

「すごい人だなぁ」

 見渡す限り人、人、人、人しか見えない。

「はぁ、ここじゃあ、見えないよね」

 愚痴をこぼした時雨は人ごみの中に割り込んでいった。

「ちょっと。道を空けてくれませんか」

 時雨のずうずうしい行動に人々は不満の顔を浮かべたのだが、時雨の顔を見たとたん人々はすっと左右に別れ時雨に道を空けてくれた。美人の特権である。

 時雨が最前列に出たとき、ちょうどトランペットの音が高鳴った。女帝ヌルの御目見えである。人々は歓声を上げ歓喜した。

 女帝ヌルが塔のテラスに姿を現した。煌びやかな装飾の施された衣服を身に纏い、手にはユリの装飾の施された杖を持ち。彼女の両脇にはワルキューレが二人護衛についていた。

「1年に一度、こうして皆様の前に顔を出すことを心より楽しみにしておりました」

 美しい鈴の音か、ハープかフルートか、澄んだ女性の声が響き渡ると、集まった人々は静まり返った。

 容姿端麗な女帝ヌルにふさわしい声音。

 ヌルの声は超小型マイクによって集まった全ての人々の耳に届くことができる。

 そして、女帝の姿はカメラを通し、公園に設けられた巨大スクリーン映し出され、なおかつ衛星を使ってテレビで生放送され、全国民が見ることができるようになっている。

 話を続ける女帝ヌルは集まった人たちを見回した。

 微かであるが、ヌルの瞳に動揺が走った。その動揺に気づく者はまずおるまい。しかし、真横に使えていたズィーベンだけが、ヌルの動揺に気づいた。

 動揺を隠したまま、女帝ヌルは説教を説き、10分という短い時間を話した。

「では、また皆に会えることを楽しみしております」

 女帝ヌルはそう話を締めて、塔の中へと姿を消した。

 考え深げな表情をするヌルにたいして、ヌルの動揺を唯一察したズィーベンが声をかけた。

「どうしたのですか?」

「いや、ちょっとね、キミは感じなかった?」

「なにをですか?」

「ノインの気配が微かにしたんだ」

 このヌルの言葉を聴いて、ズィーベンと近くにいたフィーアの顔に衝撃が走った。

 ワルキューレに名を連ねるノイン。彼女が近くにいるはずなどない。それはありえないことだ。

 言葉を詰まらせる二人のワルキューレの顔を見て、ヌルの考え深げにうなずいた。

「キミたち二人が気配を感じなかったってことは、ボクの気のせいかもしれないね。ノインの身体も魂もタルタロスの最下層で眠っているのだから……」

 永久欠番とされるノインは、〈裁きの門〉をくぐったその先の世界――タルタロスの最下層で眠りについている。意識が戻ったとしても、この世界に出てくることは不可能なはずだ。だから、ヌルは自分の感じたノインの気配を否定した。

「祝賀会とか、とにかくこの後の予定は全部キャンセルして、出張中のワルキューレ全員を夢殿に召集して」

 ヌルはこうズィーベンとフィーアに命じ、ズィーベンはワルキューレの連絡、フィーアは祝賀会などの行事が中止になったことなどをどうマスコミに言い訳をするか頭を悩ませた。


 時雨が家に帰るとハルナがやさしく彼を出迎えてくれた。

「おかえりなさいテンチョ」

「ただいま」

 帰ってきた時雨は浮かない顔をしていた。

「どうしたんですぅ、浮かない顔なんてしちゃって」

「……なんかねぇ」

 そう言い残し、時雨は自分の部屋にこもってしまった。

 ハルナはすぐに時雨の後を追いかけ部屋の中に入る。

「どうしたんですかテンチョ、あたしでよかったらなんでも相談乗りますよ」

「あぁ、うん」

 元気のない返事をひとつ返した。すると、ハルナは時雨に向かって飛び込んでいった。

「ハルナパーンチ!!」

 必殺ハルナパンチが時雨を襲う!

 元気なさ気で、避けそうもなかった時雨だが、ハルナが飛び込んでくるのを見て、ちょっと横にずれた。

 ドスン! ハルナはお腹から地面に落ちてしまった。

「いたぁ〜い。どうして受け止めてくれないんですか」

「いや、普通避けるでしょ」

「もしかして、テンチョあたしのこと嫌いなんですかぁ〜。あたしの愛を受け止めてくれないなんてヒドイです」

 ハルナの目は少し潤んでいる。本気の泣きだ。

「あのだから、何でそういうことになるの」

 時雨はハルナにやさしく手を差し伸べた。

「ほら、立って」

 手を借して立ち上がったハルナに時雨がいつもどおり言う。

「あのさぁ、渋いお茶入れてきてくれないかな」

「お茶を飲んだら元気になってくれます?」

「まぁね」

「じゃあ、急いで入れてきますね」

 元気よくハルナは台所に駆け出していった。

「あ、あのさぁ、おせんべえもお願い」

「は〜い♪」

 台所の奥からハルナの声が聞えてきた。

 ハルナがお茶を入れ戻ってくると、時雨はこたつに入って、静かな寝息を立てていた。

「人にお茶を頼んでおいて寝ちゃうなんてヒドイですよ、もぉ」

 ハルナはお茶とせんべえを置くと、時雨のほっぺたを軽くつかんだ。

「寝顔もカワイイですね」

 ふと窓の外を見たハルナの目に、大粒の強い雨が飛び込んできた。

「にわか雨かな……洗濯物取り込まなくちゃ」

 ハルナが急いで洗濯物を取り込みに向かった。

「……ありがとう」

 急ぎ足のハルナの耳にそんな声が微かに聞えたような気がした。


 曇る空の色 完

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ