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ゴッドハンド

 いつもと変わらぬ、いつもの光景。

 ここは帝都の『白い砦』と称される帝都病院。

 搬入口から患者が担ぎこまれて来た。患者は見た目からもわかる意識不明の重体で、顔には大きな穴が空いていた。――顔が抉られいたのだ。都市に蔓延る怪物どもの餌食にでもなったのだろう。

 この重体患者のオペに執刀したのは、この病院の院長――えんだった。

 白衣を着ているのは医師として当然だろう。しかし、蜿の全身は白だった。白衣だけでなく、頭を覆う白い頭巾、顔を隠す白い仮面。不気味としかいいようのないいでたちであった。

 手術台の上に寝かされている患者を蜿は仮面の奥から見つめた。

「脈拍は正常だ」

 顔を抉られ、血を噴出している患者を見て、蜿はそう断言した。

 意識不明であったはずの患者が、顔に唯一残った下顎を動かし、そこから玲瓏たる声を響かせた。

「あら、わたくしに触れもせずに、〈視た〉だけでわかってしまったのね」

 喪失していた闇に白い顔が浮かび上がる。それは女性の顔だった。その名は夜魔の魔女セーフィエル。

「はじめまして、わたくしの名はセーフィエル」

 手術台から上半身を起したセーフィエルは、白い繊手を伸ばして蜿に握手を求めた。だが、蜿が握手をすることはなかった。

「キサマ何者だ?」

「人は夜魔の魔女と呼ぶわ」

「目的はなんだ?」

「おしゃべり……うふふ」

 月のようにセーフィセルは静かに笑った。静かの中に蜿は底知れぬ狂気を感じた。

「おしゃべりだと?」

「そう、あなたとふたりっきりでおしゃべり。あなたが執刀するときは、必ずあなたひとりしか手術室に入らないと聞いたから、ここならふたりっきりになれると思ったのよ」

 そう、この部屋にはふたりしかいなかった。他は誰もいない。人外の存在もだ。

 セーフィエルの両手が、蜿の白い手袋の嵌められた両手をふわりと包み込んだ。蜿は不思議と抵抗しなかった。普段ならば絶対に他人に触らせぬ手なのにも関わらずだ。

「これが噂の『ゴッドハンド』ね?」

 黒瞳が仮面の奥を覗き込んだ。

 『ゴッドハンド』――それが蜿の能力。

 左手による『スキャン』により病巣を発見し、右手の『奇跡』により完治させる。だが、それは呪われし能力だった。

 帝都の呪を内に秘める蜿は、その皮膚が変形して醜い鱗に包まれ、仮面の奥に光る瞳は蛇のように黄色く輝いていた。その醜い身体と引き換えに蜿は『ゴッドハンド』を手に入れたのだ。

 ふと我に返った蜿はセーフィエルの手を振り払った。

「本当の目的を言え! 俺に何の用があって来た?」

「『ゴットハンド』の力を見るために。それと、『呪』についてのお話を少ししようかしら?」

 『呪』という単語を聞いた瞬間、仮面の奥で蜿の顔つきが変わった。

「『呪』だと?」

「ええ、帝都の呪。帝都を取り巻く大蛇の呪」

「キサマ……なぜそれを?」

 蜿の『呪』を知る者は、この世に三人――いや、一人はこの世ならぬところにいるので、二人。蜿自身とその兄――紅葉だけのはずであった。

「あなたの『呪』のことなら、数多くの者が知っているわよ。この都市の中枢が無関係のはずがないじゃない?」

「キサマは政府の者か?」

「いいえ、違うわ。わたくしは、わたくし個人で動いているの。封印されているもののことを詳しくしりたくてね」

「……どこまで知っている?」

「蛇は第二の封印。都市に配置された結界が第三の封印。帝都に異変が起こるとき、あなたの身体に変化が起こるのは、第二の封印とあなたがリンクしているからね」

 蜿は度々激しい発作に襲われることがある。そして、今まで一番激しい発作を起したのが、あの出来事が起こる少し前。帝都に魔剣士が現れたときであった。

 蒼白い仮面の奥にある瞳は、セーフィエルから決して逸らされることがなかった。

「封印されているのが、なんであるのかも知ってるのか?」

「ええ、勉強させていただいたわ」

「封印を解く気か?」

「いいえ、とんでもない。わたくしは封印されているものが、なんであるか知っていますわ。封印されているものは、魔性の軍勢と御方の片割れである指導者。ひとたび封印が解かれれば、この世界は死の海と化すでしょう」

「だったら、俺様のとこになにしに来たんだ?」

「おしゃべりと言ったでしょう」

 しかし、セーフィエルは蜿と話さずとも、全てを知っているように思えた。蜿から得る情報はない。だとしたら、セーフィエルは……?

 セーフィエルが静かに微笑んだ。

「封印が解かれる日は近いでしょうね」

「なんだと!?」

「封印が解かれてしまうのと、『呪』を背負ったまま生きるのと、どちらがいいのかしらね。少なくとも、過去であれば、あなたは呪を解くことを望んでいた。あなたのお兄様もそれを望み、いろいろと手を尽くしたわ」

「過去は過去だ。今は『呪』の担う意味を知った」


 それは灼熱の太陽がアスファルトを焦がし、車の上で目玉焼きが焼けるくらい暑い日だった。

 全開にした窓から吹き込む風が風鈴を鳴らし、青い畳の香りが鼻をくすぐる。

 この部屋にはエアコンがない。あるのは首を左右に振る扇風機のみ。しかし、彼は汗ひとつ掻いていなかった。

「蛇ですね」

 白いベールに身を包み、青白い仮面を付けた人物を見て、雪兎はそう言った。

「人目で憑き物を見抜かれましたか」

 こう言ったのは仮面の人物ではなく、その横で正座をしながらお茶をすする男だった。この男は帝都でも有名な大学に勤める助教授である。名を紅葉くれはと言う。

 風鈴がちりん――と音を立て、仮面の奥からくぐもった男の声がした。

「あんた、祓えるか?」

 挑発的な口調であった。しかし、雪兎は相手の態度を気にすることもなく、春風駘蕩な表情をしている。

「無理ですね」

 はっきりと雪兎は断言した。それは笑顔の医師が治療不可能だと言い切ったようなものだ。 相手の態度が気に入らず、仮面の男は逆上して立ち上がり、雪兎に殴りかかろうとした。だが、それを紅葉の静かな一言が止めた。

「やめろ蜿」

 すぐに仮面の男――蜿が動きを止め、紅葉は話を続けた。

「お前がその方に飛び掛ったところで問題の解決にはならん。ましてや、私は怪我を負って動けなくなったお前を運ぶなど、ご免被るぞ」

 それはつまり、雪兎に飛び掛った蜿が返り討ちに遭うことを意味した発言だった。

 雪兎がお茶をテーブルに置いた刹那、春風駘蕩だった彼の身に氷の膜が宿ったようだった。

「ですが、やるだけのことはやらねばなりませんね」

 誰もその変化に気づかないかもしれない。それほどまでに外面的な変化はないに等しい。しかし、彼は確実に変わっていた。春風駘蕩な若旦のような雪兎は、別のもモノへと変じていたのだ。

 ゆっくりと席を立った雪兎は縁側を見た。

「ここでは狭い。庭で祓いましょう。僕は少し準備がありますので、先に行っていてください」

 雪兎がどこかに姿をあと、二人の男はなにも言わずに庭へと足を運んだ。

 庭で雪兎を待つ間、蜿は悪態ひとつ吐かなかった。先ほど雪兎に殴りかかろうとしたときとは別人だ。蜿の心情を変えたものはなんであろうか?

 しばらくして、悠長な足取りで現れた。その手には一振りの刀が握られている。この神社に代々伝わる神刀――月詠つくよみだ。

「お待たせいたしました」

 一礼した雪兎は鞘から刀を抜いた。

 その磨き上げられた刀身が陽光を反射して輝く。しかし、その輝きは燦然としたものではなく、どこか静かな海のようであった。

 抜かれた刀の切っ先は蜿に向けられていた。

「俺様を斬るのか?」

「いいえ、あなたさえ動かなければ、肉体を傷つけることはありません」

「わかった」

 蜿は相手の要求をすんなりと呑んだ。

 弟の横に立っていた紅葉が距離を置いて離れる。

 照りつける太陽。

 沈黙がしばらく続く。

 刀を構えなおす雪兎。

 その額から一粒の汗が流れ落ち、地面の上で四散した。

 ――刹那。

 疾走した雪兎の突きが蜿の心の臓を貫いた。

 たしかに神刀月詠は蜿の身体を貫き、切っ先が後ろに抜けている。それでも蜿は悶え苦しむこともなく、一滴の血すら地面に零れ落ちることはなかった。

 ――まさに神業。

 だがしかし、急に蜿は膝を地面につき、苦しそうな荒い呼吸をはじめたではないか!?

 暴れているのだ。蜿の身体の中で『何か』が暴れているのだ。

 蜿の身体から刀を抜き取った雪兎はすぐさま後ろに飛び退き間合いを取った。

 身体が蠢いている。白い装束を着た蜿の身体が波打つようにうねっている。そして蜿の口が、中から大きくこじ開けられた。口のサイズからは到底想像もできない巨大なモノが外へ出ようとしている。

 汚らしい音ともに蜿の口から『何か』の頭部が出た。

 金色に輝く眼を輝かせ、長い舌をしゅうしゅうと音を立てながら出し入れしている。

 雪兎は蜿の口から吐き出されたモノと対峙した。対峙したと言っても、雪兎は首を大きく曲げて上を見上げている。そうしなくては、『大蛇』の顔を見ることができないのだ。

「神格を兼ね備えているようですが、纏う氣はとても邪悪なものですね。この邪気を取り払えば……」

 こう独り言を呟く間も、雪兎は大蛇と睨み合いをしていた。

 蛇に睨まれた蛙とはよく言うが、雪兎は決して蛇に引けをとっていない。だが、雪兎が少しでも気を抜けばその瞬間に襲って来るに違いない。

 先に仕掛けたのは氷の眼をした雪兎であった。

 刀を振り上げ飛翔する雪兎に、巨大な大蛇の頭部が襲い来る。

 雪兎の眼前まで迫る大蛇の頭部。そこで彼は〈視て〉しまった。

 現実の時間にすれば、それは刹那であった。しかし、雪兎にとっては永遠にも等しかったかもしれない。

 空中で大蛇と対峙した雪兎は、大蛇の〈内なる世界〉を〈視た〉。

 この瞬間、雪兎は『この街』の真理を知った。

 ――時間が動き出す。

 雪兎の一刀は大蛇の眉間に突き刺さった。

 怒り狂う大蛇は大きく首を振ったが、それでも雪兎は柄から手を離すことはなかった。

 首を振る大きく振る大蛇に、雪兎の身体は弄ばれる。

 そして、神刀月詠は折れた――切っ先を大蛇の頭部に残したまま。

 地面に大きく放り出された雪兎は、受身を取ることなく激しく地面に叩きつけられた。

 このときすでに、雪兎とには正常な意識がなったのだ。〈内なる世界〉を〈視た〉ことにより、雪兎の意識は大蛇に一刀食らわす前に途絶えていた。刀を握り続けていたのは本能だ。

 地面に叩きつけられた衝撃で、雪兎は正常な意識を取り戻した。そして、彼は呻くように言葉を零した。

「あれは……この街を……取り巻く存在だ……」

 大蛇が蜿の口に呑まれて行く。いや、自分の住処へ帰って行く。

 このとき、大蛇を取り巻く邪気は消えていた。そして、眉間に刺さっていた折れた刀もだ。刀は大蛇の身体へと吸収され、神聖なる刀は大蛇の内から邪気を祓ったのだった。

 地面に膝をつき立ち上がろうとする雪兎に、紅葉は手を貸しながら尋ねた。

「あれはなんだね?」

「この街の一部ですよ。この街が穢れれば、あの大蛇も穢れます」

「私も先ほど、そう解釈した」

「あなたも〈視た〉のですか?」

「君が〈視た〉とき、横から少し覗き見できた程度だ」

 二人の男は思い表情をして、同時に地面で倒れている蜿に眼を落とした。

「運命を背負ってしまった」

 と呟いたのは誰だったのだろうか?


 手術台に腰をかけるセーフィエルは、その夜闇よりも黒い瞳で、目の前の蜿を覗き込んだ。

「うふふ、あなたの内には、まだ月詠の波動が残っているわ。実はそれが欲しいの」

「なんだと!?」

 蜿は声を荒げた。

 大蛇に吸収された神刀の一部は、今もなお邪気を祓う力を維持していた。もし、その力が失われれば、たちまち大蛇は邪気に覆わることになる。そして、その宿主である蜿もまた邪気に呑み込まれるだろう。

 セーフィエルは夜風のようなため息を吐いた。

「やっぱり無理な申し出かしら?」

「ああ、無理だ」

「神刀月詠を修復したのに、残念だわ」

「修復だと? なんのためにだ!?」

 また蜿は声を荒げた。

 相手の意図が見えない。まるで闇と会話しているようだ。

「なにのためかは秘密よ。けれど、月詠は我が一族をつくり上げ、神威神社に奉納した品。本来の正当な所有者の手になければ困るのよ。つまり、月詠は神威家の当主である雪兎が持ってこそ真の力を発揮する」

「真の力だと?」

「月詠はこの世ならぬモノをも斬る力があるの。それと同時に〈視る〉力も持っているわ。〈視る〉力については、あなたも理解していると思うけれど、どうかしら?」

「ああ、その力が『スキャン』だ」

 蜿の有する特殊能力のひとつ、それが『スキャン』だ。『スキャン』は手のひらによって、モノを〈視る〉ことのできる能力だ。この能力は月詠が大蛇の内に吸収されたあとに、開花した能力だったのだ。

 セーフィエルの繊手が、そっと蜿の左胸に触れた。

「無理にとは言わないわ。断られるのはわかっていて頼んだの。ただ、真物の月詠がどのようなものか知りたかっただけ」

 輪郭が溶けはじめた。セーフィエルが空間に溶け込むように消えていく。

「月の満ち欠けが、月詠を創るのに良いと告げているわ」

 そして、セーフィエルは声だけを残して姿を消したのだった。


 ゴッドハンド 完

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