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幕間

 帝都大学での午前の授業が終わり、紅葉は自室で昼食のコーヒーを飲んでいた。

 この部屋は大学が教授である紅葉のために用意してくれた部屋であり、紅葉はもう何年もの間この部屋を使用していた。そのためか、この部屋は紅葉によって改装され、彼の城と化していた。

 部屋を埋め尽くすように置いてある本棚は上から見ると格子のようであり、その本棚には隙間のないほど本がびっしりと入れられている。本の並びは紅葉以外の者が見ても一目でわかるように整理整頓されていた。

 窓の外から雨音が聞こえた。それは次第に強くなり、ついにはバケツをひっくり返したような雨が降りはじめた。

 それは急な雨だった。

 紅葉は自分の座っているデスクの引き出しを開け、中に入っているはずのあるものを探した。

「……ないな」

 小さく呟いた紅葉はゆっくりと引き出しを閉めた。

 常備しているはずの折り畳み傘がなかったのだ。

 どうして傘がないのかと紅葉は考え、すぐに答えを導き出す。

 傘は人に貸したまま返って来ていない。そう、それは確か2ヶ月ほど前のことだった。

 窓の外を見つめた紅葉はどうとでもなるだろうと思い、雨のことはしばし忘れることにした。そして、資料に目を通す。

 帝都地下で発見された遺跡の資料に目を通しながら、紅葉はコーヒーに手を伸ばす。しかし、コーヒーカップには紅葉の指先だけが当たり、コーヒーカップはデスクの上から滑り落ちてしまった。

 コーヒーカップは床に落ちると同時に音を立てて割れ、中身の黒い液体がフローリングの床を侵食していく。

 床には今溢したコーヒー以外の黒い染みがいくつもあった。

 不注意でコーヒーカップを落してしまった当の本人は、後で掃除をすれば済むことだと思い、デスクに広げた資料に目を通し続けている。

 集中して紅葉が資料に目を通していると、ドアをノックする音が聞こえ、紅葉が返事を返す前に女子学生が部屋に駆け込んで来た。

「紅葉教授、大変です!」

 紅葉は返事もせず、資料に目を通し続けている。

「紅葉教授! 学生が魔導の実験に失――」

「すぐに行こう」

 学生の話を最後まで聞かず立ち上がった紅葉はすでに学生の横を通り抜けるところだった。

「案内したまえ」

 紅葉にそう言われた学生は首を縦に振って、事故現場に小走りで向かった。

 小走りで廊下を進んで行く学生の後には紅葉がぴったりとくっ付いて『歩いている。』紅葉の足取りは優雅でゆったりとしていたが、それでも女子学生が小走りするスピードと変わらなかった。

 女子学生が連れて来た場所は、大学の地下に設けられた魔導実験施設だった。

 窓がなく薄暗い室内は部屋の奥まで見通せない。

 その部屋は石で造られた箱といった感じで、ひんやりとした空気が漂い、それとは別に殺伐とした空気も漂っていた。

 部屋の中央では憑かれた男子学生が狂乱している。その顔はすでにヒトのものではなく、鬼や悪魔といった類の顔をしていた。

 この場に集まっている学生たちは憑かれた学生から少し離れたところで、疲れた学生を囲うように立っていた。

 疲れた学生は腹の底から唸り声をあげ、周りにいる学生に襲い掛かった。しかし、目に見えない何かに衝突して一定の範囲から出られないらしい。

 紅葉は床に描かれたサークルに目をやり、ここに集まった学生たちに問うた。

「あのサークルは誰が引いたのかね?」

 すぐに先ほど紅葉をこの場に案内した女子学生が手を上げた。

「はい、わたくしです」

 この女子学生をまじまじと見つめた紅葉は軽く微笑んだ。

「なるほど、良い出来だ。私の授業を受講しているのならば良い成績を差し上げたいところだが、君はここの学生ではないな?」

 問われた女子生徒はすぐに小さく頷き、妖艶とした笑みで紅葉を見つめた。見つめられた紅葉は無表情のままである。

「君が誰であろうと私には興味ないこと、しかしながら君の魔導には興味を惹かれた」

 静寂に包まれた部屋の中を夜の冷たく澄んだ空気が漂いはじめた。

 紅葉が見つめる女子学生に異変が起きはじめる。身体が霞み、輪郭がおぼろげになり、再びシャープな輪郭に戻った時にはすでに別人に成り変っていた。

 その場にいた学生たちは目を剥いて驚いたが、紅葉は最初からあの学生の姿が仮の姿であり、今目の前に立っている妖々とした女性の姿こそが、真の姿なのだろうと理解した。

 驚いている学生たちを冷たい目で見た紅葉は、視線よりも冷たい声でしゃべった。

「このようなことで驚いていては、私の授業を受ける資格がないと心得ておきたまえ」

 紅葉の言葉を聴いた学生たちは息を呑んで姿勢を正した。

 学生たちの噂ではプロフェッサー紅葉は依怙贔屓をするらしい。こんなところで嫌われては堪らないと思った学生たちは、点数稼ぎのためにこのような事態の時は、どのような対処をすればよいのかを考え、結局その場に立ち尽くしてしまった。

 学生たちは事態を見守るしかなかった。しかし、その中でただひとりの学生だけが動きを見せた。

 突然唸り声をあげる学生。動いたのは憑かれている男子学生であった。

 サークルは力を失っていた。

 憑かれた学生が獣のように四つ足で飛び上がり、近くにいた女子学生に襲い掛かりそのまま押し倒してしまった。

 男子学生に羽交い絞めされそうになった女子学生は相手の股間に蹴りをかまし、相手が怯んだ隙に急いで紅葉の後ろに逃げ隠れた。

 気がつけば学生たちは全員紅葉の後ろに避難している。

 ここにいる生徒たちは魔導学の講義を受けているが、魔導そのものを使えるものはいない。魔導を使用するには素質が必要であり、努力だけでは昇れない壁がそこにはあるのだ。

 魔導を学んでいても戦う術を知らなければ、学生たちは紅葉の後ろの隠れるしかないのだった。

 紅葉の前にいるのは、ひとりの女性と憑かれた学生。この間には徒ならぬ空気が流れている。

 部屋を包む夜の空気が次第に強くなっている。それに比例して目の前にいる女性が纏う『夜』が強くなっていることは、この場では紅葉だけが理解していた。理解と言ってもそれは頭で知るものではなく、感覚で理解するものである。

 紅葉は出口を指差して、学生たちに指示をした。

「君たちは外に出ていたまえ。それから、このことで人を呼んで来るのは止めてもらいたい。私は彼女と少し話をしてみたい」

 学生たちはすぐさま出口の階段を登って姿を消した。

 部外者を排除した紅葉は女性との距離を詰めた。すると四つ足の男子生徒が威嚇するように喉を鳴らすが紅葉は気にしない。

「君は魔導師の類か?」

「そうよ、わたくしの名はセーフィエル。ファウストの元で魔導を学んだ時期もあったわ」

「あのインチキ魔導師ファウストの弟子か」

「不肖の弟子と呼ばれているけれどね」

「それで用件は何だ?」

「そうね、この子を元に戻したらお話ししましょう」

「いいだろう」

 これはセーフィエルによる紅葉への挑戦だった。つまり、男子学生に取り憑いたモノを祓えない者には用がないということだ。

 飢えた獣の目をした学生は四つ足で紅葉の周りをジリジリと足を滑らすように動き回る。

 紅葉は長髪をかき上げ、もう一方の手を着ている白衣の内へと伸ばした。

 獣と化した学生が紅葉に飛び掛る。それよりも紅葉の方が早い。

 白衣の内から外に出された手には蓋の閉まった試験管が握られていた。

 紅葉が試験管の蓋を親指で弾き開けると、中から煙が立ち込めて、その煙は生き物ように学生に襲い掛かった。

 煙であるはずの物質が学生の四肢を掴み、動きを完全に封じた。

 瞬時に床の上でもがく学生の顎を掴んだ紅葉は、白衣の内から新たな試験を取り出し、その中に入っていた液体を学生の口の中に無理やり流し込んだ。すると、学生は気を失い、身動きを止めた。

「それで。用件は何だね?」

 立ち上がった紅葉は白衣を乱れた直しながらそう聞いた。セーフィエルは嬉しそうに微笑った。

「さすがね、その力を貸して欲しいのよ」

「その力とは何だ?」

「あなたが生み出した魔導具のことよ」

「なるほどな」

 魔導は素質を持った者にしか使えない。紅葉には魔導の素質はなかった。しかし、魔導具は魔導の素質がなくとも使用することができる物が数多くある。そして、魔導具は素質がなくともつくることができた。

 魔導師がつくった魔導具の方が、素質のない者がつくった魔導具よりも優れている。しかし、紅葉の生み出した魔導具は違ったのだ。その実力は帝都大学にいる魔導師に疎まれるほどだった。

 セーフィエルの掌の上に蒼白い輝きを放つバレーボールほどの大きさの玉が出された。

「これは人工満月なの、でも不完全」

「それで私に何をしろと?」

「もう察しはついていると思うけれど、この人工満月を完全にしてもらいたいの」

「それはおもしそうな研究だな。しかし、私にはあまりメリットがあるとは思えない」

「もちろん報酬はお支払いするわ」

 異空間からセーフィエルは一冊の分厚い本を取り出して紅葉に手渡した。手渡された本は魔導書であり、その本のページに目を通した紅葉の目つきが変わった。

「これはおもしろい。三日ほどくれれば人工満月を完全なものしてみせよう」

「それは心強いお言葉ね。では、これがわたくしのつくった人工満月に関しての記述よ」

 セーフィエルは紅葉に数枚のメモを手渡した。そこには人工満月の作り方が事細かに書き記してあった。

「これならば明日にはできるだろう。明日に私の元に来たまえ」

「あら、そんなに早くできてしまうの。魔導師の面目が丸つぶれね。それから、〈シザーハンズ〉を探しているのだけれど、どこにいるか知らないかしら?」

「〈シザーハンズ〉だと?」

 〈シザーハンズ〉とは魔導具の名前であり、その魔導力の強大さからある程度の意思を持っている。その〈シザーハンズ〉は帝都で人々に取り憑き数多くの殺人事件を起こした。一時期姿を消した〈シザーハン〉だったが、この頃また現れたというニュースは紅葉の耳にも届いていた。

「そう〈シザーハンズ〉よ。殺人者シザーハンズ――しかし、その正体は魔導具である〈シザーハンズ〉。見つけたら捕まえて保管してもらえると嬉しいわ。では、また明日、お会いしましょう」

 そう言って微笑んだセーフィエルは闇に溶けて消えた。

 紅葉は階段を登り部屋を出た。すると、そこには数人の学生たちが紅葉のことを待っていた。

「下にいる学生を医務室に連れて行きたまえ。もう取り憑いたものは消滅した」

 紅葉はそれだけを言って自室に足を運んだ。

 自室に戻る紅葉の足取りは速い。魔導書を持つ手には少し力が入っている。

 部屋に戻ってきた紅葉はすぐさまデスクに座り、魔導書の表紙を開いた。

 紅葉が微笑みを浮かべた。

 セーフィエルから譲り受けた魔導書は帝都地下で発見された遺跡に関するものだった。

 紅葉が帝都地下遺跡の調査を任されるようになってから一ヶ月以上の時が経った。つい先日に起こった事件にも遺跡が関係していた。そして、その事件には帝都政府が絡んでおり、遺跡の調査を命じたのも帝都政府だった。

 帝都地下で発見された遺跡は殺葵と呼ばれる存在を封じるための装置であった。それを守っていたのが〈名も無き守護者〉という〈大狼〉と〈大鷹〉。しかし、〈大狼〉と〈大鷹〉は再び殺葵を封じることはできなかった。殺葵を再び封じたのは別の存在であった。

 再び殺葵が封じられた時、紅葉はその現場に居合わせた。そして、殺葵を異空間へと引きずり込んだ存在を見てしまった。そう、あれは確かに紅葉のよく知る人物であった。だが、なぜ?

 紅葉は苦笑を浮かべた。

「誰もが隠し事をしているということだな……」

 自分の周りにいる者たちが、ある事件で繋がっていることに紅葉は気がついていた。だが、その話について話し合ったことはない。そのため、本当に自分の周りにいる者があの事件の関係者なのかはわからない。

 出逢いは偶然ではない。ひとつの事件で繋がっていたからこそ、出逢ってしまった。

 紅葉が目を通している魔導書には遺跡に関しての記述とともに、帝都エデンを治める女帝に関する記述もあった。

 魔導書にはこう記載されている。殺葵を帝都地下に封じるように命じたのは女帝であると――。

 人間の寿命では到底成しえない長い統治。年に一度、公の場で姿を見せる女帝の姿は若く、20代後半にしか見えない。不老不死か何かなのかもしれないが、女帝の素性は一般には知られてない。ヒトではないという噂もあるが、その真意を確かめる術はなかった。

 魔導書を閉じた紅葉は床に放置してあった割れたカップとコーヒーに目をやった。

 黒い液体の表面上の浸食は止まっている。しかし、床の中への浸食はまだ続いているだろう。

 紅葉はまだ掃除をする気がなかった。

「さて……」

 立ち上がった紅葉は人工満月をつくるべく、魔導研究室へ足を運んだ。

 紅葉のいなくなった部屋の窓から見える景色。外では雨がまだ降り続けている。だが、雨は先ほどよりも弱まり、もうすぐ止むことだろう。雨はいつか晴れるものだ。

 そう、いつかは全て終わる……。


 幕間 完

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