snow(上)
今日の帝都は昨晩から降り続いている大雪のため、都市機能の30%が麻痺するという深刻な状況に陥っていた。
大雪による交通渋滞、事故、電波障害、そして、大雪に便乗して犯罪行為を犯す者。この大雪を純粋に喜んでいるのは小さな子供くらいなものだった。
AM7:40――。
「雪かぁ、ひさしぶりだなぁ、でもこんな大雪3年ぶりだったかな?」
時雨はこたつに入りながら、独りみかんをツマミにTVを見ていた。
《次のニュースです。今日未明、都役所前の交差点で生命科学研究所から逃げ出した実験サンプルと帝都警察との間で激しい攻防が繰り広げられました。実験サンプルは帝都警察の目を掻い潜って逃走、未だ発見されていません。なお、帝都警察の誤射により、周りのビルに被害を与え、都役所の半分が倒壊、死者、負傷者あわせて50名ほどの被害者が出たもようです。詳しい情報が入りしだいおってお伝いします。》
液晶モニターの向こうの出来事は時雨に取っては、いくら近くで起きた事件であろうと夢の出来事とあまり変わらなかった。
「朝からこの街は忙しいねぇ」
「この街は24時間寝らぬ」
「わあっ!!」
自分しかいないはずの部屋で突然声がしたものだから、時雨は思わずあられもない声をあげてしまった。
驚いた顔のまま状態を後ろにえび反りに曲げるとそこには見覚えのある顔が時雨を見下ろしていた。
その人物と少しの間目が合い、沈黙を置いたあと、眠そうな目を擦りながら時雨はあいさつをした。
「やぁ、紅葉、おはよう」
時雨の目の前にいたのは白衣の麗人紅葉だった。
「仕事の依頼に来た」
「えっ!?」
時雨に不思議そうな顔で見つめられた紅葉はもう一度用件を簡潔に述べた。
「君に仕事の依頼を頼みに来た。理解できたかね?」
「またぁ、そんなご冗談を」
時雨が冗談だと思うのは当然だった。この男が人にものを頼むことなどそうあることではなかったし、しかも仕事の依頼を直々に頼みに来るなど初めてのことだったので時雨は彼の言葉を本気とは受け取れなかったのだが、紅葉の表情は真剣そのものだった。そのため時雨は驚きを隠せず口をポカンと空けてしまった。
腕組みをしながら紅葉は眉毛を吊り上げたあと細い目をした。
「冗談なのではない、重大な問題が発生したものでな、君にその解決にあたってもらいたい」
真剣な紅葉とは対象的に時雨の全身からはヤル気のないオーラがもうもうと出ていて、そのオーラは部屋中に充満していた。
「はぁ、仕事かぁめんどくさいなぁ、だって外は大雪、今日は日曜、そして、もうすぐクリスマスだよ、副業の方はお休みにするよ。ついでに本業も今日は休みでいいや」
「何を莫迦なことを言っている、大雪はともかく、日曜? クリスマスが近い? などという理由は君が仕事をしない理由にはならん」
「だってぇー」
駄々をこねる時雨はとても愛くるしい表情をしていたが紅葉はそれに惑わされることはなく激怒した。
「仕事をするのか、しないのかはっきりしたまえ!」
彼が感情を表に出しながら、怒ることなど滅多にないのだが今は違った。
彼の依頼は大雪の中わざわざ時雨のもとへ来ただけのことはあり、とても重大なことなのだろうか?
ちょっとキレ気味の紅葉を見て時雨はしかたなく仕事をすることを決意した。なぜなら、紅葉はキレたら何をするか分からないからだ。
彼は今までに数多くの大事件を起こしているらしいがそのほとんどは世に出ることはない。なぜなら、彼の起こした事件のほとんどが彼の手によって隠蔽され闇に葬られているからだ。
時雨の聞いた話によると、紅葉がビルを一つ倒壊させたとか、街一つ消してしまったとか、さらには実験で島を一つ消滅させたというとても信じがたい噂ではあるが時雨は紅葉ならやりかねないと思っている。現に時雨は紅葉がキレたところをたびたび目撃しているがそれは凄まじいものだったらしい。
上体を起こした時雨は急須を手に取りお茶を二人分入れ始めた。今日のお茶は玄米茶だ。
突然階段を駆け上がる音がしたと思ったら次の瞬間、部屋の中に雪だるまが飛び込んで来た。
「な、何!?」
時雨は雪だるまを見て慌てふためき炒れ途中のお茶を盛大にぶちまけた。
「あつーっ!!」
熱さに悶える時雨をよそに雪だるまがぶるぶるっと身体を震わせると、その中から可愛らしいツインテールの眼鏡をかけた女の子が現われた。歳のころは10代後半から20代前半らしいのだか顔立ちのせいかもっと若く見える。
「テンチョ、あたしですよぉ〜、ハルナですぅ」
ぐぐっとハルナは時雨に顔を近づけて覗き込んだ。
ややあって時雨は状況を理解したらしく、落ち着いた様子でお茶を入れなおし始めた。
「……な〜んだハルナちゃんか、ってこんな雪の中どこ行ってたの!?」
ハルナは時雨の本業である雑貨店の店員兼なまけものでどうしようもない時雨の身の回りの世話役を住み込みでしている女の子なのだが、どうしてこんな大雪の日に外に出かけていたのだろうか?
ハルナの手にはコンビニの袋がぶら下がっていた。
「トイレの電球が切れちゃって」
「それだけ?」
「それだけって、なんてこと言うんですかぁ! 夜トイレに入ったときに恐いじゃないですかぁ〜」
ぶるぶるっとハルカは身震いをした。それを見ていた時雨もつられてぶるぶるっと身震いをした。
「ハルナちゃん、外寒かったでしょ。しかも服もびしょびしょみたいだからお風呂入ってきなよ」
「は〜い」
元気な返事をしたハルナは床を水浸しにしながらお風呂へ駆け出して行った。
時雨がふと横を見ると紅葉はいつの間にかこたつに入り、いつの間にか自分でお茶を入れて勝手に飲んでいた。
「ふむ、いいお茶だ。……ん、どうした?」
横で口をポカンと空けた時雨と目が合った。
「いつの間にこたつ入ったの?」
「君らがコントをしている間にだ」
「別にコントじゃないけど」
紅葉がお茶を少し啜った。
「ところで仕事は引き受けるのだろ?」
この言葉には妙な威圧感があり、断るという選択肢を決して選ばせないようにしているようだった。
「仕事はするけどさぁ、内容はどんなの?」
仕事をするとは決めたものの時雨にはヤル気については未だになかった。
「私のペットが一匹逃げた」
「ペット? 紅葉ペットなんか飼ってたの? 初耳だなぁ」
そう言いながら時雨は今入れたばかりのアツアツのお茶を紅葉に手渡した。
「ペットとは生命科学研究所で飼育していた私の実験サンプルのことだ」
「実験サンプルってもしかして、ニュースでやってるあれのこと?」
時雨は熱いお茶をすすりながらTVの画面に向かって指を指した。
《今入った情報によりますと、生命科学研究所から逃げ出した実験サンプルはイチョウ団地で目撃されたとのことです。目撃者の証言によりますと実験サンプルは東に向かって逃走中とのことです。以上帝都警察緊急対策本部からの中継でした。》
このニュースを見た紅葉は怪訝な表情を浮かべた。
「もうニュースになっているのか」
「あたりまえだよ、都役所前で帝都警察とお激しくやっちゃたらしいから」
「身支度を済ませろ、すぐに出かける」
白衣をきびしながら紅葉は部屋を足早に後にした。
「はぁ、まだ朝食摂ってないのに……」
そう言いながら、こたつから這い出てきた時雨は身体全身をポキポキと鳴らし、ハンガーにかけてあった黒いロングコートを羽織った。
外に出た時雨の眼前には白銀の世界が広がり、帝都は白い雪に飲み込まれていた。
時雨自身にも雪は容赦なく降り積もりの体温を奪っていく。時雨は背中を曲げ自分の両手を口元にやり自分の温かい息を吹き付ける。
「はぁ、寒いねやっぱり」
完全防備な厚着をした今にも凍え死にそうな時雨とは対照的に紅葉は薄い白衣を一枚羽織っているだけだったが、その表情には寒さという文字は刻まれていない。
「寒いのなら、もっと厚着をしてくればよかったものを」
「これでもすごく着込んで来たつもりだよ、なんだよこの寒さ異常としか言いようがないよ」
「今の気温はマイナス26度だ」
帝都の冬の平均気温は6℃前後、マイナス26℃というのは冷凍庫並の寒さであり、この街での最低気温を記録したと、天気予報でも伝えている。
「ボクは寒いのが苦手なんだけどなぁ」
「私のペットを早急に見つけ出さんと、もっと気温が下がることになるぞ」
「はっ!? 今何て言った、気温が下がる? どういうことだよ」
紅葉の言葉を聞き驚いた時雨は思わず彼の言葉を聞き返してしまった。
「ペットが逃げ出してから、一時間に5℃のペースで気温が下がっている、このまま行くと今日中に帝都の都市機能は全てストップし、植物枯れ、帝都に住むモノ達もこの街からでなければ皆死滅していくだろ、しかし、一般人がそのことに気づくころには交通手段は全て使えなくなっており、凍え死ぬのを待つのみとなる、帝都は氷の廃墟と化す」
紅葉の言葉を聞いた時雨は口をあんぐり開け呆然と立ち尽くしてしまった。
帝都が氷の街と化す、そのようなことが本当に有り得るのだろうか、時雨には到底信じることのできない話ではあったが紅葉は嘘を付くような人物ではない。もし、紅葉の言うことが本当だとしたら、帝都が氷の廃墟と化すとはなんと恐ろしいことなのだろうか。
なにかを思ったかのか寒いのか、時雨は首をぶるぶると振った。
「そのこと、この街のお偉いさんたちは知ってるの?」
「知っている訳がなかろう」
「だったら早く皆に伝えないと」
「そのようなことをしても街中がパニックに陥るだけだ」
時雨は紅葉の言葉に納得して小さくうなずいた。しかし、はっと思いついたように話を切り出した。
「ちょっと待てよ……って何でそんな危険なモノを生命科学研究所で扱ってるんだよ、こういう事態になったときのこと考えてなかったの? そもそも、気温が下がるってなんだよ、どうして気温が下がるんだよ」
「逃げ出したサンプルは私がとある国に頼まれて作り出した妖物で、大気中の空気を大量に身体全体から取り込み、身体の中で冷却し放出する」
「なんでそんなもん作ったの?」
「本来は温暖化を緩和するために作ったのだがまさか逃げ出すとは思っていなかった」
「逃げ出すと思わなかったじゃ済まないだろ」
「全く、君の言うとおりだ」
紅葉の言い方はまるで見ず知らずの他人の身に起きた不幸な出来事のように時雨の耳には聞こえた
「紅葉さぁ、責任とか感じてないでしょ?」
時雨は少し呆れた表情を浮かべていた。
「責任? なぜ私がそのようなことを感じる必要がある?」
やはり、紅葉は責任など微塵も感じてないようだった。
「だってさぁ〜」
「私は妖物の開発を頼まれただけで、その管理については私の関知するところではない」
きっぱりと言い放った紅葉を一瞥すると時雨は下を向いて深くため息をついた。そして、ちょっと上目使いで、
「はぁ……じゃあなんでそのサンプルを捕まえる気になったの?」
「私は寒いのは嫌いだ」
「それだけ……?」
「そうだ」
こいつ『どついたろか』と時雨は一瞬本気で思ったがその感情は心の奥底に封じ込めておいた。後がかなり恐いからである。
紅葉が白衣をきびした。
「私は研究があるので帰らせてもらうぞ」
「はっ、今なんて言った?」
時雨は思わず聞き返した。
「研究があるので帰らせてもらうと言ったのだがそれがどうかしたか?」
「どうかしたかじゃないよ、なんで帰るんだよ」
「研究があるからだ」
そう言って紅葉は白い雪の中に溶けていった。
時雨は紅葉に向けて雪球を作って投げつけてやったが雪で視界が遮られて、雪球が紅葉に当たったかどうかは定かではなかった。
その後時雨はものすごく後悔をした。……もし、雪球が紅葉に当たっていたらただではすまないなと思ったからだ。
時雨は仕事柄、帝都に仕事の協力をしてくれる知り合いが数多く存在していた。
それらの人々の中には情報屋と呼ばれる職種の者たちもおり、一流の情報屋ともなれば金さえ払えば国家機密から小さな商店の帳簿までどんな情報でも教えてくれる。
時雨はたびたび情報屋を利用する。そして、今回もそのお世話になることにしたのだが――。
青白い顔をした時雨は携帯電話を片手に猛吹雪の中を歩いていた。
「生命科学研究所から逃げ出した、実験サンプルのことなんだけど」
『ZAZAZA……な…に? ……き……ない』
大雪のため電波の具合がよくないらしくよく聞き取ることができない。
「実験サンプルが今どこにいるか分かる?」
『…サン…ル……ZAZAZA』
時雨は携帯電話が使い物にならないことを悟り後でかけなおすことにした。
「……後でかけなおす、じゃあね」
『えっ……』
ガチャ――時雨は電話を切ると辺りを見回した。
「公衆電話ってないのかなぁ」
公衆電話なんてなかった、というより辺りは猛吹雪のため視界ゼロであった。公衆電話が近くにあったとしても今は見つけることはできないだろう。
時雨は公衆電話を置いてそうなお店を捜して電話をかけ直そうと思ったがこんな大雪の日に営業している気合の入った店は一軒も存在しなかった。
「はぁ、まいったなぁ」
時雨が途方にくれながら歩いていると前方に駅が見えてきた。駅になら公衆電話があると確信した時雨はまさにこれは天の助けに違いないと思い込み駅に向かって全力で走って行ったのだが……。
「……閉まってる……なんでシャッターが閉まってんの!」
そう、帝都に吹き荒れる猛吹雪のため電車は全線不通となっており、駅の入り口のシャッターは閉められていたのだった。
「……なんだよ、もう!」
ゴン! 時雨は腹いせにシャッターに思いっきり蹴りをくらわしたのだが。ざざーっ!! シャッターを蹴った振動で雪が時雨目掛けて大量に落ちてきた。
「わぁっ!」
雪をかわそうとしたが足が滑ってその場に転倒してしまい、雪の直撃を受け雪の中に埋もれてしまった。
「ぷはーっ!」
雪山の中から意気よいよく人の頭が飛び出してきた、それはまさしく時雨の頭だった。
「死ぬかと思ったー」
死の淵から生還した男の顔は蒼白だった。時雨は雪山の中から抜け出すとぶつぶつと文句ながら全身をはたいて雪を落とした。
「ツイてなさすぎる、このツイてない加減は異常だよ、呪いかなにかをかけられたのかな? ……でも、そんな呪いをかけられることし……てるよね毎日。はぁ、今度命のとこ行って御祓いしてもらおう」
そして彼は情報屋に直接会うためにある場所へと足を運ぶことにした。




