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時雨

 秋が冬に代わってすぐのある日のこと、昼下がりに風が強まり、急にぱらぱらと雨が降った。

 雨の中、スーパーの袋を片手に持った可愛らしい女の子が、黄色い長靴に傘を差すという格好で歩いていた。

 彼女の名前はハルナ。3年程前に両親を亡くし、今はその両親が残した雑貨店を経営している独り暮らしの女の子だ。

 ハルナの歳は、見た目は中学生のように見え、時には背の低さから小学生にも間違われることもあるが、彼女の年齢は十代後半だ。

 両親に死なれ、若い女の子が残された雑貨店を経営するのは難しいことだった。けれども、その雑貨店は両親の形見なので、どうしても手放すことができずにいた。だが、経営は最悪の状況だった。

 生活を切り詰めて、本当にギリギリ生活を営むことしかできなかった。そこでハルナは悩んだ結果、苦渋の決断をした。店を売り払おうと。

 だが、ハルナはまだ店を本当に売っていいものか、誰かの手に渡っていいものなのか、悩んでいた。

 人を雇うお金がないため、自分が外出すると店を閉めなくてはいけない。今も店のシャッターを閉めてしまっている。

 ハルナがお店に戻ってくると、閉められたシャッターに寄りかかりながら座っている男の姿を発見した。男はうつむき顔はよく見えなかった。

 きっと、雨宿りでもしているのだろうと、ハルナは思った。

 男はロングコートを着て、ぐったりとして身動き一つしていない。彼の身体は雨でびしょ濡れで、髪の毛から雫が零れ落ちていた。

 もしかしたら浮浪者かもしれないし、危ない人なのかもしれない。でも、ハルナは声をかけずにいられなかった。

「あのぉ、どうしたんですか?」

 相手の顔を覗き込んで聞くが、顔はよく見えないし、返事も返ってこない。

「だいじょうぶですか? 具合でも悪いんですかぁ?」

 やはり返事はなかった。

 もしかして死んでいるのかと思ったハルナは、慌てて男の身体を持ち上げ顔を見た。

「あの、だい……」

 途中で言葉を切ってしまった。それは相手の男性の顔があまりにも美しかったために、言葉を失ってしまったからだ。だが、ハルナはすぐに気を取り直して、男の身体を揺さぶった。

「だいじょうぶですか、返事してください」

「うう……う……」

 苦しそうな声だった。よく見れば男の顔はひどく真っ赤だった。

 すぐにハルカが男のおでこに触れると、やはりすごい熱だ。もしかしたら40度を超えているかもしれない。

「どうしよぉ〜」

 慌てながらもハルナはスーパーの袋と傘を地面に投げ捨て、男の身体を持ち上げ急いで店の2階にある自宅に運ぶことにした。

 鉄製の階段を上り2階の外にある玄関に急いだ。

 ドアの鍵は最近の支流である、ドアノブに触れることにより人物の照合をして、鍵を開けてくれるというものだ。

 ハルナはドアノブに触れたが、鍵が開かない。最近このドアの調子が悪いのだ。しかし、修理するお金はない。

 急いでいたハルナは意を決して、ドアを思いっきり蹴っ飛ばした。ドアは頑丈にできているため開くはずがないのだが、蹴られた拍子に調子の悪かった電子ロックが余計に壊れて、ドアのロックが解除されるカチッという音が聴こえた。

 家の中に駆け込んだハルナは男を適当な場所に下ろして、バスタオルを取りに行った。そして、戻ってくると、男の姿がない。

 床に何かが這ったような水の後があり、ハルナは急いで玄関に向かった。するとそこには玄関を出ようとしている男の姿があった。

「ダメですよ、すぐに救急車呼びますからじっとしててください!」

 男の腕を掴み部屋の中に連れ戻そうとした。それに対して、男は抵抗する。だが、男の力は弱々しく、ハルナでも簡単に部屋に戻すことができた。

「ダメですよ外に出ちゃ。すぐに救急車呼びますから」

 そう言いながらハルナは男の髪の毛を拭いてあげた。

「……だ……くれ」

 微かな声が聞こえた。ハルナが男の口元に耳を近づけるとはっきりと聞くことができた。『駄目だ。救急車は呼ばないでくれ』と。

 この街ではわけありな者が多くいる。この男の人もそうなのだろうか、とハルナは思った。しかし、彼の熱はだいぶあるし、これからどうしていいのかハルナにはわからなかった。

 頭を拭いてあげても服を着替えさせないと意味がない。だが、この家には男物の服などないし、あったとしてもこの人が自分で着替えるのも無理だろう。

 ハルナは急いで毛布を持って来て、男に聞いた。

「自分で服脱げますか? 脱いだらこれに包まっていてください。服は瞬間乾燥機で1分くらいで乾きますから」

 反応はなかった。男はぐったりして床に倒れている。

 大きく息をしたハルナは男の服に手をかけた。

「ごめんない」

 そう言ってハルナは男の服を脱がせ始めた。こんな経験をするのは初めて、恥ずかしかったが、ハルナはそれでも男の服を脱がせた。

 まずはコートを脱がせて上着を全て脱がせた。そして、男の白く美しい肌についたあるものを見てハルナの手が止まった。

 何かで切られたような傷痕が50センチほど背中にあった。まだ新しい傷で血が止まったばかりのようだ。しかし、こんな大きな傷の血が止まるものなのだろうか?

 特殊な手術や薬によって身体を強化することができるが、この男の職業はそれが必要な職業なのだろうか?

 ハルナは疑問を感じつつも男のベルトに手をかけた。だが、そこから先に進むことができない。彼女は雑貨店の経営が忙しくて男の人と付き合ったこともなかったし、話す機会も皆無に等しかった。

 だが、ハルナは目をつぶって下着ごと一気に全部脱がせた。そして、すぐに毛布で男の身体を隠した。

 濡れた身体に毛布をかけたのでは意味がないが、濡れた服を着ているよりはましだった。

 ハルナは男の服を全部抱えて脱衣所に急いだ。

 乾燥機に服を入れる前にポケットの中身などを確認する。財布もなく身分を証明するような物は何一つ入っていなかった。ただ、ひとつ出てきたのは手に握れるくらいの筒状の何かだった。

 それにはスイッチらしき物がついているが、プライバシーに関わるので気にしないことにして、服を乾燥機の中に入れて早く乾かすことにした。

 乾いた服を男のもとへ運んだハルカはすぐさま今度は台所に向かった。

「温かい飲み物、飲み物……お茶しかないや」

 戸棚からお茶っ葉を出したハルカは急須にポットからお湯を注ぎ、普通のコップにお茶を一度注ぎ、別の湯のみにもう一度注いで、それを男のもとへ運んだ。

「お茶入れてきたんですけど、飲みますぅ?」

 毛布に包まった中から白い両手が伸び、湯飲みを受け取った。そして、男の口の中にお茶が流し込まれ、喉がごくんと動いた。

「……おいしいね」

 小さな声であったが、この時はじめて男は言葉を発した。そして、笑顔を浮かべた。

 なんだかやっと一段落がついた感じで、ハルナはほっと胸を撫で下ろした。そこであることに気がついた。

「あっ!?」

 そうだ、傘と買い物が外に置きっぱなしだった。そう思ったハルナは急いで外に出た。

 雨は止んでいた。だが、雲行きは怪しい。また、少し降るかもしれない。

 傘とスーパーの袋はハルナが置いた時と同じ場所にあった。

 盗まれたりしてなくて安心したハルナは急いで男のもとへ向かう。まだ、熱もあるだろうから、心配なのだ。

 男の姿は消えていた。毛布がたたんで置いてある。焦るハルカ。

 家中を探そうとして最初に向かった居間に男はいた。

 服を着替え、ちゃぶ台にひじを突きお茶をすすっていた。

「お帰り」

「あ、はい、ただいま」

 男の具合はだいぶよくなっているようだ。

 ハルナは男の前に腰を下ろした。

「あの、だいじょうぶですかぁ?」

「うん、だいぶよくなった」

「あの、お名前は?」

「……さあ?」

「住所は?」

「さあ?」

「もしかして記憶喪失ですか?」

「さあ?」

 単調な会話が進み、ハルナは首を傾げ、男はお茶を一口飲んで息を吐いた。

「はぁ、もしかしたら記憶喪失なのかもね。でも、なにがわからないのかわからない」

「病院行きますか?」

「いや、いいよ。じゃあ、ボクは行くよ」

「行くってどこに?」

「さあ? どこに行くのかは決めてないけど、ここにいるとキミに迷惑かかるでしょ」

「いいですよ、ずっといても。あたしこの家でひとりで住んでるんで、部屋いっぱい余ってるし」

「女の子のひとり暮らしの家に世話になるのは問題あるよぉ〜」

「そんなこと気にするんですかぁ、硬派なんですねぇ」

「でも、行くよ」

 男は行こうとした。その腕をハルナが掴む。

「財布も持ってなかったし、記憶喪失だし、行くところないじゃないですかぁ、ダメですよ行っちゃ」

 なぜ、ここまで強引に男のことを止めたのかハルナにもわからなかった。けど、どうしても止めないといけないような気がした。止めなければ、どこか遠く、一生逢えない場所にいってしまうような気がした。

 男の瞳がハルナの瞳を見つめた。

「少しだけ、お世話になるよ」

 男もなぜ自分がこんなことを言ったのかわからなかった。けれど、ハルナの瞳の奥に映るものを見たら、そう言ってしまっていた。

「本当ですかぁ〜!」

「うん、記憶が戻るまではお世話になるよ。ボクにできることなら、お世話になる代わりに何かするよ」

「じゃあ、あれ」

 ハルナは瞬時にあることを思いついた。

「あなたには私の店の店長になってもらいます」

「はぁ!?」

 男は不思議な顔をした。

「店長ですよ、テンチョ」

「はぁ?」

「両親から受け継いだ雑貨店なんですけど、経営がうまくいかなくて、止めてしまおうと思ってたんです。でも、これって運命ですよねぇ〜、きっと、あなたは店長をやるためにここに来たんですよ」

「はぁ?」

 ハルナの解釈は強引な解釈であったが、男は小さく頷いた。

 こうして男は雑貨店の店長となった。

「え〜と、あとぉ……」

 ハルナはまだ何かあるのか腕首をして首を傾げた。

 男は店長を押しつけられて、これ以上何があるのかと思った。

「他にもあるの?」

「あなたの名前、名前ですぅ。名前なんて呼びましょうか?」

「ああ、名前ね」

「そうだ、『時雨』にしましょう。それがいいですよ、きっと」

「時雨?」

 なぜ、時雨なのだろうか? ハルナが答える。

「今日のお天気です。あなたが私の店に現れ時のお天気。イヤだったら『雨』とか『曇り』とか、そうだ『冬』にしますか?」

 全部気象に関する名前であった。少しネーミングセンスが外れている。

「時雨でいいよ、いい名前だと思う。いや、違う……そうだ、そうだよ、ボクの名前を思い出したよ。ボクの名前は『時雨』だ!」

「えっ!? 本当ですかぁ〜。勘で言ったのに当たったんですかぁ!?」

「うん、ボクの名前は時雨」

「じゃあ、時雨さん。明日から店長がんばってくださいね」

「えぇ〜っ!」

 そう言いながらも時雨はハルナの顔を見て微笑んでいた。そして、ハルナも微笑み、部屋は幸せな空気で包まれていった。

 時雨――それは冬のはじめ、季節風が吹き始めた頃、急にぱらぱらと降っては止み、数時間で通り過ぎてゆく雨のこと。


 時雨 完

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