第19話
人事部の課長のもとへ、前工場長がやって来た。
「遅くなったが、ご栄転おめでとう。本社はどうだい?」
課長は立ち上がり、前工場長を迎える。
「ご無沙汰していました。お元気そうで何よりです。」
「実はな、早期退職制度を利用しようかと思っているんだ。」
工場にいた頃よりは穏やかな顔をしている。
「知り合いのちょっとした小さな工場で働かないかと話があり、家からも近いし、前向きに話を進めていこうかなんて考えている。」
やはり、人事異動の傷は癒えないんだろうか。
「あれからいろんなことを考えたよ。辛く悲しい思いももちろんした。でも、大切なことを気付かせてくれた。」
課長は完全に聞き手にまわっている。
「どうだ?やっぱり俺は出世ラインから外れた負け組みにしか見えないか?」
笑いながら、前工場長は続ける。
「仕事は、わがままも許してもらったし、自分の好きなようにやらせてもらうことが出来て、本当に満足している。この年にもなって、会社の評価で一喜一憂するなんて寂しい人生じゃないか。自分の信念を貫いて今までやってきて本当に良かったと思っている。そして工場長としていい仲間たちに囲まれて、これ以上の贅沢はあるか?俺は胸をはって会社を辞めれるよ。俺は頑張ったってな。これからも、新しい現場でバリバリ頑張るさ。君にも、工場のケンタとか熱いハートの男には、後悔しない充実した人生を歩んでもらいたい。信念と誇りをもって、楽しかったと胸をはれるよう頑張って、この会社を支えていって欲しいと思うよ。老兵は去るのみ。頑張ってくれ。みんなによろしくな。」
そう言って、前工場長はこの部屋を後にした。
俺は、数週間後に課長の口から聞いた。さすが男だなって率直に思った。ジュンペイもわかってんだかわかってないんだかよくわからないが、「格好いいっスね」と口にしていた。
俺は、それから前工場長に会うことはなかった。でも、前工場長は工場にいろいろなモノを残していった。一緒に働くことが出来たのはわずかだが、俺の心の中にもたくさんのモノが残っている。
「胸をはって辞められる」という言葉の意味を深く考えた。
今の自分には、胸を張って、俺は頑張ったって言えるような状況じゃない。そう言って会社を辞められることって、幸せなことなのかもしれない。
それくらい言える仕事をしたということが、時をかけて、社会をめぐって、次代に引き継がれ、そうして誰かの心に伝わっていく。
そうして時代に刻まれてゆく。
そのために、鐘は鳴っているのかもしれない。




