ビッチなお姉さんは嫌いですか?
童貞は妄想が大好き。それは本当のことだと思う。というか、体験したことないんだから想像するしかない。
誰か僕の童貞もらってくれないかな。でもビッチは嫌だ。黒髪ロングの清楚系美処女が良い。
夏の学校ってのはどうしてこう暑いんだ。壁は生温いしクーラーは職員室とか特別な所にしかないし。
朝のこの時間はまだ人が少ないからマシだけど、昼ぐらいになるとたまったもんじゃない。
シャツが汗で背中に張り付く不快感を覚えながら、銀色の生温い取っ手を回して第二音楽室に入ると、不快指数はさらに上昇。
暑さの残る九月初め、閉め切られた教室はサウナのように蒸していて汗が一気に吹き出した。
誰もいない静まり返った音楽室には規則正しく並べられた楽器の数々。うちの高校は昔から吹奏楽とか音楽系の部活が盛んらしい。
「あっつぃ……」
とりあえず空気の入れ替えをしよう。このままここにいたら干からびて死んでしまう。
荷物を置いて窓を開けると、海風が入り込んできて少しだけど暑さは和らいだ。
とは言っても、どうせこの後また暑くなるんだから諦めて先に準備するか。
窓に背を向けるように置かれているドラムセットを自分の叩きやすいようにセッティングして、丸い三脚の椅子に腰を下ろす。
スネアとハットにバスドラ。目を瞑り、しばらくその三つだけでリズムをとっていると、だんだん気持ちよくなってきた。
準備運動がてら時間にして五分ほど叩き続け、キリのいいところで演奏を止めて目を開けると、細身の女性がベースを肩にかけて立っていた。
「今日も気持ちの良いリズムだな」
「美雪先輩、いつのまに」
普段は下ろしている長い黒髪を頭の後ろで結い、端正な顔立ちも相まって、いかにも仕事の出来る大人の女性に見えた。
人が来ていたのに気付かなかった。集中すると周りが見えなくなるのは悪い癖だな。
「扉の向こうからずいぶんと軽快な音が聞こえたのでな、こっそり入らせてもらったよ。あいつはまた遅刻か?」
美雪先輩はアンプに電源を入れ、音量を調節しながら呆れた声で尋ねてきた。
「そうみたいですね。まぁでも、あの人が時間通りに来る方が珍しいです」
「それもそうなんだけどな……」
当然のようにいつも遅刻してくるウチの部長。あの人に一般的なモラルやルールは通用しない。
美雪先輩がペグを回してチューニングを始めた。今時、音叉を使うなんて珍しい。
そして僕らの準備が整うのを待っていたかのようなタイミングで、勢い良く扉が開かれた。
「おっはよぉう! おっ! 二人とも時間通り来てたようで偉いね~。ウチの部員たちは優秀で嬉しい限りだよ」
ふわふわした金髪を振りながらやかましく登場したのが翼さん。ギターボーカルであり、残念ながら当軽音部の部長。
「遅いぞ翼! それと、シャツのボタン開けすぎだ!」
確かに暑いのは分かる。けれど、もう少しでB地区が見えてしまうところまで開け放つのはやり過ぎではないか。ただでさえ翼さんは高校生離れした豊満なボディを持っているんだから。目のやり場に困る。とか言いつつもバッチリ凝視してるんだけど。
「まーいいじゃないの。どうせ私達だけしかいないんだし」
翼さんはパタパタとシャツを抓んで胸の隙間から空気を入れるように扇いでいる。
「私達だけって、崇君もいるじゃないか……それにもしかしてお前、ブラジャーもしてないのか?」
ノーブラキタコレ!
「いやぁ、家出た時はさすがに着けてたんだけど、来る途中にムレて嫌になってとっちゃった。朝練終わったらちゃんとするから許してよ」
とっちゃったテヘペロじゃないよまったく。登校中の男子生徒が朝から二度目の充血を引き起こしてしまっている姿が目に浮かぶ。
「お前ってやつは……」
美雪先輩も呆れてため息をついた。この人はいつも翼さんの破天荒な行動に付き合わされているからな。気苦労は知れたもんじゃない。
「ん~? なんだタカシ、そんなにジロジロ見て。ノーブラがそんなに気になる?」
翼さんはわざとらしく指で胸元を開けながら僕の方へ近寄って来た。
ああああああんまりやり過ぎるとホントにちちちちちくBが見えてしまいますよよよよ。
「あははは! ほんとタカシは可愛いなぁ。このまま食べちゃいたいよ」
わざわざ後ろまで回ってきて座っている僕に抱きついた。柔らかい水風船が二つ後頭部に押し付けられてヘブン状態。
「翼、あんまり崇君をからかうんじゃない」
あ、僕はしばらくこのままでもいいですよ。気持ちいいですしおすし。
「あら残念」
耳元で息を吹きかけられるように囁かれ、甘い香りで頭がくらくらした。
「ほら、さっさと翼も準備しろ」
「へいへーい」
くっついていたオパーイが離れていき、翼さんはめんどくさそうにケースからギターを取り出してアンプに繋ぎ始めた。
「もうあんまり時間もないんだからしっかりしてくれよ」
僕らがこんな朝早くから練習なんてして頑張ってるのは、文化祭でライブをするからだ。クラスの出し物とは別に、部活として発表を行うことになっている。
この軽音部自体は僕ら三人しかいないけれど、他のジャズ研やらなんやらを合わせると結構な数になる。
それらをまとめてライブを行い、一応の部活の体裁を守りながら一つの発表にしてしまおうという、なんとも合理的な学校側の考えだ。
「曲自体は一通り出来るようにはなったんで、あとは完成度を高めるだけですね」
「翼がオリジナルの曲でやりたいって言った時はどうなることかと思ったけどな」
他のバンドはほとんどが既存のコピー曲をやるのに対して、僕らは全曲オリジナル。そんな大変な思いをしなきゃいけないのはやっぱり翼さんのせい。
「だってさー、私達は高校生活もうすぐ終わっちゃうんだよ? 最後に何か残したいじゃん」
「それは私も思ってたけど」
僕は二年で先輩たちは三年。翼さんと美雪先輩は、あと半年もしたらこの高校からいなくなってしまう。
「その気持ちがあるなら、遅刻しないでしっかり練習しないとな」
「ぐっ」
翼さんは色々めちゃくちゃな人だけれど、言ったことは必ず実行する意志の強い女性だ。そこの責任感を突くとはさすが美雪先輩。
「ほら、準備出来たなら始めるぞ。まずは曲順通りな。崇君、頼む」
「はい」
二人が楽器を構えてこちらを向き、僕が動き出すのをじっと待っている。
話し声がなくなり辺りは朝の静けさを取り戻す。一呼吸おいてからハットを四つ鳴らすと、第二音楽室の温度がさらに上がった。
「暑い! なんでウチの高校はクーラー付いてないんだ!」
朝練が終わって教室に戻る間、翼さんが暑さに不満をぶちまけながら廊下を歩いている。練習であれだけ暴れればそりゃ暑くもなるよ。
「公立なんですからしょうがないですよ。我慢して下さい」
「そうだぞ翼。崇君が演奏中一番暑いはずなのに文句ひとつ言わずやってるんだ、我慢しろ」
「暑いものは暑いんじゃ~!」
その場で全裸になりそうな勢いの翼さんを美雪さんが必死に止めているのを、周りにいる男子達が今か今かと期待の瞬間を心待ちにして目を光らせている。
「じゃあ、私達はこっちだから、またな崇君」
「あっはい」
先輩達とは教室の階が違うので途中で別れた。離れてもまだ翼さんの罵声が聞こえる。叫んだら余計暑いだろうに。
自分のクラスの前まで来ると、同じく朝練を終えてやってきた哲也と一緒になった。
「おーす崇。今日もバンドの練習してたのか?」
サッカー部らしい日焼けした肌に、少し天然パーマが混じった茶髪。
「うん。翼さんが暑い暑いうるさかった」
「あの人は思ったこと全部口に出しちゃう人だからな。まっそこがまた素直でいいんだけど」
哲也はカッコつけポーズを取り遠くを細目で見つめている。似合わないぞ。
「はいはい。翼さんは今日も彼氏出来た様子はないから安心して」
「ちょ! おま、こんなところで言わなくていいよ!」
慌てて僕の口を塞ぐ。哲也は一見チャラそうに見えるけど根は真面目。サッカー部では熱心な練習の成果もあってキャプテンマークを付け、元気ハツラツな翼さんに惚れていていつも僕に現状の報告を求めてくる。
「あとでちゃんと聞くから」
「はいはい」
コソコソと耳打ちされたけれど、さっきの翼さんのとは大違いだな。暑苦しくてしょうがない。
教室に入って自分の席に着くとちょうどチャイムが鳴り、担任がだらだらと歩きながら入ってきてホームルームが始まった。
僕はつまらない先生の話はそっちのけで、気付かれないように一点をずっと見つめている。
僕から斜め三つ前の席、黒峰凛さん。クラス委員長で、素晴らしき美貌の持ち主だ。
長くてサラサラした黒髪が風になびき、落ち着いた性格でどことなく大人の雰囲気がある。
そのうえ黒峰さんは誰とでも平等に優しく接しているので、その人気はクラスを超え男女問わず学年中に響き渡っている。
風のうわさで聞いたところ彼氏はいないらしいが、今まで何人もの男が玉砕しているという。
断りの決まり文句は、
「私、好きな人がいるんです。今は全然相手にもされていないんですけど、いつかきっと振り向いてくれるって信じて、もう少し頑張りたいんです」
なんとも健気なお方だ。黒峰さんに直接それを言われると、フラれた男でさえ彼女を応援したくなってしまうという。
黒峰さんの恋を応援する会というものが無残にも散っていった男達で組まれ、相手は誰なのかと大規模な捜索が行われたけれど、未だに見つかっていない。そんな話に尾ヒレがつき、今では高嶺の花のような存在だ。
しかしパンピーの僕にもチャンスは巡ってくるものだ。
多才な彼女は文化祭実行委員も兼ねていて、僕らがやるライブも担当している。
本番が勝負。ライブでカッコイイ所を見せたら、そのまま体育館裏で告白する。完璧だ。
昼休み、哲也と教室で弁当を食べていると、きょろきょろと人目を気にしながら小さな声で尋ねてきた。
「さっきの話の続きだけどさ、神崎先輩は男の影なしってことでいいんだよな?」
「うん。言い寄ってくる人は相変わらず多いみたいだけどね」
「よっし!」
ガッツポーズするほどでもないでしょ。わざわざ小声で言わなくても聞いてる人なんかいないのに。
「いつも思うんだけどさ、もういっそのこと告白したらいいんじゃない?」
よく部室に遊びに来てて翼さんとは一応普通に話せる仲なんだし。
「わかってないなぁ、俺はコツコツと積み上げていくタイプなんだよ!」
哲也の場合ただのビビリじゃないのか。それでチャンス逃してたら世話ないわ。
「そこで俺は考えた。やっぱり好きな人に振り向いてもらうには、カッコイイところを見せればいいんじゃないかと」
それは僕も同感。さっきまで同じ事考えてたし。
「何するのさ」
「ふっふっふ」
玉子焼きを口に含みながら、一話でやられる悪役のような表情を浮かべた。どうせしょうもないことだろうけど。
「週末に、サッカーの試合があるんだよ」
「そういうことか……」
ニヤリと白い歯を見せながら不敵に笑う哲也の顔を見れば、何を考えているのかはすぐに分かった。哲也はサッカー上手いしちょうどいいかもね。
「で、僕に翼さんを誘って欲しいって?」
「もちろんタダとは言わない」
「何?」
「それは……当日のお楽しみだ!」
スポーツマンらしい爽やかな笑顔全開で親指立てられても。あんまり期待しないでおくよ。
とはいえ、引き受けてしまったことにはちゃんとやらなきゃな。
急ぐことでもないし放課後にでも聞いてみようと思索を巡らせながら弁当の隅をつついていると、聞き慣れた声が教室中に響き渡った。
「今日はウチで個人レッスンだから!」
くびれたスタイルのいい腰に手を当てて、仁王立ちしながら翼さんがこっちを見ていた。
その場にいた全員が一瞬目を丸くし静止したが、視線の先に僕を見つけると、何事も無かったかのように日常の喧騒が戻った。哲也を除いて。
「くっそー! いいなぁ崇は。俺も軽音部に入ってたら、今頃翼さんと……」
哲也は間の抜けた表情で天井を見つめ、何やら妄想を始めてしまった。
どうやらあの人と僕の関係は学校公認らしい。
翼さんはその派手な金髪とグラマラスな身体に強引な性格のせいで、人一倍目立っている。本人曰く、全て生れつきらしい。
あんなヤンキーみたいな人とよく一緒にいられるなってよく言われるけど、あれでいて可愛い所もあるんだ。
それこそ、雨に濡れた子猫を拾って家に持って帰ってきちゃうような。
放課後、個人レッスンという名目で教室の前で待ち伏せをしていた翼さんにムリヤリ拉致られた。向かう先は翼さん家。
距離的にはそれほど遠くはなく、駅へ向かう他の生徒とは別の帰り道を二人並んで歩いていると、相変わらずの下ネタが飛んでくる。
「またそんな粘りつくような視線で見ちゃって、煩悩がだだ漏れだよ。ご要望とあらば筆を下ろして差し上げましょうか?」
翼さんは手で輪っかをつくり、開いた口元に持っていく。僕はそんなエロいこと思ってなかったぞ。頭の中ピンクなのは翼さんの方じゃないのか。
「結構です。僕は、初めては共同作業がいいんです」
「なんだ、タカシは処女厨だったのか! 処女なんて何もいいことないよ。やめとけやめとけ」
大げさに手を振ってカッカッカと腹を抱えて笑われた。別にいいじゃないか。
「ガバガバなビッチ先輩に言われても説得力ありません」
彼氏作らないのだって、どうせ色んな男と遊んでるからだろうに。哲也がやり捨てられないことを祈るばかりだ。
「むっそれは聞き捨てならないな。私はガバガバなんかじゃなくて、むしろムッチムチのギッチギチだよ!」
ビッチビッチの間違いじゃないの。
「試してみる?」
数歩先を歩いていた翼さんは急に立ち止まり、こちらを向いてスカートを下着が見えるギリギリまで捲り上げた。
「なななななにしてるんですかこんな往来で! 人に見られちゃいますよ!」
急いで近寄り手を離させると、翼さんは眉を上げて何も恥ずかしいことなんかないのにというような表情をした。
「私は人に見られながらも嫌いじゃないけどなぁ」
「翼さんの性癖を聞いてるんじゃないんです! 一般的なモラルの問題です!」
もうホントにこの人は、ストッパー役の美雪先輩がいないと何をしでかすか分からないよ。
いつかきっと通報されて捕まるな。迎えに行かされるのは僕なんだろうけれど。
そんな翼さんの変態的な行動に振り回されながら、なんとか家まで辿りついた。
風がよく通る庭付きの古めかしい平屋。他の家は小綺麗な一戸建てなのに対して、ここだけ切り取ったように時間が昔のままみたいに感じる。
僕はここの縁側が大好きで、よくお茶を飲みに来ている。大体は美雪先輩も一緒なのだけれど。
「おーいジイさん帰ったぞー生きてるかー」
「またそんなふうに言って……いつかバチが当たりますよ」
翼さんは祖父と二人暮らし。あまり詳しくは聞いたことないんだけれど、両親はもういないらしい。
お爺さんとは家に来る度に何回も会っっていて、翼さんと同じ血が通っているとは思えないほど気さくで愛嬌のある人だ。
「なんだいないのか」
人がいる気配はせず、返事もない。
「おじゃまします」
段差のある玄関を通り居間に行くと、漆が塗られた長方形のテーブルに書き置きとスイカが置かれていた。
「ジジイどもの集まりに行ってるってさ。丸のままスイカ置いてきやがって……切っとけよな」
翼さんはスイカを持ち上げてぶつくさと文句を言いながら台所へと向かっていった。
口ではあんなこと言ってるけれど、翼さんはお爺さんのことを本当に大切にしている。
前に来た時、お爺さんが家での翼さんの接し方を暴露して、顔を真赤にしながら悪態をついて否定していたのがすんごい可愛かった。
お爺さんは笑いながら翼さんの攻撃を躱して、見た目からは想像のつかない身のこなしだった。
その時の名残である穴の開いたふすまの横に鞄を置いて、縁側に座ると涼しい風が頬を撫でた。暑さも昼間に比べれば大分落ち着いたな。気持ちよくなって横になってごろごろしていたら、頭をつま先で小突かれた。
「ほれ、切ってきたから食いなよ」
翼さんの両手には大きな皿に食べきれないぐらいのスイカが綺麗に均等に切り分けて置かれていた。
「翼さんって見かけによらず器用ですよね」
「余計なお世話だ」
ぶっきらぼうにおぼんを床に置くと、口に無理やりスイカを押し込まれた。
「あっこれ甘くて美味しいですね」
「ジイさんが趣味でやってる畑から採ってきたやつだろうからね。こだわり具合はハンパじゃないよ」
熱中すると、とことんやらないと気がすまないのは二人とも似てるな。中途半端が嫌いっていうか。
スイカの種を庭に飛ばしていたらいつのまにか飛距離大会に変わっていて、バウンドしたのはカウントに入らないという翼さんの横暴な自分ルールが発動し、結果は僕の負け。お互い負けず嫌いでバトルは白熱した。
「はー、もうお腹いっぱいです」
庭がちょっと気持ち悪いぐらいに黒々としたスイカの種に埋め尽くされた。
「タカシ、後で掃除しとけよー」
「翼さんもですよ」
二人ともそんな気はさらさらなく、そのまま寝転がった。
辺りはすでに夕焼けが空を橙色に染め、鈴虫の鳴く声だけが庭に響き渡っている。
「そうだ翼さん、今週の土曜日空いてます?」
わざわざ翼さん家までスイカを食べるために来たんじゃない、肝心な用事を忘れてた。
「ん? うん、空いてるけど?」
「よかった。その日に哲也のサッカーの試合があるんですけど、一緒に見に行きませんか?」
「おっもしかしてデートのお誘い?」
ニヤニヤしながら僕の顔を見つめてくる。
「ちっ違いますよ! あいつが暇なら応援に来いってうるさいんですよ。翼さんなら哲也のこと知ってるし、ちょうどいいかなって」
「またまたぁ照れちゃって~。いいよ、行く行く。それさ、美雪も誘っていい?」
「全然構いませんけど、あの人サッカー好きだったんですか?」
「まぁいいじゃないの。人数は多いほうが楽しいじゃん」
それもそうか。っていうかよく考えたら美雪先輩いた方が翼さんの相手してくれるから助かるわ。
「分かりました。じゃあ、土曜日の十二時に駅に集合でお願いします」
「おっけ~。美雪にも伝えておくよ」
「お願いします」
寝転がったまま向きを変えると、ちょうど翼さんと目が合った。
このあと、僕らは予定通り個人レッスンを行った。
土曜日、照りつける太陽が肌を突き刺す中、約束通り待ち合わせの駅に時間ピッタリで着くと二人はすでに到着していた。
翼さんが腕を組みをして足をパタパタと鳴らし、美雪先輩はなんだかそわそわしながら僕を出迎える。
例によって早く炎天下から逃げたい翼さんが僕の切符を買ってくれているという気の利きようで、我先にと改札へと向かう翼さんを追いかけて三人で目的地に向けて出発した。
「美雪先輩の私服、今日は一段と可愛いですね」
電車内で落ち着いて見てみると、いつものクールな雰囲気とは違い、髪も下ろしていてなんだかふわふわした印象がある。
「へ!? そっそうかな。そう言ってくれると、嬉しいよ」
顔を真赤にする美雪先輩。その横で、翼さんが声を出さずにお腹を押さえて笑っている。
変なこと言ったか? 会った時からなんかいつもと違う感じだし、学校と普段では性格変わるとか。そんなわけないか。
「翼さんは相変わらずですね」
ピンクの薄いTシャツ、太ももがハッキリ見えるミニスカートに網目のサンダル。いかにも翼さんらしい露出の多い服装だ。
「私は機能性重視なの。布の多い服なんて暑くて着てらんないよ」
僕もファッションとかよく分からないからそんなに気にしないけどさ。シャツの盛り上がり具合を見るに、今日もノーブラっぽいな。
「そういえば、美雪先輩ってサッカー好きなんですか?」
「え!? あ、サッカー自体はそれほど……いやいや、そう、好き、好きなんだ」
さっきからボーっとしてるのか分かんないけれど、なんだか心ここにあらずって感じだな。
落ち着かない美雪先輩をよそに電車は滞りなく走り続け、二駅ほど過ぎたところで僕らは電車を降りた。会場はそこからすぐ近くにあり、翼さんが駄々をこねることもなく順調に到着。
ここのコートは地元ではそれなりに有名な場所で、プロの公式戦にも使われたりしてる。
僕らは、いわゆるメインスタンド側のベンチに座って観戦することにした。ちらほらと他にも観客がいるみたいだ。
グラウンドを見渡すと、端の方で他の選手と一緒に走っている哲也を発見。ユニフォーム姿の哲也も二人には中々評判がよく、出だしはオッケーみたいだ。あとは点とか決めてくれたら最高なんだけどな。
試合が始まるまで三人で点差を予想したりしてそれなりに楽しんでいると、
「もしかして、平岡君?」
聞き間違えるはずがない、天使の声がした。梟のように首を回して後ろを振り向くと、そこには黒峰さんが立っていた。
「くくく黒峰さん!? どうしてここに!?」
「小林君に誘われたんです。理由はわからないけれど、とにかく来て欲しいって」
ゆっくりと流れるように喋る黒峰さん。日除けの帽子がちょっと大きめで、露出した白い肩を守るように影をつくっている。
お楽しみってこういうことだったのか! ナイスだ哲也。がぜんやる気が出てまいりました。
「そっそうなんだ。じゃあ、せっかくだから、いっ一緒に観る!?」
黒峰さんは僕ら三人を見渡した後、笑顔で答えた。
「そうですね、一人で観るのもなんだし、ご一緒してもいいかしら?」
「もちろんですよ! 二人ともいいよね!?」
翼さんと美雪さんもきっと了承してくれるはずだ。
「ああ、うん」
「……いいんじゃねぇの?」
あれっ予想してた反応と違う。美雪先輩はコートの方ずっと見たままだし、翼さんはなぜか不機嫌そう。黒峰さんと面識ないんだっけ? まぁでも、いいって言ってるしいいか。
「それじゃあ黒峰さん、ここに座って……!」
空いていた左隣の席の砂を払って案内しようとすると、黒峰さんは翼さんを挟んで反対側の美雪先輩の横に座ってしまった。
「こんにちは、城沢先輩。初めまして……ではないですよね?」
「あぁ、この前の文化祭の打ち合わせにも出ていたな」
そういえばこの間そんなのがあるって言ってたな。本当はそういうのって部長の翼さんが行かなきゃいけないはずなのに。きっとめんどくさいからって美雪先輩に全部押し付けたんだろう。
視線だけを翼さんに向けると、口笛を吹いて視線を逸らし、知らんぷりされた。
「嬉しい、覚えていてくれたんですね。実はそのことでちょっと聞きたいことがありまして……」
二人で話し始めちゃったよ。まぁ戦いはまだ始まったばかりだし、焦ることはないさ。
「タカシは今日、友達を応援する為に来たんでしょ? ほら、試合始まるよ」
特にやることもないのでボーっとグラウンドを眺めていたら、翼さんが僕の背中を叩いた。そうだ、一応僕は哲也の試合の応援に来てる事になってるんだっけ。哲也の計画がバレたのかと思って焦った。黒峰さんの登場で忘れるとこだったけど、さりげなく哲也を翼さんにアピールしてあげないと。
「スポーツ出来る人ってカッコイイですよね」
「そうだね~」
「僕なんか運動苦手だから羨ましいですよ」
「人には得意不得意ってあるじゃん。タカシは別のところで人より秀出てるんだからいいんだよ」
僕がフォローされてる!
「でもやっぱり、哲也みたいに練習した成果を試合で出せる人はすごいと思いますよ」
キャプテンでフォワードの名は伊達じゃない。今までほとんどの試合が哲也の得点のおかげで勝っていると言っても過言ではない。
「それはそうかも、やっぱプレッシャーがあると実力出せないからね。私も初めてのライブの時は声が裏返って恥ずかしかったよ」
翼さんでも緊張することあるんだ。初々しい頃の翼さんはきっと可愛かっただろうなぁ。
少しの間妄想した隙に、哲也はシュートを打って点を決めていた。仲間達からやたらと叩かれ、嬉しそうに笑っている。今のお前は最高に輝いてるぜぇ。
「翼さんは彼氏とかつくらないんですか?」
「なんだなんだ~? ついに私の魅力に気づいちゃったとか?」
さっきまでのやる気の無い表情はどこへいったのか、いつものニヤけ顔で迫ってくる。はだけた胸元が谷間をつくって、谷底へと視線を誘われた。
「そんなんじゃないですって。翼さんモテるのに、なんでかなって」
「タカシならいつでもおっけーだよ?」
そんな子犬みたいなつぶらな瞳で見つめられても僕は騙されません。
「真面目に聞いてるんです」
「私も大真面目なんだけどなぁ」
嘘ばっかり。どうせいつもそうやって男の人を取っ替え引っ替えしてるんでしょ。
「なんて言うか、私に近寄ってくる男ってほとんどが底の浅いやつらなんだよね」
「つまらない人ってことですか?」
「簡単に言っちゃうとそうなんだけど、体目当てというかさ」
あ~それはわかるかも。翼さんは見た目だけならその辺のモデルにだって負けないスタイルだし、常にフェロモンまき散らしてるからな。僕だって翼さんがビッチだって知らなかったら好きになってたかもしれない。
「その点タカシは良いよな~」
ほっぺたくっつけて擦りながら抱きつかないで下さい。暑いです。
「哲也とかどうですか? あいつチャラそうに見えて実は真面目ですよ。女性関係は特に」
哲也はサッカー部で茶髪であの性格だからいつもチャラく見られるけど、今まで彼女がいた時はずっと一途で大切にしてた。
でもやっぱり見た目のせいで浮気してるって誤解受けてフラれるのがほとんどだったけど。
「う~ん。確かにさっき点入れた時はカッコ良かったけど、どうなんだろうね」
これは脈アリなのではないですか!? 哲也の喜ぶ顔が目に浮かぶよ。
「しっかし暑いな~。タカシ、ちょっと飲み物買ってきてよ。おごってあげるから」
「え~」
めんどくさいなぁ。
「確かに暑いですね。喉がカラカラです」
二つ向こうの席で、黒峰さんがふぅと息をつきながらハンカチで汗を拭いていた。
「行ってきます!」
みんなから小銭を受け取り、一目散に自販機へと向かった。
「わかりやすいやつだなぁ」
後ろから翼さんが呟いたのが聞こえたけど、気にせず大股で進み会場を出た。
黒峰さんがお茶で美雪先輩が水に、翼さんが……なんであの人は運動してるわけでもないのにスポーツドリンクなんだよ。別にいいけどさ。
しかたなくポ○リとア○エリの両方を買って両手で抱え戻ろうとすると、前から哲也が走ってくるのが見えた。
「あれ? 試合中じゃないの? もしかしてレッドカードもらった?」
良いところ見せようとしすぎてやりすぎちゃったとか。
「ちげーよ! 今はハーフタイム。ちょうどお前が出ていくのが見えて、近況を聞きに来たんだよ」
目ざといやつ。ずっとこっち見てたんじゃないだろうな。
「良い感じだよ。翼さん、哲也の事カッコ良いって言ってた」
「マジでか!! やっぱなーそんな気がしたんだよ! 熱い視線ってやつ? 翼先輩から感じたよ!」
まぁそれは勘違いだけど。喜んでるみたいだしあえては言わないよ。
「お前の方は上手くいってるのか? せっかく黒峰さん誘ってやったんだから頑張れよな」
「そうなんだよ! 哲也はやれば出来る子だって知ってた!」
勢い余って哲也の肩を思い切り叩いてしまった。
「おっおう、喜んでもらえてよかったよ。んでさ、せっかくメンツも集まってるわけだし、このまま試合が終わってはいさよならってのももったいないから、みんなで飯でも食いに行かねぇか?」
ナイスアイデアです。今日は哲也が本当に神様みたいに見える。
「おっけーってことでいいよな。じゃあ俺は戻るから、みんなに伝えておいてくれよ!」
表情だけで僕の考えていることを読み取ったのか、哲也は足早に会場へと戻っていった。
試合を終えた後、早々と合流した哲也の提案どおり近くのファミレスに五人で向かった。
店内は昼のピークを過ぎたのか思いのほか空いていて、待つことなく席に案内される。
向かい合わせで六人がけのソファー席。窓側から通路側に向かって、翼さん、美雪先輩、哲也。反対側に黒峰さんと僕。素晴らしき席順。
みんな冷たいデザートを注文し、一段落したところで哲也が喋り始めた。
「いやー皆さん今日は俺の為に集まってくれてありがとう!」
「良かったな勝てて。せっかく応援に来たのにボロ負けされたらどうしてやろうかと思ったよ」
翼さんが頬杖をつきながら言った。負けたら何するつもりだったんですか。
結局試合は哲也達の圧勝。まぁでも、あえてそういう日を選んだんだろうから当然っちゃ当然か。
「いやぁホントに。まさか神崎先輩と城沢先輩も来てたなんて驚きましたよ」
わざとなのは分かってるけど、そういうのサラっと言えちゃうのがチャラいよ!
「あら、私もいますよ」
黒峰さんが前のめりになって存在をアピールする。そんな事しなくてもあなたのことは僕がちゃんと見てますよ。ふひひ。
「わかってるって。お陰様で快勝できたよ」
「どういうことかしら?」
首を横にかしげる姿が可愛い。髪が揺れて良い匂いがしてた。
「黒峰さんのことを好きな奴がいてさ、本人がいたら活躍してくれるんじゃないかと思って誘ったんだよ」
全部本当のことだけど僕達にしか分からない言い方。さすがです。
「そんな、私ごときに……ご挨拶だけでも出来れば良かったんですけど……」
「今度は直接連れてくるよ」
そいつはここです! あなたの隣にいますよ! 横で匂い嗅いでる変態です!
言い出せない自分に悶々としているうちに、店員が注文したデザートを持ってきた。
「あっそれウマそうっすね」
哲也が目をつけたのは美雪先輩が頼んだパフェ。意外とボリュームがあって女の子一人だと食べきれないんじゃないか。
「っそうかな、良かったら、食べるか?」
美雪先輩は自分が食べる前にアイスを一口分スプーンで掬うと、哲也の前に差し出した。
「いいんすか? じゃあお言葉に甘えて」
哲也は大きな口を開けて遠慮なくかぶりつく。
「うんま!」
どこかの芸人のように大げさに感想を述べ、美雪先輩は少しアイスの残ったスプーンを見つめた後、下を向いて無言で食べ始めた。
哲也はそれ翼さんにやらないと意味ないだろ。
ってか黒峰さんも僕にやってくれないかな。出来れば黒峰さんが舐めた後のスプーンで。間接チッス。
「タカシ、ほら、あ~ん」
案の定というか、翼さんがかき氷を僕の前に差し出した。
「い、いいですよ、自分のありますから」
「遠慮すんなって、ほらほら」
翼さんが身を乗り出してムリヤリ僕の口に運ぼうとする。みんなの前で恥ずかしいからやめて下さい。
「いらないなら俺がもーらい」
揺れて落ちそうになっていた所を、哲也が横から出てきてかっさらっていた。
「んなっ! お前の為にやったんじゃないよ!」
「食べ物は粗末にしちゃダメっすよ~」
向かい側で叩き合いが始まって、間に挟まれてる美雪先輩は顔を赤くして苦しそうにしている。そっちの席順は失敗だったかな。
やべ、黒峰さんの方チラチラ見てたら目が合っっちゃった。
「こっちの方がよかったですか? それなら」
あ~んと言いながら、ゼリーを落とさないようにもう片方の手を下に添えて差し出した黒峰さん。関節キスが出来るのはもちろんだけど、それ以上に興奮したのは、普段見えない黒峰さんの唾液で濡れた舌や口の中が見えたこと。これはエロい。
「あ~ん」
今度は素直に頂きます。こんなに幸せなことがあっていいんでしょうか。
「美味しいですか?」
「おいひいれふ」
母親が子供に尋ねる時のような優しい笑顔で言われ、ほっぺたも恋も落ちそうです。
「ちっ」
どこからか舌打ちが聞こえたけど気にしない。僕は今最高に幸せだからね。
「黒峰の事好きな奴っての、実は小林なんじゃないの?」
翼さんが突然分けの分からないことを言い出したと同時に、美雪先輩がスプーンを床に落として甲高い音が鳴り響いた。
「なっ何言ってるんスか神崎先輩! そんなわけないじゃないっすか!」
哲也が慌てて否定する。そりゃそうだ、黒峰さんのこと好きなのは僕なんだし、哲也はあなたのことが好きなんだし。
「だって普通に考えたらそうじゃん。好きな子を試合に誘って良いとこ見せて、その後一緒にご飯食べに行くとかさ」
なんでそんなところだけ冴えてるんだよ! 該当人物は違うけれど内容はバッチリそのままじゃん!
「そんなんじゃないですってほんとに!」
翼さんに誤解されたらアウトだぞ哲也。頑張れ!
「そうですよ。小林くんが私を好きなはず無いです。それに、私だってちゃんと好きな人いますから」
おぅふ……知ってはいたけれど直接黒峰さん本人から聞かされるのはさすがにキツイな……。
「その好きな人って、タカシじゃないよね?」
うおおおおおついに核心ついてきたこの人!
「ふふ、どうなんでしょうね」
それどういう意味ですか!? 期待しちゃっていいんですか!?
「神崎先輩こそ、平岡君のこと好きなんじゃないんですか?」
あ~それはないですよ。
冗談なのは分かってるだろうけれど、哲也が可哀想だから今はあんまり言わないで欲しいな。
ほら、ちょっとふてくされて、こより状に巻いたストローの袋に水滴垂らし始めちゃったよ。
「それはそうとして、もうすぐ文化祭ですね。私、みなさんにのライブとても楽しみです」
「ああそう」
翼さんがやる気なく返事をした。
どうしてそんな言い方するんだよ。せっかく普段あんまり絡みがないからって気を使って話題を振ってくれたんだろうに。
「バンドってカッコ良いですよね。私は楽器とか出来ないから、羨ましいです」
「たいしたことねぇよ」
だからもっと他にも言い方があるだろうに! 翼さんの素っ気ない態度のなんだか少しイライラしてきた。
「だっ大丈夫ですよ、僕もドラム始めたばかりの頃は、手足が思い通りに動かせなくてすっごい苦労しましたから。練習すれば黒峰さんだってすぐ出来るようになりますよ」
初めてこうやってちゃんと黒峰さんと話出来るんだから、僕が頑張らないと。
「今でもちゃんと叩けてない時あるけどね」
なんだ、今度は僕に標的を変えたのか?
「分かってますよ。だから練習してるんです」
「その割には最近ちょっと気が抜けてない? なんか別のこと考えながら叩いてるだろ」
確かに、ライブで黒峰さんが見てるのを妄想してる時はあるけども。
「別にいいじゃないですか。叩けてるなら」
「ドラムとしてちゃんと役割果たしてるならね。今はリズムがふらふらしてて合わせづらいったらないよ。今度からは打ち込みでも流しながらやる?」
は?
「翼、それは言いすぎ……!」
正直今のはちょっとカチンときた。
「だったら次からは僕抜きでやれば……!「「いやぁ! 二人ともバンドに対してアツ~イ思いがあるんだな! 俺も試合中は頭に血が登って相手の選手と喧嘩しそうになったことあるけど、そういうのはやっぱ本気でやってるから湧いてくる感情なんだろうな」
勢い余って立ち上がろうとしたところに、哲也がうんうんと一人唸りながら割り込んできた。
何やってるんだ僕は。自分で空気悪くしてるじゃないか。
「その気持ち私も分かります。会議とかで相手と意見がぶつかってしまうと、ついつい声を荒げてしまうことがありますし」
哲也と黒峰さんのおかげで、なんとか気まずくならずに済んだ。けれど、さっきの翼さんの発言は許せない。
「神崎先輩はどうしてバンドをやろうと思ったんすか?」
「……私、昔はこれでも結構荒れててさ」
これでもって、見た目通りだけど。素直に答えるあたり少しは反省してるみたいだ。
「その時ちょっと失敗しちゃったことがあって、ジイさんすっげぇ悲しい顔しててさ。怒ってるはずなのに、私のことは一切責めなかったんだ。その時、なんか悪いことしちゃったなって罪悪感すっごい感じて」
あの温厚そうなお爺さんが怒ることがあったんだ。翼さん何やったんだよ。
「そのあと突然ギター一本買ってきて、お前はこれ弾いて歌でも唄えって。わけ分からないだろ」
それを聞いて美雪先輩がクスっと小さく笑った。二人はその時既に知り合いだったんだよな。ってことは当時何があったかも知ってるのか。
「やっすい罪滅ぼしで始めたんだよ。そのことを美雪に話したら次の日ベース持って家まで来て、バンドやるぞって。私の周りには訳の分かんないやつしかいないよ」
話してるうちに、翼さんのさっきまでの不機嫌そうな表情は和らいでいき、何か思い出したのか顔を赤らめながら恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。美雪先輩も口を押さえて笑いを堪えている。
「だ~もう! なんでこんな話しなきゃいけないんだよ!」
「なんだかドラマみたいで素敵ですね」
「そんないいもんじゃないって」
言ってることは変わらないけど、照れたような声色と少しむくれ顔になっているのが可愛く見えた。
「私も何かやりたかったな。裏方の仕事が嫌いってわけじゃないんですけど、やっぱりステージに立ってる人を見ると羨ましくなっちゃいます」
「あーそれ分かるわ。神崎先輩たち見てるとカッコ良いもんなぁ。俺もなんか楽器やろうかな~」
ソファーに寄りかかってズルズルと滑り落ちていく哲也。
「ベース、とか、どうだ?」
美雪先輩が珍しく自分の楽器を人に薦めてる。あんまり普段はそういうこと言わない人なんだけどな。
「ベースっすかぁ。うーん、なんか違うんすよねぇ、どっちかっていうと、ギター持って前で暴れたいなぁ。神崎先輩みたいに」
「おっ! 小林もフロントマン志望?」
ほんと翼さんは気分屋だよ。もう機嫌直ったのか。
「そうか、やっぱりベースは地味だよな……」
頭をガクリと下げてうなだれる美雪先輩。そんなに落ち込まなくても。リズム隊同士頑張りましょうよ!
「そうだ崇、お前今度、黒峰さんを楽器屋に連れて行ってあげろよ」
「え!?」
「黒峰さんも興味が持てる楽器があるかもしれないだろ?」
僕は全然構わないというかむしろ嬉しいこと限りないけど、それってまさか、デートってこと!?
「私、そういうところに行ったことないので、ぜひ行ってみたいです」
「行きましょう!」
いよっしゃああああ! 哲也様ありがとう! アイコンタクトで精一杯の感謝を送ると、哲也は照れくさそうに笑った。
結局、ファミレスでの会合は哲也の素晴らしいアシストにより黒峰さんとのデートを取り付けるという大勝利に終わる。
その後は五人で地元の駅まで一緒に戻り、それぞれバラバラで帰宅路についた。
黒峰さんとのデートに胸を膨らませながら自宅までの道のりを意気揚々と自転車を漕いでいると、ケータイが鳴って翼さんが不機嫌そうに言った。
「……今日、個人レッスンな」
また? と思いながらも、なんだかいつもと違う翼さんが気になって途中でルートを変更して家へ向かった。
家に着く頃には既に日が落ちかけていた。玄関は通らずにそのまま庭に向うと、翼さんはさっきと同じ格好で縁側に座っていて、下を向いて地面を足でほじくりながら待っていた。
「で、今日はなんなんですか?」
初めて翼さんに個人レッスンだと言われて家に来た時はそりゃもう緊張した。会って間もない頃に、こんな美人と二人っきりだなんて。あの時は個人レッスンっていう響きにそこはかとなくエロい響きを感じていたさ。けど蓋を開けてみたらそんな扇情的なことは何もなく、バンドマンとしての心構えとやらを延々と聞かされた。
僕らがレッスンと言ったら普通は楽器の練習になるんだろうけれど、ここでは往々にして翼さんのお説教、もしくは相談ごと。
「あー、うん。ちょっと聞いておきたいことがあって」
「なんですか?」
「タカシさ、黒峰の事、好きだろ」
「ええ、まぁ」
別に僕は好きな人がいることを隠しているわけじゃないし、態度で分かってしまうのだろう。
「それがどうかしましたか」
「どうかしたってわけじゃないんだけど」
いつになく歯切れが悪い。いつもの暴君の翼さんはどこへいったやら。
「何て言うかさ。あいつは、やめとけ」
小さい声で聞こえるか聞こえないかギリギリの声量だった。
「どうしてですか?」
「どうしてってそりゃあ……どうしてもだよ」
今まで翼さんが僕の恋路について口を出したことはなかった。
っていうか、どうしてもってなんだよ、意味が分からない。そんなよく分からない感情で、僕の意志は変わらない。おおかた、僕と黒峰さんがデートするのが気に入らないだけだろう。僕は翼さんのおもちゃじゃない。
いつもなら理不尽な要求に対しても受け入れてしまうけれど、初めて好きになった人をそんな簡単に諦めろだなんてそんな馬鹿な話があるか。
「嫌です」
「頼む」
「嫌です」
「どうしても?」
「どうしてもです」
「胸触らせてやるから」
「いつ僕が触りたいだなんて言いましたか」
「じゃあ揉んでもいいよ」
「そういう意味じゃなくて……」
「私がこんなに頼んでるのにダメなの?」
「ダメです」
「私がいるじゃない」
「こんな時に冗談はやめて下さい」
「冗談じゃないよ」
「ちゃんと理由を言ってくれないと分かりません」
「それは……」
少し待ってみても、次の言葉は出てこない。やっぱりただの嫌がらせじゃないか。
「一方的に人の感情に踏み込んできておいて、その理由が何となくなんてバカですか」
顔を上げ鋭い目付きで睨む翼さんと視線が交差し、一瞬、空気が張り詰める。ちょっとキツい言い方になってしまったのは自分でも驚いたけれど、きっとまだ心のどこかでさっきのファミレスでの事が引っかかってたんだと思う。
「人の恋路を邪魔するなってことです」
「邪魔なんてするつもりない!」
翼さんは勢い良く立ち上がり声を荒げた。
「邪魔しようとしてるじゃないですか。今日だってそうですよ。翼さんが黒峰さんの事をあんまり好きじゃなさそうなのはなんとなく分かりましたけど、だからってそれをあからさまに表に出さなくてもいいじゃないですか」
「私は……お前の為を思って……!!」
「話がそれだけならもう帰ります」
「ちょっ、まだ終わってない!」
鞄を抱えて玄関へと向かうと後ろから翼さんが追いかけてきたけれど、僕は振り返ることなく自転車に乗ってその場を後にした。
あれから翼さんとはほとんど会話をしていない。バンド練習で一言二言交わすことはあっても、必要以上には喋らなかった。
人間関係は不思議なものだ。昨日まであったものが突然なくなっても、気付かないふりをしていれば何も変わらない。きっと、こういうことが上手くなったら大人になるんだろうな。
まぁそれはそれとして、本日は黒峰さんと二人でデートなのです。
「それじゃあ平岡くん、行きましょうか」
「はっはい!」
放課後、昇降口で待ち合わせをして自転車の後ろに黒峰さんをお姫様のように乗せた。
近くを通り過ぎる男子生徒の野次のようなヒガミのような声が聞こえる。
「危ないからちゃんと掴まっててくださいね」
「はい」
腰に回された手がくすぐったい。
キューティクル抜群の髪がサラサラと風になびき、シャンプーの良い匂いがした。女の子ってすごい。
やばい、緊張してさっきから汗が止まらない。頭のてっぺんから毛根の防波堤なんかお構いなしに滝のように流れてくるのを、気付かれないようにペダルを思い切り漕いで学校を出た。
「平岡君とこうして二人だけでどこかへ出かけるのって初めてですね」
「そそ、そいえばそすよね」
舌が上手く回らない。普段から聞き取りづらいとは言われるけど、今は自分でも何言ってるか分からないな。
「ふふっどうしたんですか? 普段通り喋ってくれていいのに」
「うっうん、それもそうで……だよね」
くっそ、この前までは普通に喋れたのに。
「平岡君は、いつからドラムやってるんですか?」
「え? えーと、確か、中一の時です。その時好きだったバンドのライブDVD見てたら無性にやりたくなっちゃって、タウンページで近くのスタジオ探してとりあえず行ってみたんです。もちろん楽器は何も持ってなくて、そこに置いてあったドラムを見よう見まねで叩いてたらいつのまにか個人練習するようになってました」
なんか自分の事だとスラスラ言えるな。
「へ~、平岡君って意外と行動的なんですね」
確かに今思えばそうかもしれない。相当暇だったのか、溢れる中学生のリビドーを抑えきれなかったのか。っていうかタウンページってなんだよ。ネットで調べろよ過去の僕。
人の流れに乗るように同じ方向へ進んで行くと、ほんの数分で目的地へ到着し、自転車を駅前の適当な所に停めて一階が開け放たれたビルに入った。
「すごい……! 楽器ってこんなに種類があるんですね!」
楽器屋の入り口には様々な種類のギターが所狭しと並べられている。
目を輝かせながら店内を歩きまわる黒峰さん。楽しそうで良かった。
しばらくして、数歩後ろを歩いていた僕に気付いた。
「あ、私ったら自分ばっかりごめんなさい」
「全然大丈夫ですよ。気に入ったものはありましたか?」
「う~ん、これだけ種類が多いと迷っちゃいますね」
困ったような表情が可愛い。
「じゃあ、とりあえず上に行きましょうか。そこに打楽器関連のものが置いてありますので」
「はい」
階段を登って行こうとする僕を追っていそいそと着いてくる。二階に上がると、照明に照らされて輝くシンバルがお出迎え。僕らはスティックが置いてある棚まで行き、お目当てのものを探し始めた。
「たくさんありますけど、これも全部違うんですか?」
しゃがんで選んでいる横で黒峰さんが前かがみになって覗いてくると、白いブラが少し見えた。純白頂きました。
「はい。大きく分けて、長さと太さ、先端と材質が違います。簡単に言うと、長くて太く重いものはパワープレイ向けで、短くて細くて軽いものは繊細な動きがやりやすいですよってことです」
あれ、よく考えたらスティックって卑猥だな。
黒峰さんは違う種類のスティックを持って比べてみてはいるものの、いまいち違いが分かっていなさそう。使ってみないと分からないよな。
「う~ん。全部同じに見えます。こんな小さなもので違いが出るなんて、ドラムって難しそうです」
「試しに叩いてみますか?」
たしかここは試演用に電子ドラムが置いてあったな。
奥まで連れていくと、黒峰さんは興味津々で平べったいメッシュの打面を撫でるように触ったり、こんなので音が鳴るの? といった様子で指で弾いたりしている。
「はい。叩く強さによって音量が変わったりして最近のは結構優秀なんですよ。じゃあ一回僕が叩いてみるんで見てて下さい」
椅子に座って演奏用のスティックを取り、簡単なエイトビートを叩く。
「あ! それぐらいなら私にも出来そうです!」
席を譲ってスティックを手渡すと、勢い良く腕を振り始めた。
「あれっあれ?」
意気揚々と両手両足を動かしてみたものの、一昔前のロボットみたいになってる。
「出しゃばってすいませんでした……」
落ち込んだ様子でスティックをきちんと揃えて返してきてしょんぼりして、可愛いなぁ、頭なでてあげたい。
「慣れないうちはしょうがないですよ」
「手足をバラバラに動かすのって難しいんですね」
「う~ん、これは僕の場合だけかもしれないんですけど、あんまりバラバラに動かしてる感覚はないんですよ。交互にっていうか、四本の手足で一緒に叩くところは一緒で、別々の所は別々に叩くというか」
「ううん?」
さらに分からなくしてしまったか。
「う~ん。分かりました。じゃあ私、これ買います。それで自宅で練習します」
「ええ!?」
衝動買いすぎじゃないですか!? 置く所あるの!? ってかお金は!?
黒峰さんは店員を呼んで少し話をした後、レジへと向かい財布からきらびやかなカードを取り出していた。
さすがお嬢様は思い切りが違うな……。
しかも電子ドラムはなんとそのままお持ち帰り。店員も驚いて何度も確認していたが黒峰さんの押しに負けて、紐で何重にも巻いてやっとのことで一つにまとめ上げてくれていた。
黒峰さんが歩きながら自転車のハンドルを持ち、荷台に乗せたでかい箱を僕が支えながら黒峰さんの家までやってきた。
「やっと着きましたね」
「そうですね……」
何度もバランスを崩しそうになってその度に全身の力を使って食い止めた。
「ごめんなさい、わざわざ家まで運んでもらってしまって」
「いえ、いいんですよ……」
確かに死ぬほど疲れたけれど、黒峰さんの為なら火の中水の中どこだって行きますよ。
「ありがとう。せっかくだから上がっていって下さい」
黒峰さんの家は大きな一戸建て。外装も中も新築のように綺麗で生活感を全く感じさせない。
「どうぞくつろいでて下さい。私は冷たい麦茶入れてきますね」
居間に通されると巨大なテレビがお目見えし、ふかふかのソファーに腰を下ろした。少し経つとクーラーが効き始めて汗がどんどん引いていく。涼し~。
良い家だなぁ。うちの狭い団地とは大違いだよ。
「お待たせしました。どうぞ」
「あ、ありがとうございま……す!?」
戻って来た黒峰さんからガラスのコップを受け取ろうとすると、水滴で濡れていてきちんと掴みきれずこぼしてしまった。しかも股間の部分に。縮みあがる。
「ごめんなさい私ったら! 今タオルを持ってきますね!」
黒峰さんは慌てて部屋を出ていって、すぐに白くて清潔感のあるタオルを持ってきて申し訳なさそうに拭き始めた。
ソファーに座っている僕は足を開いた状態。その前に跪くようにして一生懸命拭いてくれるのはすごいありがたいんだけど、場所が場所だけにちょっと恥ずかしい。
「あ……」
まずい! 息子が元気になってきた!
「ふふ……」
手をとめて不敵に笑ったかと思うと、黒峰さんはおもむろに立ち上がり僕を押し倒して馬乗りになるように覆いかぶさってきた。
「え!? え!?」
何が起きているのかさっぱり理解できない。黒峰さんの雰囲気が急に変わり、体温が上がったのか、色気というか、女の人の良い匂いが鼻をつく。
「驚いちゃって可愛い。どうせこういうこと期待してたんでしょ?」
いつもの黒峰さんの笑顔はそこになく、まるでエロ本に出てくる痴女のように蕩けた顔をしている。
「どっドドドドどうしたんですか急に!?」
「どうしたってどういうことかしら? 男と女が同じ部屋にいたら、することなんて一つしかないでしょう?」
これ本当に黒峰さん? 普段の彼女だったらこんなこと絶対にしないし、言うはずがない。
「学校での私と違うって思ってるでしょ。残念、あれはそういう人間を演じているだけ。おかげで肩こっちゃうわ」
自分の肩をポンポンと叩いて疲れたようにため息をつく。
「じょ、冗談ですよね? ははは。きっと、哲也か誰かに頼まれて、しかたなくドッキリみたいなことしてるんだ」
そうだ、きっと罰ゲームか何かで無理矢理やらされてるんだ。哲也のやつ、いくら僕らをくっつけようとしてるからって、黒峰さんにこんなことさせるなんて許さないぞ。今度あったら叱らないとな。
「何を言っているのかしら。これは私がしたくてやっていることだけれど。あぁ、童貞が無理矢理奪われた瞬間の表情を想像しただけでゾクゾクしてきた」
光悦な表情を浮かべながら体を震わせる。ど、童貞とかそんなことあなたが口にしちゃダメだよ!
「僕が童貞だってなんで知ってるんですか!? ってそうじゃなくて、黒峰さん、一旦落ち着きましょう。ね?」
体を芋虫のように動かして抜けだそうとしても、強くガッチリホールドされているのでどうにも動かない。
「逃さないわよ。あなたみたいな純粋そうな子の幻想を打ち砕くのって最高に気持ちいいんだから」
「っひ!」
頬をペロリと舐められた。
嘘だ、こんなの黒峰さんじゃない。僕の知ってる黒峰さんはもっと可憐で純粋な人だ。こんな誰かさんみたいなビッチじゃない。いや、ビッチ具合で言ったらあの人の方がマシだ。翼さんは決して嫌がるような事をする人じゃない。
「黒峰さん、こんなの良くないって、やめましょう?」
僕だって思春期の高校生。エロ本だって読むし想像もする。けれど、こんな展開望んでない。初めてはもっとロマンチックで、海の見える家でって決めてるんだ……。
「だぁめ。今逃げたら、私がレイプされそうになったって校内中に言いふらすわよ。委員長で先生の評判も良い私と、童貞で精子臭いあなた。みんなはどちらを信じるかしらね。もちろん、逃げなくてもこのことを誰かに言ったら……」
情けないことに、こんな時でも元気な息子を思い切り掴まれた。
「ひっ!」
「ほらほら、もうすぐ可愛い可愛いあなたの分身が顔を出すわよぉ」
片手でチャックを降ろされ、パンツのボタンを外そうと股の間で指が動いている。
もうダメだ……きっと僕はここで美味しく食べられちゃうんだ。そして終わったらゴミのように捨てられて、女性不信になった僕はきっと彼女も出来ないだろうな。さようなら僕の青春。さようなら僕のDT。
諦めて全身の力を抜くと、タイミングよく玄関でチャイムが鳴った。
「ちっ誰よ今いいところなのに。あなた、声出したらちょん切るわよ」
白い歯をむき出しにしてカチカチと音をたてる。
もう一度チャイムが鳴り、しばらくして留守なのが分かったのか、人の気配はなくなった。
「さぁて邪魔者はいなくなった。続きを始めるわよ」
黒峰さんは再び僕の股間に手を伸ばしてイチモツを掴もうとする。ばいばい、マイサン……。
「くぉらウチのタカシに何してんだー!!」
突然聞こえた罵声が耳を駆け抜ける。声がした庭の方を振り向くと、翼さんと美雪先輩がガラス越しに見えた。
「うそ……どうしてあなたがここにいるの……?」
二人を見た黒峰さんは見るからに動揺し始めて力が緩み、僕はその隙に抜け出した。
「タカシ、大丈夫!? まさか私の童貞奪われたりしてないよね!?」
あなたのじゃないですけども! 幸い窓の鍵は開いていて、中に入ってきた翼さんが僕を起こしてくれた。
「よしよし、怖かったよね。私が来たからもう大丈夫だよ」
翼さんの豊満な胸に抱かれ、頭を撫でられた。救われた安心感からか、不覚にも涙が出てしまった。
黒峰さんはよろよろと足取りのおぼつかない様子で美雪先輩の方へと向かって行き、まるで浮気がバレた恋人のような言い訳をし始めた。
「こっこれは、違うのよ、誤解しないで欲しいのだけれど、彼とはまだ何もしていないわ。本当よ、信じて」
「なっなぜ私に言うんだ」
「だって私、あなたに嫌われたら生きていけない……!」
「どっどういう意味だ?」
その言い方だと、まるで……
「あなたのことが好きなのよ!」
僕と翼さんは同時に顔を見合わせた。
「えっと、その好きっていうのはつまり、先輩としてってことだよな……?」
「それもありますけど、一人の女性としても、です!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。私は確かに女だが、君も女だ。言ってること、分かるよな?」
こういうのなんて言うんだっけ。
「百合か」
あぁ、それです翼さん。
「分かっています。でも、私にとって性別なんて関係ないんです。あなたを初めて見た時からずっと気になっていて」
「だって君は今、崇君を襲うとしていたじゃないか。それはどう説明するんだ」
そうなんですよ、ついさっきまで僕の貞操は崩壊寸前でした。
「男の人とは体だけの関係です。挿すか挿されるか、本当にそれだけです」
そんな殺るか殺られるかみたいな言い方。僕の十七年間積み上げてきたものが一瞬にして消え去るところだったんですよ。
「……分かった、一旦落ち着こう。正直、突然すぎて頭がついていかない。この返事は後日……ってことでどうだ?」
「嫌よ! 先延ばしになんかしたら、絶対うやむやにされるわ! そしたらあなたも、何事もなかったかのように私を無視し始めるんだわ……」
黒峰さんは涙を流しながらその場にへたり込んでしまう。
美雪先輩は腕を組んで少し何か考えたような仕草をした後、大きく深呼吸をしてから言った。
「翼に崇君、悪いんだが、ちょっと二人だけにしてもらえないだろうか」
「そうだね。美雪、後は頼んだ!」
またこの人は面倒くさそうだからって即答して。
「ほらタカシ、行くよ」
翼さんに腕を掴まれて強引に玄関まで引きずられていった。
人生何があるかわからない。僕は、自分がいつの間にか失恋していたなんてことすっかり忘れていた。思い出したのは帰り道、暗闇の中を翼さんの自転車の後ろに乗っている時だった。
「あんまり落ち込むなよタカシ」
「はい……」
翼さんは夜風を気持ちよさそうに浴びながら軽快にペダルを漕いでいる。
「この世にいる女が全員タカシの事を嫌いになっても、私が守ってやるからさ」
男としてこんな事言われるのはどうなんだろう。いや、少しも男らしくないのは分かってるけど。
「それあんまりフォローになってないですね……でも確かに、今日助けに来てくれた時は格好良かったです」
「でしょ!? いやぁ、我ながらナイスタイミングだとは思ったんだよね~」
あの時翼さんが来てくれなかったら、僕は今頃ビクンビクンしてただろう。エロ同人誌みたいに。
「それと、この前はすいませんでした。翼さんは、黒峰さんがああいう人だって知ってたから止めようとしてくれたんですよね?」
あの時の個人レッスンを思い返すと、翼さんが必死になっていた理由がやっと分かった。黒峰さんがビッチだったってことを、きっと同じ匂いで分かってたんだろうな。
「あぁ、うん。それもあるけど、やっぱりタカシが万が一にでも誰かのモノになっちゃうのが嫌だったんだよ」
万が一って酷いな。
「どうして翼さんはそんなに僕のこと気にかけてくれるんですか?」
初めて会った時、僕を部活に誘った時からずっとこんな調子。僕をからかってるようで何かと世話を焼いてくれるし。何か理由があるのかずっと気になってた。
「どうしてって……う~ん。可愛いからだよ」
「ごまかさないでください」
「ごまかしてるわけじゃない。私はタカシのことを本当に可愛いと思ってるんだよ。可愛いものが好きなのは女の子として当然でしょ?」
僕はぬいぐるみですか。
「可愛くて気になって、ずっとそばにいて欲しいって思うそれはもう恋じゃない」
「それはそうですけど……」
なんだか今すごく恥ずかしいことを言われた気がする。恋って、まさか翼さんの口から聞くとは思わなかったよ。男なんてただの快楽の道具にしか見てないのかと思ってた。
「タカシを初めて見た時は、なんだか可愛いやつだなって思うぐらいだったんだ。だけど、お前の真剣にドラム叩いてる姿が妙にこう、胸の奥をくすぐったというか」
演奏中は派手に暴れたりして僕の方なんか見ていないと思ってたのに意外だ。
「ふふふ~、照れちゃって可愛いな~。お願いだから私と一緒になってよ~」
またそれですか。
「ちょっと考えさせて下さい」
自分で言っといてビックリした。今まで同じようなことを言われてもサラッと流してきたのに。ピンチの時にヒーローが助けに来てくれたお姫様の気持ちが分かった気がした。吊り橋効果?
「オッケ~。返事待ってるわ」
「……驚かないんですね」
「私はいつも本気だからね。冗談でこんなこと言ったりしないよ」
なんでこの人はこんなにもカッコ良いんだ。自分の思ってることをそのまま口に出来るなんて僕には到底出来ない。
しかも結局そのまま家まで送ってもらってしまった。自転車に乗っている間、翼さんの胸が手に当たって幸せだった。それになんだか、汗の匂いに混じって良い香りがした。
◆
冷静にこの前のことを考えてみたら、僕はとんでもないことをしてしまったんじゃなかろうか。
だって翼さんの事を好きな友達がいて、それの応援をしていたはずなのにいつの間にかその人からの告白の返事を待たせるような形になってるし。それに加えて、文化祭へのモチベーションも下がりっぱなし。そりゃそうだ、今までは黒峰さんに良いところ見せようとして頑張ってたんだから。黒峰さんの好きな人が美雪先輩だったなんていろんな意味で勝ち目ないじゃないか。
翼さんは僕の事を気に入ってくれていて、僕は黒峰さんの事が好き(だったというかなんというか)で、黒峰さんは美雪先輩のことが好きで、哲也は翼さんの事が好きで……なんだこれ。分けわかんなくなってきた。
登校中にそんなことを悶々としながら考えていたら、翼さんが軽快なステップを踏みながら合流した。
「ようタカシ~、お前は今日も可愛いなぁ」
「ちょっそんなに顔くっつけないでください」
汗がつく……と思ったら、化粧のせいかすべすべしていた。
「なんだよつれないなぁ、これでも彼女候補なんだからもっと優しくしてくれよ~」
「だからそういう事をこんなところで言わないで……!」
哲也に聞かれたらやばいんだから。あとでちゃんと順を追って説明すればきっと分かってくれるはずだけれど、そこだけ切り取って聞かれたら絶対誤解される。もし今のが聞かれてたら、
「彼女候補ってどういうことだよ……?」
って言うに違いない。
え?
哲也はいつの間にか僕らのすぐ前を歩いていた。他の生徒に混じって気付かなかった。
「こ、これは違うんだよ、いつもの翼さんの冗談で」
「そうだよ~。タカシってばあろうことかこの私の告白を、考えさせてくださいなんて言いやがったんだ。だから今は返事待ち~」
終わった。僕は今、友達を一人失ってしまう。
「そうか、そういうことかよ……」
そう一言だけ言い残すと、哲也は僕を問い詰めることなくその場を立ち去ってしまった。
「なんだあいつ、無愛想なやつだな」
当たり前だよ。僕は親友を裏切ったんだから。でも、それについて翼さんを責めるのは間違ってる。もっと他の方法でちゃんと伝えていたら、今みたいなことにはならなかったんじゃないだろうか。
いや、どんなふうに言ったって結局は変わらない。僕は哲也を傷つけてしまったという事実が残るだけだ。
教室でも僕らは言葉を交わすことはなかった。このままじゃいけない。
昼休み、哲也に謝罪も含めてちゃんと説明しようと声をかけた。
「哲也、あのさ、今朝のことなんだけど……」
「神崎先輩と良い感じなんだろ。良かったじゃないか」
一切感情を込めていない言い方で、話すことなんて何もないと言った様子で教室を出ていってしまった。
自分が悪いのは分かってるけど、やっぱり辛い。
「あの……平岡くん、暗い顔してどうしたの……?」
その場に立ち尽くしていると、黒峰さんが心配そうに話しかけてきた。
黒峰さんとはあれ以来喋ってないから正直言うとちょっと気まずい。だって好きな人に襲われかけたんだ。そりゃトラウマにもなりますってからに。
「うん、まぁ、その」
でもまぁそれ以上に、哲也との事の方がどうしたらいいか分かってない。
「もしかして、私のせい……?」
「え!? いやいや違うよ、黒峰さんは関係ないよ」
全く無関係と言ったら嘘になるけれど、きっかけがたまたま黒峰さんだったってだけだ。彼女は何も悪くない。
「そう……」
僕は今のあなたの方が心配です。今までみたいな屈託のない笑顔はどこへいってしまったんだろう。あれが本当の黒峰さんじゃなかったとしても、それに癒されていたのは事実なんだから。この前、僕と翼さんがいなくなった後に美雪先輩とどういう会話をしたのか気になったけれど、それは今聞くべきじゃないな。
「平岡くん、お願いがあるんだけど……」
「うん?」
「今日も放課後に練習あるんだよね? 私、見に行ってもいいかなぁ……?」
全然いいですよ。とはハッキリ言えない。翼さんはともかく、美雪先輩と何があったか分からないのに二人を会わせていいものだろうか。
でもここで僕が断ってしまったら、彼女はきっと今以上に悲しむだろう。そんなのは嫌だ。
「うん、いいよ。二人には僕から言うから、授業が終わったら一緒行こう」
「ありがとう……!」
黒峰さんの表情に少しだけ明るさが戻った。良かった。
胸に重りが付いてしまったようなスッキリしない気持ちで午後の授業を消化して、黒峰さんと二人で第二音楽室へ向かった。
中へ入ると、翼さんと美雪先輩はすでに演奏の準備を終えていた。
「遅いよタカシ~! 待ちくたびれて疲れちゃったよ~って、後ろにいるのは……?」
翼さんは、僕の背中に隠れるようにくっついていた黒峰さんを見つけると眉をひそめた。
「うん、黒峰さんには一回ぐらい見てもらった方が文化祭の運営もしやすいかと思って」
これが今の僕に出来る精一杯の建前。
「……崇君がそう言うならいいんじゃないか」
美雪先輩は嫌な顔ひとつしないで了承してくれた。翼さんも、美雪がいいならいいんじゃんと言って深く追求してくることはなかった。二人とも良い人だ。
黒峰さんにはソファーに座って見てもらうように言うと、ペコリと二人に頭を下げ、何も言わずに腰掛けた。
「それじゃあ、三曲目のやつからやるか」
「へーい」
「はい」
演奏中、正直言うとあまり集中出来なかった。哲也との事、翼さんとの事、黒峰さんとの事。
色んな事がいっぺんに起きすぎて、何から対処したらいいか分からない。
翼さんはある程度放っておいても大丈夫なはずだ。黒峰さんは、美雪先輩との関係がいまいちよく分からないので保留。となると、やっぱりまずは哲也の事。
哲也は、僕が高校に入ってから友達が出来るか不安だった時に、初めて話しかけてきてくれた人。いきなり声をかけられたので驚いてしどろもどろになっていたけれど、哲也はいつもの軽いノリできてくれたから安心して話せた。
そこから哲也繋がりでどんどん友達が増えていって、僕が心配していたものはほとんど消えていった。
哲也がいなかったら、大げさかもしれないけれど今みたいに学校に通い続けていられたか分からない。
まだ一年半しか一緒にいないとは言え、僕の中では既に一番の親友。だからこそ、その親友を裏切ってしまった自分が許せない。
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら叩いていたら、演奏にもそれが出てしまっていたらしい。二人は合わせづらそうに身体全体で無理矢理リズムをとっていた。
「お前ら、ちょっといいか」
野太い声と扉が開く音が同時に聞こえたかと思うと、いきなり担任の田中が現れた。
美雪先輩が手を上げて演奏を止めるような素振りをする。
「なんでしょうか」
「あ~、いや、なんだ。さっき嫌な知らせが入ってな。調べに来たんだが」
無精髭を生やしたアゴを触りながら辺りを見渡す田中。
「なんなんだよ。練習中なんだから邪魔すんなよな」
翼さんがお決まりの文句を浴びせる。確かにその通りだとは思ったけれど、ここに教師が来ることは滅多にない。きっと余程のことなんだろう。
「あ~、一応聞くが、お前らタバコなんて吸ってないよな?」
「はぁ!? なんだよそれ!?」
予期せぬ田中の発言に暴れだしそうになる翼さんを抑えつつ詳しく話を聞くと、ついさっき職員室に生徒から、第二音楽室からタバコの臭いがすると通報があったらしい。事実確認ということで田中が向かわされたと。
「吸った後の臭いも煙もないけど、念のため荷物確認するからな」
「ふざけんなよ! そんなの持ってるわけねぇだろ! 私達を疑ってんのか!?」
「翼」
言うとおりにしろと言うような目配せをする美雪先輩。
そうだ、僕らはそんなことはしない。やってないならやってないで、堂々としてればいいんだ。
「ほら、みんな鞄出して。さっさと終わらせるぞ」
「ちっ」
田中もどうやら最初からただの勘違いだと思っているらしく、めんどくさそうに一人ひとりチェックしていった。中を詳しく調べようとはせず大雑把に一回か二回見るだけ。
「あ~、黒峰くん、君は部員じゃないけど、一応調べるからね」
「あっはい」
心配そうに事を見つめていた黒峰さんにもチェックは入った。まぁでも、黒峰さんがそんなのも持っているはずない。
「あちゃ~……これはまずいな……」
「うそ……! 私こんなの知らない! 何かの間違いよ!」
二人のやりとりにまさかという思いでそばまで行くと、田中の手には長方形の箱が握られていた。
「本当に知らないの! こんなもの吸ったことないし買ったこともない! 本当よ! 信じて!」
動揺する黒峰さんは力強く田中に迫り、助けを求めるように僕らを見た。
田中も対応に迷っているのか、頭をかいて唸っている。
「黒峰さんはこんなものを持つような人じゃない。それは先生、担任のあなたが一番分かっているはずです」
「城沢先輩……!」
一番に否定したのは美雪先輩だった。
「まぁ、俺もそう思うんだけどね……でも、出できちゃったものは教師として見過ごすわけにはいかない。頭の良い君達なら言ってること、分かるよね」
田中の言い分としては、担任として黒峰さんがどういう学校生活を送っているかは十分知っている。そんな彼女がタバコなんて持っているはずがないと分かっている。が、一教師としてこの事実をなかったことには出来ないということだろう。両方の立場から見ても理解のある判断だとは思う。
「凛君、落ち着け。ここにいる誰も君を疑っている人なんかいない。君の言った通り、これは何かの間違いなんだろう? だったら私達はそれを信じるさ」
「せん……ぱぃ……!」
黒峰さんは涙を流しながら美雪先輩に抱きつき、先輩はそれを嫌がることなく受け止めて優しく頭を撫でた。
「そういうことだから。一応、職員室まで一緒に来てくれるかな」
「はい……」
頬をつたう涙を拭いながら美雪先輩から離れ、寂しそうに出ていく黒峰さんが心配で後を追おうとすると、みんなで行くと逆に怪しまれると言う翼さんの珍しい提案に従うことにした。
「大丈夫ですよね……?」
頭では分かっていても、やっぱり心配になる。
「大丈夫。私が保証するよ」
今の言葉を聞いて、二重に安心した。この前の二人の会話が悪いものだったら、今の美雪先輩からこんなセリフが出てくるはずがない。
「ちょっとビッチなだけで悪いやつじゃないしな」
黒峰さんもあなたにだけは言われたくないと思いますけど。
あれから密かに職員会議が開かれ、今回のことについての処分が話し合われた。
黒峰さん個人としてはお咎め無し。教師陣の誰もが彼女を擁護し、これは誰かのイタズラだろうということになった。日頃の行いが良いとはまさにこのことだ。
しかし学校として、生徒からの通報があり、かつ物的証拠が残ってしまっている以上何かしらの罰は与えなければならない。
結果、一緒にいた僕らと、彼女がライブの担当だったことから、僕らの演奏枠が取り消された。
つまり、文化祭でライブが出来なくなった。
「くそー! 納得いかねぇ!」
翼さんは扉や壁を蹴って怒りまくっている。僕ら四人は再び音楽室に集まっていた。
「私のせいでごめんなさい……」
「お前のせいじゃないっしょ。センコー達だってそう言ってるんだし」
その通りだ。黒峰さんはなにも悪くない。きっと誰かにハメられたんだろうというのが僕らの共通意見だった。
「だが、いったい誰がこんなことをしたんだろうか。イタズラにしては悪質すぎる」
確かに。たまたま標的が黒峰さんだったから罰を免れたものの、僕や翼さんだったらどうなっていたか分からない。
「知らない間に鞄に入れられていたってことでいいんだよな?」
「多分、そうだと思います。お昼にお弁当を食べた時には入っていなかったので、入れられるとしたらその後だと……」
僕と話した後ってことか。だとしたら、やられたのは五時間目から六時間目の間ってことになる。
「なんだよ、じゃあ犯人はわりと近くの人間なんじゃ……っと電話だ。誰だよこんな時に」
静かな部屋に翼さんのお気に入りのバンドの着メロが響き渡った。
「へーい。……ん? あぁ。うん……うん……? 分かった、今行くよ」
電話の相手は親しい人のような話し方だ。
「悪い、ちょっと抜けるわ」
そう言うと、翼さんは鞄を持って急ぎ足で出ていってしまった。表情が硬かったけどなんだろう。
「まぁ、正直言うと私も今回の件に関しては怒りが収まらない。なにしろ、私達の最後の文化祭が潰されてしまった訳だからな。そこで、これから犯人探しをしようと思う。君達の担任の田中先生にも既に許可は取ってあるし、犯人を特定できたら今回の判決も取り下げてくれるそうだ」
なんという手回しの良さ。さすが美雪先輩はやることが人より一歩先にいってる。
「私、頑張ります!」
「ありがとう。さっそくだが、あの日、君達の午後の授業は何だったんだ?」
「えっと、あの日は確か、五時間目に日本史をやって、六時間目に体育でした」
念の為ケータイで写メっておいた時間割を確認すると確かにそうなっていた。
「だとすると、間の休み時間は着替えをするのに鞄を持って行くからないとして……体育の授業を休んだり、途中で抜けだした人はいなかったか?」
「休んだ人は……いなかったと思います。授業は男女別々なので男子の方は分からないんです。女子はみんないたと思います」
そっちは? と言った様子で二人が僕の方を見る。
「男子の方は今グループ別で練習をしているのでみんなバラバラなんですよ。すいません」
こんな時に役に立たない自分が悔しい。
「謝ることはないさ。となると、クラスの人間が怪しいな……」
なんかだんだん美雪先輩が探偵みたいに見えてきた。眠りの美雪。いや、寝てはいないんだけど。
「よし、私はこれからちょっと調べてくるから、君達二人はとりあえず帰って大丈夫だ」
「僕も手伝います!」
「私も!」
自分達のことなんだから自分でもやれるだけのことはやらないと。
「いや、まだ犯人がどういう人間か分かっていない。もしかしたら私達が探りを入れてるのに気づいて、何か仕掛けてくるかもしれないから危険なんだ」
「それでも……!」
「だから、崇君には凛君を守ってほしい。家に着くまでちゃんと見届けるんだ」
そんな言い方されたら断れないじゃないですか。
「……分かりました」
それから僕は美雪先輩の言うとおりに黒峰さんを家まで送り届けて自宅に戻った。
夜、自分なりに色々考えてみたけれど結局犯人は検討もつかない。とりあえず美雪先から何か連絡があるまで大人しくしていよう。
久しぶりに頭を使ったせいで変に疲れた。布団にもぐって眠気を迎えるまで本を読んでいると、枕の横に置いていたケータイが鳴った。
「もしもし」
『あー、タカシ?』
電話の相手は翼さん。
「はい。ってかケータイなんだから僕以外出ないですよ」
『それもそうか』
「どうしたんですか?」
『ん? んー、うん』
歯切れが悪いな。それになんだか、声が普段より柔らかい感じがする。
「何か用事があるから電話してきたんじゃないんですか?」
『うん。それもあったんだけど。なんか声が聞きたくなって』
うっあ、ちょ、なに可愛いこと言ってるんですか。
「そっそうなんですか」
『うん』
無言にならないで下さいよ。なんだかこっちが気まずくなってきた。
翼さんもベッドの上にいるのか、電話の向こうから何かを抱きしめているような音が聞こえた。
『タカシ』
「はい?」
大きく一回深呼吸をし、もう一度息を吸って、
『この前の返事、まだくれないの……?』
「えっあ、いや……なんて言うか……」
すいません、考えてませんでした。
『うん……』
どうしよう。正直に言ったほうがいいのかな。いやっでも、言うも何も決めてないじゃないか。
「もうちょっと、待っていただけないでしょうか……」
『……分かった』
ほんとごめんなさい。
『うん、なんかごめん。またね』
「いえ、ホントすいません……」
あぁ僕はなんて決定力のない日本人なんだろう。こんなんだから童貞なんだ。
翼さんは電話だといつもと違う印象だった。声が違うってのもあるだろうけど、なんというか、女の子っぽいというか。
次の日、なんとなく昨日の電話が頭に残ったまま音楽室に向かっている途中で、翼さんを見つけた。
「つば……」
言いかけて一歩戻り、壁を背にしたのは翼さんの向こうに哲也が見えたから。
なんで隠れなくちゃいけないんだ。哲也とは気まずいけれど、翼さんとは何もないじゃないか。むしろ、そこに入っていって話しかければ哲也と仲直り出来るきっかけが掴めるかもしれないのに。
深呼吸をしてもう一度覗くと、二人が廊下で話しているようだった。それも、楽しそうに。二人は笑い合いながら喋り、時おり肩を叩いたりして親しげにしていた。
いつの間にあんなに仲良くなったんだろう。哲也が自分から話しかけたんだとしたら、随分成長したじゃないか。良かった良かった……。
覗き見している自分が嫌になったので別の道から迂回していこうと踵を返したら、前から美雪先輩が現れた。
「やぁ崇君、これから音楽室に行くのか? ちょうどよかった、私も今、調査の報告をしにみんなを集めようと……って、そんな眉間にシワ寄せて口尖らして、どうしたんだ?」
言われて初めて、顔の筋肉を目一杯使ってるのに気付いた。
「向こうに何かあるのか? ……あぁ、そういう事か……。まぁなんて言うか、お互い頑張ろうな」
美雪先輩は僕の肩をポンと叩き、二人がいる方へ行ってしまった。
頑張るって何を頑張らなくちゃいけないんだ? ただ二人が喋ってるだけじゃないか。何もおかしいことはない。
スキッリしない気持ちで遠回りして音楽室へ向かいみんなが来るのを待っていると、黒峰さんと美雪先輩だけが一緒に入ってきた。
「遅れてすまない。じゃあ始めるぞ」
「あれ、翼さんは一緒じゃないんですか?」
「あいつは他に用事があるらしくてな。先に伝えておいた」
あの人は何をやってるんだ。僕らがライブ出来るかどうかの瀬戸際で美雪先輩が必死になってやってくれているのに。くだらない用事だったら許さない。
イライラしながらも美雪先輩の話を聞くと、なんとも簡単な話だった。どうやら犯人はやはりウチのクラスの誰かといういうことになるらしい。黒峰さんは鞄を更衣室に置いて授業に出て、その更衣室は授業中は鍵をかけていると。その間、鍵は体育係が管理している。つまり、必然的に体育係を通さなければ更衣室に入ることは出来ない。あれ、でも確か体育係って……。
とたんに黒く汚い感情が僕の胸を締め付ける。
そんなはずはない。そんなことするはずない。でも、本当にそう言えるのだろうか。だって、動機は十分じゃないか。むしろ自業自得。友達を裏切ったツケが返ってきただけだ。
「すいません、ちょっと抜けます」
「あっおいまだ話は終わってないぞ!」
美雪先輩の制止を振りきって音楽室を出て、一直線にグラウンドへ向かった。
「哲也」
「ん?」
哲也は外の水道で水を飲んでいる最中だった。ユニフォームを着て、腕には黄色いキャプテンマーク。やっぱりその格好してる時が一番カッコ良いな。
「……何か用?」
僕だと気付くと、哲也の声色があからさまに低くなった。馴れ馴れしく話しかけてくんなとか、そういうふうに思われてるのかな。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「なんだよ」
哲也は口の周りを手で乱暴に拭った。友達と話してるはずなのにどうしてこんなに手が震えるんだ。
「あの、哲也は、僕らがライブ出れなくなったの、知ってる……?」
「……神崎先輩から聞いたから知ってるよ」
翼さんから? そうか、そりゃそうだよな、二人はもう僕がいなくても仲良く喋れるようになったんだもんな。他の生徒には知らされていないタバコのことだって聞いてるよな。
「うん。でさ、哲也って体育係だよね。その時、更衣室の鍵って持ってた……?」
「持ってたけど。なんで?」
「いや、ほら、なんて言うか」
あくまで可能性として、哲也から誰かが借りてったかもしれないし、知らないうちに盗られたのかもしれない。
「なんだ、俺のこと疑ってんのか?」
「ちっちがう! そうじゃないけど……!」
上手く言葉が出てこない自分の口を恨んだ。いつだって伝えたいことを上手く言えない。
「……崇」
「なっなに?」
哲也はユニフォームの裾を握りしめて下を向くと、力強く言った。
「俺、神崎先輩に告白した」
「……え?」
聞き取れなかったわけじゃない。突然すぎて、何を言っているのかすぐに理解出来なかった。
「好きだって、伝えた」
よく考えてみれば不思議な事は何もない。哲也は翼さんの事が好きだったんだ。仲良くなって告白するのも当たり前だ。
「そっそうなんだ。すごいじゃん。あれだけ、躊躇してたのに」
「あぁ」
「へ、返事は、どうだったの?」
「それは……」
なんだろうこの気持ち。哲也が翼さんと付き合えたならそれは喜んでいい事のはずなのに、心のどこかで翼さんが誰かのものになるわけがないと思い込んでしまっている。
「お~小林こんなところにいたのか。一緒に帰ろうって言うから待ってたのに、来ないから探しに来ちゃったよ」
聞き慣れた声が耳に入ったかと思うと、校舎の通用口から翼さんが手を振りながら現れた。
あぁ、なんだ、そういう事だったのか。
翼さんがライブのことそっちのけで用事があると言っていたのは、哲也を待っていたんじゃないか。
聞くまでもなかった。二人は既に付き合っていたんだ。
この前の翼さんの電話だって、きっとそのことで悩んでたに違いない。なのに僕はまた中途半端なこと言って、愛想つかされたっておかしくないじゃないか。
「あれ、タカシ……?」
翼さんが僕に気付くと、恥ずかしさが一気に込み上げてきて僕はその場を逃げ出した。
友達を裏切った挙句ライブも出来なくなって、翼さんはもう、そばには居てくれない。
僕はずっと、自分は黒峰さんの事が好きなんだと思ってた。
みんなから好かれてなんでも出来て、見た目だって可愛い。まるでアイドルみたいな存在。
けどそれは、ただの憧れでしかなかった。
みんなが欲しがってるものを、自分も欲しいんだと勘違いしてたんだ。
近くで自分を守ってくれている存在に気付かないで、遠くばかり眺めて。
翼さんはそれをどんな気持ちで見ていたのかな。
告白してもろくに相手にされず、しかもそいつには他に好きな人がいるなんて、僕だったら絶対諦めてる。ちょっと冗談っぽく喋る時だって、きっと全部照れ隠しで。
なのに、いつもと変わらずそばに居てくれて。
この前ケンカをした時もそうだ。忠告を聞かずにむくれて目も合わせようとしない僕にはあえて突っかかってこないで、僕が納得できるように行動した上で何かあった時にはすぐ駆けつけられるよう心配してくれていたに違いない。だからあの時助けに来てくれたんだし。
甘えてたんだ。
でも、今さら遅い。
自分から離れていってから初めて、僕は翼さんの事が好きだったんだと気付いた。
あのあと結局、犯人はすぐに掴まった。なんてことはない、黒峰さんの人気に嫉妬したクラスの女の子。体育係も男女で一人ずついて、女子の方から鍵を借りて更衣室に入った。授業中にグラウンドの端でタバコを見つけ、思いつきでやってしまったということだった。
冷静に考えれば男が女の更衣室の鍵を持たされるはずはない。なのに僕は友達を疑ってしまった。きっとその罰が当たったんだろう。
もうすぐお昼過ぎ。予定では僕らのライブの時間。ケータイは着信が鳴りっぱなし。前日まで普通に練習に参加していたからきっと慌ててるだろうな。
文化祭当日、僕は学校を休んだ。
二人には申し訳ないことをしたと思う。最後の文化祭が僕のせいで台無しになるんだから。
でも僕は行きたくない。だってきっと、行ったら二人が一緒にいる所を見ることになるから。
今頃仲良く出店を回ったりしてるのかな。
布団に包まって、じっと時間が過ぎるのを待っている。昔、大嫌いだった習い事をサボったことがあったな。その時は始まる時間まですごく心臓の鼓動が速くなって、終わるまでずっと、今から行けばまだ遅刻したで済まされる。でも行きたくない。って二つの感情がせめぎあって、終わりの時間をむかえたら一気に力が抜けた感じがしたな。今もそれによく似てる。
幸い、母親は朝早く出かけていったので咎める人は家にいない。一応のカモフラージュで制服は着たままだけれど。
ケータイも電源を切ってしまえば鳴ることはないのだが、たまにくるメールの内容が気になって切れない。電話は出たくないのにメールで状況を確認して、僕は一体何をしたいんだろう。
メールを見てる時に電話がかかってきて、間違えてボタンを押して一瞬通話中になって焦って切る。そんなことを何度も繰り返して、僕が居留守を使ってるのは完全にバレてるだろうな。
また一通メールが来た。
『神崎が病院に運ばれた。今すぐ来てほしい』
宛先は美雪先輩からだった。
翼さんが病院にってどういうこと!? まさか、文化祭で何かあったんじゃ……!
焦る気持ちを抑えきれず、考える前に身体が動いていて自宅を飛び出した。
ここから学校の近くの病院までは自転車で三十分はかかる。もしその間に取り返しの付かない何かが起こったらどうしよう。
「くそ!」
走って大通りまで出て手を上げると、運良くすぐにタクシーが停まって乗ることが出来た。
車の中で不安になりながらも、何も悪いことなんてあるはずがないと祈るような気持ちでいた。
病院のすぐ横で車を停めてもらい、釣りはいらねぇぜと言わんばかりに札を運転手に渡す。
今までの人生でこれほどダッシュしたことがあっただろうか。猛スピードで病院に入り、受付でひと目も気にせず叫んだ。
「すいません、つばさ……神崎さんは!?」
ナースのお姉さんは目を丸くして驚き、
「神崎さんなら、あそこに……」
指差した先を見ると、杖をつきながらおぼつかない足取りで歩いている人がいた。
「え……?」
近づいてよく見ると、間違いない。
「翼さん……の、お爺さん?」
僕の声が聞こえたのか、こちらに気づいてずんずん向かってくる。
「おぉタカシ君じゃないか! いやぁ最近は目が悪くなってしもうてな。もう一段あるかと思って階段で転んでしまったよ」
いやまぁ、怪我が軽いようでなによりですけど、神崎って翼さんじゃなくて、お爺さんの方なの?
訳が分からず立ち尽くしていると、せっかく来てくれたんだからとジュースを買ってくれて、二人で中庭のベンチ向かった。
「どうじゃ最近のツバサは?」
「相変わらず元気にはしゃぎまわってますよ」
手に負えないぐらい。
「そうかそうか! それは結構なことじゃて!」
高らかに笑う所は翼さんに似ている。あ、翼さんが似てるのか。
「あいつはタカシ君に会ってから人が変わったように丸くなったからのぉ。君には感謝してもしきれんよ」
「そうなんですか?」
翼さんの過去については未だによく知らない。
「昔はそりゃもう凄まじいぐらいに荒れておってな。眼に入る奴は全員敵状態じゃったよ」
それって下手すると中二病じゃないですか。
「ツバサの両親は、まだツバサが小さい頃に離婚してな。愛情に飢えていたんじゃろう。きっとその反動が出てしまったんじゃよ」
「そうだったんですか……」
家に写真が一枚もなかったのはそのせいだったのか。
「一番ひどかった時はそうじゃのう……ツバサが身体を売ろうとした時じゃろうな」
その時からビッチだったの!?
「あいつは根は本当に優しい子じゃからな。きっと、二人で暮らしていて負担をかけてしまっていると儂に気を使って自分で稼ごうとしたんじゃろうな。その時はミユキ君が教えてくれて未然に防げたんじゃが、儂は怒れんかったよ」
美雪先輩が翼さんの暴走を止めてるのは昔からなんだ。それに、翼さんは自分を売って手早くお金を稼ごうとするなんて、考えが単純というか危ういというか。
「あいつの気持ちをぶつける場所を作ってやらんと、いつか壊れてしまうんじゃないかと心配になって、歌を薦めたんじゃ。夜中にたまに縁側で歌っておってな。親バカかもしれんが、そこらの歌手より格段に上手かったんじゃよ」
お爺さんの言うとおり、翼さんの歌は本当に上手い。音程がとれているとかそんなレベルじゃなくて、歌詞の一つ一つに気持ちが込められている。普段のガサツな翼さんからは考えられないほど繊細で優しい声。
「そしたらミユキ君も賛同してくれてな。もう翼にあんなことは絶対にさせない、私が守るって言ってくれたよ。頼もしい女性じゃ」
二人の間にそんな事があったんだ。全然違う性格の二人がどうやって知り合ったんだろうか。
「翼さんと美雪先輩は……「タカシ君、お迎えじゃよ」
「え?」
言葉を遮られるように入口の方を見ると、制服を着た女の人がこちらを見ながら鬼の形相で近づいてくる。
「やっぱりいた……!」
「え!? なんでここに!?」
美雪先輩が肩で息をしながら僕の前に立ちはだかった。
「グズグズしてないで行くぞ!」
「えっでっでも……」
「でももクソもあるか!」
腕を引っ張られ、病院の外へと連れだされる。
「儂も後で見に行くから頑張るんじゃよ~」
後ろでお爺さんがのんきに手を振っている。あなた怪我してるのに来るんですか!
「早く後ろに乗れ!」
物を扱うように無理矢理自転車の荷台に載せられた。
「どっどうしてここに!? ってかさっきのメールはなんだったんですか!?」
「君を連れ出すために決まってるだろう! 翼のお爺さんが転んで怪我をしたって聞いたから、利用させてもらったんだ。もちろん、大した怪我じゃないから出来たことだけどな」
あぁそういうことか……。まんまと騙された。
「飛ばすからしっかり掴まってろ!」
「はっはい!」
美雪先輩は立ち漕ぎになり、思い切りペダルを回す。チェーンが擦れる音が聞こえ、ついでにパンツも見えた。真っ白な下地にパンダのプリント。
学校までの長い下り坂に入ったところで美雪先輩がようやくサドルに座り落ち着いたようだったので恐る恐る尋ねた。
「あっあの、美雪先輩、怒ってます……?」
「あぁ、今すぐひっぱたいてやりたい程にはな。一回フラれたぐらいで何をウジウジしてるんだ。今だから言うけど、私だって小林君にフラレてるんだぞ」
「えぇえ!? そうなんですか!?」
哲也のやついつの間にそんなことになってたんだよ! もったいなさすぎるだろ!
「誰にも言ってないからな。翼には言うなよ。あいつは気付いてるかもしれないけど、明確にしてしまったら色々気を使わせてしまうからな」
だから翼さんはこの前サッカー見に行く時も美雪先輩を誘ったのか。完全にバレバレじゃんか。
「僕がフラレたのは誰から聞いたんですか……?」
哲也はそんな口の軽い男じゃないし……。
「それに関してはまぁ色々と……と言うか、ちょっと疲れたから喋らせないでくれるか」
美雪先輩の息がさらに荒くなり、ワイシャツに汗が滲んでブラが透けている。先輩がいくら強い女性だからって、やっぱり身体は普通の女の子。男一人後ろに載せて自転車を漕ぐのはそうとう辛いだろう。黒峰さんに襲われたり翼さんに助けてもらったり、僕はホントに情けない。
「ほら、着いたぞ、私は、もう、限界だ。あとは、自分でなんとかしろ」
校門に着いたところで美雪先輩の足が止まった。入り口にはアーチ状の入場ゲートが作られていて、屋台がたくさん立ち並び多くの人達が行き交っていて文化祭は盛況のようだ。
気乗りしない重い足を動かして人の波をぬうように昇降口へ向かうと、哲也の姿が見えた。
「よう」
「あ、おはよう……ってもうお昼過ぎか、ははは……」
すごく気まずい。早くここから消えよう。
「じゃあ、僕はこれからライブがあるから、またね」
そそくさと上履きに履き替え、哲也の横を通り過ぎようとすると、
「待てよ」
肩を掴まれて引き止められた。
「な、なに?」
「…………悪かったな」
「え?」
何か謝るようなことをされた覚えはない。むしろ謝らないといけないのは僕の方なのに。
「黒峰さんの鞄にタバコ入れたの、ウチのサッカー部のマネージャーなんだ」
そうなんだ。詳しく聞いたわけじゃないから知らなかった。
「でも、それは、哲也が謝ることじゃないよ。僕だって哲也を疑うようなこと言っちゃたんだし、お互い様ってことで」
「そうだな……」
うん、大丈夫だ、普通に話せる。
「それじゃあ、行くね」
一つだけ悩みが解決した。今はこれで十分だ。
「もう一個言ってない事がある」
哲也は掴んだ腕に更に力を込めた。きっと翼さんとのことだ。
「翼さんと付き合ってるんでしょ? 知ってるよ。良かったじゃないか。やっと成就したね」
先に自分で言ってしまった。本人の口から聞いたら、耐えられないような気がしたから。
「やっぱりそうか……」
哲也はため息をつき、掴んでいた腕を離して言った。
「それ、誤解なんだ」
「誤解?」
「そう。確かに俺は神崎先輩に告白した。けどな、結局はフラレちゃったんだよ」
「そうなの!? だってこの前……!」
二人で一緒に帰る約束してたじゃないか。
「あれは、さっき崇に謝ったことを神崎先輩にも言っとかないとって思って、俺が部活終わるの待っててもらったんだよ。それだけだ」
えええええ! なら僕はいったい何をウジウジ悩んでたんだ、恥ずかしくて死にたい!
「正直言うと、崇と神崎先輩の関係は最初から何となく分かってたんだ。だって、先輩の崇に対する態度は他の人と全然違うからな。だから神崎先輩が崇にちゃんと告白したって聞いた時は、あぁやっぱりそうかって妙に納得しちゃってさ」
哲也は僕らの事をそんなふうに見てたんだ。翼さんのスキンシップは激しいから抵抗するの諦めてたけれど、もう少し周りにも気を使った方が良かったなと今になって後悔。
「じゃあ、なんで僕の事避けてたの?」
「ん~それなんだけどさ」
哲也は頭を乱暴に掻いて困ったような照れたような顔をする。
「すまん! 正直どうしたらいいか分かんなかったんだ! 崇を祝福してあげたいって気持ちと、そんな簡単に諦めちゃったら今まで崇に手伝ってもらってたのは何だったんだって申し訳無くなってきてさ。ホントすまん! このとおり!」
両手を会わせて深々と頭を下げる哲也。
「い、いいよいいよ、僕だってちゃんと言わなかったの悪かったし」
「許してくれるか?」
「もちろん」
「ありがとう我が親友!」
哲也が抱きついてきて少し暑苦しかったけれど、そんなに嫌じゃなかった。
「じゃあ、今度はホントに行くね」
「おう! 俺もすぐ見に行くからがんばれよ! あ、あと、お前がちゃんと神崎先輩捕まえてないとお俺はいつでもリベンジするつもりだからな!」
親友に手を振られながら走って体育館へ向かう途中、胸につかえていたものが全部なくなった爽快な気分で、足に羽が生えたように軽くなった感じがした。
体育館の裏手の入口まで来ると黒峰さんが時計を気にしながら立っていて、僕を見つけると笑顔を輝かせた。
「やっと来たぁ! もう、来なかったらどうしようかと思ったよ! ほら、こっちこっち!」
あぁ、今日は色んな人に腕を掴まれたり引っ張られたりする日なんだな。
裏口からそっと中に入るとすでにライブは始まっていて、翼さんが弾き語りで歌っている最中だった。
「まだ一曲目だから大丈夫だよ。お客さんも演出だと思ってるから」
客席の方を見るとかなりの人数がいる。
「すご……」
全校集会ぐらい人が集まってるよ。僕らそんなに宣伝してないのに何があったんだ。
「気付いてないかもしれないけど、平岡くんたちってかなり有名なんだよ?」
そうか、校内一有名で破天荒な翼さんと、超絶美人の美雪先輩が一緒にいたらそりゃあ目立って人も集まるか。その二人が揃って最後の文化祭で花を咲かせようって言うんだからな。
「手汗が……」
両手をこすり合わせるとつるつると滑ってしまい、ズボンで拭いてもなかなか乾かない。
「ここまで来て怖気づいたか?」
後ろから追いついた美雪先輩が僕にスティックを手渡した。
「ありがとうございます」
いつだって僕は周りの人達に頼ってばかりだ。
僕がヘソを曲げている間も、みんなきっと心配してくれていたんだろう。
翼さんの歌が終わると、心臓が一気に速くなった。
「緊張してスティック飛ばすなよ?」
背中をポンと押され、僕はステージに出た。
◆
ライブはなんとか無事に? 成功に終わった。
翼さん一人でもその歌声に観客は聞き入っていたけれど、僕の後に美雪先輩が登場した時は、会場が割れんばかりの歓声に包まれた。
ピンク色の法被を着た男たちが最前列に陣取り、M・I・Y・U・K・I、ミユキー! と叫ぶ。
美雪先輩は美人だし男共の声援は分かるけど、なぜか女子の黄色い声援まで負けじと聞こえた。もちろん、黒峰さんが舞台袖で叫んでいたのは言うまでもない。
演奏を終えて文化祭も問題なく終了を迎え、今は音楽室で翼さんのお説教を受けております。
「正座」
「はい」
「そして土下座。遅刻した言い訳を聞こうか」
翼さんはソファーに腕を組んで座り、僕は足で頭を地面に押し付けられている。
「はい。私、てっきり翼様が哲也様とくっついてしまったものと勘違いしてしまい、意気消沈しておりました次第でございます」
「ふむ……つまり、タカシは私が好きということにやっと気付いたということだな?」
「はい。その通りでございます」
ずいぶん遠回りしたけれど、やっと自分の気持ちに素直になれた。
「顔を上げよ」
頭に乗っていた重みが消える。
「こっちへ来て目を瞑り、歯を食いしばれ」
「はい」
あぁ、なるべく痛くない方がいいなぁ。
「いくよ」
顔だけじゃなく全身に力が入る。
「はい……!」
ちゅ。
「むぐ!?」
てっきりビンタがくるのかと思って身構えていたら、突然唇に柔らかいものを感じた。思わず目を開けると、目の前には翼さんの顔があった。
「えへへ~これでウチらは恋人同士だからね」
翼さんの頬が少し赤くなっている。
「あ、あの、罰とかはないんでしょうか」
「ん? ん~、なんか色々あったみたいだけど、結局は全部私のこと考えてたからなんでしょ? だったら許してあげる」
シャツからはみ出そうな胸に僕の顔を埋めさせ、子供をあやすように頭を撫でた。
「……ホント、鈍感ですいません」
「いいのいいの。そういう所も含めてタカシの事好きになったんだから」
おっぱいも大きければ心も広いなんて、素晴らしいお方だ。
「あ~、イチャついてるところすまんが、そろそろ打ち上げを始めたいんだが」
肉枕から顔を上げて周りを見ると、美雪先輩と黒峰さんに哲也がジュースの缶を持ってスタンバっていた。
「くっそぉここぞとばかりに見せつけやがって!」
「いいなぁ、私も先輩と……」
それぞれの思いが第二音楽室に渦を巻いております。
「ほら、お前たちの分」
「さんきゅ~」
二人分のジュースを渡されると、翼さんは僕を後ろから抱くように向きを変えた。
「それじゃ~無事ライブが大成功に終わったということで!」
五人が同時に腕を上げて、乾杯と叫んだ。
翼さんと恋人同士で過ごせる高校生活もあと半年、僕がデレた行動をしたらどんな反応するんだろう。ちょっと楽しみだったりする。