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八話・女王の放課後

「井波、一緒に帰ろうぜ!」

「ごめん、ちょっと寄るところがあるんだ」


 足早に抜けだした教室からは「付き合い悪いぞ、井波ぃ!」と影山優輝の不満の叫びが聞こえてきた。

 今日は放課後の予定は特にない。烏丸が私用であるために、調査に行く必要もアテもなくなってしまったと言えば正確だろうか。俺一人で動くことも可能だろうけど、烏丸と二人で調査にあたってほしいというのが家群会長の要望だ。無理に動く必要はないので、休養に当てるのがベターだろう。

 濃密だったせいで一日ぶりとは思えないほど開放的に感じる自由な放課後は、自然と気持ちを高ぶらせた。

 優輝から逃げ出すように北校舎の四階を目指した。

 理由は言うまでもなくロスについてだ。

 昨日の帰り際、兼平は気をつけてと言っていたが、結果的には表面に表れて俺に干渉できるようになってしまった。ロス本人は何もしないと言っているが、自称をどこまで信用できるかなんてわかったもんじゃない。

 相談や今後の対策について、彼女にアドバイスをもらいたい。そんな思いで文芸部の部室を目指した。


「あら、井波春樹さん」


 名前を呼ばれ、三階と四階の間の踊り場で立ち止まった。

 声が聞こえた三階は三年生の教室が並んでいるはずで、俺のことを知っているような三年生など多くはないはずだ。

 終礼時刻を過ぎ、階段を下っていく人の波の中で立ち止まっている一人の美女の姿を見つけた。

 男子生徒と比較しても見劣りしない背丈は人ごみでも目立つ。相変わらず整ったスタイルと制服がアンバランスであったが、美人というのものはなんでも様になるらしかく、奇異には感じられなかった。

 竹之内ひばりは俺と目が合うと、お嬢様らしからぬ意地悪っぽい笑みを浮かべた。


「やはり井波さんですわよね。こちらへいらっしゃって」


 女王様は人波から外れ、四階へ続く階段の下で俺を呼び寄せた。

 内心、あちゃーと思いながら、途中まで登った階段を引き返す。


「ちょうどよかったわ。この間の約束、使わせていただきますわよ」

「……へっ?」


 竹之内先輩は満足げに口元を歪める。

 嫌な予感がすると同時に、『カカカッ』と悪魔の笑い声が聞こえた。


 夏に近づき日中が長くなってきたせいか、外はまだ明るくむしむしとして暑苦しい。

 バスロータリーにある花時計は六時を回っており、帰宅するにはちょうどいい時間になっていた。


「うーん、楽しかったですわ」


 竹之内先輩は満足した風に伸びをしながら呟いた。

 先日の埋め合わせという無理やり吹っ掛けられた約束のせいで始まった二人のカラオケだったが、特に何のトラブルもなく、事前の心配は全て杞憂に終わった。

 お嬢様と聞いていたので先輩がどんな選曲をするのかが不安だったが、歌い始めてみると俺達世代なら知っていて当たり前と言えるようなメジャーなアーティストの曲がほとんどだった。

 当然と言えば当然か。

 そのため後半は特に気を使うことなく、好きな曲を歌って先輩と盛り上がることができた。

 侍らせているなんて言葉を使って、よく男子といるらしいことは烏丸が偏見交じりに語っていたので、カラオケには頻繁に訪れるのかもしれない。

 とりあえずパワフルで素人離れした歌唱力は鳥肌が立つほどだった。


「気になさらないで。ワタクシは全ての殿方に平等ですので」


 飾り気のない彼女の表情が何かを語りかけてくる。

 駅の構内に通じる通路周りは行き交う人影がうかがえたが、俺達の近くには人気はない。

 突如として振り返り、向かい合った先輩はふっと視線を伏せ、俺の左手を取った。

 彼女の背後の延長には誰もいない。歩道橋の下のバスロータリーにはバスやタクシーが忙しなく行き交うはずなのに騒音は耳に届いてこず、たった二人、俺達だけが世界から切り離されたかような錯覚に陥った。


「ねえ、井波さん。……ワタクシ、聞いてほしいことがあるの」


 朱を混ぜ始めた黄昏の幕開けが竹之内ひばりの頬を僅かに染める。

 決まりが悪そうに大きな瞳が、俺の顔と下とを往来した。恥じらう様子が愛おしく俺の心を少しずつ満たしていく。一秒毎に強くなる想いを自覚した時、幾許に過ぎないはずの時間は永遠のように長く思えた。

 これって告白されるのか……?

 意識すればするほど背筋が伸び、肩は張り、身体が重く硬直する。

 さっきまであれほど自然体で接していたのに、いつの間にか竹之内先輩のペースに呑まれていた。


『オウオウ、青春してるとこ申し訳ねェがあんまりこの女に気を許すんじゃねェぞ。ヤベェ匂いがしやがる』


 彼女が俺の左手に込める力を強めた時、ロスがムードを全てぶち壊しにした。

 とはいえ先輩にはロスの声は聞こえない。決意したような間があってから先輩は言った。


「ワタクシ、貴方のことが――」


 そこまで言っておいきながら、竹之内先輩は俺の背後の何かを見つけて言葉を詰まらせた。

 無意識のうちに振りかえる。そこに立っていたのは、佐久鳴女子高校のクリーム色のサマーセーターを着た少女だった。

 一般的な女子高生くらいの身長も竹之内先輩と比較すると至極小さく見える。

 食堂で出会った八千穂さんとはまた違う、可愛らしい雰囲気である。


「お姉様、何をなさっているのですか?」


 切りそろえられた長めの前髪のせいで目元こそ見えないが、代わりに悪意を秘めた口角の吊り上がりが印象的だった。

 佐久鳴女子高校は佐久女の愛称で呼ばれ、駅を挟んだ反対側にある戦前からの伝統校だ。共学化し偏差値も五十代後半と落ち着いてしまった元進学校の海華高校とは異なり、今なお県内屈指の進学校として名を馳せる名門私立高校である。

 余談であるが海華高校も歴史は古く、十年くらい前までは男子校だった。その為、この辺りの高校生は男子は海華、女子佐久女へ通うことがステータスとされていた。

 竹之内先輩のことをお姉様と呼んだ少女はこちらへ歩み寄ってくると礼儀正しくお辞儀をした。


「はじめまして。ひばりお姉様の妹の竹之内みやびと申します」

「ああ、はじめまして。井波春樹です」


 竹之内みやびと名乗る彼女につられて、俺も名乗る。


「えっと、つかぬことを伺いますが、その……井波様はお姉様の恋人なのでしょうか?」


 姉と一緒にいる男子生徒が珍しいのか、みやびさんは俺を足元から頭の先まで観察している。不快感はないが何かくすぐったい。


「いや、ただの友達です。それと俺に様なんてつけなくていいですよ」

「そうですかぁ」


 柔らかい口調が続いたみやびさんだったが、次の瞬間、前髪の間から鬼を思わせるような鋭い視線で俺を睨みつけた。


「では井波さん。貴方はひばり組とかいう姉のふざけた取り巻き集団の一員ですか?」

「へっ?」

「答えてください」


 初めて聞いたひばり組という単語に驚いて素っ頓狂な声が出てしまったが、そんな俺を急かすようにみやびさんは回答を促した。


「えーっと、俺はそんな集団じゃないですし、ひばり組なんて言葉は初めて聞きました」


 答えると彼女は大きく吸い込み、小さく息を吐き出した。


「そうですか、失礼しました。それでは姉と今後とも良き友人としてお付き合いを続けていただけますか」

「もちろんです」


 少し、というかだいぶ変わっているが、姉想いのいい妹さんだと俺は評価を下した。

 しかし改めて向き合った竹之内先輩は俯き加減で、表情を強張らせていた。これまで見てきた自信家の彼女のイメージにそぐわない姿である。

 すっと先輩に寄りそったみやびさんは改めて俺に一礼する。


「それでは失礼します。ほら、お姉様行きましょう」

「え、ええ。井波さん失礼いたします」


 遠ざかっていく竹之内姉妹の後姿を黙って見送る。

 彼女達が駅の構内に姿を消した時、ようやく呪縛から解放されたように身体の力が抜けた。


「あーあ、なんかすんごい緊張した」

『カカカッ。まァ、助かったってこったな』

「確かに助かった。マジで強烈な妹だったな」


 たじろぎそうになるほどのおっかない視線もさることながら、あの竹之内先輩が強張ったのも彼女が原因だろう。色んな意味で強烈だった。


『あァ、そっちじゃねェんだがな。ん、まァ、そのうちわかるだろ』

「どういう意味だ?」

『とにかくあのひばりって姉ちゃんには気をつけろってこった』


 実態こそ見えないが含み笑いを浮かべるロスの姿が目に浮かぶ。しかしその真意はわからないままだった。

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