七話・お似合いのカップル
『オオー、スゲェ人集りだな』
昼休みのチャイムが鳴ってからすぐにやってきたというのに食堂は喧騒に満ち溢れ、ロスに感嘆の声をあげさせた。
「別にお前が困ることなんかないだろ」
『カカッ、感想くらい抱いてもいいじゃねェか』
それもそうか。
ロスとの会話を打ち切って、適当なテーブル席に腰を下ろした。
食堂は四人掛けのテーブルが十席程度と窓際のカウンター席が八席で、収容できる人数は決して多くない。今は券売機や料理の受け渡しをするカウンターの方が人が多く、座っているのは仲間のために場所取りをしている連中だろう。
そんな生徒たちを他所に、俺は弁当箱を開いた。
別に食堂で弁当を食べてはいけないという規則もない。烏丸のための場所取りだ。俺が弁当を食べて恨まれる道理はない。
まあ、さっさと出ていけるようにしておくか。
俺が弁当を食べ進めていると、キョロキョロと周囲を見回しながら一人の少女が現れた。
背丈は烏丸よりもやや低いくらい。栗色のショートカットは光の輪を冠し、大きな瞳は不安そうにこちらを見つめてた。掛け値なしの美少女だ。
『ワァオ! こりゃいい女だなァ』
ロスの下種な発言も他人には聞こえない。
悪魔の相手にして変人扱いされるのも御免だ。
澄ました顔で食事をする俺に、もじもじしながら彼女は申し訳なさそうに口を開いた。
「あのっ、すいません! 連れと座る席を探しているんですが、相席させてもらえませんか?」
ぐるっと周囲を見回すが、カウンター席は一間飛びで席が埋まっていて、テーブル席も誰かが座っている。
席は譲り合って利用してくださいと書かれた張り紙がこちらを見ているような気がした。
「えっと、もう一人来る予定だけど大丈夫?」
テーブル席は四人掛けだから、俺と烏丸で二人。彼女の連れが三人以上なら断るしかなさそうだ。
「はい、大丈夫です!」
嬉しそうに返事をした彼女はこちらまで微笑んでしまいそうな朗らかな雰囲気の持ち主だった。
こんな表情をされれば相席に対する嫌悪感など吹き飛んでしまった。
失礼します、と発してから俺と対角線上の椅子に腰を下ろした。
当然のことながら会話などなく、俺は黙々と自分の食事を進めていた。あまり気まずさなど気にしない俺だが、相手が相手だけに少し落ち着かない。
そわそわとする俺の救世主として、どんぶりの乗ったトレーを手に烏丸が現れたのはちょうどそのタイミングだった。こんなに烏丸に感謝したことは未だかつてない。
「あれ、八千穂ちゃんどうしたの?」
「わわっ愛梨ちゃん!」
「いっつも昼休みになると豊橋が教室抜けだしてるけど、食堂に来てたのね」
会話から察するに二人は知り合いのようだ。見るからに親しげである。
「うん。それで今日は席がなくて困ってた時、お願いしてこの人に相席させてもらったんだよ」
嬉しそうに話す彼女は八千穂というのか。
ものすごく感じのいい子だ。可愛らしい風貌もあって、モテるんだろうなと邪な感想を抱いた。
「へー、井波いいとこあるじゃん! でも残念。この子、カレシいるからね!」
烏丸の言葉でみるみるうちに顔を赤らめる八千穂さんはふるふると小刻みに首を振る。「そんなこと言わないで!」と懇願する姿はまるで小動物のようだった。
しかし彼氏がいることは否定しないのか。
『カカカッ! 御愁傷様だな、ハルキィ』
「下心なんかないっての!」
馬鹿みたいなやりとりで、それまで表情の堅かった八千穂さんの表情が和らいだ気がした。
さすがにロスの声は聞こえていないだろうけど。
「おい、喧嘩だぞ!」
それは烏丸が一口目の中華丼をレンゲで頬張った時だった。
廊下からぼんやりとそんな声が聞こえてくると、烏丸は慌てて立ち上がった。
「ちょっといってくるから留守番お願い!」
名残惜しげにどんぶりを覗き込んでいたが、彼女の生徒会役員としての責任感は相変わらず強い。
烏丸は一目散に食堂を飛び出し、適当な生徒に話し始めたかと思えば裏手にある駐輪場の方へと駆けていった。
俺も弁当の残りを掻き込む。
急いで飲み込んだため腹の中の収まりは悪いが仕方がない。
喧嘩場に烏丸を一人で行かせるのは危険だと判断した。
「八千穂さん、あとはよろしく」
何か言いたげな八千穂さんを視界から切り取って、烏丸から十秒ほど遅れて俺も駐輪場へ向かった。
到着するとそこには野次馬の人垣ができていて、隙間から覗けばすでに一人がコンクリートの上に寝転がっていた。また見上げれば隣の校舎の窓から興味深げに身を乗り出している生徒が何人か見受けられた。
「生徒会です、通してください!」
烏丸の声を聞いて、はっと我に返る。
彼女の声一つで、一人が通れるくらいであるがモーセの如く人垣は二つに割れた。つかつかと内側へと入っていく彼女に俺も続く。
生徒会という声が聞こえたのか、喧嘩の手は既に止まっている。
大柄の男が二人と、身長こそ高いが細身の優男が相対しており、休戦状態であるが警戒しているのが手に取るように分かる。
『スゲェな、あの兄ちゃん。一人で三人相手なんてできるのかよ』
傍でのびているやつも含めて二体二で喧嘩していたのかと思ったが、ロスの言葉からすると違うようだ。
しかしそんなことができるのだろうか。
「……またあんたなの、豊橋」
呆れたように言い放った烏丸に向かって、優男は焦るように頭を掻く。
「僕も面倒なんだけども、『ちょっと来い』って言われちゃうとね……」
一拍置いて、豊橋と呼ばれた優男が言う。
「『わたしのことはいいから行っておいでよ』って無邪気に八千穂に言うもんだからさ。あとはご覧の通りだよ」
「ハァ……のろけも大概にしなさいよ。八千穂ちゃんは世間知らずだから、喧嘩の文句だなんて気付いてないでしょうに。それをあんたが馬鹿正直に付いていってどうするのよ!」
話から察するにこの豊橋が八千穂さんの彼氏で、食堂で彼女が待っていた相手のようだ。
よくよく観察すると最初はひょろっちい体型に見えたが、背が高いことも考慮すれば人並みよりもがっちりしているようだ。体格のいい相手との比較だったのであまり感じなかったが、野次馬を背景に比較すると頭一つ抜ける長身だ。目測では百八十センチに程近いだろう。
おまけにクールそうな切れ目が特徴的なイケメンで、豊橋と八千穂さんが並んで歩けば、美男美女のカップルの出来上がりである。
「あんたらも今回は見逃してあげるから、二度と彼には近づかないことね。さっさとそこの倒れてるのも連れて行きなさい」
その場で困っていた大柄の二人はやがて寝ていた一人を抱えて人が気の外へと消えていった。
やがて喧嘩が終わったと悟った野次馬達は自然に食堂の方へと散っていく。
「おい、あれでいいのか?」
規則に厳しい烏丸らしからぬ甘い判断だと思って聞いてみたが、当人は頭を抱えるように吐き出す。
「あれでいいのよ。あいつら同じクラスの柔道部だし、二階の職員室から顧問の先生が見てたから」
あいつら柔道部だったのか。
それが三人がかりで一人に喧嘩を売って返り討ちにあったとなれば、見ていた顧問から鬼のような指導が入ることだろう。その前に生活指導部からも何かしらの処分があるか。
いずれにせよ生徒会が下手な処分を下すよりもその方が確実なものだろう。
「しかし柔道部三人を一人でね」
横目で見つめた豊橋は苦笑していた。
「豊橋は同じ中学だったけど、喧嘩で負けたとこを見たことなかったから。一人で五人相手に勝ったこともあったよね」
耳を疑いたくなる台詞だ。
もしそうならば彼はおそらく何かしらの武術をやっているのだろう。そうじゃないと一対三の喧嘩をして無事では済まない。一対五など以ての外だ。
「僕が喧嘩好きみたいに言わないでよ。八千穂目当てに変なのが寄ってくるんだから不可抗力だ」
「ふーん、今日も八千穂ちゃん絡みなのね」
「……八千穂には内緒にしておいてくれよ」
「当然よ、あんたがあの子のために喧嘩してたなんて言ったらどうなることか」
女のために一対三の取っ組み合いなんてフィクションのようであるが、それを大した怪我もなく切り抜けるんだから、それこそ作り話の領域だ。チートというのはこいつのことを指す言葉だと思った。
「ほら。あんまり長話をして心配させるのもあれだからそろそろ行くわよ」
「行くってどこへ?」
「あんた、自分のカノジョ待たせておいて罪悪感もないわけ?」
たぶん豊橋は八千穂さんが俺達と相席してるのを知らないから、純粋に烏丸の言葉の意味を量りかねたのだろう。
嘲りともとれるような物言いは控えるのが吉だろうに。気付かない烏丸のジト目が豊橋を射抜く。
「俺達は八千穂さんと相席になったんだ」
助け船を出すと豊橋は納得したように頷いた。
「そういうことか。ありがとう、僕は豊橋光也だよ」
「井波春樹だ。好きに呼んでくれ」
軽い自己紹介の後、三人で八千穂さんの待つ食堂へと戻った。
道中、ぽつりと呟いたロスの言葉が耳に残った。
『その豊橋ってやつには気ィつけろよ、ハルキ』