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六話・悪魔の契約

 烏丸と別れて学校を出てからおよそ五分。駅前のバスロータリーの近くまで歩いてきた。

 三階建ての立体構造の駅は、二か所ある改札口がいずれも二階で、近隣のビルにも繋がっている歩道橋の延長から構内へと侵入することができる。

 駅の周りは大手居酒屋チェーン店やメガバンクの看板が目立ち、近辺でも屈指の繁華街とあって人の往来は多い。しかしその大半は夕飯の食材を買い求める主婦かスーツ姿のサラリーマンで、下校時刻からそこそこすぎているためか海華高校の制服を着た生徒の数はまばらだった。

 不意に今朝の明晰夢が脳裏に浮かんだ。


『優等生ぶって考えてねェで、感性のまま、アブノーマルな非日常スリルを味わってみろよ。つまんねェ日常リアルなんざ飽き飽きしてんだろ?』


 今日の夢の舞台はちょうどこのロータリーだった。

 葉を茂らせたケヤキのシルエットや今時珍しい電話ボックスの位置まで、夢の世界は酷似していた。

 歩道橋の欄干に身体を預け、ロータリーに出入りするバスやタクシーを眼下に望む。

 あの声が言うような非日常スリルは魅力的だが、俺にとってそれと同じくらい平穏リアルも大事だ。俺が求めているのは刺激的な誰かを遠巻きに見ながらあれこれ思いを巡らせることであって、自分自身が渦中へ飛び込むことなど想定はしていない。

 想定などしていなかったが……結局のところ、俺は何を望んでいるのだろうか。

 自分でもイマイチ答えがわからなかった。

 今朝、感じた声の主が近付いてきている予感。そして何より、信頼に値する兼平静香からの警告。

 繰り返し同じ夢を見続けているうちに、所詮は夢だなんて切り捨てるのは不可能なものになっていた。

 意識的に突いた大きな溜め息は行き交うバスの騒音にかき消されて街に溶けていった。


「まあ、その時が来るまでに考えればいいか」


 そうやって思考を中断する。

 夢のまま杞憂に終わることの方が可能性としては高いだろうし、もしもなにかあったとしても刹那に起こるものでもないだろう。

 改札をくぐり抜け、三階のプラットホームに到着すると同時に電車の到着を告げるアナウンスが響いた。

 人影は多いが、通勤ラッシュ時ほどではない。それなのに何故だか俺がいつも利用する扉の位置だけはぽっかりと並ぶ人影がなくなっていた。

 そんなことを気にも止めず、いつものように足元の目印を頼りに停車を待つ。

 緩やかにホームに侵入してくる電車を何気なく眺めている時、背中に何かを感じた。衝撃というにはあまりに微弱なそれに突き飛ばされて、俺の身体は線路上へと落下する。

 不格好につんのめったせいで肩を強打し、起き上がる一瞬を逃した。

 死を意識すると走馬灯の如く回顧されるというが、脳裏にはなにも浮かんではこなかった。

 減速しつつも俺の命を奪うには十分な速度で鉄の塊は近づいてくる。いつもより近くに感じるブレーキ音に恐怖する間もなく、おれの意識は白濁へ沈んでいった。



『タイムリミットだぜ、ハルキ! 今朝の答えを聞かせろよ』


 ああ、朝の声か。

 瞼を開いても閉じてもひたすらに白い景色は、表現するに適当な言葉が見当たらない。ただ現実ではないことはよくわかった。

 声の主は天使か。悪魔か。それとも死神か。

 正体はともかく悪趣味な笑いをそいつの姿が目に浮かんだ。


「答えって言われても死んだら関係ないんじゃないのか?」


 轢かれる瞬間の記憶が鮮明に蘇る。しかし恐怖は一切なかった。それは現状についても同じである。


『返答次第じゃ生き返るチャンスもあるんだぜ』

「へっ?」


 素っ頓狂な声が漏れた。

 どうせ一度は死んだ命だ。生き返られるならその方がいいに決まってる。


『さ、どうだ? 選べ、ハルキィ!』


 圧迫感が急に増した。

 しかしここで安直な回答をして失態を犯す方が俺としては許せなかった。こういう時こそ冷静になるべきだ。


「三点ほど質問させろ」

『カカカッ。こりゃあ冷静だな。オレ様もそういうのは嫌いじゃねェ。いいだろう、なんでも聞いてこい』


 余裕綽々とばかりにそいつは笑い声をあげた。


「まず一つ目、お前は何者だ?」

『あー、自己紹介がまだだったなァ。とはいったものの名無しじゃつまんねェし、他に紹介するもんがないんじゃ世話ねェか』


 そう言うとそいつは沈黙に入り思案を始めた。そして弾けるように幾許の後に語り始める。


『これからはオレ様のことはロスと呼べ! そしてオレ様は魂だけの存在で身体が無ェ。イメージするなら悪魔の類だと思ってくれ』


 悪魔なんて非現実的なものを自称されたところで、本来なら信じられないのだが、現状が現状だけに頭から否定できない。

 とりあえずそれを一時的にであるが肯定して、次の質問へと移る。


「わかった。それじゃあ二つ目、仮に生き返ったとして俺にハンディやペナルティはあるのか?」

『オレ様からの要求はたった一つ、とにかく生きろ! それがオレ様からてめェへの条件だ。それ以上のことは求めねェ。当然、オマエの身体を奪ったり寿命を削ったりなんかしないさァ。約束する』

「悪魔なのにか?」

『悪魔だろうが契約くらい守るさ。強いて言えばオレ様が退屈しねェようにしてくれってとこかねェ。そうだな、オレ様の話し相手になるってのも追加しておくか』


 その言葉がどこまで信用できるかはわからないが、一旦保留して言葉を飲み込む。

 ボウっと息を吐いて気持ちを落ち着かせ、最後の質問をぶつける。


「三つ目の質問だ。俺を生き返らせたことでお前の得られるメリットを教えてくれ」

『カカッ。やっぱ利害関係をしっかりさせねェと信用できねェってか。やっぱり狡猾だよ、オマエさんは』

「御託はいい。さっさと喋れ」

『ヘイヘイ。オレ様は元々オマエにくっついてたもんでよォ、オマエに死なれちまうとオレまで死んじまうんだよ。オレ様も死にたくねェし、お前には生きてもらわなきゃ困るっつう話だァ』


 元々俺に取りついていたというのなら合点がいった。

 宿主が死ねば寄生虫は死んでしまう。だから一部の寄生虫は宿主の身体が病に蝕まれないように、作用するものもいると言う。人間と悪魔だから肉体的な接点はないとしても、それに近しい利害関係が発生するのなら同じように作用するのは不思議ではない。

 ロスという悪魔は俺のことを狡猾と評したが、こいつも相当な狡猾さの持ち主だ。話し相手なんて柔らかい表現を使いはしたが、要するに俺に干渉できるポジションへ昇格しようと画策しているのだから。

 元々ない命だと割り切って無碍にするのも一つの策だが、生き返りたいというのが本音だ。


『別に生き返って気に食わねェようなら、テメエで首吊って死んでくれても構わねェぜ』


 こいつの言葉の通り、気に食わなかったときに自殺ができるのなら話が早いが、仏教の六道のように堕とされてしまうことが懸念材料の一つである。俗にいう無間地獄というやつだ。

 こいつの存在が不確定である以上、想定を超えたことが起こり得る可能性もある。

 死んだあとのことなんかわからないが、胡散臭い悪魔の出現でさらにきな臭い事態になりかねないのは明らかだ。生きながらにして苦行など真っ平御免である。

 それにあの時の兼平の言葉も引っかかる。


「……俺がここで黙って死ぬことを選んだらどうするつもりだ?」

『その時ャオレも死ぬってことよ。こんなオレ様でも死ぬのは怖ェがな』


 急に声の質が変わったように思えた。

 俺も死ぬのは怖いし、惜しい。まだ高校生だし、昔なじみの兼平や、会長や烏丸を始めとする生徒会の連中はいつ見ても俺をワクワクさせる。

 シンパシーとでもいうのか、まるで俺と同じことを考えるように寂しげに言ったロスの一言が心に残った。


「……本当に生き返れるのか?」

『あァ。悪魔は契約を反故しねェよ』

「……なら頼む」


 何故そんな言い回しになってしまったのかはわからない。

 ただ切実に生き返りたかった。


『はァん、急に汐らしくなりやがって……。ホントにいいんだな?』

「頼むっつってんだろ! このポンコツ野郎ぉ!」


 弱気になった分を取り戻すように今度は酷い言い草だったと自分でも思う。

 ロスも面喰らったように刹那的に反応が遅れたが、豪傑な高笑いを白い空間に木霊させた。


『カカカッ、オマエ最高だぜェ! お望み通り、敗者復活戦の時間だ!』


 周囲の白が一層濃さを増したような気がした。否、光が濃くなったらしい。

 目を瞑っているのに飛び込んでくる強烈な光線に脳を焼かれそうになる。

 割れそうになる激痛を触媒に俺の意識は遠のいた。


 気がつくと先ほどのプラットホームに立ち尽くしていた。

 聞き覚えのあるアナウンスに続いて電車が進入してくる。

 デジャブというか先ほどまで俺が見ていた光景だった。線路上に落下する直前と同じそれは、悪魔と対峙する前に見ただけのはずなのに、なんとなく懐かしい。

 ……俺は本当に生き返ったのか?

 漫画のように自分の頬をつねってみるが確かに痛覚が作用した。


『カカカッ、生きてる実感はどうだ?』


 悪魔の声が聞こえると反射的に振り返った。

 誰の姿もなく、停車を完了させた電車の扉が開く低い音が聞こえた。


『オレ様の姿は誰にも見えねェし、この声はオマエだけにしか聞こえねェよ。それよりもさっさと乗れよ。電車が行っちまうぞ?』

「わかってるよ」


 俺が乗り込むと同時に電車は閉扉し、動き始めた。

 こうして無事に生き返った俺と悪魔の奇妙な関係は始まったのだった。

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