四話・海華の女王
不毛な口論でそれなりに時間を削られた。
サッカー部の練習開始が正確にわからないが、もうすぐ掃除の時間が終わろうとしているので、俺の見立てでは聞き込みに当たれる時間は十分に満たないと思う。
元々アポイントなしでの聞きこみというのが無茶なようにも思えるが、今更それを指摘するのは非生産的でナンセンスだ。
尤も広橋の失踪自体が公に伏せられているので、アポを取る理由も難しい。そうなれば俺達の選択は端から突撃しかない。
「なあ、さっきの人だけど」
サッカー部のボックスへの道すがら、竹之内先輩について聞いてみた。
練習開始まであまり時間が残っていないが、昇降口に着くまでに概ねの打ち合わせは済ませてある。このくらいの雑談なら許容範囲だろう。
「あんた、竹之内先輩のこと知らないの?」
……そんなに有名人だったのか?
まるで知らなかった俺の方が異端のような口振りだ。
居心地の悪さを感じていると呆れ半ばに烏丸は説明してくれた。
「あの人は三年の竹之内ひばり。学年問わず学校中の男子を侍らせているの」
「侍らせてるって……」
高校生だよな、あの人……。顔もスタイルもものすごく大人っぽかったけど。
「そう、侍らせてるの。しかも男子には自分のことを“ひばり様”って呼ばせてるし。みんな、あの人のことを裏では女王って呼んでるのよ」
真面目な烏丸からすれば、あまりいい印象を持てないのだろう。今日も唾液で糸を引くようなキスを見せつけられたし、あれが日常的なものだったなら不純と捉えられても仕方ない。
しかし女王か。最初にその名前で呼び始めた人のセンスに称賛を覚えた。名付けたところでそう簡単に定着なんてしないだろうし、なにより性格的にも振る舞いとしても女王というのは言い得て妙だと思う。
面白そうな人だから傍観したいけれど、距離感を間違えると痛い目を見そうだ。あの人ほど薔薇のイメージが似合う女性はそうそういないと思う。現に今日の烏丸は棘のせいで血まみれになっている。
「なんかすごい人だな」
「おまけに家もお金持ちで、頭もいいらしいんだけどね。あの性格だから素直に尊敬できないわ。前期試験では文系のトップが家群会長で理系のトップが竹之内先輩だったみたい」
意外なところで会長の名前が出てきたな。
しかしあの性悪ロリっ娘とダイナマイトボディの女王様が同い年だなんてなかなか理解できない。たぶんわかる人の方が少数派だ。
海華高校のグラウンドは校舎の南にあり、その東側にはプールと運動部の部室として用いられるプレハブのボックスが林立し、西側には体育館が設けられている。
丘陵地にある住宅街の真ん中に位置する海華高校だが、グラウンドは複数の部活動が練習できるだけのスペースが確保されてる。
校名に倣ったマリンブルーのユニフォームを着た何人かのサッカー部員が既にグラウンド上に現れ、練習前の柔軟運動を始めているのが遠目からも確認できた。
ギリギリであるがなんとか聞き込みの時間はありそうだ。
隣で烏丸が安堵の表情を浮かべているのがわかった。強がっていたがやはり気にしていたらしい。
「すいません。生徒会の者ですが、部長の広橋さんはいらっしゃいますか?」
目を付けたのは三年生と思しき一番体格のいい男子生徒だった。ゼッケンには安部と書かれている。
三年生の広橋について聞くなら、同じ三年生が適任だと判断したようだ。妥当な判断だと思う。
「あー。今日はいないんだ。なんか体調不良らしくて、今週になってから学校にも来てないんだよ。あいつの代わりでよかったら、俺が話を聞くけど」
「いえ。事前にお渡しした資料について訂正カ所が二点ほどありましたので、そのことで伺ったのですけれど体調不良ですか。いつ頃来られるかわかりますか?」
声を掛けられた安部は爽やかな顔立ちを申しわけなさそうにすぼめる。
「うーん、俺も体調が悪いとしか聞いてないからな。一応今日が水曜日だから、明日くらいには顔を出してもおかしくないとは思うけど」
月火水と三日間も休んでいるし、教師からも詳しい情報が彼らには与えられていないのだろう。大した病状じゃなければ、そのくらいで復帰してもおかしくないと判断するのは至極自然だ。
苦笑する三年生部員はちらっと他の部員を見渡した。もう練習開始まで時間がないと見える。
つまりは俺達にも時間はあまりないらしい。
「では何か心当たりはありませんか?」
「心当たり……って言われてもなぁ。特になにもないな。とりあえずあいつが来たら生徒会に顔出すように言っとくよ」
そう言うと彼は踵を返す。
タイムアップのようだ。
「え、ちょっと待ってください!」
「うん? まだなんかあるの?」
慌てて食い下がる烏丸だったが、機密事項ということを思い出し、寸前のところで踏み留まった。
広橋は体調不良と伝えられている彼らから情報を引き出すのは難しいだろう。
仮に広橋が自発的に失踪したとしても、この条件下ならば原因になりそうな要因すら彼らの口からは出てこない。つまりは失踪の理由が自発的なものなのか、事件に巻き込まれたなどの受動的なものなのかさえ掴むのは容易ではない。
安部に向かって、勢いそのままに伸ばした右手が空回りした彼女の映し身のように行き場を失う。
怪訝な表情を見せた彼もほんの少し首を傾げただけで、整列し始めていた部員の輪に加わっていった。完全にタイムアップだ。
ふむ、特に進展はなしか。
そう易々と有益な情報を得られるとは思っていなかった俺とは違い、烏丸は多少ならずショックを受けているようだった。
気まずそうに右手を引っ込める彼女がいたたまれなく感じられたが、問題集のように答えがあるわけでもないのだから、うまくいかないことも多々ある。こればかりは地道にやっていくしかない。
融通の利かない彼女には受け入れがたいだろうけど、仕方ないと割り切れるように学んでほしい。
ついでに僕に対する攻撃性も不当であることを学んでくれるといいのだけれど。
「……なによ?」
攻撃的な吊りあがった眼差しがそこにあった。
この様子ではまたまだ僕への待遇の改善には至らないだろう。まあ簡単に直る方が気色が悪い。
「さて、どうする? アテがないこともないが」
「アテってアンタ……」
「勘違いするなよ。不確定なものだから言わなかったんだ。出し惜しみしてたわけじゃないぞ」
暴力を振るわれる前に釘を刺しておく。それに不確定だという言葉に偽りはない。
「……アテってなんなのよ?」
「ただの占い師だよ」
烏丸が占いなんてものを仕事に持ち込むとは思えなかったし、俺としてもまず聞き込みから事件の基盤を固める方が先決だと思っていたからこちらを優先した。
だから最初にこの選択肢を出すことはなかった。
しかし占いといえども馬鹿にできない。
彼女は怖いくらいに優秀な占い師なのだ。求めれば百パーセント近い確率で明解な解を与えてくれるだろう。そのくらいに信頼している。
「……ホントにアテにしていいのね?」
今の立場上生徒会以外に助けを求めることが良くないのは重々わかっている。それは烏丸も同じだろう。
「採算は取れると思うが、確信はないぞ」
「上等! 可能性があるならやってやるわ!」
竹之内先輩とのやり取りで時間をロスし、聞き込みも不発に終わった。
前者はともかく後者は自分のせいではないのに一人で背負いこみ過ぎだ。珍しく凹んでいた烏丸を不便に思ったのは間違いない。
しかし焚きつければ簡単に火がつく。まったく烏丸愛梨という同級生は単純だ。
ニアミスを挽回するチャンスを与えるだけで、これだけ燃えるんだから天性の負けず嫌いと言える。
まあ俺としてもこういう攻撃性を見せつけてくれるのは嫌いじゃなかった。
「それじゃあ行くか。場所は第三自習室。文芸部の部室だ」