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一話・傍観者の憂鬱

「それじゃあ今日はここまで」


 チャイムに合わせて数学教師が言うと、昼休みに突入した。


「おい、購買行くぞ!」

「やっべー、食堂の席空いてっかな?」


 欠伸を噛み締めながら、教室を飛び出すクラスメイトの声を聞き流す。昨夜は訳の分からない明晰夢のせいで寝不足だった。中学時代から見る夢だが、未だに理解しかねる内容だ。

 とりあえず昼飯でも食べて、午後からも頑張るか。

 机のフックに掛けられた鞄から弁当箱を取り出す。――と、そこで痛恨のミスに気がついた。


「……しまった。弁当忘れた」


 額に手を当て、ため息を一発。

 この教室は階段のすぐ隣で、バタバタと忙しない足音や話し声がよく聞こえた。

 この分じゃ食堂や購買にはすでに長蛇の列ができていることだろう。昼食にありつくまでが長そうだ。

 うんざりとする俺に、より濃密な憂鬱を届ける生徒会の使者がやってきたのはそんな時だった。


「ちょっと井波!」


 内面の凶暴さを声に滲ませ、黒髪ロングの美少女は教室に進入してきた。

 ああ、厄介なことになりそうだ。

 人間の第六感は退化したと何かの本で読んだことがあるけど、この時ばかりはビンビンに危機を察知していた。

 一瞬、逃げ出そうとも思ったが、大声で呼ばれたせいで逃れられないほどの視線を教室中から浴びている。これでは足掻くだけで好転することはないと判断する。

 艶やかな髪の毛を振り乱してやってきた美少女は座っている俺を見下ろした。

 腰に手を当てる高圧的な彼女が、この海華高校生徒会役員の烏丸愛梨である。


「無視とはいい度胸ね、井波春樹!」


 無視もなにも返事する間もなかったのだけど。そんな言い訳も彼女の前では無力なことを知っている。

 人間とは学ぶもので、特に痛みが伴うと心に深く刻まれる。

 ……あのボディブローは痛かったなあ。とても女子とは思えない破壊力だった。流石に露骨に痛がる真似はしなかったけれども。

 俺は趣味を聞かれれば人間観察と返してしまうくらい誰かを傍観するのが好きで、特に癖の強い人間をずっと見続けたいと思うのだけれど、烏丸愛梨だけは遠慮したいと思ってしまう。

 俺が求めるのはあくまで傍観する対象であって、彼女のように直接的に関わりを持つ相手ではない。

 例えるならテレビ番組に出ている芸能人のようなものだ。一方的に刺激を与えてくれ、無害な存在。害の有無という点で彼女はそれらから逸脱している。

 それに烏丸に関わり続けると俺の体が保たないだろう。


「何の用件だよ? 俺は忙しいんだよ」


 こいつに付き合っていたら食堂の列がさらに伸びてしまう。できるだけ早急に移動したいところだ。


「ちょっと生徒会室まで付き合いなさい。会長が呼んでるの」

「会長が?」


 生徒会長が俺を呼ぶならば心当たりがある。そしてそれは俺から頼んでいた案件であって、行かないという選択肢はここで潰えた。

 ハア……。

 今昼休み、早くも二度目のため息。

 別にこのタイミングじゃなくてもよかっただろうに。五十分ほどもある昼休みの頭に持ってくる必要はなかったのではないのか。

 不満はあるが、相手は烏丸愛梨だ。うだうだ言えばまたボディブローの餌食にされる。

 遠ざかる学食のラーメンセットを想いながらも、後ろ髪を引かれる思いで断ち切った。


「しゃーないな。さっさと行くぞ」

「やけに素直ね……?」

「口論するだけ無駄だってことだ。さっさと終わらせて、昼飯を食うぞ。俺はラーメンセットを所望する!」

「はいはい。わかったから行くわよ」


 訝しんでいた烏丸だったが、上手く誤魔化せたようだ。

 呆れる美少女をパーティに加え、生徒会へと向かう。

 教室を出る直前、「お前ばっかいい思いしやがってー!」と野次られたが思い当たる節がない。

 烏丸は見てくれこそ美少女だが、中身はバイオレンスだし、俺を呼び出した生徒会長もなかなかに人使いが荒い。こちらも美少女の類なのだろうが、個人的にあの人に手を出す性癖も度胸もない。

 詰まるところ、使いっぱしられるだけだ。いい思いなどした記憶がない。


 北校舎二階の教室から南校舎三階の生徒会室までの道中、烏丸とは終始無言だった。

 しかし特に居心地が悪いなどはなく、ずっと早く昼飯が食べたいと考えているとあっという間に生徒会室へと到着した。

 ギギギ。

 立て付けが悪い扉をこじ開けると、ふわりと床のワックスの匂いが鼻についた。

 職員室にあるアルミの机が6つ連結し、部屋の中央を陣取っていた。壁に沿うように林立する棚にはびっしりとファイルが詰め込まれ、南向きの窓を背景に校長室にありそうなソファーとバカに大きい木の机がドーンと置かれている。


「ずいぶん早かったね」


 あどけなさの残る舌っ足らずな声が俺を迎える。生徒会長の家群美沙子の声だ。

 逆光で見づらいが立ち上がった影はこちらに歩み寄ってくる。幼さ残るというよりも、まるっきり幼い容姿は小学生と言っても十分に通用するだろう。

 身長は推定百四十センチ程度。血色のいい頬とツインテールも相俟って、制服を着ていなければとても高校三年生には見えない。

 最初に見たときには俺も驚いた。

 しかし話してみると普通に年上のお姉さんだし、聞くところによれば二年連続で生徒会長に当選するほどのカリスマ性も持ち合わせているというのだから、さらに驚きだった。

 彼女もまた傍観するにはもってこいの人種で面白いエピソードには事欠かない。

 例えば幼女趣味ロリコンの生徒に告白されたなんてのは序の口で、休日に公園を散歩している時に「お菓子をあげるからおいで」と知らない男に誘われたエピソードなどは抱腹絶倒モノである。

 まあ、重ねて言うが話せば年相応の女性である。重度のサディストということに目を瞑れば、だが。


「まだ昼飯も食べてないんですよ。誰かさんが強引だったんで」


 やんわりと毒を吐いておく。このくらいしないと腹の虫が収まらない。食べ物の恨みとは得てして恐ろしいものだ。


「うーん、ボクは急ぎとは言ってないんだけどね。その件に関しては謝罪するよ。申し訳なかった」


 ……こんなに素直に謝られるとこちらの調子が狂う。

 というか烏丸の独断だったのか。そう言われれば納得だ。許しはしないけど。


「愛梨ちゃん!」

「は、はい!」


 いきなり名前を呼ばれると烏丸の体がピシャリと跳ねた。これはお仕置きのフラグだろう。


「ボクは井波くんを連れてきてとは言ったけど、時間を奪ってまで無理やり連れてきてなんて言ってないよ」


 突然の説教に戸惑う烏丸が滑稽だ。俺のランチタイムを台無しにしたのだから、このくらいは当然だろう。


「はい……すいません」

「まったく。ボクら生徒会は他の生徒のために動く組織なんだから、逆に負担させちゃダメだよ。君には罰として『もろへいや100%ジュース』を買ってきてもらうよ」


 もろへいや100%ジュース――その名前を聞いて、烏丸はフリーズした。


「え、……ええっ!?」


 刹那的に情報の処理が追いつかなくなったのか、再び動き出した烏丸は身振り手振りを交えて、おそらくは拒絶しようとしているのだが一向に言葉が追いついてこない。その動きはまるでエジプトの壁画か、パラパラ漫画のようである。

 彼女がこれほどまでに嫌がるそれは、名前の通り原材料にモロヘイヤのみを使用し、青臭さと喉越しの悪さから海華高校の一部の生徒の間では『究極の罰ゲーム』として名を轟かせていた。

 他所では見かけないのに、何故だかこの学校の購買部横の自販機でのみ購入できるので、海華高校版学校の七不思議のひとつに数えられる。

 俺も一度だけ口にしたことがあるが、清涼飲料水の表示に疑問を抱かざるを得ない代物だった。そして間違いなく人間の飲む物ではない。

 だから烏丸の気持ちもよくわかる。よくわかるがフォローするつもりもない。


「どうしたんだい? まさか嫌だなんて言わないよね?」


 たたみかける家群会長。これぞ性悪ロリっ娘の真骨頂だろう。

 あの味を知る俺からすれば、これは間違いなくパワハラや体罰の類だ。

 プルプルと生まれたての仔牛のように身を震わせた烏丸だったが、意を決して開口した。


「わ、わかりました! 行ってきますよぉ!」


 彼女らしくない語尾を伸ばした口調は、尊敬して止まない家群会長への些細な反抗なのだろう。だが頬を膨らませながら生徒会室を飛び出す彼女に向けられた笑みから察するに意味など皆無なのだった。

 そうして生徒会室は俺とロリっ娘会長の二人だけとなった。

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