切り取られた日付の町
又あの日の記憶が戻ってきます。3,11大震災
気を失い沈んで行った所がどこなのか田村には解らなかった。
その町は見たことのある町であった様な気がした。
田村は酒の看板を見るとその店に入ることにした。
「・・・・・・」
30代の女は口を開けてはいるが声は聞こえては来なかった。
多分『いらっしゃいませ』と言っているのだろうと田村は感じた。
カウンターに腰をかけウイスキーの水割りを頼んだ。
いつもの口当たりではなかった。
何か潮っぽい感じだ。
「換えてくれないか」
田村は新しいグラスを口にしたが、やはり前のものと同じであった。
「ここの水は美味くないね」
「・・・・・・」
『そんなこと有りません普通ですよ』
と言っているらしい。
まわりを見ると誰もが楽しそうに酒を飲んでいる。
ただその人たちからは声は聞こえなかった。
何故声が聞こえないのだろうかと田村は考えた。
この部屋を満たしている空気と思いこんでいたものが、空気のように抵抗のない海水である事が解った。
そのために鼓膜が圧迫されていたのかも知れなかった。
1時間もすると、田村は音が聞こえるようになった。
「こんなにおっきな津波が来るとは思わなかった」
「そんだ、早く逃げれば良かった」
「子供がしんぺえで死ぬにも死にきれねえだ」
『でもおらたち助けられたんだよな』
『こうして酒を飲んで楽しんでるだ』
『でも酒ばっかり飲んで仕事はどうする』
『そうだな。ここは竜宮城見てえで、もう飽きたな』
『そんだ事言うでねえよ、あの方に悪いだよ』
その男はママを指差した。
田村は自分は教師であることに気が付いた。
学校に行きたいと思った。
「ママさん、近くに学校はありますか」
「直ぐに創りますから」
「酒ではないですよ」
「解ってます。子供たちもね」
田村には何の事か理解できなかった。
「この店の前が学校ですよ」
ママに言われ店から出た。
言われたように学校があった。
学校に入る前に田村は深呼吸をした。
薄い海水の臭いがした。
これでアルコール臭さも消えるだろうと田村は思った。
子供たちに会うのに酒の臭いはまずいと思った。
教室には子供たちの笑い声がしていた。
田村は教室の外から眺めた。田村のクラスなのに
新しい先生がいた。
この学校には海水の臭いが消えていた。
乾いた空気の臭いであった。
ママの店に戻り壁を見ると
ハサミで切り取ってあったものは平成23年3月11日のカレンダーの日付であった。
酒場のママはハサミから何でも創れたのだ。
くるくると紙を動かしながら、人も建物も・・
「信じさえすれば命も・・・・・・・・・
与えられます」とママは言った。
田村が来た町は切り取られた3月11日の町であったようだった。
鏡のなかに写しとられた町や命はその世界で生きているのだった。
田村が再び気が付いたのは妻の大きな声を聞いた時だった。
「よかった」
田村は今のこの世界がまだどこなのか解らなかった。