トラップ2
それから3日が過ぎていた。事態は最悪のほうに進んでいる。正儀はとうとうまる3日寝ていない。横になるのだが脳の神経が高ぶっていて目をつぶっていても心が不安定になりますます目が冴えてしまうのだ。ずっと起きているわけだから当然たばこを吸う量が多くなる。軽く150本は超えているだろう。コーヒーも飲むのをやめた。いま一番気になることが週末まで休まないでくれといわれたのに、すべて休んでしまったことだ。白石さんに合わせる顔がない。ふたり分の仕事をひとりでこなさなければならない破目にさせたことを申し訳ないと感じている。
とにかくいまの状態でなにもしないわけにいかない。母親に相談して掛かりつけの病院にいったところ、都立青山病院の神経科に紹介状書いてもらいただちに向かうことにした。タクシーをすぐ拾って青山病院までお願いします、と運転手に伝えた。病院に到着しそこで待ち受けていたのが大勢の患者だった。予約がないのだからいちばん後回しにされるのはわかるが、診察まで2時間待たねばならなかった。
正儀は順番を待っている間中この3日間で起こった現象をすべて話すべきか悩んでいた。なぜなら突拍子もないことを話さなければならなかったからだ。まず自分の部屋のオープンリールデッキで音楽を聞こうとしてセットしようとしたら、左右のリールがふたつとも正反対に動き出し最後はテープが引きちぎれてしまった。このデッキには正反対に動く設定などないのである。さらに飲んだ水分が胃を通り腸を抜けてそのまま大便として流れその回数が10回を超えてしまったことだ。普通なら小便として排出されるはずだ。この経験が俺をトラウマにした。つまりもし外出中だったらどうなるか、すぐトイレが見つかればいいが、電車やバス、公共の場でトイレが見つからなかったらどうなるのか、このことはよっぽどのようがないかぎり俺を閉じこもりにした。いったいどこまで現実を話したらいいのか自分でも判断しかねていた。とにかくいまは眠ることだ。それを一番に訴えよう。
そして診察の番がやってきた。担当医は木村という若い医師だった。彼はいった、
「どうしました?」
正儀はぽつりと小声で答えた「3日間まったく眠れないのです。それに幻聴がひどくて」
すると医師は「いままで不眠の経験は?」
正儀は「3週間前から急に3,4時間しか眠れなくなり、そのあとまったく眠れなくなりました」
医師は「じゃあ、最近ですね。他に変わったことは」
正儀は「誰かに後をつけられている感じがしました」
「幻聴はどんな内容を話しますか」の医師の問いに正儀は、
「政界と財界、つまり俺たちは政財界の者だ。FMクリエイトの裏の稼業である、と訳の分からないことをしゃべっています。脈略がなくおまえは死刑に決まったと。あと話すことがなくなると、もうこれ以上を迷惑かけねぇよ、を連呼します。しゃべること自体が迷惑なのにね」