表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
静かな海  作者: 浮世雲のジュン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/6

第一話 雫と灯し



「雫、あんた最近、何を考えてるのか分からないよ」


夕食のあと、母は湯呑みを置きながらそう言った。

責める声ではなかった。困ったような、疲れたような声だった。


雫は返事ができなかった。


「別に怒ってるわけじゃないの。ただ……あんたが黙ってると、こっちも心配になるの」


「……うん」


やっと出た声は、それだけだった。


本当は言いたいことがあった。

苦しいことも、寂しいことも、自分でもうまく説明できないことも。

けれど、言葉にしようとすると胸の奥で絡まってしまう。だから雫は、また黙るしかなかった。


母もそれ以上は何も言わなかった。

ただ、「風、冷えるから上着を着なさいよ」とだけ言った。


雫は小さくうなずき、家を出た。


夜の海は静かだった。

波の音はしているのに、騒がしくはない。遠くで誰かがゆっくり息をしているような、低くてやわらかな音だった。防波堤の先まで歩き、雫は足を止めた。


手には古いランタンを持っていた。

祖母が昔使っていたものだ。停電の夜に、祖母はいつもこれに火を入れていた。


――明るすぎる灯りはね、疲れるのよ。


祖母の声を思い出す。


――でも、小さな灯りは違うわ。ちゃんと、足元を見せてくれるから。


そのときは意味が分からなかった。

けれど今夜、雫はその言葉を思い出していた。


ランタンの火は小さく揺れていた。

海風が吹くたびに、消えそうになる。雫は思わず両手で囲った。


「……消えないで」


自分でも驚くほど小さな声が漏れた。


火は細くなりながらも、消えなかった。

わずかな熱が指先に伝わる。


そのぬくもりに触れた瞬間、胸の奥が急に痛んだ。


どうしてだろう、と雫は思った。

たかが小さな火だ。部屋全体を照らせるほど強くもない。海の闇なんて、まるで消せない。

それなのに、その小さな灯りがあるだけで、自分はさっきより少し落ち着いている。


「これで……いいのかな」


雫は海に向かってつぶやいた。


答える人はいない。

けれど、波がひとつ、静かに返事をしたように聞こえた。


そのとき、背後で声がした。


「いいんじゃないか」


振り向くと、近所の古びた漁具小屋の見回りをしている老人が立っていた。顔見知りではあるが、話したことはほとんどない。


「びっくりした……」


「悪い悪い。そんな顔するな」

老人は雫の手元のランタンを見て、少し笑った。

「いい灯りだな」


「古いんです。おばあちゃんの」


「古い灯りは、いい。無理に明るくないからな」


雫は思わず、その人を見た。


老人は海のほうへ目を向けたまま言った。


「若いころはな、でっかい答えばっかり欲しくなる。これからどうする、何が正しい、何を選ぶ、そういうのをな。でも人間、ほんとに弱ってるときは、そんなもん見えなくていいんだ」


「え?」


「次の一歩が見えりゃ、十分なんだよ」


雫は言葉を失った。


まるで、今の自分の胸の中を見られたようだった。


老人は肩をすくめた。

「大きな光は立派だ。でも、夜道で助かるのは、案外こういう小さい灯りだ」


そう言って去っていく背中を、雫はしばらく見ていた。


次の一歩が見えりゃ、十分。

その言葉が胸の中で、静かに沈んでいく。


灯しとは、きっとこういうものなのだ。

人生を全部照らす奇跡ではない。

悲しみを消す魔法でもない。

ただ、真っ暗な夜に、足元だけは見失わないようにしてくれるもの。


そのとき、ぽつり、と頬に何かが落ちた。


雨ではなかった。


「あ……」


涙だった。


雫は、泣くつもりなんてなかった。

けれど胸の奥にたまっていたものが、ようやく一滴になってこぼれたのだと分かった。


その一滴は、みじめなものには思えなかった。

むしろ、ようやく本当の気持ちに触れたしるしのように思えた。


悲しかったのだ。

分かってほしかったのだ。

黙っていたけれど、本当はずっと苦しかったのだ。


雫は袖で涙をぬぐった。


「これが……雫か」


自分の名前を、初めて自分で受け止めた気がした。


雫とは、弱さではない。

心の奥に沈んでいたものが、やっと形になった最初のしるしだ。

そして灯しとは、そのしるしを抱えたままでも前へ進めるようにしてくれる、小さな光なのだ。


海の向こうで雲が切れた。

月の光が水面に細く伸びる。


雫はランタンを持ち直した。

遠くは見えない。明日がどうなるかも分からない。

それでも、今夜は足元が見える。


それでいい。

今は、それで十分だ。


「帰ろう」


小さく言って、雫は歩き出した。


手の中には、消えない灯し。

胸の奥には、ようやくこぼれた一滴の雫。


その二つがあれば、この夜は越えていける気がした。




この方向だと、かなり入りやすくなります。

特に、


母との会話で「雫が抱えている苦しさ」が早く伝わる


老人との短いやり取りで「灯し」の意味が自然に入る


最後に涙で「雫」の意味が読者に落ちる


という流れなので、説明くさくなりにくいです。


次はこの調子で、もっと家族小説寄りにして、お母さまでも読みやすい版へ整えていきましょうか。


第一話 雫と灯し


「雫、ちょっといい?」


夕食の片づけをしていた母が、振り向かないまま言った。


「最近、あんた、元気ないでしょう」


雫は台所の入り口で立ち止まった。

返事をしようとして、やめた。


母はため息まじりに笑った。


「怒ってるんじゃないのよ。ただ、何を考えてるのか分からなくてね。黙ってばかりいると、心配になるの」


「……別に」


そう言った声が、自分でも驚くほど弱かった。


「別に、じゃ分からないよ」


その言葉に、胸の奥が少し痛んだ。

でも、何がつらいのか、自分でもうまく言えない。言葉にしようとすると、どれも違う気がしてしまう。苦しいような、寂しいような、でも大げさに言うほどでもないような。そんな気持ちが、雫の中にはずっと溜まっていた。


母は手を止めて、やっとこちらを見た。


「外、寒いよ。出るなら上着着ていきなさい」


雫は小さくうなずいて、家を出た。


夜の海までは、歩いて十分ほどだった。

風は冷たかったが、家の中にいるより息がしやすい気がした。防波堤まで行くと、波の音が静かに続いていた。荒れてはいない。ただ、暗い海がどこまでも広がっていて、自分の気持ちまで吸い込まれそうだった。


雫は古いランタンを持ってきていた。

祖母が生きていたころ、物置に大事にしまってあったものだ。停電の夜になると、祖母はそれに火を入れていた。


――強すぎる灯りは、疲れるよ。

――でも、小さな灯りは、人を落ち着かせるんだよ。


昔、祖母がそう言っていたのを思い出す。


雫は防波堤に腰を下ろし、ランタンを足元に置いた。

小さな火が、ガラスの中で揺れている。海の闇に比べたら、本当に頼りない灯りだった。


「こんなの、あってもなくても同じかな……」


ぽつりとつぶやいた、そのときだった。


風が少し強く吹き、火がふっと細くなった。

雫は思わずランタンを両手で包んだ。


「消えないで」


声に出した瞬間、自分で驚いた。

たかが小さな火なのに、消えたら困ると思ったのだ。


火は揺れながらも、消えなかった。

指先に、じんわりと熱が伝わる。


そのぬくもりに触れたとき、雫の胸の奥で何かがゆるんだ。


全部を明るくすることはできない。

海も、夜も、これからのことも、この灯りひとつでは何も変えられない。

けれど、自分の足元だけは見える。

それだけで、さっきより少し安心できる。


「……ああ」


雫は小さく息を吐いた。


そのとき、後ろから声がした。


「その灯り、いいな」


振り向くと、近所に住む吉岡のおじいさんだった。夜になると、ときどき海の様子を見に来る人だ。


「びっくりした」


「悪かったな」


おじいさんは雫のそばまで来ると、海を見ながら言った。


「古いランタンだろう、それ」


「はい。祖母のです」


「そうか。いいもん残してくれたな」


少し沈黙があったあと、おじいさんは続けた。


「若いころは、なんでも大きな答えが欲しいもんだ。これからどうするのが正しいとか、自分は何のためにいるとか。だがな」


雫は黙って聞いていた。


「人間、ほんとにつらい夜は、そんなもん分からなくていいんだよ。次の一歩が見えれば、それで十分だ」


雫は、思わずランタンを見た。


小さな火が、まだ揺れている。


「次の一歩……」


「そうだ。遠くまで見えなくても、人は歩ける。足元さえ見えてりゃな」


おじいさんはそれだけ言うと、「冷えるぞ、あんまり無理するな」と言って帰っていった。


雫は、その背中をしばらく見送った。


次の一歩が見えれば、それで十分。


その言葉は、不思議なくらい胸にすっと入ってきた。

いままで雫は、自分が何を思っているのか、はっきり言えないことを恥ずかしいと思っていた。答えを持っていない自分は、だめなのだと思っていた。


でも、そうじゃないのかもしれない。


そのとき、ぽたり、と頬に何かが落ちた。


雫は顔に触れた。

涙だった。


泣くつもりはなかった。

けれど、ずっと胸の奥に溜まっていたものが、ようやく一滴になってこぼれたのだと分かった。


悲しかった。

分かってほしかった。

ずっと黙っていたけれど、本当はつらかった。


たったそれだけのことを認めるまでに、こんなに時間がかかった。


「これが……雫なんだ」


雫は小さく笑った。


雫とは、弱いことではない。

心の中に溜まっていた思いが、ようやく形になったものだ。

そして灯しとは、その思いを抱えたままでも、前へ進めるようにしてくれる小さな光なのだ。


海の向こうで雲が少し切れ、月の光が水面に伸びた。

細い道のように見えた。


雫は立ち上がり、ランタンを持ち直した。


明日のことはまだ分からない。

家に帰ったからといって、急に全部がうまくいくわけでもない。

それでも、今は帰ろうと思えた。


家の灯りが見えたら、母にひとことだけ言ってみよう。

「ちょっと、しんどかった」と。

それだけでもいい。


手の中には、小さな灯し。

胸の奥には、ようやくこぼれた一滴の雫。


それがあれば、この夜は越えていける。

雫はそう思いながら、家へ向かって歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ