この毒だけは誰にも渡したくなかった
古今東西全ての薬草をその領地で育てていることで知られるファイス家の跡取り娘、ダニエラ。
彼女は、緑がかった黒髪に、濃い緑の瞳の、美しく妖艶な美少女であった。
本心を悟らせぬ感情の薄い笑みと、同じく本意を探りかねる艶めかしい声。
その魅力は幼い頃から発揮されており、同い年の令息たちは幼い頃こそ得体のしれぬと恐れたものだが、年頃になってくるとその艶に魅了されていってしまっていた。
社交界の花、ダニエラ。
彼女は毒であり薬であり、素人が触れてよいものではないと、鑑賞する距離感こそがよいと言われていた。
それでもと距離を詰めようとする令息は無数にいた。
だがしかし、ダニエラの伴侶として選ばれたのは、ごくごく平凡な令息だった。
色素の薄い金髪と青目は単体で見れば美しいかもしれないが彼の印象をぼかしていて、顔立ちも際立って整っているわけではない。
身長とてそうで、とびぬけて高いわけでも低いわけでもなく、筋肉質でも肥満でもない。
頭脳とて噂になるような秀逸さがあるわけでもなく、かといって愚鈍でもない。
ダニエラが伴侶とするには平凡過ぎるのではないか、と、嫉妬する声が上がるのも無理からぬことである。
しかし、ダニエラは不満そうにするでもなく彼を伴って社交に出たし、社交の場に出てくる時は彼の色合いをした扇子や髪飾りを欠かさなかった。
故に、同年代の令息たちは、冴えない男に寝取られたような悲しみを抱きながらも、ダニエラを諦める選択をした。
誰にも靡く事のなかったダニエラが、婚約者の隣で微笑んでいたからである。
「ねぇダニエラ。本当に僕でいいのかな?
僕は、その、薬草の知識もないし、商売の才能もないんだけど」
「構わないわ。わたくしがあなたがいいと言ったから婚約に至ったのよ。
それで何が不満なの?わたくしのこと嫌い?」
「嫌いなんかじゃないよ」
半月に一度の茶会の際、思いつめた顔で問いかけてくる婚約者に、ダニエラは出来るだけ感情が伝わればいいと思いながら微笑んだ。
ずっと。
ずっと、ずっと、欲しかった。
たまたま王都のタウンハウスが隣同士という縁しかなかった幼馴染の、キース。
彼のことを、物心ついた時から愛していた。
愛だの恋だのを知るよりずっと前から。
恋心というものを書籍で説明されてようやっと、己の内の渇き欲する感情がそれなのだと気付いた程。
美しくなるための努力は全てキース、今の婚約者のためのもの。
男を誘う美しい花のような見た目や仕草も全てはキースを虜にするためのもの。
ダニエラはダニエラなりに考えて、己の風貌を活かしただけだった。
儚げな美少女の容姿に生まれていればその通りにしたろうし、勝気げな美少女であればそうした。
ただ、妖艶な美少女として生まれたが故に、蠱惑的で、ミステリアスで、艶やかな言動をするようになっただけ。
己の全てを活用し、虜にする。そのための努力。
それら全ては、キースのために。
生まれた時から毒にも薬にもなるものに囲まれて育った彼女を夢中にした恋なる毒は、彼女を強くタフにした。
両親が婚約者を決めるとなった段階で、キースが筆頭に上がるように仕掛けたのはダニエラだ。
自身の恋心とは無縁という形で、誰にもその恋を知られぬままに、キースがいいと両親が決めたと思えるような形で。
両親は気付いてさえいないだろう。
娘が密かに資料に手を入れ、キースこそが最良の夫になると思うように仕向けていたことなど。
実際にはどの家の令息であっても、ダニエラの心が許す限りは差などなかったことなど。
キースが他より優れているところがあるとすれば、それはただダニエラの寵愛がある。
ただそれだけが飛びぬけていて、しかしその価値は大きい。
ダニエラはキースを伴侶と出来ないなら家を潰す方向に舵を取ったろうから。
キースが伴侶となるからこそ勉学に励み、キースとの愛の巣となる領地を富ませる努力をしているのだから。
他のものには何ら執着などない。
家族にさえ情は殆どない。
ただ、キースという、ダニエラの心を冒す毒だけは手放したくなかった。
生涯この薬に浸っていたかった。
そのためなら何を捨てても構わなかった。
例えばキースが平民だったならば、ダニエラは貴族の身分を捨てていただろう。
それほどに、キースという存在そのものを欲していた。渇望していた。
「大好きよ、キース」
甘い甘い毒のような声音で愛を囁くダニエラは、いつもの作り物の妖艶な笑みではなく、ただ唯一に向けるためだけの幸福そうな笑みを浮かべていた。




