61.いつでも消せるなら残そう
ルカを牧場の馬がいる区域に放してやる。愛馬モニカと仲のいいルカは、すぐに走り出した。モニカの尻尾にじゃれつきながら追いかけ、時々繰り出される蹴りを避けている。モニカの蹴りは鋭いから、いい訓練になるだろうな。
笑顔で見守り、寄ってきたベスの愛馬ブリサの鼻先を撫でた。動物と触れ合う時間は癒されるな。彼らは本気で生きているから、人のように嘘をつかない。好き嫌いはもちろん、その優しさもいつだって真実だった。
ベスに背中に乗れと促すブリサには悪いが、このドレスを脱いでからだ。きちんと伝えて、乗馬は明日にしようと言い聞かせた。相手が人でなくても、こちらが誠意を尽くせば伝わる。ぶるるんと鼻を揺すって啼いたブリサに別れを告げて屋敷に入った。
夕飯前の忙しい時間帯、執事のバシリオが迎えに出る。
「ただいま帰った」
「おかえりなさいませ、お嬢様、若様」
相変わらず、私をお嬢様と呼ぶ。今は逆に聞こえるだろうなと思いながら、自室へ向かった。手を引くベスが手前の部屋へ入り、少し歩いて……扉の前で振り返る。
「どうした? バシリオ。何かあるのか?」
「いえ。何かあるのはお嬢様のほうでございましょう」
私の態度が何かおかしかったか? 首を傾げれば「自覚がないようですね」と苦笑いされた。ひとまず扉を開けて部屋に入り、バシリオを手招きする。未婚の令嬢が……などとくだらない発言をする者は、この屋敷にいない。
バシリオが私の護身武術の師範なのもあるが、執事は使用人の中で特殊な立ち位置だった。家族や婚約者がエスコートできない場合、未婚令嬢のエスコートが可能なのは家庭教師と執事だった。使用人でありながら、同時に親戚のおじに近い立ち位置なのだ。
「表情が暗く感じられます。何か心を曇らせることがありましたか」
疑問というより、言い聞かせるような口調だった。自分で思い出せと促すバシリオにソファーを勧め、着替え始める。上着を脱ぐと、後ろからバシリオが手を貸してくれた。上着を受け取り、皴にならないよう丁寧に畳む。
首元を緩め、渡された室内用のシャツに着替えた。ピンクとフリルがたっぷりの衣装を脱げば、ふぅと息が漏れる。思ったより気負っていたらしい。
「顔の傷だが……」
「はい」
突然切り出した話題に、バシリオは手を止めて待つ。なぜか、言いにくいと感じた。自分では気にしていないし、そのつもりだった。だが、可愛いベスやルカの隣に立つには……顔の傷は邪魔だろうか。自分の行動に後悔はないのに、この傷のせいでベスやルカも倦厭されたら? と不安になった。
正直にそう伝えた私に、バシリオは口元を緩める。
「あなた様が気に入っている様子なので提案しませんでしたが……消せます」
「……は?」
「その傷痕を綺麗に消すことは可能と申し上げました」
ゆっくり噛み砕いて理解し、私はベッドに体を投げ出した。肩を震わせて笑い、ばっと身を起こす。
「いかがなさいますか?」
「このままにしよう!」
いつだって消せる。なら、消さなくてもいい。閃くようにそう思った。




