32 時田の一本
時すでに遅し――
といった感じだったが、時田は歩き方を直した。
(もう止めてくれ!!)
心の中で何度も叫んだが、その声は周囲には届かず――
「時田は人間じゃないかも知れん」
「アイツはなんかおかしいんじゃ」
考えていることが、何かに映っているこの状況と、当事者は不気味にしか映らなかった。
歩き方を直した時田だったが、それでも身体の痛みがなくなったわけではなかった。
(身体を壊しそうだが、レギュラーでもない俺だ。正直、身体を張ったところで直接試合結果には関係ない。かといって、練習で手を抜くわけには……。一番は、親に心配は掛けたくない……!)
時田は、完全に空回りして1人でコンディショニング施設へ通っていた。2年目の冬練で、ウェイトトレーニングをおこなっていた施設では、専門家が、身体のケアもやっていたのだ。この施設通いを、シゲミに相談もせず時田は、1人で――。
6月頃――、
(この俺には、この高校の冬の練習で培った精神力が……)
そう自分に言い聞かせ、誰にも相談せず、ただひたすら石の様に耐え続けた。
それでも――、
(今日がまた、始まってしまう……)
毎朝が苦痛で仕方がなかった。野球部の練習では、好きなコトをしているだけに、なんとか全力を出せていた。
そして――、
3年生の思い出試合の打席に、時田はいる。
代打だった。
『初球を叩け!』
代打は、第1球目からフルスイングすると、昔から念仏のように経験者は口を揃えて言う。
しかし――、
(――――)
その時には、生気を失った時田がもう既に、まともに野球が出きる状態ではなくなっていた。
「ストライーク!!」
『ああっ』
ベンチから、絶望にも似た声が今にも耳に届きそうだった。
呆然と立ち尽くすだけの時田は、3年近くやってきた高校野球の知識がギリギリ脳裏を過り、頭の中でそれを口にしていた。
(あー、俺は左だから、サードランナーコーチャーが相手キャッチャーの構えを……!!)
ふと、視線を向けた先のサードランナーコーチャー、キャプテン岡田の姿が、鮮明になりハッとした。
(――――)
キャプテンが、何を考えていたかは分からないが、打席にいる時田をただ真っ直ぐ見つめる、凛とした佇まいに、自然と集中力が増した。
――――!!
「キンっ!」
高々と上がった打球は真っ直ぐセンター方向へ。そして大きな放物線を描いたかと思えば、急に角度を変え、ドッと中堅手の手前へ落ちた。
あっ、フライだ。
打った瞬間、時田はそう思ったのだが、高校野球人生で対外試合の、最初で最後のヒットとなった。
ベンチはワッと沸いた。
あの時田が……! 誰もが目を疑った。初球からスイングできなかった後の、2球目をひと振りで……。
1塁ベース上で高々と拳を掲げるベンチに、そっと遠慮がちに右腕を上げ、返した。
(キャプテンが打たせてくれたヒットだ。後でお礼を言おう)
――――
およそ2ヶ月後敢行した、『レギュラー全員のマッサージをする』イベントで、キャプテンにその打席でのコトを話しておいた。
「あのヒットを打たせてくれたのは、岡田なんよ」
「……そうか」
それ以上、言葉はいらなかった。
「……」
「……」
只々、時田はキャプテン岡田のマッサージをした。その鍛え上げられた身体にかかる疲労、責任、重圧を指先で感じながら――。
「試合、頼むで!」
「おう!」
キャプテンは、短く答えた。
引退をかけた、夏の大会がどうなったかは、もうちょっと後のお話に――。




