終章:血と雪に消える手紙
重く湿った雪は、先ほどまでの惨劇の音をすべて吸い込み、峠の茶屋を静寂で満たしていた。
黒岩 鉄馬と島津 兵吾は、もはや生者とは言い難い、血と泥にまみれた姿で立ち尽くしていた。
二人の視線の先には、一本の梁から吊るされた一つの影。
鉄馬は憎むべき悪人を討ち、島津は自らの「関所代官」としての体面を保った。
彼らは手を組むことで、八悪人の中の悪党を、彼ら自身の手で裁いたのだ。
鉄馬は、鎖を握り続けた丈之助の硬直した手から、一枚の紙切れを引き抜いた。
それは、関所を通る際の口上として、丈之助が肌身離さず持っていたものだ。
「……何だ、それは」
島津が喉を鳴らす。
鉄馬は汚れた紙を広げ、雪明かりに透かしながら読み上げる。
「『…これは、江戸城よりの密命書である。首吊り丈之助は、公儀の隠密として、薩摩の落人島津兵吾を秘かに監視、必要とあらば即座に討ち取れ。これを公にすれば、即刻斬首…』」
島津の顔が歪む。
「何を戯けた! たわけた偽書だ!」
「ああ、偽書だろうな」
鉄馬は感情のない声で同意した。
「だが、こいつ(丈之助)はこれを本物だと信じていた。お前さんを討ち取る大義名分を欲しがってたんだ。正義漢のフリをするには、都合の良い作り話が必要だったんだろう」
鉄馬は、紙に書かれた将軍の朱印を、わざとらしく島津に見せつけた。
「笑えるぜ、島津。お前さんは、命を狙っていた男のために、仇を討つ手伝いをさせられたことになる」
島津の顔には、屈辱と怒りが入り交じる。
丈之助への憎悪が、一瞬、鉄馬へと向けられた。
「…貴様も同じだ、黒岩」
島津は呻くように言った。
「貴様は、その血に濃い肌のせいで蔑まれ、居場所を失った。そして、貴様を最後まで忌み嫌っていたであろう、あの鼻持ちならない賞金稼ぎのために、命を懸けたのだ。憎い敵と手を組んで、血と雪の中で」
鉄馬は鼻で笑った。
「ああ、それがどうした。俺は、丈之助の正義なんぞには興味はない。だが、毒を盛った奴、俺の命を奪おうとした奴らは許せねえ。これこそ、俺の、そしてお前さんの真の『大義名分』だろうよ、元・薩摩の旦那」
鉄馬は、その手紙をくしゃくしゃに丸め、血で汚れた茶屋の床に投げ捨てた。
雪が吹き込み、その紙切れをあっという間に薄く覆い隠していく。
外では吹雪が少し緩み、白い雪と赤い血だけが残った。
八人の悪人(あるいは、悪人同然の者たち)は、この峠で互いを疑い、殺し合い、そして鉄馬と島津という、最も憎み合う二人の手によって、その幕を引いた。
「どうする。俺たちも、このままここで朽ちるか?」
島津が問うた。
鉄馬は静かに答える。
「俺は行く。丈之助が持っていた『生きた首級』の賞金は、お前さんのおかげで受け取れなくなった。次を探しに、この地獄からな」
鉄馬は、茶屋の扉を開け、白い世界へと一歩を踏み出した。
島津もまた、何も言わずにその後を追った。
互いに唾棄すべき存在であると知りながら、彼らは共に、誰も居なくなった茶屋を背に、閉ざされた峠路を歩き始めた。
憎み合いながらも手を組んだ二人の男の足跡は、降り積もる雪によって、すぐに完全に消し去られた。
この峠の吹雪は、すべての悪事と、すべての命と、そしてすべての皮肉を、白く塗りつぶしていく。




