第四章:床下の影
No.1. 軋む床と響く銃声
丈之助の毒殺と、お咲の鎖からの解放、そして鉄馬の激昂による詰問。
茶屋に集った八人(五郎を除く七人)の間に、疑心暗鬼の亀裂が走ったその瞬間、床下に潜んでいた何者かが動いたことを示す、低く、重々しい軋む音が響き渡った。
「…床下だ!」
鉄馬は即座に反応し、囲炉裏の傍に立つ六平太と源蔵から距離を取るように、抜刀の構えを取った典膳と島津の間へ飛び込んだ。
ドォン!
鋭い破裂音が茶屋の障子を揺らした。
それは、侍の刀の音ではない。
火薬の焦げた臭いと共に、床板の隙間から火縄銃の轟音が響き渡り、火花が散った。
その直後、二度目の銃声が島津 兵吾の頭上をかすめ、彼はとっさに地面に身を伏せた。
「火縄銃だと…! 盗賊団の頭領錠次か!」
鉄馬は、お咲の仲間が救出に現れることを丈之助が極度に警戒していたことを思い出し、今こそその時が来たことを悟った。
床板が、内側から激しく蹴破られた。
舞い上がる土埃と木屑の中、そこに現れたのは、顔に大きな刀傷を持つ隻眼の巨漢。
その男こそが、悪名高い大盗賊団の頭領、錠次だった。お咲の兄である。
錠次は、火縄銃を素早く装填し直しながら、倒れたお咲を腕に抱き寄せた。
「お咲! 無事か!」
「錠次…! 助けに来てくれたんだね!」
お咲は、鉄馬に殴られた頬の血を拭いながら、狂ったように笑った。
No.2. 本性を現す二人
錠次の登場は、茶屋にいた四人の留守番人のうち、二人の本性を白日の下に晒した。
「六平太! 源蔵! 待ちかねたぞ!」
錠次の声に、公儀処刑人として振る舞っていた六平太が、穏やかな笑みを消し去った。
「遅れましたな、頭領」
六平太は、優雅な着物の中から、仕込みの短銃を取り出した。
理路整然とした物腰の柔らかい男の面影は消え去り、その目は冷酷な殺し屋の光を帯びていた。
「我々が茶屋の人間を始末し、貴方の潜伏場所を確保しました。丈之助も片付けた。これで邪魔者はいない」
六平太は、まさしく錠次が率いる盗賊団の副頭領であった。
彼こそが救出作戦の実行犯であり、巧妙に毒を仕掛けた者だった。
そして、故郷の母に会いに帰る途中の無宿人だと語っていた源蔵も、粗末な旅装の懐から鋭い短刀を抜き放ち吾郎の首を後ろから突き刺した。
グゥぅ!
そのまま、吾郎は倒れて絶命した。
「公儀処刑人(六平太)の偽装、無宿人(源蔵)の偽装。なるほど、お咲の仲間が前もって茶屋の人間を皆殺しにし、救出を企んでいたか!」
鉄馬は、茶屋の異常な状況、紋次、典膳、源蔵、六平太の全員の素性に抱いた丈之助の疑念が、全て正しかったことを悟った。
八悪人――丈之助(引き渡し人)、鉄馬(賞金稼ぎ)、お咲(盗賊)、島津(落人)、典膳(老侍)、紋次(雑役夫)、六平太(偽処刑人)、源蔵(偽無宿人)。
そのうち六平太と源蔵は、真の悪党である盗賊団の仲間だったのだ。
No.3. 血染めの関所茶屋
裏切りと陰謀が露呈し、茶屋は一転して凄惨な戦場へと化した。
「裏切り者め! 息子を殺した憎い賞金稼ぎと、その仲間、まとめて討ち取る!」
一色 典膳は、鉄馬への個人的な憎悪を最大のエネルギーに変え、凄まじい速さで太刀を抜き、六平太へ斬りかかった。
老いた体には似つかわしくない、老中の護衛役として鍛えられた抜刀術が炸裂する。
しかし、六平太は冷静だった。
彼は典膳の太刀を避け、仕込みの短銃の銃口を、典膳の脇腹に押し付けた。
バン!
乾いた銃声と共に、典膳は苦悶の声を上げ、床に倒れ伏した。
島津 兵吾は、自分の身の潔白と代官としての権威を守るため、薩摩仕込みの示現流で源蔵に向かっていった。
「卑怯者め! 薩摩の誇りにかけて、貴様らを討つ!」
源蔵は冷徹だった。
彼は、島津の過激な剣を捌きながら、短刀で島津の左肩を突き刺した。
島津は叫び声を上げ、その場に膝をついた。
混乱の中、異国の血を引く雑役夫・紋次が、何かを叫びながら、台所の奥へと逃げ込もうとした。
しかし、錠次がそれを許さなかった。
ドォン!
錠次の火縄銃が火を吹き、紋次は背中を撃ち抜かれて絶命した。
紋次が、茶屋の番人を皆殺しにした盗賊団の仲間ではなかったことが、皮肉にもこの瞬間に証明された。
彼は、盗賊団に脅され、茶屋に留まらされていただけの、巻き込まれた賞金首であった。
No.4. 絶望的な共闘
凄惨な状況の中で、鉄馬は瞬時に状況を把握した。
床には典膳が倒れ、島津は血を流し、紋次は絶命している。
六平太と源蔵の二人が、倒れた者たちへの追撃に入ろうとしていた。
「島津! 奴らを逃がすな!」
鉄馬は叫ぶと同時に、懐から取り出した十手を、島津の肩に短刀を突き刺したまま油断していた源蔵の顔面目掛けて投げつけた。
ガツッ!
源蔵は鉄の衝撃に体勢を崩し、その隙を逃さず、瀕死の典膳が最後の力を振り絞り、倒れ込みながら逆袈裟に太刀を振るった。
グギャッ!
源蔵の腹部を切り裂いた太刀は、深く源蔵の体を抉り、彼は苦悶の声を上げて床に倒れ伏した。
典膳もまた、これで絶命した。
鉄馬は、六平太が典膳を撃った短銃を、隙を突いて蹴り上げ、刀で六平太の腹部を突き刺した。
六平太は、腹の傷で動けなくなった。
生き残ったのは、無傷の錠次とお咲、そして鉄馬、深手を負った島津の四人のみ。
「貴様ら二人で、この大盗賊団の頭領に刃向かうつもりか」
錠次は、お咲を抱いたまま、ゆっくりと火縄銃を鉄馬に向けた。
鉄馬は、重傷を負って呻く島津に、視線を送った。
「薩摩の落人よ。生き残ったのは、お前と、俺だけだ。敵はまだ、そこにいるぞ」
島津は、左肩の激痛に耐えながら、血で汚れた口元を拭った。
憎き元新選組隊士の鉄馬を見つめる。
「…代官としての権威のためではない。この、卑怯な盗賊どもに一太刀報いるためだ」
茶屋に集った八悪人のうち、二人の「悪」が、ここに一時的な共闘を余儀なくされた。
復讐と生存のため、茶屋に残された最後の死闘が始まろうとしていた。
No.5. 生き残った者たち
激しい銃撃戦と抜刀術の応酬は、瞬く間に終わりを告げた。
その一、 丈之助、毒により瀕死。
その二、典膳、六平太に撃たれ、瀕死。
その三、錠次に撃たれ、死亡。
その四、六平太、島津に傷を負わせるも、鉄馬の機転による反撃を受け、瀕死。
その五、源蔵、吾郎を殺し島津を負傷させるも、典膳の最後の力による太刀で深手を負い、瀕死。
生き残ったのは、黒岩 鉄馬、島津 兵吾(重傷)、そして盗賊団の頭領・錠次(無傷)と、お咲(鉄馬に殴られたが動ける)の四人のみとなった。
鉄馬は、冷たい床に広がる血の海と、倒れ伏した者たちの間で、憎悪の炎を燃やしていた。
丈之助を殺した者と、その仲間に殺されそうになったことへの怒り。
彼は、重傷を負って呻く島津に、視線を送った。
「薩摩の落人よ。生き残ったのは、お前と、俺だけだ。敵はまだ、そこにいるぞ」
島津は、血で汚れた口元を拭い、憎き元新選組隊士の鉄馬を見つめた。
茶屋に集った八悪人のうち、二人が、この血の吹雪の中、一時的な共闘を余儀なくされた。




