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第三章:毒と裏切りと



No.1. 疑心暗鬼の熱燗


 六平太の仲裁により、かろうじて典膳と鉄馬の激しい対立は収まったものの、茶屋の空気は張り詰めたままだった。

 六平太は、場を和ませるかのように、茶釜に手をかけた。


 「お疲れの皆さま。まずは冷えた体を温めましょう。生憎、茶釜は湯しかございませんが、奥に米の買い付けで残していた熱燗の酒がございます。旅の疲れを癒してはいかがでしょう」


 紋次が、怪しげな日本語で「すぐにもってくる」と言い、奥の部屋へ消えた。


 やがて、紋次が運び戻ってきたのは、古びた茶釜と、銘々の椀である。

 彼は、囲炉裏の炭火の上に茶釜を置き、六平太と源蔵、典膳、島津、丈之助の順に、椀に熱燗の酒を注いで回った。

 

 鉄馬は酒を断り、壁際に立つことを選んだ。


 「さあ、皆さま。長い夜になりそうです。まずは一杯」


 六平太が穏やかに促し、島津が警戒しつつも、最初に椀を口につけた。

 典膳は無言で飲み干し、源蔵は冷徹な視線を動かすことなく、ゆっくりと酒を飲んだ。


 そして、丈之助の番が来た。


 丈之助は、鎖を握りしめたまま、熱燗を一口含んだ。


 「…うむ。悪くない」


 彼がそう言おうとしたその瞬間、胃の底から熱い鉄が込み上げてくるような激痛に襲われた。


 「ぐっ……!」


 丈之助の喉から、ごぼりという音と共に、鮮血が飛び散った。

 血は鎖を伝い、雪に落ちて赤黒い染みを作った。


 彼は毒を盛られたことを、即座に悟った。


 「…毒! 誰だ…!」


 丈之助は必死に叫ぼうとしたが、喉が張り裂けそうで声にならない。

 その激痛と混乱の中、彼が長年肌身離さず握りしめていたお咲の鎖から、ついに手が滑り落ちた。


 ガラガラと、鉄の鎖が音を立てて床に散らばる。


 丈之助は、壁にもたれかかるようにして、そのままずるずると力なく倒れ込んだ。




No.2. お咲の嗤いと鉄馬の激昂


 丈之助の毒殺という緊急事態に、茶屋は一瞬にして静寂に包まれた。


 「丈之助! 貴様、何をした!」


 自称代官の島津 兵吾が、驚愕と怒りで叫んだ。

 その時、倒れた丈之助の顔を、何者かが穢した。


 「ざまあみろ、首吊り!」


 それは、鎖から解放されたばかりのお咲だった。

 彼女は、力なく倒れる丈之助の顔に、憎悪に満ちた唾を吐きかけたのだ。


 その残忍な行為は、茶屋に集った全ての悪意を具現化したようだった。


 「この悪女め!」


 壁際で酒を断っていた黒岩 鉄馬が、激昂した。

 

 彼は、丈之助の独善的な正義感には反発を覚えていたが、目の前の毒殺と、その死体への侮辱は、鉄馬の心に燃える復讐の炎をさらに強くした。


 ゴンッ!


 鉄馬は、その場で跳ね起きたお咲の顔を、拳で強く殴りつけた。

 お咲は鈍い悲鳴を上げ、血を吐きながら床に倒れ込んだ。


 「誰がやった! 誰がこの茶釜に毒を盛った!」


 鉄馬は茶釜を蹴り倒し、立ち上がった。

 その目は、茶釜の酒を飲んだ者たち、そして飲まなかった者たちを、鋭く射抜いた。




No.3. 誰が飲まなかったか


 鉄馬は、茶屋にいる者たちを順に睨みつけた。


 丈之助は倒れた。

 酒を飲んだ者は、島津、典膳、源蔵、六平太。そして、紋次も酒を運んだ。


 「酒を口にした全員が、何故倒れない? 毒の量が少なかったか、あるいは…椀に細工をした奴がいるな」


 鉄馬の言葉は、氷のように冷たかった。

 彼は、丈之助の鎖から手が離れたことに極度に警戒していた丈之助を殺した人間が、同時に、この場でお咲を救出する仲間である可能性に気づいていた。


 「いいか、殺しを働いた下手人は、お咲の仲間だろう。そしてその仲間は、毒を飲まなかった者、あるいは、毒に気づいていた者だ」


 鉄馬は、自らの褐色の肌と、新選組の亡霊という業を背負いながら、この茶屋に集った八人の中に潜む裏切り者を探そうと、詰問を始めた。


 「島津 兵吾、薩摩の人間が、なぜ毒に気づかなかった。まさか、薩摩の落人が、この殺しに加担しているのか?」


 「何を言うか! 私は代官代理だぞ!」島津は身震いしながら抗議した。


 「一色 典膳! 貴様は俺への復讐に燃えている。俺を殺すためなら、丈之助を巻き込んでも厭わないはずだ。毒の椀を、貴様が仕込んだのではないか?」


 「ふざけるな! 私は武士だ。卑怯な毒など使わん!」


 典膳は顔を紅潮させた。


 「源蔵! 故郷へ帰る無宿人だと? 毒に気づかないほど、故郷の母のことが恋しかったか? それとも、最初から飲んでいなかったのか!」


 源蔵は静かに煙草の煙を吐き出し、ただ冷徹に鉄馬を見つめ返すだけだった。


 「六平太! 公儀処刑人殿。茶釜を用意したのは貴様だ。貴様が最も怪しい。酒を注ぐ際に、椀に毒を仕込んだ。そうではないか!」


 六平太は、いつもの穏やかな笑みを崩さず、静かに答えた。


 「黒岩様。私は、皆さまと同じ茶釜の酒を、皆さまと同じ椀でいただきました。私は毒に気づきませんでしたが、この場で丈之助様を殺す理由はありません。私は公儀の人間ですから」


 その時、床に倒れていたお咲が、血混じりの笑みを浮かべ、かすれた声で呟いた。


 「…もう、遅いよ。みんな…」


 その瞬間、床下から、低く、重々しい軋む音が響き渡った。


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