「辻沢日記 32」(変態実測調査)
今回の傀儡子神社の調査を鞠野フスキに相談するまでは、簡易CADを入れたPADを使おうと思っていた。
「それでもいいんだけどね」
鞠野フスキはそう言うとゼミ室の窓際の書棚から大判の書籍を持ってきて、
「まあ、見てごらん」
と私の前に置いた。
表紙に日本建築の横断面図が描かれたグレーの函入りの『建築と庭』(西澤文隆「実測図」集)という本だった。
あたしはその本をこれまで目にしたことはなかった。
ただ誰でも好みの本に出会ったときには手に取った瞬間にそれとわかるものだ。
あたしは予感に打ち震えていた。なんせこれはあたしが大好きな図面集なのだ。
鞠野フスキが補足説明をしてくれた。
「そは私が大学院生の時にたまたま都内の書店で見つけて気に入って今でもちょくちょく眺めてる」
『建築と庭』を函から出して見てみた。
「西澤文隆という建築家が、自分で名建築を実測して図面に起こしたものだよ」
内容は厳島神社や鹿苑寺(金閣寺)、桂離宮などの名だたる日本建築の数々が庭を含めた実測図として掲載されていた。
どの図面も美しくあたしを虜にしたが、特にそれらの横断面図に目を奪われた。
表紙にもなっている龍安寺の断面図など圧巻で、息をのむほど美しかったのだ。
これはあたしがこの世で目にした中で一番美しい図面集だと確信した。
出来ることなら家に持って帰って懐中電灯を手に布団にもぐり込んでずっと眺めていたい。
そんな妄想を働かせていたら咳払いがしたので本から目を上げると、鞠野フスキがこちらをじっと見ていた。
そしてあたしの胸の内を察したように、
「そう、とても美しいよね」
と言った。
「CADなんてない時代だったからというのもあるけど、全部手書き図面なんだよね」
たしかに図面の樹木をみればそれが手書きだろうのは分かる。
その木々さえも、長谷川等伯「松林図屏風」(国宝)の松の木を何度も模写して画力を上げたと、後書きにあった。
図面の美しさへのこだわりが斜め上を行っているのだ。
そして建築部分のドローイングは職人技と言うべき精緻さなのだ。
どうやったらこの直線を手書きで均等幅に描けるのか。
それこそ変態の域だと思う。
「傀儡子神社の図面を手書きで起こせと?」
「まあ、CADより時間は掛かるけど勉強になると思うよ」
そう言われても、あたしにこんなに美しく仕上げられるとは思えなかった。
高校の製図の授業はずっと手書きドローイングだったけど、美しさは要求されなかった。
あたし自身もいずれCADを使うようになるしと思って、その点に力はいれていなかった。
そんなだから上達もしなかったのだけれど……。
美しさはさておき、傀儡子神社を残すのに手書きもありかなと思えた。
じっくりと時間を掛けて対象に向きあえそうな気がしたから。
「やってみます」
「コミヤさんならそう言ってくれると思いました」
「図面なんかが好きな変態だから?」
「まあ」
それからが大変だった。調査まで1月もなかった上に、資料が多岐にわたったから。
建築フィールドワークの領域を見渡して(鞠野フスキのゼミに参加するってこういうことだったのねって、いまさら)、実施の方法を調べた。
それと並行して手書きドローイングの仕方をネットで調べて、過去に自分が起こしたCAD図面を手書きに直したりもしてみた。
そうこうするうちにいつのまにか蝉の声がやかましい季節になっていたのだった。
(毎日2エピソード更新)
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