「辻沢日記 14」(絶体絶命)
背後から危ない匂いのする女に声を掛けられ、青墓の真ん中で逃げ場を失ったのに、ユウは落ち着いた様子だった。
「あんたも罠にはまりに来たの?」
ユウがゆっくりと振り向いて声の主に話しかけた。
それにつられて振り向くと、女がこの間と同じ黒い制服姿でこちらに歩いて来ていた。
「そういうことになりますわ。ほんと、しつこいですね、あの人たち」
言うと刹那、女は目の前から消え、その場の枯れ葉が夜空に舞い上がった。ジャンプした?
次いで夜空の真ん中に星が瞬き、金属が衝突した音が空から降って来た。
そして地面に何かが落ちる重い音がして枯れ葉が舞い上がり、女がもとの位置に立っていた。
舞いあがった枯葉が地面に落ちつくと、足元に人型のものが横たわっていた。
それはリクルートスーツを着た若い普通の男だった。
その男のワイシャツの胸が赤黒く染まっている。
見ているうちにその若い男は紫の炎に包まれたかと思うと、その火ごと青墓の土に吸い込まれ消え失せてしまった。
「空を飛ぶなんてチートだわ、まったく」
女はそう言うと、再び目の前から消えた。
「行くよ」
ユウが駆け出した。
ユウは駐車場に戻るつもりなんてないらしい。
青墓のさらに奥に向かって走って行く。
ユウの足は速い。
あたしは付いて行くのが精いっぱいだ。
森の道をユウが蹴たてた枯葉が舞い上がる。
追いかけるあたしからは枯葉のスクリーンの向こうをユウが走り去ってゆくかのように見える。
ユウが右手を挙げて上空を指さした。
走りながら目線を上げると、前方の夜空に黒い影が一つ浮かんでいるのが見えた。
それは人の形をしていて鳥ではなさそうだった。
あの女が落とした男の仲間なんだろうか。
ユウはあれを追っているらしが、空を飛べないユウはどうやってあれを落とすつもりだろう。
……。
ユウから遅れて青墓の木々の間を駆けていたら突然目の中に火花が散った。
クラッとして足が縺れ勢い余って道わきの下草に上体から突っ込んだ。
何が起こったか分からず、しばらくその場に仰向けになってぼうっと夜空を見ていたら、頭のほうで咆哮が聞こえた。
我に返って体を起こしそちらを見ると、黒い人の影がユウに覆い被さっていた。
その生き物はリクルートスーツに真っ赤なハイヒールを履いた女で、ユウにマウントして拳を顔面に叩き込んでいた。
拳が振り下ろされる度に地響きとともに肉が弾けるような音がする。
リクス女の両膝で腕を押さえつけられたユウはまともにそれを受けていて、顔が赤黒く染まっていた。
あれほどの顔面損傷は傀儡子に発現してないユウには死を意味する。
あたしは勢い駆け出してリクス女に体ごとぶつかった。
あたしの本気の体当たりは成人男性でも効く。
けれどそのリクス女の体はびくともせず、あたしはその場に前かがみにへしゃげる始末。
とにかく重い、そしてやたらと頑強だった。
まるでそこに鋼鉄の杭が刺さっているよう。
リクス女がこちらに目を向けた。
ユウの首を片手で押さえつけたまま、もう片方の手であたしの髪を鷲掴んで引き上げた。
女とは思えないものすごい力だ。
冬月のような銀色の瞳と目があう。
その真ん中に漆黒の陥穽があってそこに引き摺り込まれそうだ。
掴まれた腕を外そうとしたが万力のような手を外すことはできなかった。
結局あたしは無力でその女を見返すことしかできないと知る。
その女は艶のある長い黒髪が美しかった。
肌は透き通り何本もの血管が青黒く浮き出ている。
笑っているかのような口元からサーベルを思わす銀牙が四本上下に交差して突き出ていて、その鋭い先端から涎の筋が赤い糸となって垂れていた。
リクス女は不思議そうにあたしの顔をねめつけたあと、手元に引き寄せて顔を喉元に埋めて来た。
「かはっ」
と顎の下あたりで乾いた音がした。
ユウがもがいているのが分かる。
女を押しのけようと必死であがいているのだ。
でも、さすがのユウもリクス女の絶望的な圧力には抗えないようだった。
あたし屍人になるのか。
死んでもなお血を求めて彷徨い続ける、あのおぞましい存在に。
屍人が失ったものは何なのか、そして日々何を見ているのか。
ぼんやりとそんなことを考えた。
喉が燃えるように熱い。
熱した火箸でも押し当てられてるんじゃないか。
リクス女の力が強くてもがくことすら無理だった。
こめかみが急に涼しくになった。
意識が遠のいて行くのがはっきりと分かる。
何かこの世のものとは思えない愉悦が湧き上がってくる感覚。
これを受け入れてしまえばあたしは自由になる。
きっと苦しみなんてない世界が待ってる。
そうしたらユウとやり直そう。
そうだ、二人で生きてゆこう。
誰も知らない町の、小さなアパートを借りて、そこに可愛い家具をそろえてさ。
仲の良い姉妹のふりをしてね……。
急速に近づいてくる暗闇。
別れを言いたい人が目の前に浮かんできた。
ゼミのみんな。ミユキ。鞠野先生……。
二度とあの人たちに会うことはないんだと思うと涙が頬を伝って落ちた。
ガツン!
大きな衝撃を受けて地面に投げ出された。
同時に液状のものが顔にかかった。
雨?
頬に手をやるとヌルッとした感覚があった。強い鉄の匂いもした。
あたしは土の上に寝転がってぼんやりと夜空を眺めた。
その視線の先には、リクス女がユウにマウントしたまま月に照らされていた。
でもその姿には肩から上がなかった。
その首から大量に液体を噴出させていて、それがあたしを濡らした鉄くさい雨の正体らしかった。
誰かがリクス女の体を蹴り倒した。
「ユウさま、ご無事ですか?」
あの女の声だった。
(毎日2エピソード更新)
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