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辻沢のアルゴノーツ ~傀儡子のエニシは地獄逝き~  作者: たけりゅぬ
第一部 ノタクロエのフィールドノート

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『夕霧物語』「玉の緒をすする夕霧太夫」

 夕霧太夫が乗る土車が青墓を目指して街道を行く。

 

 土車をあたしが押し、まめぞう、さだきち、りすけの3人の頼りになる男たちが赤い麻紐で曳いていく。

 

――ゆうきりたゆうかみちゆき こらうしそうらへ


と書かれた幟がはためいている。


「これがあの夕霧太夫」


「なんとまあ、大きな男よ」


沿道に集まる衆生は、同行5人を目を丸くして見送った。


我々の道行きは平穏なものだった。


それはまめぞうたちの威勢のおかげだった。


時折粗暴な連中が夕霧太夫に惹かれ絡んで来たが、まめぞうたちがいるおかげで荒々しいことにはならなかった。


まめぞうたちはことさら武張ったりはしない。


彼らはひたすら土車の3本の赤い紐を持ち、一心に車を曳くだけだ。


その迫力ある神気が何者をもよせつけないのだった。


 そんな一行にとって、唯一差し障りがあった。


それを「ひだる様」と言う。


ひだる様は道で横死したものの残留思念で、弱った旅人に憑りつき体を乗っ取る人外だ。


まさに、今の夕霧太夫は死に瀕する者、ひだる様の格好の餌食。


そんな夕霧太夫を狙って、ひだる様は何度も何度も襲いかかってきたのだった。


 ひだる様が現れる時、兆候はあたしかりすけに起こった。


刺すような痛みが下腹をキュウと襲うと、足が止まり、次には膝を突いてまったく動けなくなる。


すると、あたりに生臭い匂いが漂い出して、闇が一面を支配しだしたかと思うと、森の奥、叢の中、谷の底、土手の向こうからひだる様が現れる。


時に一匹、時に大勢のひだる様が夕霧太夫に襲いかかって来るのだった。


 その時も尾根が夕陽を遮って陰になる山道だった。


あたしたちは、土車の車輪の音をギシギシと軋ませて勾配を登っていた。


そんな中、初めにりすけが膝を突いた。


額から脂汗を流し苦悶の表情をにじませながら、まめぞうに苦痛を伝えようとしている。


まめぞうは、さだきちに指図してりすけのもとに走らせると、背にした新月刀を抜いて身構えた。


こういう時のまめぞうの背中はいつもの二倍も三倍も大きく見えて頼もしい。


 ガサガサと森の下草が鳴る。何かが近づいて来る気配がする。


異臭が鼻を突き、小暗い森がさらに闇につつまれると、谷とは反対側の叢の中から現れたのが、ひだる様だった。


その姿は、真っ黒な体に青半纏(あおはんてん)赤襦袢(あかじゅばん)を纏い、腹は異様に膨らみ、四肢は細く手先には巨大な鎌のような爪が生え、眼は金色で炯炯とこちらを睨めつけ、口から銀色の牙を覗かせている。


今回は青半纏と赤襦袢のひだる様が複数現れたのだった。


それらはあたしたちには目もくれず、夕霧太夫の土車に真っ直ぐ向かって来た。


まず青半纏が、まめぞうの横を過っていきなり夕霧太夫に襲いかかろうとした。


すかさずまめぞうが反応し、新月刀を横に薙ぎ払って青半纏を真二つに切り裂いた。


半身となってその場に崩れ落ちた青半纏は、青い炎を上げ道に吸い込まれて消える。


次の赤襦袢はまめぞうを避けて横に動き、さだきちを飛び越えて夕霧太夫に襲いかからんとする。


さだきちはその動きを背中で受けて、振り向きざま大刀を抜いて串刺しにした。


赤襦袢は奇声を上げて炎となり煙とともに消え失せた。


りすけも膝を突きながらもよく応戦し、もみ合った末、一匹のひだる様を谷底に突き落とした。


まめぞうらが襲い来るひだる様を一匹一匹と迎え撃ち数を減らして行く。


日が落ちて辺りに暗闇が迫るころ、ようやくひだる様が残り少なになった。


そしてまめぞうが最後の一匹を新月刀で突き上げ皆の気持ちがそこに集まった時、それは起こった。


あたしの左足が火鉢を押し当てたように熱くなったのだ。


振り向くと地面から半身を湧き出したひだる様が、巨大な鎌爪であたしの太ももを串刺しにしていた。


まだ襲撃は終わりではなかったのだ。


瞬時にひだる様の爪が引かれ、あたしの右足は体から離れて丸太のように谷の暗闇の中へ転がって行った。


あたしが見たのはそこまでだ。あとは気を失ったので分からない。



 気が付いた時は、土車の夕霧太夫の横に寝かされていた。


起き上がろうとして手を突くと平行をうしなって、土車から落ちてしまった。


転げた拍子に背中を打って天を仰ぎ、その時、布をまかれた左の足が目の中に入った。


それは奇妙に短すぎて曲げたつもりもないのに膝から先が見えなかった。


足をゆすってもその先が出て来ない。


どうすることもできずにそのまま転がっていると、さだきちがあたしを抱えて土車に戻してくれた。


 そうしていまいちど自分の足をよく見ると、膝から下がなくなっていた。

 

あたしの左の足は太ももまでしかないのだった。


どうしたわけか足先に冷めたい感じがあるせいで、これは本当なのか、夢でないのかとしばらくの間は気持ちが混乱した。


しかし、どう見ても足先はなかった。


 道中、土車の上で夕霧太夫にもたれかかると、夕霧太夫の口の裂け目から声が漏れ出ているのに気が付いた。


ヒューヒューと音がする。


あたしにはそれが自分と同じだと笑っているように思えた。


それであたしも可笑しくなって声を上げて笑ってしまった。


 夕霧太夫の横にいると、息遣いが近くに感じられてとても安らいだ気持ちになれた。


それは阿波の鳴門屋に連れてこられてすぐの頃、緞子の布団に入って、あたしの冷え切った体をその肌で温めてくれた時の、夕霧太夫の息遣いそのものだったからだ。


 そんなことがあっても、あたしたちは休む間もなく先に進まねばならなかった。


あたしが左足を失ったことなど夕霧太夫が負った傷に比べれば大したことはないと思ってあきらめた。


 このことは同行の人たちにとっても大したことではなかったようだ。


土車に乗る荷物が一つ増えた、それだけだった。

 

 その後も何度も何度もひだる様に襲われながらも、夕霧太夫とあたしは3人の大食人に助けられて街道を進んで行った。


道に迷いそうになると懐から夕霧太夫のゆびきりを出して道先を訪ねればよかった。


掌の上のゆびきりは何もしなくてもコロコロところがってあたしたちが行くべき道を示してくれたのだ。


 冬も終わり春の陽気が山の草木にも感じられるようになったころ、あたしたち一行は美濃の国に入りもしない奥深い山の中にいた。


山道を進んでいると、突然目の前が開けて大きな吊り橋が現れた。


その時、夕霧太夫が大きく息を吸い込んだのを見て、あたしたちはようやく目的の地に辿りついたことを悟った。


吊り橋は深い谷川に掛かっていた。


対岸は切り立った崖になっていて、その向こうは樹木が鬱蒼と茂る森だった。


 夕霧太夫をまめぞうが抱え、あたしをりすけが抱えて、綱もきれそうな吊り橋を渡る。


眼下何尺あるのか深い渓谷で下の方に細く渓流が流れているのが見えた。


一度、さだきちが朽ちた板を踏んで、渓谷に落ちそうになったけれどなんとか無事一行は吊り橋を渡りきった。


そこは霊気が漂つ別世界で、結界の中に入ったのだと悟った。



 森を抜けると、街が広がっていた。


道行く人はここは辻沢という隠れ遊里だと言った。


幾つもの大きな道が交差して、道行く人たちはどの人も裕福そうで、みな瀟洒な格好をしている。


いったいどこからこれだけの人が集まるのか。


そのきらびやかな街の様子はまるで桃源郷に迷い込んだようだった。


そしてその人たちは夕霧太夫やあたしたちのこと見て驚いたり騒いだりすることはなかった。


その中の一人を捕まえ、青墓はどこだと聞くと、すぐそこだと教えてくれた。


 何か月ぶりかで宿に泊まることにした。


道中に投げられた銭はかなりの額になっていたので不足はなかったけれど、夕霧太夫の様を見た宿の主が母屋に泊めるのを嫌がり、離れの下人部屋をあてがわれた。


 その夜は車曳きのねぎらいで大食人の3人に銭を持たせ街に出したため、宿では夕霧太夫とあたしの2人になった。


あたしは様子を見に来た下僕にお湯を張った桶を用意してもらって、板間の上で横になった夕霧太夫の衣を脱がし布で体を拭った。


 夕霧太夫の体は、とうに血膿は収まり引き攣れてはいるけれど皮膚は乾いてつるっとしている。


焼け跡から救いだした時は生きていることが奇跡で、まるで焼けぼっくいに手足がついたかのようだったのに、よくぞここまでと感心する。


とはいうものの、あんなに美しかったお顔の変わり果てた様を見ていると、自然と涙がこみ上げて来るのだった。


 乾いた布で体を拭い終わると新しく用意した襦袢を着せた。


まめぞう達はいないので、あたしが粗末な寝間まで運ばなければならなかった。


今のあたしは片足の身で、とても持ち上げられない。


申し訳けなかったけれど床の上を転がして移動させた。


あたしはそれでかなり疲れてしまって、しばらくの間夕霧太夫の傍に横たわったまま外の音を聞いていた。


窓の下の通りの賑わいが聞こえて来て、阿波の鳴門屋にいたころを思い出し懐かしさがこみあげて来た。


風に乗って爽やかな香りが漂ってくる。宿の人がここが山椒の里だと言っていたのを思い出す。


そして夕霧太夫の印の簪が木の芽を象っていたことも。


印の簪はいつも手に握らせているけれども、すぐに塞がりそうになる口の裂け目を開く用に使うことがあった。


いまも夕霧太夫は口をもごもごさせてそれを促している。


あたしは、かたく握った簪を右の手から引き抜くと、口の辺りに開いた小さな空気穴に充てて薄皮が張った辺りを切り裂いた。


「かは」


 という音とともに夕霧太夫の口が開き、口中からするどく尖った歯列が覗いた。


この時いつも紙を指に巻いて歯を磨くことにしている。


そうしている間、夕霧太夫は口を大きめに開いてされるがままでいたが、しばらくするとすっと口を閉じてあたしの差し入れた指を優しく舐り、そしてちいさく噛むのだった。


夕霧太夫がその指をねぶりあたしの玉の緒をすする音がする。


すこしして夕霧太夫は指をはなしてくれた。


あたしは夕霧太夫の口の中に残った紙を取り除くと、自分の指を布で結わえて止血した。


 夕霧太夫はあたりまえの人ではなかった。


火災に遭って焼けぼっくいのようになりながら生き続けた事、びっくりするほどの回復力、何も食べないこと、時にこうしてあたしの指から血をすすること。


でも、そのすべてが夕霧太夫だった。そして、それをありのままに受け入れて来たのがこの道行だったのだ。

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