「書かれた辻沢 15」(血の池地獄)
「コミヤくんは何故、けちぼん池でなく『けちんぼ』池って言ってるんでしょう?」
と鞠野先生が紫子さんに質問を投げる。
鞠野先生は真逆な理解をしていた。
パジャマの少女のほうがけちんぼ池をけちぼん池と間違えたのだ。
「夕霧一行が目指したのも、『けちんぼ』池でなく元はけちぼん池だったのでは?」
夕霧物語を疑う鞠野先生の言い方に、傀儡子のあたしたちまで疑われたようで少しイラっとした。
それは紫子さんも一緒なのだろう、憮然とした表情で鞠野先生のことを見ている。
しかし鞠野先生はそんなことお構いなしで持論を展開中。
「そもそも『けちんぼ』という言葉がこなれてないですよね」
先生が言うには「けちんぼ」は、きわめて今風で遡れてもせいぜい明治大正くらいの新しい言葉だという。
「普通の古文辞書には『けち』さえ載ってないですし、そもそも『けちんぼう』ですし」
たしかにそうだけども……。
「そんな言葉をあの遊行上人が使ったというのもおかしい」
夕霧物語では遊行上人が山奥の傀儡子神社に現れて、夕霧太夫たちに「けちんぼ池に行け」と言うのだった。
因みに遊行上人とは時宗の開祖一遍聖のことだ。
「そこでけちぼんです」
けちぼんはパジャマの少女が使ったと知る前から鞠野先生がアタリを付けていた言葉だったそうだ。
「これなら仏教語だし遊行上人が使ってもおかしくない」
その仏教語と言うのが、
「血に盆と書く血盆池です。字面からしておどろおどろし気な言葉ですが」
おどろおどろしいはずだった。
なぜなら血盆池とは血の池地獄のことだからだ。
地獄の底にあって血で溢れ、常にぐつぐつと煮えたぎり溺れる亡者たちを地獄の牛頭どもが無限に責めさいなむ地獄。
「それじゃあ夕霧と伊左衛門は地獄に堕ちたってなるじゃないですか。伊左衛門があんなに一生懸命に夕霧を守ったのは地獄に落ちるためなんかじゃないです」
思わず強めに言ってしまった。
ミユウがユウさんにお願いしたのは、そんなことじゃないから。
「夕霧と伊左衛門はけちんぼ池で浄化されたんです。そうじゃなきゃダメなんです」
鞠野先生はあたしの言葉にうんうんと深く頷きながら、
「そうだね。二人は浄化された。それは間違いないことだ」
では何で先生はそんなおかしなことを言い出すのか?
「目的地をはっきりさせるためだよ。けちんぼ池が見つからないのは存在しないからだ。でも血盆池ならどうだろう」
鞠野先生がそう言うと、それまで黙って聞いていた紫子さんが、
「行き方がある。確実にそこにあるから」
と言ったのだった。
血盆池は確かにある。
でもそこに行くにはややこしい縛りがあった。
血盆池って女性しか行けないってこともその一つだ。
「あれは女性専用温泉だからね」
紫子さんには珍しくおどけた感じで説明した。
「どういうことですか?」
すると鞠野先生が言いにくそうにしながら、
「赤不浄、白不浄、黒不浄という言葉を知っているかい?」
なんか聞いたことがあると思ったら、大学の女性史の講義で耳にした言葉で、血盆という言葉もその時一緒に勉強したことを思い出したのだった。
すごく不愉快でやるかたない気持ちと一緒に。
赤不浄とは女性特有の出血を、白不浄とは出産を、黒不浄とは死を禁忌とした日本の古い習俗のことだ。
仏教では、赤不浄と白不浄とは女人不成仏(女性は仏になることができないこと)の根拠とされ、すべての女性は禁忌を犯した存在として血盆池、すなわち血の池地獄に落ちるとされている。
それを聞いたとき、
「何それ?!」
と心で叫んだと同時に、いつものどうしようもない無力感に襲われたのだった。
鞠野先生が続けて、
「おそらく夕霧物語から血盆を消し去ろうとした時代があった」
故意に「けちぼん」を「けちんぼ」にすり替えたと鞠野先生は推測したのだった。
傀儡子の共通意識のような夕霧物語にそんなことが出来るのか疑問だけれども、その気持ちはあたしには痛いほど分かった。
そんな考えをあたしたち傀儡子の物語に残しておくなんて耐えられない。
すると紫子さんが、おずおずと手を挙げて、
「ごめんなさい。それってあたしたちなの」
と申し訳なさそうに言った、
「「え?」」
その時、紫子さんのことを見返したのはあたしだけではなかった。
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