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辻沢のアルゴノーツ ~傀儡子のエニシは地獄逝き~  作者: たけりゅぬ
第一部 ノタクロエのフィールドノート
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「辻沢ノーツ 1」(鞠野フスキー)

  旧校舎の一番奥の階段教室は、5月半ばというのに暗くて寒い。


 それは、かすれたマイク音のせいばかりじゃなく、壇上の鞠野先生が現代文化人類学の父、レビ=ストロースのことを「ジーンズ屋とは関係ありません」なんて古臭いギャグ言って顰蹙を買ってるのも一因だと思う。


「リーバイス」つまり「リーバイ=ストラウス」の綴りが同じことによるダジャレだ。


 何回目? それ言ったの。しかもパクリらしいし。


 あたしは意識高い系女子のフジミユと一番前の席に並んで座っているけど、先生の橙色のメレルのベアフットシューズが気になって講義の内容が頭に入って来ない。


 講義の最初に今日はラオスから直接来ましたって言ったんだよね。


 あの靴、あたしの知らない国の土を踏んできたって思うと、夢想が爆発しそうになる。


 ―――鞠野先生の講義。


「映画が好きな方ならばご存じかと思いますが、骸骨が動き回ったり、巨人が海をゆく船を襲ったりするSFXの名作に『アルゴ探検隊』という作品がありますよね。


 あれはギリシャ神話に出てくる巨大船のアルゴ船を映画化したレイ・ハリーハウゼンの代表作です。


 またアルゴ船の名前を交易者の意味として使ったのが、B・マリノフスキーの『西太平洋のアルゴノーツ』です。


ご存じのようにトロブリアンド諸島の『クラ』という交易を調査した、近代エスノグラフィーの名著といわれています。


 因みに日本語で出版したものは「アルゴノーツ」を「遠洋航海者」としていますが、これはもったいない。


 アルゴノーツのノーツがフィールドノーツにかかった洒落であることを殺してしまっているからです」


 先生の話、あっちこっち飛んでしかも長い。うしろの人たちはあくびをかみ殺してることだろう。


「ついでに言うと、皆さんは専門家なのですから、フィールドノーツのことをフィールドノートと言わないように。


 調査したことがノートぴら一枚ってことないでしょう?


 …えっとなんでしたっけ」


 って、あたしの顔を見られても。


「先生、アルゴノーツです」

 

 隣のフジミユがアシストする。


「そうそう、『西太平洋のアルゴノーツ』には裏の顔があるんです。

 

それは作者マリノフスキーの死後、別れた奥さんが出版した『マリノフスキー日記』です。


日記で垣間見られるのは、マリノフスキーのエスノの探求者の姿ではなく、現地の人や調査協力者を蔑む、気分屋の中年男の姿なのです。


ただ、これは人格の問題というのではなく、まさにエスノグラファーがフィールドに立った時に抱える問題の一旦が示されているのです。


 みなさんもフィールドに入ったらそのことをいやというほど思い知らされることでしょう」


 チャイムが鳴ると先生がフジミユに目配せをして教室を出て行った。


 いつものフジミユならすぐに先生の後を追いかけるのに、隣のあたしに向き直って、


「決まった? 行くところ」


 と、真正面から痛いところを突いて来る。


「まだ」


 あたしは、ゼミのフィールドワーク実習の調査地がまだ決まっていない。


鞠野先生のゼミのほとんどの子はもうとっくに決めて準備してるのに。


「クロエ。今月末だよ、実習の事前調査。大丈夫?」


 ノーメイクの真っ黒い大きな瞳でまじまじと見られると、どういうわけか、とんでもなく悪いことをしている気になって来る。


「ごめん」


 フジミユ。本名フジノミユキは、生まれながらのフィールドワーカーで鞠野先生のお気に入り。


あたしはフジミユって呼んでるけど、ゼミの人からはフジノ女史って呼ばれて畏れられてる。


この子、なんと中学生のころからフィールド調査を始めてて、大学に入ってからは鞠野先生が受持つ大学院のフィールドワーク演習で随時調査報告させてもらってる。


フジミユが報告する時はフィールドに入ってる院生までわざわざ戻ってきて聴講するらしい。


学部生の報告なのにだよ。


「準備は時間かかるよ。文献集めたり、許可申請したり、ご挨拶とかも行かなきゃだし」


 そういうことはマニュアル本を読んで知ってるけど、現実どんなかはピンと来てない。


「クロエがこの間のゼミで発表してたところは? 辻沢だっけ。あそこ、おもしろそうじゃん」


「あれは鞠野先生のごり押しって言うか」


 文献のコピー渡されて、これで発表してみなさいって。


「そっかー。それじゃ楽しくないね。てっきりクロエが自分で探して来たのかって……」


「全然知らなかったもの、あんな町もお祭も」


「辻沢の三社祭だったよね」


 N市からほど近い辻沢町というところのお祭。


4年ごとだったのが、一昨年から毎年開催になったと思ったらヴァンパイアコスプレ祭になって、町中にヴァンパイアの格好した人が溢れるようになった。


それで鞠野先生から「祭の現代化」ってテーマもらったんだけど、この国でヴァンパイアって……、らしくない。


「今年から『辻沢ヴァンパイア祭』ってなったみたい」


「辻沢夜祭としてけっこー知られてたのにね」


 日本3大ほどじゃないけど、それなりに有名だったらしい。


「フジミユって、今のフィールドへはこれまでに何回くらい行ってるの?」


 フジミユのフィールドはT山郷ってところ。どこにあるかは知らない。


「9回だよ」


「それなら、もうずいぶん調査進んだんじゃない?」


「冗談。まだ全然だよ。受験で半年中断してたのが痛かった。卒論に間に合うか不安」


 卒論って。あたしたち3年生になったばかしなのに。


「事前調査であたりを付けて、夏季休暇の本番につなげなきゃ」


「ふーん」


「だよ。クロエ」


 あたしのことか。


まあ結局、今月末は辻沢にいるんだろうな。


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