表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢写師チヨと白い狐 ―記憶を紡ぐ、写し世の欠片―  作者: 大西さん
エピローグ 写し世より愛を込めて
98/100

第98話 写し世でのチヨ

わたしは、ここから見ている。 あなたが朝を迎えるたび、 新しい写真を撮るたび、 誰かを想うたび。


名前はもうない。 でも、愛は残った。


写し世から、現世へ。 わたしの祈りは、今も―― あなたの中で、息をしている。


それが、永遠の愛の形。 忘れられても、消えない光。


写し世と現世を結ぶ者たちよ

夢を写す者が現れし時

新たな道は開かれん

記憶と忘却の調和を保ち

永遠の愛は形を変えて続く

――『霧姫伝説・新章への予言』より


■写し世でのチヨ


白い空間が、どこまでも広がっている。


ここは写し世――現世の裏側に存在する、記憶と魂の領域。時間の流れも、空間の概念も、現世とは異なる法則に支配されている。光と影が混在し、過去と未来が交差する、不思議な世界。


チヨは、その中心に佇んでいる。


もはや肉体はない。しかし、意識は鮮明で、むしろ現世にいた時よりも研ぎ澄まされている。白い着物は光そのもので織られ、長い黒髪は星屑のように輝いている。金色の瞳は、現世と写し世の両方を見通すことができる。


「ルカ...」


愛する妹の名を呼ぶ。声は風となって、世界の境界を越えていく。でも、もう届かない。完全な忘却の壁が、二つの世界を隔てている。


それでも、チヨは毎日欠かさずルカの名を呼ぶ。朝の挨拶、昼の見守り、夜の子守唄。声は届かなくても、想いだけは送り続ける。


チヨの周りには、歴代の写し手たちがいる。祖母の千代、母の美咲、そして名も知らぬ先達たち。皆、同じように世界を守るために自己を犠牲にした巫女たち。


彼女たちは、それぞれ異なる時代を生き、異なる形で封印を守ってきた。ある者は戦乱の世で、ある者は飢饉の時代に、ある者は近代化の波の中で。でも、皆同じ運命を辿った。


「もう、慣れたかしら?」


美咲が優しく問いかける。母の姿は、生前よりも若々しく、生命力に満ちている。写し世では、魂が最も輝いていた時の姿で存在できるのだ。


「はい、母様。でも...」


「辛いわね。完全に忘れられるというのは」


千代が静かに言った。初代の巫女である祖母の瞳には、深い理解と共感が宿っている。彼女は最も長く写し世にいて、最も多くを見てきた。


「私たちも同じよ。愛する者に忘れられる苦しみは、何百年経っても慣れることはない」


チヨは頷いた。封印を完成させてから、もう随分と時が経った。写し世の時間は曖昧だが、現世では季節が巡っているのが分かる。


春の桜、夏の蝉時雨、秋の紅葉、冬の雪。すべてを写し世から見守っている。でも、その美しい光景の中に、自分の居場所はない。


「でも、見てご覧なさい」


美咲が手を振ると、空間に現世の光景が映し出された。それは、写し世の特別な力。愛する者たちの今を、見ることができる。


■ルカを見守る日々


そこには、日常を送るルカの姿があった。


朝、二人分の朝食を作っては一人分を片付ける妹。その習慣の理由を理解できずに首を傾げながらも、続けている。


今朝も、味噌汁を二つ作ってしまったルカ。豆腐とネギの味噌汁。チヨが好きだった具材を、無意識に選んでいる。


「私のために...」


チヨの目に涙が浮かんだ。記憶は消えても、体に染み付いた習慣は残っている。それは、姉妹の絆の証。


卵焼きを作るルカの手つきを見て、チヨは微笑んだ。砂糖を多めに入れる癖も、ちゃんと受け継がれている。


「そうそう、そのくらいの甘さが美味しいのよ」


届かない声で、料理の指導をする。それが、チヨの日課の一つだった。


学校で絵を描くルカ。白い着物の女性の後ろ姿を、何度も何度も描いている。顔は描けない。でも、諦めずに描き続けている。


「私の顔、思い出せないのね...」


切ないけれど、それでいい。ルカが自分を探し続けてくれることが、何より嬉しい。


美術の時間、ルカは今日も白い着物の女性を描いていた。以前より、線が繊細になっている。まるで、記憶の奥底から少しずつ何かを引き出しているかのように。


「上手になったわね、ルカ」


チヨは妹の成長を誇らしく思った。絵の才能は、確実に開花している。


そして、毎日欠かさず村の写真を撮る姿。まるで、誰かの代わりに記録を残すかのように。


今日も、ルカは魂写機を持って村を歩いている。朝霧、石畳、古い家並み。チヨが愛した光景を、同じアングルで撮影している。


「あの子は、無意識のうちにあなたの意志を継いでいるのよ」


美咲が言った。


「血の絆は、記憶を超えて受け継がれる」


「でも、母様。ルカは苦しんでいます」


チヨは、妹の表情に時折現れる影を見逃さなかった。誰かを探している、でも見つからない。その苦しみが、ルカを蝕んでいる。


「それも、運命なのよ」


千代が静かに言った。


「影写りの巫女の系譜。いずれ、彼女も目覚める」


■健司への想い


チヨは妹の成長を見守り続けた。


友達と笑い合う姿、勉強に励む姿、時々見せる寂しそうな表情。すべてが愛おしく、そして切ない。


触れることも、声をかけることもできない。ただ、見守ることしかできない。


「ごめんね、ルカ」


何度も謝った。でも、後悔はしていない。ルカが生きている。それだけで十分だった。


健司のことも見守っている。


診療所で真摯に患者と向き合う姿。白衣姿の健司は、日に日に頼もしくなっている。村人たちからの信頼も厚い。


「佐藤先生、今日もお願いします」


「はい、任せてください」


患者一人一人に丁寧に向き合う健司。その優しさは、昔から変わらない。


医学書を読みながら、時々ぼんやりと宙を見つめる姿。その時の表情が、とても寂しそうで、チヨの胸が痛む。


「健司さん...」


彼の机の上には、いつも同じ医学書が置かれている。チヨが贈った本。献辞は滲んで読めなくなっているが、大切に扱われている。


そして、たまにルカの様子を見に来てくれる姿。


「ルカちゃん、最近どう?」


「あ、健司先生。相変わらずです」


「そっか...何か困ったことがあったら、いつでも相談して」


「はい、ありがとうございます」


二人の会話を見守りながら、チヨは複雑な気持ちになる。健司はルカを妹のように気にかけてくれている。でも、それは自分への想いの名残なのか、それとも――


「あなたも...忘れてしまったのね」


それでいい。新しい人生を歩んでほしい。自分のことなど忘れて、幸せになってほしい。


でも、健司もまた、無意識のうちに独身を貫いていた。まるで、心の奥で誰かを待っているかのように。


看護師の田中さんが、また健司に聞いている。


「先生、今度の合コン、参加されます?」


「いえ、遠慮しておきます」


「もったいない。先生みたいな人、すぐに相手が見つかりますよ」


「そうですかね...」


健司の曖昧な返事。彼は、なぜ自分が恋愛に興味を持てないのか、分からないでいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ