第83話 最後の晩餐
夕食の時間。
もう食べることはできないが、二人と一緒に食卓を囲む。
少女が腕によりをかけて作った料理。青年も手伝ったらしい。
二人の「美味しい」という感情が、幸せな光となって伝わってくる。
それを感じているだけで、お腹いっぱいになるような気がする。
食事をしながら、二人は思い出話をする。
『覚えてる?』『あの時は楽しかった』『また行きたいね』
一つ一つの思い出に、自分も含まれている。
名前は出てこない。「誰か」としか認識されていない。
でも、確かにそこにいた。
一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に生きた。
その事実は、消えない。
食後、少女が古いレシピノートを取り出した。
『これ、見つけたの』
丁寧な字で、料理の作り方が書かれている——らしい。
そして、所々に赤い字でメモが。
『ルカは甘いのが好き』『健司さんは薄味が好み』『愛情たっぷりに』
自分が書いたものだ。
なぜか、それだけは分かる。
二人への愛情が、文字となって残っている。
『このレシピ通りに作ったら、すごく美味しくできた』
少女が嬉しそうに言う。
『まるで、一緒に作ってるみたいだった』
そう、それが願いだった。
自分が消えても、愛は残る。
レシピという形で、想いという形で。
永遠に。
■夜の誓い
就寝前、青年がもう一度語りかけてきた。
『明日で、終わりなんだね』
その通り。明日の満月の夜、封印を完成させる。
そして、自分は完全に消える。
『でも、諦めない』
青年の決意が、熱い風となって伝わってくる。
『必ず、君を見つける。写し世でも、どこでも』
その一途さが、愛おしくも切ない。
『そして、もう一度』
彼は立ち上がり、虚空に向かって手を伸ばした。
『もう一度、君に会いたい』
奇跡的に、その手が自分の頬に触れた——ような気がした。
もちろん、物理的には触れていない。
でも、魂が触れ合った瞬間があった。
一瞬だけ、繋がった。
『チヨ』
彼の口が動く。声は聞こえないが、想いは伝わる。
『愛してる』
同じ想いを返したい。
でも、もう術がない。
ただ、全身全霊で想いを送る。
私も愛してる、と。
伝わったかどうかは分からない。
でも、青年の生命の熱が、優しく輝いた。
もしかしたら、感じてくれたのかもしれない。
少女も近づいてきた。
『チヨ姉ちゃん』
妹の熱が、不安と決意に揺れている。
『怖い。でも、大丈夫』
『だって、チヨ姉ちゃんが守ってくれるから』
守る。
そう、それが自分の使命。
名前も顔も忘れたけれど、守るという想いだけは消えない。
『ずっと、一緒だよ』
少女の言葉が、心に染みる。
形は変わっても、存在の仕方は変わっても。
ずっと一緒。
それを信じたい。
■姉妹の最後の夜
少女が部屋にやってきた。
『一緒に寝てもいい?』
もちろん、と頷く——つもり。
布団に入ると、少女はしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと。
『怖い』
妹の不安が、冷たい風となって伝わってくる。
『明日、本当にお別れなの?』
答えられない。
でも、事実は変わらない。
『でも』
少女は続けた。
『チヨ姉ちゃんが選んだ道なら、応援する』
十五歳とは思えない強さ。
『そして、私も強くなる』
少女の決意が、小さな炎のように燃えている。
『写真を撮り続ける。村を守る。健司先生も支える』
妹の成長が、誇らしくも寂しい。
もっと一緒にいたかった。
もっと、たくさんのことを教えたかった。
でも——
『チヨ姉ちゃん』
少女が微笑んだ——ような熱を発した。
『ありがとう。今まで、ありがとう』
その言葉に、魂が震えた。
ありがとう。
それは、自分が言いたかった言葉。
守ってくれて、ありがとう。
愛してくれて、ありがとう。
一緒にいてくれて、ありがとう。
姉妹は、言葉を超えて想いを交わした。
やがて、少女の熱が穏やかになった。
眠ったのだろう。
でも、その手は、自分を探すように伸びている。
触れることはできない。
でも、確かにそこにいる。
最後の夜を、妹の隣で過ごす。
それだけで、幸せだった。
■夜明け前の省察
少女が眠った後、一人で考えた。
自分は、もうすぐ消える。
名前も、姿も、記憶も、すべてが無に帰す。
でも、後悔はない。
愛した。
愛された。
それだけで、生きた意味があった。
たとえ短い人生でも、不完全な人生でも。
愛があったから、輝いていた。
窓の外を「見る」。
満月が、もうすぐ昇る。
運命の時は、目前に迫っている。
でも、恐れはない。
愛する人たちがいる限り、自分は消えない。
形を変えて、永遠に生き続ける。
それを信じて、最後の朝を待った。
静かに、穏やかに。
愛を胸に抱いて。
そして、ふと思った。
もしかしたら、これは終わりではないのかもしれない。
新しい始まりなのかもしれない。
写し世で、違う形で生きる。
それも、一つの人生。
いや、もう人生とは呼べないか。
でも、存在の継続。
愛の永続。
それで、十分だ。
明日、すべてが変わる。
でも、愛だけは変わらない。
それが、最後の確信だった。




