第74話 朝露の滝への道
命の欠片があるという朝露の滝は、村から2時間ほどの山中にあった。
険しい山道を、三人で登っていく。
チヨは存在感知を研ぎ澄ませ、周囲の状況を把握する。岩場、倒木、細い山道。危険な箇所は多い。
でも、不思議と恐怖はなかった。
健司とルカの生命の熱が、常に近くにある。二人が守ってくれている。その安心感が、勇気を与えてくれる。
途中、小さな花畑を通った。
『きれい』
ルカが立ち止まる。
色は見えないが、花々の生命力は感じられる。小さな命が、精一杯咲いている。
『チヨ姉ちゃん、写真撮る?』
ルカが魂写機を差し出してくれる。
見えないのに、どうやって撮るのか。でも、ルカの期待に応えたくて、カメラを構えた。
生命の熱を感じながら、シャッターを切る。
何が写るかは分からない。でも、この瞬間の美しさを記録したいという想いは本物だ。
『きっと、素敵な写真になるよ』
ルカの励ましが嬉しかった。
さらに登ると、空気が変わった。
水の気配が濃くなり、滝の振動が伝わってくる。朝露の滝が近い。
『あと少し』
健司が教えてくれる。
三人は、最後の上り坂に挑んだ。
■朝露の滝の美しさ
朝露の滝に到着した時、その壮大さに圧倒された。
見えないが、感じることはできる。
高さ20メートルはある大瀑布から、すさまじい量の水が落ちている。その振動が、大地を通じて全身に伝わってくる。
水しぶきが、顔に当たる。触覚はないが、水の粒子の存在は感知できる。
『すごい...』
ルカが感嘆の声を上げる——ような熱を発する。
『虹が出てる!』
虹。色は見えないが、きっと美しいのだろう。
健司も、滝の迫力に見入っている様子だ。彼の生命の熱が、畏敬の念を帯びている。
滝壺の周りには、ルカの説明によると、無数の花が咲いているらしい。
『色とりどりの山野草が、まるで虹みたいに滝を囲んでる』
その光景を想像する。きっと、自然が作り出した芸術なのだろう。
チヨは魂写機を構え、存在感知で「見る」。
すると、滝壺の底に、強い生命力を感じた。
『命の欠片は、滝壺の中』
その事実を伝えると、健司が心配そうな熱を発した。
『でも、水の勢いが強すぎる』
確かに、滝壺に飛び込むのは危険だ。特に、触覚がない今は。
『私が取ってくる』
健司が申し出た。
『だめ!』
チヨは強く首を振った。これは自分の役目。他の人を危険に晒すわけにはいかない。
『でも、どうやって?』
その時、チクワが現れた。
白い三毛猫は、滝の横の岩場を軽やかに跳んでいく。そして、ある場所で立ち止まり、振り返った。
まるで、「ついて来い」と言っているかのように。
『チクワが、道を教えてくれてる』
ルカが気づいた。
三人は、猫の後を追った。
■滝の裏側の洞窟
チクワが導いた先には、岩の隙間があった。
人一人がやっと通れるほどの、狭い入り口。でも、確かに奥へと続いている。
『洞窟?』
健司が確認する。
チクワは、さっさと中に入っていく。その後を追って、三人も洞窟に入った。
中は予想以上に広かった。そして、奥に進むにつれて、滝の音——振動——が大きくなっていく。
やがて、空間が開けた。
滝の裏側に出たのだ。
水のカーテンの向こうに、朝の光が差し込んでいる——はずだ。轟音も聞こえないが、すさまじい振動が伝わってくる。
そして、洞窟の奥に、小さな泉があった。
澄んだ水が、静かに湛えられている。滝壺と地下で繋がっているらしく、底に緑色に輝く結晶が見える——と健司が教えてくれた。
命の欠片。
それは、生命力そのもののような輝きを放っているらしい。
『ここなら、安全に取れる』
健司が安堵の熱を発する。
でも、チヨは一歩踏み出せなかった。
これを取れば、声を失う。
最後の言葉を、まだ決めていない。
■最後の言葉の選択
『どうしたの?』
ルカが心配そうに寄ってくる。
チヨは、二人を見た——見えないが、その方向を向いた。
今が、その時だ。
最後の言葉を発する時が来た。
でも、何と言えばいいのか。
「ありがとう」——これまでの感謝を。 「ごめんなさい」——これからの別れを。 「幸せになって」——未来への願いを。 「忘れないで」——自分勝手な想いを。
様々な言葉が心に浮かぶ。でも、どれも十分ではない気がした。
そして、ふと思った。
言葉は、想いを伝えるための道具。でも、最も大切な想いは、最もシンプルな言葉で表現される。
深呼吸をする。
そして、二人の方を向いて、最後の力を振り絞った。
「愛してる」
その一言に、すべてを込めた。
健司への想い。ルカへの愛情。そして、この世界への感謝。
記憶は失っても、愛は残っている。その真実を、最後の言葉に託した。
声は、震えていたかもしれない。小さかったかもしれない。
でも、確かに伝わった。
健司とルカの生命の熱が、激しく揺れた。驚き、喜び、そして深い悲しみ。
次の瞬間、チヨは命の欠片に手を伸ばした。




