第64話 密約
シロミカゲは、ある決意をした。
チヨには、通常の巫女とは違う道を歩ませよう。ただ記憶を守るだけでなく、記憶と忘却のバランスを学ばせる。
それは、危険な賭けだった。
もし失敗すれば、チヨは消滅するかもしれない。しかし、成功すれば――
千年の分離に、終止符を打てるかもしれない。
シロミカゲは、密かにクロミカゲとも接触を取った。
直接会うことはできない。だが、風に乗せて思念を送ることはできる。
月のない夜、シロミカゲは風に想いを託した。
『クロミカゲよ、聞こえるか』
しばらくして、返事が返ってきた。
『...何用だ、シロミカゲ』
千年ぶりの会話。声には、警戒と敵意が滲んでいた。
『提案がある』
『聞こう』
『この巫女に、両方の力を』
『正気か』
クロミカゲの驚きが伝わってくる。
『一人の人間に、光と影の両方を宿すなど』
『だが、彼女なら可能かもしれぬ』
シロミカゲは、チヨの特別さを説明した。矛盾を抱える魂、強い意志、そして何より、愛の深さ。
『確かに、興味深い』
クロミカゲの声に、少し興味の色が混じった。
『だが、失敗すれば』
『彼女は消滅する。分かっている』
『それでも、やるのか』
『これが、最後の機会かもしれぬ』
長い沈黙の後、クロミカゲから返事が来た。
『...面白い。乗ろう』
『本当か』
『千年も、この退屈な分離に耐えてきた。少しは、変化があってもよかろう』
こうして、二体の狐神は、千年ぶりに協力することになった。
■計画
チヨには知らせない。彼女は、自分の運命だと思って欠片を集めている。
しかし、その過程で、彼女は光と影の両方を学んでいく。
感覚を失うたびに、新しい力を得る。
それは、シロミカゲとクロミカゲが、交互に力を与えているからだ。
色彩を失えば、魂の光が見える――それはシロミカゲの力。
声を失えば、水の記憶が読める――それはクロミカゲの技術の応用。
触覚を失えば、大地の記憶を感じる――それはシロミカゲの力。
嗅覚を失えば、心の風が見える――それはクロミカゲの力。
視覚を失えば、命の熱を感じる――それはシロミカゲの力。
そして最後に、チヨが完全に消えた時――
もしかしたら、新しい存在として生まれ変わるかもしれない。
光と影を統合した、完全な存在として。
それは、銀色の狐神の再来。
あるいは、それ以上の何か。
■見守る者たち
シロミカゲは、遠くからチヨを見守った。
火の欠片を手に入れ、視覚を失った少女。それでも前を向いて歩く、強い魂の持ち主。
「頼むぞ、チヨ」
千年ぶりに、希望を感じていた。
もしかしたら、もう一度、完全な存在に戻れるかもしれない。
孤独から解放されるかもしれない。
クロミカゲも、影からチヨを見守っていた。
普通なら、彼女を誘惑し、記憶を捨てさせようとするところだ。だが、今回は違う。
彼女には、両方の道を知ってもらう必要がある。
記憶の大切さと、忘却の必要性。
光の美しさと、影の優しさ。
すべてを知った上で、彼女自身に選んでもらう。
■運命の行方
二体の狐神は、それぞれの場所から、同じ未来を夢見ていた。
再び一つになる日。
完全な存在として、世界のバランスを保つ日。
それは、チヨの犠牲の上に成り立つかもしれない。
だが、もしかしたら――
「新しい形があるかもしれぬ」
シロミカゲは呟いた。
「そうだな。千年前には考えもしなかった形が」
クロミカゲも同意した。
面を被った者の影が、少しずつ近づいていることも、二体は感じていた。
それも含めて、すべては運命の糸で繋がっている。
チヨの選択が、すべての鍵となる。
光を選ぶか、影を選ぶか。
あるいは――
両方を選ぶか。
その時が来るまで、二体の狐神は見守り続ける。
千年の孤独に耐えながら、希望を胸に抱いて。




