表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/100

第41話 記憶の風

風と共に、様々な記憶の香りが流れてくる。


焚き火の煙の匂いと共に、祭りの記憶。


花の香りと共に、結婚式の記憶。


線香の匂いと共に、葬儀の記憶。


すべての記憶に、香りがついている。そして今、最後にそれらを感じることができる。


洞窟の最深部に、祭壇のような場所があった。そこに、緑色に輝く六角形の結晶が置かれていた。


風の欠片。


チヨは深呼吸して、手を伸ばした。


最後に、健司の匂いを胸一杯に吸い込む。石鹸と、かすかな汗と、そして健司だけの優しい匂い。


そして——


■クロミカゲとの対峙


「本当に、それでいいのか?」


低い声が響いた。音は聞こえないはずなのに、その声は直接心に届いた。


振り返ると、黒い狐が立っていた。九つの尾を持つ、クロミカゲ。


その存在からは、硫黄のような匂いが漂っている。破壊と混沌の匂い。


『なぜ邪魔をする』


チヨが手話で問いかけると、クロミカゲは嘲笑うような気配を見せた。


『邪魔?違うな。私は選択肢を与えているのだ』


黒い狐は、ゆっくりと近づいてくる。その動きに合わせて、不快な匂いが強くなる。


『お前は色を失い、声を失い、次は香りを失う。その先に待つのは、完全な孤独だ』


『それでも、村を守るため——』


『村?』クロミカゲが遮った。『村人たちは、既にお前を忘れ始めている。存在しない者のために、なぜ犠牲になる?』


その言葉は、チヨの心に突き刺さった。確かに、村人たちはもう自分を認識できない。


『でも、ルカがいる。健司さんも』


『一時的なものだ。封印が完成すれば、彼らもお前を忘れる』


クロミカゲの瞳が、妖しく光った。


『だが、別の道もある。我に従えば、お前は失ったものを取り戻せる』


誘惑的な提案。一瞬、チヨの心が揺れた。


色も、声も、香りも取り戻せる。普通の人間として、健司と共に生きることができる。


でも——


その時、健司が前に出た。手話で語りかける。


『チヨを惑わすな』


クロミカゲは健司を見た。


『医師か。命を救うのが使命の者が、なぜ彼女の犠牲を止めない?』


『それがチヨの選んだ道だから』


健司の手話は力強かった。


『愛する人の決意を、僕は尊重する。たとえ、それが辛い別れになるとしても』


チヨの胸が熱くなった。健司は、自分の選択を理解してくれている。


『でも』健司は続けた。『必ず方法を見つける。チヨを失わない方法を』


クロミカゲは、しばらく二人を見つめていた。その間、風穴の中には様々な匂いが渦巻いた。希望の花の香り、絶望の灰の匂い、そして愛の甘い香り。


『愚かな……まあいい。後悔しても遅いぞ』


そう言い残して、黒い狐は影のように消えていった。硫黄の匂いも、少しずつ薄れていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ