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第32話 夕暮れの記憶
夕方、チヨは一人で井戸に戻った。
もう一度、両親の記憶を見たくて。
井戸の縁に手をついて、水面を見つめる。夕日が水面に反射して、オレンジ色に——いや、もう色は分からない。でも、温かい光だということは分かる。
水面に、また映像が浮かび上がった。
今度は、美咲が一人で井戸に来ている場面だった。お腹が大きい。チヨを身籠っている時だ。
美咲は井戸に向かって語りかけている。声は聞こえないが、唇の動きで言葉が分かる。
「もうすぐ、この子が生まれます」
美咲は優しくお腹を撫でる。
「きっと、私と同じ運命を背負うことになる。それが分かっているのに、産むことしかできない」
涙が美咲の頬を伝う。
「ごめんなさい。でも、あなたに会いたい。たとえ短い時間でも、一緒にいたい」
母の深い愛と苦悩。それを知って、チヨの胸が締め付けられる。
「でも、信じています。この子なら、きっと新しい道を見つけてくれる」
美咲が井戸の水を汲み、飲む。
「水の記憶よ、この子を守って。私ができなかったことを、この子が成し遂げられるように」
映像が消えた。
「お母さん……」
声に出そうとして、出ないことを改めて実感する。
でも、想いは変わらない。母の願いを、必ず叶えてみせる。




