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第24話 雨上がりの朝

あのとき、姉ちゃんの声がふいに遠くなった。


呼んでも、返事はこなかった。 怒ってるのかと思った。


でも今ならわかる。 声じゃなくて、心で応えてくれてたって。


ねえ、姉ちゃん。わたしも、言葉を使わずに想えるようになるかな?


水は記憶を宿す鏡

静かに過去を映し出し

流れて未来へと続く声なき者の想いもまた

水底に永遠に眠る——『霧姫伝説・水の章』より


雨上がりの朝


1994年5月18日、午前4時30分。


チヨは昨日よりも早く目を覚ました。窓の外では小雨が降っていたが、今は止んで、雨上がりの匂いが漂っているはずだった。しかし、色彩を失った今、雨粒の輝きも、朝焼けの美しさも、モノクロームの濃淡でしか感じられない。


ベッドから起き上がり、窓辺に立つ。雨上がりの村は、いつもより霧が濃い。その霧の中に、かすかに紫の——いや、もう色は分からない。ただ、普通とは違う不穏な気配だけは感じ取れた。


雨粒が窓ガラスを伝い落ちる様子を見つめる。透明な水の軌跡が、ガラスの上に無数の道を作っている。その一つ一つに、小さな世界が映っているような気がした。


台所に立ち、朝食の準備を始める。包丁で野菜を切る音、鍋から立ち上る湯気、味噌を溶く香り——これらの感覚が、今はとても愛おしい。今日、「水」の欠片を手に入れれば、また一つ感覚を失うことになる。


声と聴覚。


もう、ルカの笑い声も、健司の優しい声も聞けなくなる。自分の声で「愛してる」と伝えることもできなくなる。


「今のうちに……」


小さくつぶやきながら、チヨは朝食を作っていく。ルカの好きな鮭の塩焼き、ほうれん草のお浸し、そして具だくさんの味噌汁。


フライパンで鮭を焼きながら、その音に耳を傾ける。ジュウジュウという油の跳ねる音、皮がパリッと焼ける音。これらの音も、もうすぐ聞けなくなる。


ふと、母のことを思い出す。美咲も同じように、感覚を失いながら日常を過ごしていたのだろうか。その姿を想像すると、胸が締め付けられる。


「お母さんは、どんな気持ちだったんだろう」


写真館の壁に飾られた母の写真を見つめる。優しく微笑む母。その写真も今は、灰色の濃淡でしか見えない。でも、その笑顔の温かさは変わらない。


キッチンタイマーが鳴る。澄んだ電子音が、静かな朝に響く。この音も、今日で最後。

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