第100話 そして、新たな物語へ
そして、ある夜――
22歳のルカが、奇妙な夢を見ている場面が映し出された。
夢の中で、白い着物の女性が霧の中に立っている。顔は見えないが、とても懐かしい感じがする。
女性は何かを伝えようとしている。唇が動いているが、声は聞こえない。でも、その口の形が――
「写して」
ルカは夢の中で、その言葉を読み取った。
目覚めたルカは、涙を流していた。なぜ泣いているのか分からない。でも、夢の中の女性がとても大切な人だということは分かる。
そして、朝になって魂写機を手に取ると――
カメラが、独りでに動いた。
シャッターが切られ、何もない空間を撮影した。
現像すると、そこには――
「影...」
純粋な影が写っていた。人でも物でもない、ただの影。でも、それは確かに「誰か」の影。
「これは...」
ルカの金色の瞳が、強く輝いた。巫女の血が、ついに完全に覚醒し始めたのだ。
『そうか、始まったのね』
美咲が感慨深げに言った。
『あの子は、夢写師への道を歩み始めた』
チヨは、妹の覚醒を複雑な思いで見つめていた。嬉しさと不安が入り混じる。
健司が心配そうにルカの様子を見守っている場面も映し出された。
「ルカちゃん、最近様子が変だけど...」
「実は、変な夢を見るんです」
「夢?」
「白い着物の人が出てくる夢。誰だか分からないけど、とても大切な人」
健司の表情が変わった。彼も、同じような夢を見ているのだ。
「俺も...似たような夢を見る」
二人は顔を見合わせた。偶然ではない。何か大きな力が、二人を導いている。
■黒い外套の人物
そして、ある満月の夜――
黒い外套を纏った人物が、写真館の前に立った。顔は見えないが、強い霊力を感じる。
「橋爪ルカ、『影写りの巫女』よ」
低い声が、霧の中から響く。それは男とも女ともつかない、不思議な声。
「あなたは...」
「我は、お前を導く者。お前の姉の欠片を、取り戻す時が来た」
ルカの瞳が大きく見開かれた。
「姉...?私に、姉がいたの?」
「記憶は封じられている。だが、真実は写真の中にある」
黒い外套の人物は、一枚の写真を差し出した。それは、かつてチヨとルカが一緒に撮った写真。でも、チヨの姿は白い影となっている。
「この人が...」
「そう、お前の姉。名は橋爪チヨ。この村を守るため、自らを犠牲にした最後の巫女」
ルカの目から涙があふれた。思い出せない。でも、心の奥底で、その名前が響いている。
「チヨ...姉ちゃん...」
その呼び声は、写し世まで届いた。
チヨの魂が震えた。ルカが、自分の名前を呼んでくれた。完全ではないが、確かに呼んでくれた。
「ルカ...!」
■永遠の見守り
写し世の空――そんなものがあるとすれば――を見上げながら、チヨは思った。
たとえ永遠に会えなくても、この愛は変わらない。
名前を呼ばれなくても、顔を思い出されなくても、抱きしめられなくても。
ただ、愛している。
それだけで、十分。
「いつか...」
チヨは懐中時計を思い浮かべた。ルカが大切に持っている、七時四十二分で止まった時計。
「いつか、あの針が動き出す日が来たら」
それは夢物語かもしれない。でも、夢を見ることは許されるだろう。
歴代の巫女たちも、同じような希望を抱いて、永遠の時を過ごしている。
「でも、今はまだ...」
チヨは現世を見つめた。ルカが夢写師として成長し、真実に近づいていく姿を。
危険もあるだろう。苦しみもあるだろう。でも、ルカなら大丈夫。あの子は強い。
そして、健司もいる。彼なら、ルカを支えてくれる。
■見守り続ける愛
現世では、また新しい一日が始まっていた。
ルカは今日も写真を撮りに出かける。夢写師としての力に目覚め始めた彼女は、以前より鮮明に「見えないもの」を撮影できるようになっていた。
健司は診療所で患者を待つ。相変わらず独身だが、充実した日々を送っている。そして、ルカのことを見守り続けている。
村人たちは、平和な日常を送る。紫の霧の恐怖も、今は遠い記憶。
誰もチヨのことを覚えていない。
でも、それでいい。
皆が幸せに生きている。笑顔で過ごしている。それが、チヨにとって最大の幸せだった。
「頑張って、ルカ」
今日も、明日も、ずっと。
写し世から愛を送り続ける。
たとえ届かなくても、伝わらなくても。
愛は、ここにある。
永遠に。
■結び
そして、いつか――
ルカが夢写師として完全に目覚め、写し世の扉を叩く日が来ることを、静かに待ち続ける。
その日まで、チヨは見守り続ける。
愛する妹の成長を、その瞳に映る金色の光が、やがて道を示すことを信じて。
どこか遠くで、懐中時計の針が一瞬だけ震えた。
いや、震えただけではない。かすかに、本当にかすかに、針が動いた。七時四十二分から、一秒だけ。
でも、まだ本格的に動き出さない。
その時は、まだ来ない。
でも、必ず――
写し世の白い空間で、チヨは静かに微笑んだ。
愛する人たちの幸せを願いながら、今日も見守り続ける。
それが、彼女の選んだ道。
そして、それは少しも辛くない。
愛する人が生きている。成長している。新しい道を歩み始めている。
ただそれだけで、永遠は輝いて見えた。
ルカの夢写師としての物語は、これから始まる。
でも、その物語の中にも、チヨの愛は確かに息づいている。
姉の祈りは、妹の力となって。
姉の想いは、妹の道標となって。
二人の物語は、形を変えて続いていく。
忘れられても、消えない愛。
それが、橋爪チヨが残した、最も美しい写真。
心に焼き付けられた、永遠の一枚。
『夢写師と白い狐の廃墟譚』完
――そして、新たな物語へ――