2 セッターのお姉さん
冒険者は肉体的にも、精神的にも、かなりきつい職業だ。
俺みたいな非力な奴が冒険者にでもなったら、なったその日にお陀仏だろう。
聞く話によれば、命懸けであり、仲間の命を預かる彼らのストレスは並大抵ではない。
だから、喫煙者の比率が圧倒的に多いのも納得がいった。
「あの、──あの」
俺は突然響いた声で我に返り、顔を上げた。
そして、「あっ……」と素っ頓狂な声を出していた。
まさかあのデイジーが目の前に立って、どうやらこの俺に声をかけているのだ。
「よかったら火をお借りできますか? ライターの調子悪くって」
「あ、うぃっす」
俺はこくりとだけ頷いて、ポケットから取り出したライターを逆さまに手渡した。
デイジーは咥えた煙草に手早く火をつける。
(あのデイジーが俺のライターで火をつけている! 一流シーカーの彼女が使うとあれはもはやただの100円ライターとは思えない。家宝だ、家宝にするぞ。震える、震えた、やばあ)
「ども〜」
デイジーは肺まで深く吸い込んだ煙を「ふぅー」と音を立てて吐き出した。
俺に一言礼を伝えると、再びブオナノッテの隣へと戻っていった。
俺は彼女の吐き出した煙が夕暮れにゆっくりと浮かび上がっていくのを目で追っていた。
「……それにルークのやつ、最近なんか様子おかしくない?」
「俺も感じてるさ」
「ダンジョンに潜ってる時間以外付き合いが悪いしさ、それに……」
「俺たち以外の小悪党連中と裏でつるんでる」
「そうそう!」
「本人は秘密裏にやっているつもりのようだがな」
「ばればれなのよね」
何も冒険者に付きまとうストレスは単に「戦闘(命のやり取り)」におけるものだけではないらしい。なかなか聞くことのできない裏話だ。D・アド視聴時の解像度が上がるのは有り難い。それにしても、口紅の滲んだセッターが彼女の白く細い指先によく映える。冒険者とは思えないほど、綺麗な指と爪だ。
「頃合いを見てあたしも次のパーティー探しとかないとね」
「お前ならすぐに見つかるよ」
「あんたどうすんのよ?」
「俺は、家族を養わなきゃいけないからな、ギリギリまであそこに残るさ」
「気をつけなさいよ。もう行く?」
「ああ」
二人は吸い殻を灰皿に投げ込むと、喫煙所の出口へと向かう。
俺は決して目が合わないよう、咥えた煙草の火元に視線を集中させる。
「火、ありがとね、お兄さん」
俺はふたたび思わず目線を上げる。
デイジーがクールな視線をこの俺に向けて、微笑んでいるではないか。
俺はもう発情、そして爆発の一歩手前だ。
完全に二人が立ち去ると、俺は大きく息を吐き出す。
咥えた煙草が長く灰をつくり、重さに耐えきれなくなって地面に転がり落ちる。
「緊張した。緊張した。緊張した。ゲボが出そうだ。それにしても美しかったなあ、デイジー改め、セッターのお姉さん。うん、あれはやばい」
俺は吸い殻の溜まった灰皿の掃除を済ませると、ようやくこの日の全ての仕事を終えて帰路についた。