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波乱の予兆、特別合同訓練

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アストリッド教官の部屋で、あの息詰まるような対峙を経験してから、数日が経過した。彼女の俺に対する疑念は、もはや確信へと変わっただろう。だが、幸いなことに、その後、彼女が俺に対して何か具体的な行動を起こしてくることはなかった。授業中の監視の目は相変わらず厳しく、時折、核心を突くような質問を投げかけてくることもあったが、あの部屋で見せたような直接的な追求は影を潜めていた。おそらく、彼女は俺に決定的な尻尾を掴ませない限り、表立った動きはしないつもりなのだろう。あるいは、何か別の機会を待っているのかもしれない。いずれにせよ、俺はこれまで以上に警戒を怠らず、神経を張り詰めさせながら、平凡な生徒という仮面を被り続けていた。


エリアーナとの関係も、微妙な状態が続いていた。裏路地での一件以来、彼女は俺に対して以前よりも積極的に関わろうとしてくる。

「あなたのことがもっと知りたい」。彼女のその言葉が、時折、俺の頭の中で反響する。俺は、彼女の真っ直ぐさを持て余しながら、適当にあしらい、距離を保とうと努めていたが、心のどこかで、その存在を完全に無視しきれない自分もいることに気づき始めていた。

それは、俺の計画にとって、非常に危険な兆候だった。


そんな、水面下で様々な思惑や感情が渦巻く、一見平穏な日常が続いていたある日のこと。それは、全校生徒が講堂に集められた、朝の全校集会の場で、唐突に発表された。


壇上に立ったのは、厳格な雰囲気で知られる学院長、ではなく、意外にもアストリッド教官だった。彼女が全校生徒の前で話をするのは、着任の挨拶以来のことだろう。その事実に、生徒たちの間にわずかなざわめきが広がる。彼女がマイクの前に立つと、講堂は水を打ったように静まり返った。彼女の放つ独特の威圧感は、学院長以上かもしれない。


「諸君、静粛に」


アストリッドの低く、しかしよく通る声が、講堂に響き渡った。


「本日は、諸君に重要な知らせがある。来週より、本学院は『特別合同訓練』を実施する運びとなった」


特別合同訓練。その言葉に、生徒たちの間に再び大きなどよめきが起こった。噂には聞いていたが、ここ数年は実施されていなかったはずだ。どのような内容なのか、何のために行われるのか。様々な憶測が飛び交い、期待と不安が入り混じった空気が講堂を満たす。


アストリッドは、生徒たちの反応を意に介さず、淡々と説明を続けた。


「この訓練は、学年、クラスの垣根を越えて行われる大規模な実践演習だ。目的は、諸君の実践能力の向上、危機的状況における判断力と対応力の養成、そして、健全な競争意識を通じて、互いを高め合うことにある」


彼女の言葉には、一切の感情が込められていない。だが、その内容は、生徒たちの心を昂らせるには十分だった。特に、自分の実力に自信を持つ者や、成り上がりを夢見る者にとっては、またとない機会だろう。


「訓練内容は、学院の地下に広がる『第一模擬ダンジョン』の探索および踏破とする。諸君には、四人一組のチームを組んでもらい、ダンジョン内に設置されたチェックポイントの通過、配置された模擬魔物の討伐、そして最深部に到達するまでの時間を競ってもらう。成績優秀なチーム、および個人には、相応の褒賞が与えられるだろう」


模擬ダンジョン探索。ポイント制。褒賞。それらのキーワードに、生徒たちの興奮はさらに高まった。特に、騎士科の生徒や、戦闘系の魔法を得意とする生徒たちは、目を輝かせている。


「チーム編成は、原則として自由とする。ただし、各チームには、必ず異なる学年の生徒を一人以上含めること。編成期間は本日より三日間。訓練の詳細なルール、および注意事項については、後ほど各クラスで担任より説明がある。各自、万全の準備をもって臨むように。……以上だ」


アストリッドは、それだけ言うと、さっさと壇上から降りてしまった。彼女の簡潔すぎる告知の後、講堂はしばらく興奮と喧騒に包まれていたが、やがて他の教官たちの指示に従い、生徒たちはそれぞれの教室へと戻っていった。


俺は、人混みに紛れながら、深く溜息をついた。特別合同訓練。面倒なことになった、というのが正直な感想だった。大規模なイベントは、それだけで目立つリスクを高める。ましてや、チームを組んでダンジョンを攻略するなど、俺にとっては最悪のシナリオだ。力を隠しながら、他のメンバーに合わせ、なおかつ平凡な成績を収める。それは、至難の業だろう。できることなら、適当な理由をつけて欠席したかったが、アストリッドが関わっている以上、それも難しいかもしれない。


教室に戻ると、案の定、クラス内は訓練の話題で持ちきりだった。誰とチームを組むか、どのルートでダンジョンを攻略するか、どんな装備を準備するか。皆、興奮した様子で語り合っている。


そんな中、ひときわ大きな声で、取り巻きたちに囲まれながら息巻いている男がいた。ゼイド・フォン・ヴァルガスだ。


「はっはっは! 面白くなってきたじゃねえか! この俺、ゼイド・フォン・ヴァルガスの実力を、学院中の奴らに見せつけてやる絶好の機会だ!」


彼は、自信満々に胸を張り、高笑いを響かせている。その目は、ギラギラとした野心と、そして明確な敵意をたたえて、俺の方に向けられていた。


「なあ、聞いたか? 今回の訓練じゃ、個人成績優秀者にも特別な褒賞が出るらしいぜ。俺はもちろん、チーム優勝と個人優勝、両方をいただくつもりだがな!」


取り巻きたちが、「さすがゼイド様!」「当然です!」と囃し立てる。ゼイドは、満足そうに頷くと、わざと俺に聞こえるような大声で続けた。


「それに比べて、どこかの誰かさんは、どうせまた、運良く生き残るのが精一杯だろうがな! はっはっは! 訓練場でまぐれを起こしたところで、本物の実力の前では、無力だと教えてやる!」


あからさまな挑発。周囲の生徒たちも、面白がってこちらを見ている。俺は、内心で舌打ちしながらも、無表情を貫き、彼の言葉を無視した。相手にするだけ無駄だ。だが、彼の敵意は、訓練において、俺にとって無視できない障害となるだろう。彼のことだ、訓練中に、俺に対して何らかの妨害工作を仕掛けてくる可能性も十分にある。


「アッシュフォード君」


不意に、隣から声をかけられた。エリアーナだ。彼女は、少し心配そうな顔で、俺とゼイドのやり取りを見ていたようだった。


「……なんだ」


俺は、ぶっきらぼうに答えた。


「あの、訓練のことなんだけど……」


彼女は、少し言い淀みながら、続けた。


「チーム、もう決めた? もし、まだだったら……」


彼女の言葉の先は、聞かなくても分かった。俺と一緒にチームを組みたい、と。そう言いたいのだろう。だが、それは絶対に避けなければならない。彼女と組めば、俺は必然的に目立ってしまう。それに、彼女の期待に応えようとすれば、力を隠し通すことも難しくなるだろう。


「……悪いが、もう決まっている」


俺は、嘘をついた。実際には、まだ誰とも話していない。むしろ、誰とも組みたくない、というのが本音だ。


「そ、そう……残念だわ」


エリアーナは、明らかに落ち込んだ様子で、視線を伏せた。その姿に、ほんの少しだけ、罪悪感を覚えた。だが、これも仕方ないことだ。俺は、誰とも深く関わるべきではないのだ。


「……まあ、頑張れよ」


俺は、それだけ言うと、窓の外へ視線を移した。エリアーナは、しばらく黙っていたが、やがて、小さな声で呟いた。


「……リオン君も、頑張ってね」


その声には、単純な応援だけではない、何か複雑な響きが含まれているように感じられた。

俺は、彼女の言葉には答えず、ただ黙って窓の外を眺めていた。空は、相変わらず厚い雲に覆われている。


その後、担任の教官から、訓練に関する詳細な説明があった。ダンジョンの構造、出現する模擬魔物の種類と強さ、ポイント配分、禁止事項など。そして、最後に付け加えられた情報が、俺の気分をさらに重くした。


「なお、今回の特別合同訓練では、各所に監視役の教官が配置される。特に、第一級危険区域とされるエリアには、アストリッド・ベルク教官が直接、巡回と監視にあたることになっている。不正行為はもちろん、危険な行動を取った場合は、即刻失格となるので、十分に注意するように」


アストリッド教官が、直接監視……。最悪だ。これでは、完全に手を抜くことも、逆に力を使いすぎることも、どちらも許されない。彼女は、この訓練を、俺の実力と本質を 最終的に)見極めるための、絶好の機会と考えているに違いない。場合によっては、俺を試すような、危険な状況を意図的に作り出してくる可能性すらある。


俺は、深く、重い溜息をついた。特別合同訓練。それは、俺にとって、かつてないほどの試練となるだろう。アストリッドの監視、ゼイドの敵意、エリアーナの期待。そして、俺自身の、自由への渇望と、力を隠し通さなければならないという強迫観念。それら全てが、この模擬ダンジョンという舞台の上で、複雑に絡み合い、ぶつかり合うことになる。


訓練開始まで、あと三日。学院全体が、どこか浮き足立ったような、熱気に満ちた雰囲気に包まれている。生徒たちは、チーム編成に奔走し、装備を整え、作戦を練っている。その喧騒の中で、俺は一人、思考を巡らせていた。どうすれば、この面倒なイベントを、目立たずに、そして無事に乗り切ることができるのか。どんなチームに入り、どのように立ち回るべきか。


答えは、まだ見つからない。だが、一つだけ確かなことがある。この特別合同訓練は、俺の偽りの平穏を、大きく揺るがすことになるだろう、ということだ。波乱の予兆が、重く垂れ込めた曇り空のように、俺の心に暗い影を落としていた。俺は、ただ、自分の自由を守り抜くことだけを考えながら、迫りくる運命の日に備えるしかなかった。

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