古の封印、試される知恵
俺が黒水晶の扉にゆっくりと手を触れ、その複雑な魔法陣とルーン文字を観察し始めた時、仲間たちは固唾を飲んで俺の次の行動を見守っていた。先ほど俺が漏らした、あの奇妙な笑みの意味を測りかねているのだろう。
だが、その視線には、もはや以前のような純粋な疑念や驚きというよりも、「彼ならば、あるいは何か途方もない方法でこれを解決してしまうのかもしれない」という、ある種の期待感、あるいは規格外の存在に対する興味のようなものが含まれていた。
特にレナード先輩とセレスティア先輩は、専門家としてのプライドを刺激されたのか、それとも純粋な学術的興味からか、俺の一挙手一投足に鋭い視線を注いでいる。ミリアもまた、面白そうに口元に笑みを浮かべ、俺がどんな手品を見せるのか、値踏みするような視線を送っていた。アストリッド教官は、腕を組んだまま、変わらず俺の行動を冷静に注視している。
俺は、そんな仲間たちの様々な視線を受け止めながらも、意識を目の前の扉に集中させた。指先からごく微量の魔力を流し込み、魔法陣の構造と、そこに絡み合う無数のルーン文字の配列を、より深く探っていく。
(……やはりな。師匠のあの悪趣味なまでの多重トラップ封印に比べれば、この遺跡の封印は、どこまでも教科書的で、論理的だ。つまり、解き方も、より直接的でいいはずだ)
脳裏に蘇るのは、師匠の言葉。
『どんな複雑なものでもな、リオン、必ずそこには「理」がある。術式を組み上げた者の思考、魔力の流れの癖、ルーン文字の組み合わせの法則。それらを粘り強く観察し、論理的に思考し、そして何よりも、諦めない心があれば、開けない扉などないのだよ』
そうだ。師匠の封印は、その「理」を幾重にも捻じ曲げ、解読者の心理的な罠まで仕掛けてくるような代物だった。だが、この古代エルヴンの封印は、もっと純粋に、魔術的な法則性に基づいて構築されているように感じられる。つまり、「正攻法」が通用する相手だ。
俺は、魔法陣のパターンとルーン文字の配列を、師匠から教わった古代魔法の知識と、そして何よりも「師匠の封印」を解読してきた経験則と照らし合わせながら、その「理」を驚くべき速さで紐解いていった。
「……このルーンの配置は、特定の属性の魔力に対する反発効果。だが、その反発の方向性が、魔法陣全体のエネルギーの流れと、わずかに矛盾している。これは、意図的なのか、それとも設計ミスか……いや、この時代のエルヴンならば、おそらく前者。反発を利用したカウンターバランス機構の一環と見るべきか……」
「あちらの魔法陣の魔力循環は、一見すると閉鎖系だが、よく見ると、ごく微細なエネルギーの漏出点がある。おそらく、そこが、この封印全体の『呼吸』をするための、唯一の隙間……。ここから、制御された魔力を逆流させれば……」
俺は、ぶつぶつと独り言のように呟きながら、指先で魔法陣の特定の箇所をなぞったり、あるいは、ごく微量の魔力を流し込んで、その反応を確かめたりしていく。その動きは、どこか楽しげでさえあった。まるで、久しぶりに骨のあるパズルに出会った子供のように。
レナード先輩とセレスティア先輩は、俺の呟く言葉の中に、何か重要なヒントがあるのではないかと、必死に耳を傾け、そして俺の型破りなアプローチに目を見張っている。
そして、数分後。俺は、ついに、この複雑な多重封印の「核」となる部分と、それを解除するための「鍵」となるルーン文字の組み合わせ、そして適切な魔力の「通し方」を完全に見つけ出した。
「……なるほどな。やはり、師匠のアレよりは、随分と素直な作りだ」
俺は、小さく頷くと、革手袋をはめた両手の指先に、それぞれ意識を集中させた。そして、ごく微量で、しかし左右の手でその波長と位相を精密に調整した、純粋な魔力を練り上げた。特定の属性に偏ったものではなく、あくまで中立的で、しかし極めて繊細にコントロールされた魔力だ。この封印の「鍵穴」にぴったりと合う「鍵」を、俺は即席で作り上げたのだ。
そして、俺は、その二つの異なる波長を持つ魔力を、寸分の狂いもなく、同時に、魔法陣の二つの異なる特定ポイントへと、ゆっくりと流し込み始めた。それは、まるで清流が乾いた大地に染み渡るように、滑らかで、自然な動きだった。
その瞬間。
扉の表面に刻まれた魔法陣全体が、眩いほどの青白い光を放ち始めた。そして、無数に散りばめられたルーン文字が、まるで生命を得たかのように、順番に明滅し、その輝きを変えていく。
ゴゴゴゴゴ……。
扉全体が、低い地響きのような音を立てて、ゆっくりと振動し始めた。複雑に絡み合っていた封印の術式が、一つ、また一つと、まるで精密な機械の歯車が噛み合うように解けていく気配が、俺の指先を通して、はっきりと伝わってくる。
「……まさか……本当に……!? あの古代エルヴンの多重封印を、こうもあっさりと……! しかも、あの魔力の流し方……通常の魔力とは異なる、複数の波長を同時に、かつ完璧に制御しているのか!?」
レナードが、信じられないといった表情で、目を見開いている。その声は、興奮と畏敬で震えていた。
そして、ついに。
カチリ、という小さな、しかし確かな音が、扉の奥から響いた。
同時に、扉全体を覆っていた魔法陣の光が、ふっと消え失せ、扉から放たれていた強力な封印の魔力も、完全に霧散した。
ゴゴゴ……ゴ……。
扉の振動が収まり、そして、ほんのわずかに、内側へと開く兆しを見せた。
俺は、確かな手応えを感じ、そして、小さく息を吐いた。
(……よし。開いたな)
師匠のおやつ棚の封印に比べれば、やはり、赤子の手をひねるようなものだった。