学外実習、迷霧の森へ
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目の前に広がる深い谷、あるいは底が見えない霧の深淵。そして、そこに垂れ下がる伝説の「空歩きの蔓」らしき奇妙な植物。俺たち第三班は、実習開始早々、大きな決断を迫られていた。
「文献によれば、月雫苔は確かに空歩きの蔓の毒を中和する可能性があるとされています。ですが、それはあくまで伝承の域を出ません。実際に効果があるかどうか……」
セレスティア先輩が、冷静に意見を述べた。
「ならば、実験してみるのが一番確実だ!」
レナードが、待ってましたとばかりに声を上げた。彼の目は、既に新たな実験への好奇心で爛々と輝いている。
「幸い、この森には実験材料が豊富にいるようだ。ロイ君、すまないが、そこの茂みにいる小さな野ウサギを捕獲してくれたまえ!」
レナードが指差す先を見ると、確かに、茂みの陰で小さな野ウサギが草を食んでいるのが見えた。
ロイは、何も言わずに頷くと、音もなく茂みへと近づき、驚くべき速さで野ウサギを捕獲して戻ってきた。ウサギは、ロイの腕の中で必死にもがいている。
「よし、ありがとう、ロイ君!」
レナードは、嬉々としてウサギを受け取ると、近くに落ちていた蔓の切れ端を拾い上げ、その棘をウサギの足に軽く押し当てた。
「ピィッ!」
ウサギが甲高い悲鳴を上げ、足が微かに痙攣し始めた。軽い麻痺症状が出ているようだ。やはり、この蔓には毒がある。
「さあ、次はこれだ!」
レナードは、興奮した様子で、先ほど採取した月雫苔をすり潰し、その汁をウサギの傷口と麻痺した足に塗り込んだ。すると、数秒もしないうちに、ウサギの足の痙攣が収まり、元気に動き始めたのだ。
「おお! 効果ありだ! 月雫苔は、空歩きの蔓の毒に対する有効な解毒剤となることが証明されたぞ!」
レナードは、実験の成功に歓声を上げた。他のメンバーも、その結果に安堵の表情を浮かべている。
「これで、蔓を使って谷を渡るリスクは、かなり軽減されたわね」
エリアーナが、ほっとしたように言った。
「では、解毒薬の作成は私に任せてくれたまえ!」
レナードは、意気揚々と苔を集め始め、持参していた携帯用の錬金術道具を取り出すと、慣れた手つきで苔をすり潰し、他の薬品と調合して、緑色の軟膏を作り始めた。彼の専門は魔法理論のはずだが、錬金術にもかなりの知識と技術があるようだ。さすがは変わり者の天才、といったところか。
そして、フィンが「僕が強度を確認します!」と、最初に蔓に手をかけた。彼は、レナードが作った解毒軟膏を腕や手に塗り込み、深呼吸を一つすると、最も状態が良いと思われる蔓を掴み、慎重に体重を預けていく。蔓は、彼の全体重をかけても、ミシリとも言わない。
「大丈夫そうです! かなり頑丈です!」
フィンの声が、霧の中から聞こえてくる。彼は、そのままゆっくりと対岸へと渡っていく。
「よし! 次は私が行くわ!」
エリアーナが、軟膏を塗り、フィンに続く。その後、セレスティア先輩、レナード(大量の資料を抱えながらも、意外と身軽に渡っていった)、ミリア、ロイと、メンバーは一人ずつ、慎重に蔓を伝って谷を渡っていった。対岸からは、「気をつけて!」「足元、滑るぞ!」といった声が飛び交い、互いを励まし合っている。チームとしての連帯感が、少しずつ生まれているのを感じた。
そして、最後に残ったのは、俺一人だった。俺も、レナード特製の解毒軟膏を手袋の上から念入りに塗り込み、蔓を掴んだ。ひんやりとした蔓の感触と、下に広がる霧の深淵。一歩間違えれば、奈落の底だ。俺は、慎重に、しかし確かな足取りで、蔓を伝って対岸へと進み始めた。
メンバー全員が、対岸で俺が無事に渡り終えるのを、固唾を飲んで見守っている。エリアーナやフィンの心配そうな顔が見えた。
半分ほど渡っただろうか。対岸まで、あと少し。そう思った、まさにその瞬間だった。
ヒュッ! ヒュッ!
背後――俺が元いた岸の茂みの中から、鋭い風切り音と共に、黒い影のようなものが複数、高速で俺に向かって飛んできた!
咄嗟に身を捻り、それらを回避する。俺のすぐ横を通り過ぎていったのは、鋭く尖った黒い爪のようなものを持った、猿に似た小型の魔物だった。迷霧の森に生息するという、凶暴な「ナイトモンキー」の群れだ! その数、十匹以上! 奴らは、俺が蔓の上にいて身動きが取りにくいこの状況を狙って、奇襲を仕掛けてきたのだ!
「リオン君、後ろ!」
対岸から、エリアーナの悲鳴に近い叫び声が聞こえた!
「くそっ、こんな時に!」
フィンが剣を構え、叫ぶ。エリアーナやミリアも、杖を構え、援護魔法を放とうとする。だが、距離と、そして何よりもこの深い霧が邪魔をして、有効な攻撃を届かせるのは難しいだろう。俺の姿すら、彼らからはぼんやりとしか見えていないはずだ。
ナイトモンキーの群れは、甲高い奇声を発しながら、次々と茂みから飛び出し、蔓を伝って俺に向かって殺到してくる! 鋭い爪が、俺の顔や喉元を狙って迫る!
俺は、揺れる蔓の上という、最悪の足場で、迫りくる敵の群れと対峙しなければならなくなった。
(……だが、この霧……使えるな)
俺は、冷静に状況を判断した。この濃霧は、敵の奇襲を許したと同時に、俺の動きを隠してくれる絶好の帳でもある。対岸の仲間たちからは、俺が今ここで何をするか、正確には見えないはずだ。ならば――。
(見られずに、やるしかない)
俺は、奥歯を噛み締め、迫りくる最初のナイトモンキーを迎え撃つべく、体勢を整えた。革手袋の中で、俺の魔力が静かに、しかし確実に練り上げられていくのを、俺だけが感じていた。
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