見え隠れする才能
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アストリッド・ベルク教官の着任から、数日が経過した。彼女の指導は、噂に違わず、いや、噂以上に厳格かつ苛烈なものだった。基礎体術に始まり、魔力制御の精密化、さらには模擬戦闘における戦術判断まで、要求されるレベルは明らかにこれまでの比ではなかった。おかげで、クラス全体の空気は常に張り詰め、生徒たちの顔には疲労の色が濃くにじみ出ている。休み時間や放課後の話題は、自然とアストリッド教官の厳しさや、次回の訓練への怯えといったものが中心になっていた。
俺、リオン・アッシュフォードも、その例外ではなかった。いや、むしろ他の生徒たち以上に、精神的な疲労を感じていたかもしれない。アストリッド教官の鋭い観察眼は、常に俺の「不自然さ」を探っているように感じられた。力を抑え、平凡を装うという行為は、以前にも増して繊細な神経を使う作業となっていた。下手に手を抜きすぎれば叱責を受け、かといって少しでも本来の動きが出れば、彼女の疑念を深めることになる。まるで、薄氷の上を歩くような日々だった。
エリアーナ・クレスウェルは、相変わらず何かと俺の様子を気にかけているようだった。時折、心配そうな、あるいは何かを問い質したいような視線を向けてくる。先日の帰り際の一件以来、彼女との間には気まずい空気が流れていたが、彼女の真っ直ぐな性格からか、俺の不可解な言動に対する疑問は消えていないらしい。俺は、そんな彼女の視線を感じるたびに、意図的に無視を決め込み、距離を置くように努めた。彼女のようなお人好しと深く関わるのは、俺の秘密を守る上で、あまりにもリスクが高すぎる。
一方、ゼイド・フォン・ヴァルガスは、アストリッド教官に対しては、表向き従順な態度を見せていた。おそらく、彼女の実力を認めているのだろう。名門貴族としてのプライドもあるだろうが、それ以上に、強者に対する敬意のようなものが、彼の態度からは窺えた。もっとも、俺に対する侮蔑的な態度は、全く変わっていなかったが。彼は、アストリッドの厳しい訓練を涼しい顔でこなしながら、時折、苦戦している俺や他の生徒たちを見下すような視線を送ってくる。その度に、俺は内心で舌打ちをしながらも、平静を装うしかなかった。
そんな緊張感と疲労感が漂う中、今日の午後は、魔法実技の授業が予定されていた。担当はもちろん、アストリッド教官だ。今日のテーマは、「二属性複合魔法の基礎理論と実践」。異なる属性の魔力を同時に制御し、一つの魔法として練り上げるという、高度な技術が要求される内容だった。当然、ほとんどの生徒にとっては、かなり難易度の高い課題だ。
訓練場に集合した俺たちを前に、アストリッド教官は、いつものように厳しい表情で口を開いた。
「今日の課題は、二属性複合魔法の基礎だ。異なる属性のマナを調和させ、安定した形で制御するには、極めて高度な集中力と精密な魔力操作が不可欠となる。お前たちにはまだ早いかもしれんが、いずれ必要になる技術だ。まずは、理論を頭に叩き込め」
彼女は、黒板代わりに設置された魔力投影板に、複雑な魔法陣と数式を映し出し、滔々と説明を始めた。その内容は、俺にとってはすでに習熟している領域のものだった。師匠から叩き込まれた古代魔法の理論体系に比べれば、現代の魔法理論は、良くも悪くも整理され、単純化されている。だが、それでも、多くの生徒にとっては、理解が追いつかない部分も多いようだった。エリアーナは必死にメモを取り、ゼイドは自信ありげに頷いているが、他の生徒たちの多くは、困惑した表情を浮かべている。
俺は、退屈さを悟られないように、適当にノートを取るふりをしながら、アストリッドの説明を聞き流していた。早く実践に移らないものか、と思っていた。理論を聞いているだけでは、時間を潰すのも一苦労だ。
「――理論は以上だ。次に、実際に魔力を練り上げ、二属性の調和を試みてもらう。今回は、比較的親和性の高い、火と風の属性を組み合わせる。目標は、小さな火球に風の推進力を加え、指定した的に当てること。威力は問わない。あくまで、二つの属性を安定して複合させることに集中しろ。二人一組になり、互いに補助しながら行うように」
アストリッドの指示で、生徒たちは再び二人一組になり始めた。俺は、またエリアーナと組むことになるのだろうか、と少し憂鬱な気分になったが、今回は幸運にも、別の生徒と組むことになった。相手は、比較的おとなしい性格の男子生徒で、魔力制御はあまり得意ではないようだった。まあ、彼相手なら、俺が多少失敗しても不自然には見えないだろう。
訓練が始まった。俺たちのペアは、まず俺が魔法を試みる番になった。俺は、深呼吸をして、意識的に魔力制御を「下手」に実行しようと試みた。右手には微弱な火の魔力を、左手には不安定な風の魔力を集める。二つの異なる波動を持つマナが、俺の体内でぶつかり合い、不協和音を奏でる。これを、無理やり一つの形にまとめ上げ、前方の的に向かって放つ。当然、結果は惨憺たるものだった。火球は形をなさず、風の力も安定せず、魔法は発動する前に霧散してしまった。
「……はは、難しいな」
俺は、わざとらしく苦笑いを浮かべてみせた。ペアの相手も、「やっぱり難しいよね」と同調してくる。よし、これでいい。俺は「できない生徒」の一人として、この場に溶け込めているはずだ。
次に、ペアの相手が挑戦する番になった。彼は、俺以上に苦戦していた。火と風の魔力を練り上げようとするものの、すぐに制御を失い、魔力が暴走しかける。危なっかしいことこの上ない。俺は、一応のアドバイスを送るふりをしながら、彼が大きな失敗をしないように、注意深く見守っていた。
周囲の他のペアも、同様に苦戦していた。成功しているのは、やはりゼイドのペアくらいのものだ。彼は、いとも簡単に火と風を複合させ、鋭い軌道を描く炎の矢を的に命中させていた。その度に、周囲から感嘆の声が上がる。
エリアーナのペアは、どうか。視線を向けると、彼女も苦戦しているようだった。彼女の得意属性は水であり、火や風の制御はあまり得意ではないのだろう。それでも、持ち前の集中力で、何とか小さな火球に風を纏わせようと奮闘している。その真剣な横顔に、俺は一瞬だけ、目を奪われた。
その時だった。エリアーナの隣で訓練していた別のペアから、短い悲鳴が上がった。見ると、そのペアの一人、少し気の弱そうな男子生徒が、魔力制御に失敗したらしい。彼の手元で、火と風の魔力が激しくぶつかり合い、不安定なエネルギーの塊が急速に膨張し始めていた。
「まずい! 暴発するぞ!」
誰かが叫んだ。アストリッド教官が即座に反応し、防御障壁を展開しようと動き出すのが見えた。だが、間に合うか? 暴走した魔力の塊は、すでに臨界点に達しようとしていた。そして、そのエネルギーが解放される方向は――不運にも、エリアーナのいる方向だった。
エリアーナ自身も、危険に気づき、咄嗟に身を守ろうとした。だが、彼女の反応は、明らかに遅れていた。膨張したエネルギーが、眩い光と熱を発しながら、彼女に向かって迸る。
時間が、引き伸ばされたように感じられた。周囲の音が一瞬遠のき、視界の中の全ての動きが、スローモーションのように映る。エリアーナの驚愕に見開かれた碧眼。迫り来る灼熱の奔流。アストリッド教官の焦りの表情。そして、俺自身の、心臓の鼓動。
考えるよりも先に、体が動いていた。
俺は、隣にいたペアの相手を突き飛ばし、自分自身も地面を蹴った。それは、常人では到底不可能な、爆発的な瞬発力。風のようにエリアーナの前に割り込み、迫り来るエネルギーの奔流に対して、右手を突き出した。
防御魔法を展開する時間はない。ならば、別の方法で対処するしかない。俺は、右手に集中させた自身の魔力を、炎の属性に変換し、さらにそれを極限まで圧縮・高速回転させる。師匠から教わった、特殊な魔力操作技術の一つだ。
「――散れ」
囁くような、小さな声。だが、その声と共に、俺の右手から放たれたのは、目に見えないほどの高速で回転する、純粋な炎の魔力の渦だった。それは、暴走したエネルギーの奔流と正面から衝突し、そのベクトルを強引に捻じ曲げた。まるで、激流に投げ込まれた石が水の流れを変えるように。
ゴォォォッ!
凄まじい音が響き渡り、暴走したエネルギーは、俺の作り出した炎の渦によって、上方へと逸らされた。訓練場の天井近くで、それは激しく炸裂し、熱風と衝撃波が周囲に広がった。天井の一部が黒く焼け焦げ、パラパラと破片が落ちてくる。
俺は、エリアーナを庇うように立ったまま、その爆発の余波を背中で受け止めていた。制服の背中が少し焦げたが、大したことはない。問題は、俺が今、何をしてしまったか、ということだ。
訓練場は、一瞬の静寂の後、騒然となった。何が起こったのか理解できずに呆然とする生徒たち。安堵の息をつく者。そして、信じられないものを見た、という顔で、俺を見つめる者たち。
俺は、ゆっくりと振り返った。すぐ後ろには、腰を抜かしたように座り込んでいるエリアーナがいた。彼女は、恐怖と驚きで目を見開いたまま、俺の顔をじっと見つめている。その碧眼には、明らかに「疑問」の色が浮かんでいた。
「……大丈夫か、クレスウェルさん」
俺は、努めて平静な声で問いかけた。だが、声が少し震えていたかもしれない。
「え……あ、う、うん……ありがとう、リオン君……あなた、今のは……?」
彼女の声も、震えていた。俺の取った行動が、明らかに異常であることに気づいているのだ。
そして、俺は他の視線にも気づいていた。訓練場の反対側からは、ゼイド・フォン・ヴァルガスが、忌々しげな、そして信じられないものを見るような目で、こちらを睨みつけていた。彼の眉間には深い皺が刻まれ、握りしめられた拳が、彼の苛立ちを物語っている。彼にとって、俺のような「雑魚」が、エリアーナを救い、あまつさえ暴走魔法を逸らすなど、到底受け入れがたい事実なのだろう。
さらに、最も厄介な視線があった。アストリッド教官だ。彼女は、訓練場の中央に立ったまま、一切の表情を変えることなく、俺を凝視していた。その氷のような青い瞳は、俺の存在の奥底まで見透かそうとしているかのようだ。彼女の視線は、もはや単なる「疑念」ではない。それは、「確信」に限りなく近いものへと変わっているように感じられた。彼女は、俺がただの平凡な生徒ではないことを、この瞬間、はっきりと認識したに違いない。
まずい。完全に、しくじった。力を隠し通すという、俺の最大の目標が、今、大きく揺らいでいる。あの咄嗟の行動は、あまりにも目立ちすぎた。暴走魔法を逸らすという行為自体もそうだが、それ以上に、その方法が異常だった。防御魔法ではなく、攻撃的な魔力操作によって、エネルギーのベクトルを捻じ曲げるなど、通常の魔法理論では考えられない芸当だ。
「アッシュフォード」
アストリッド教官が、静かに俺の名を呼んだ。その声には、感情が乗っていない。だが、それが逆に、恐ろしいほどの圧力を感じさせた。
「……はい」
俺は、覚悟を決めて、彼女に向き直った。
「今のは、どういう技術だ?」
単刀直入な質問。俺は、頭の中で必死に言い訳を考えた。まぐれだ、とでも言うか? いや、それでは通用しないだろう。あの動きは、まぐれでできるものではない。
「……分かりません。咄嗟だったので……ただ、火の魔力で、押し返そうとしただけです」
苦し紛れの、曖昧な答え。俺は、自分の声が不自然に聞こえないことを祈った。アストリッドは、俺の言葉を聞いても、やはり表情を変えなかった。ただ、じっと俺の目を見つめてくる。その視線に耐えながら、俺は冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
「……そうか」
しばらくの沈黙の後、彼女は再び、そう呟いただけだった。そして、他の生徒たちに向き直ると、何事もなかったかのように、授業の再開を告げた。
「訓練を続ける。各自、魔力の制御には細心の注意を払え。二度とこのような事故を起こすな」
彼女のその態度に、俺は逆に不安を覚えた。追及も叱責もない。だが、それは嵐の前の静けさのようにも感じられた。彼女は、俺の嘘を見抜いている。そして、今はただ、観察を続けるつもりなのだろう。俺という存在を、より深く探るために。
その後、訓練は続けられたが、俺はもはや、平凡を装うどころではなかった。エリアーナは、時折、戸惑いと感謝の入り混じった視線を送ってくるし、ゼイドはあからさまな敵意を込めて俺を睨みつけてくる。そして何より、アストリッド教官の、常に俺の動きを分析しているかのような視線が、重くのしかかってくる。訓練場の空気は、先ほどの事故の前よりも、さらに重く、息苦しいものになっていた。
結局、その日の魔法実技の授業は、何事もなく(表向きは)終了した。だが、俺の心の中には、大きな動揺と焦りが渦巻いていた。見え隠れする才能。隠そうとすればするほど、意図せず漏れ出てしまう力の片鱗。それは、俺の自由を脅かす、時限爆弾のようなものなのかもしれない。
授業が終わり、教室に戻る途中、エリアーナが俺に追いついてきた。
「リオン君、あの……本当にありがとう。助けてくれなかったら、私……」
彼女は、心から感謝しているようだった。その真摯な態度に、俺は少しだけ、罪悪感を覚えた。
「……気にするな。偶然だ」
俺は、ぶっきらぼうにそう答え、足を速めた。彼女の感謝も、疑問も、今の俺には重すぎる。
「でも、あの時の動き……それに、暴走した魔法を逸らした力……あれは、偶然なんかじゃ……」
エリアーナは、諦めずに食い下がってくる。彼女の中で、俺に対するイメージが、大きく変わり始めているのだろう。それは、俺にとって、決して好ましい変化ではなかった。
「しつこいな。俺は、ただ運が良かっただけだと言っているんだ」
俺は、少し苛立った声で言い放ち、彼女を置いて足早に教室へと向かった。背後で、エリアーナが立ち尽くしている気配を感じたが、振り返ることはしなかった。
その後の座学の授業でも、俺は失態を演じてしまった。テーマは、古代魔法文明の遺跡から発見された未解読の魔法陣について。難解な内容に、ほとんどの生徒がついていけない中、担当教官が示した魔法陣の構造的欠陥について、俺はイラついてつい、核心を突くような指摘を口にしてしまったのだ。
「ほう、アッシュフォード君、面白い視点だね。君はどうしてそう思うんだい?」
教官は、意外そうな顔で俺に問いかけてきた。教室中の視線が、再び俺に集まる。エリアーナは興味深そうに、ゼイドは不機嫌そうに、そして、教室の後方で見学していたアストリッド教官は、相変わらず無表情に、俺を見ている。
俺は、慌てて言葉を取り繕った。
「い、いえ……ただ、なんとなく、そう思っただけで……深い意味はありません」
そう言って、俯く。教官は、少し残念そうな顔をしたが、それ以上は追及せず、授業を続けた。だが、俺は、自分の軽率な発言を激しく後悔していた。回避能力、状況判断力、そして知識の深さ。俺が隠しているはずのものが、次々と露呈し始めている。このままでは、いつか全てが暴かれてしまうのではないか。そんな不安が、胸の中に暗い影を落としていた。
冷静にならなければならない。
平凡という名の仮面が、少しずつ、剥がれ落ちていくような感覚。それは、俺が最も恐れていたことだった。自由を求める俺にとって、隠された力は最大の武器であると同時に、最大の弱点でもあるのだ。
その日の帰り道、俺はいつにも増して重い足取りで、夕暮れの道を歩いていた。空は、美しく、そしてどこか物悲しい茜色に染まっている。俺の心境を映し出しているかのようだ。孤独感と、先の見えない不安。そして、それでも捨てきれない、自由への渇望。それらが混ざり合い、俺の中で渦巻いていた。
アストリッド・ベルク。彼女の存在は、俺の計画に大きな狂いを生じさせ始めている。彼女の疑念の目は、これからますます厳しくなっていくことだろう。俺は、果たして、このまま力を隠し通すことができるのだろうか。
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