帝国の影と潜入者
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基礎体術の授業で見せたミリアの、一瞬の、しかし明らかに常人離れした体捌き。あれを目撃して以来、俺の中で彼女に対する疑念は、ほぼ確信へと変わっていた。ミリア・ヴァレンタインは、単なる交換留学生ではない。高い知性に加え、おそらくは高度な戦闘訓練を受けた、ゼノン帝国のエージェント。そう考えるのが、最も自然な結論だった。
問題は、彼女の目的だ。なぜ、帝国は彼女のような有能なエージェントを、このアルクス王国の、しかも一介の魔法学院に送り込んできたのか? そして、なぜ彼女は、俺に対してこれほどまでに執拗な興味を示し、接触を図ってくるのか?
俺は、警戒レベルを最大限に引き上げ、彼女の言動を注意深く観察し続けた。だが、彼女は相変わらず完璧な仮面を被り続け、その本心や目的をうかがい知ることは難しい。
そんな日々が続いていたある日の放課後、俺が一人で図書室の奥まった閲覧室で古文書を調べていると、不意に、静かに扉が開く音がした。顔を上げると、そこには、ミリアが立っていた。彼女は、俺の存在に気づくと、すぐにいつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。
「あら、リオン君。こんなところにいたのね。珍しい場所で本を読んでいるから、びっくりしたわ」
彼女は、ごく自然な様子で部屋に入ってきて、俺の向かいの椅子に腰を下ろした。この広い図書室で、わざわざ俺がいる狭い閲覧室に入ってくること自体、偶然とは思えなかった。
「……何か用か?」
俺は、古文書から目を離さずに、ぶっきらぼうに尋ねた。
「ううん、別に用っていうわけじゃないんだけど……。ただ、あなたと少し、お話ししたいなと思って」
ミリアは、頬杖をつきながら、じっと俺の顔を見つめてきた。その翠色の瞳の奥には、これまで隠されていた、冷徹な光が宿っているように見えた。どうやら、彼女もまた、猫を被るのはやめたらしい。
「ねえ、リオン君。あなたって、本当に面白い人よね」
彼女は、意味ありげな口調で切り出した。
「学院では目立たないように振る舞っているけど、時々、信じられないような力を発揮する。合同訓練でのキメラだって、本当はあなたが倒したんでしょう? ……ふふ、素晴らしい戦いぶりだったわ。アストリッド教官が大切に保管していた記録映像、少しだけ拝見させてもらったの」
俺は、その言葉に凍りついた。記録映像を、彼女が? どうやって? 学院のセキュリティを破ってデータを盗んだのか? それとも、学院内に帝国の協力者がいて、情報を流しているのか? いずれにせよ、俺の最も知られたくない戦闘記録が、敵国のエージェントの手に渡ってしまった。これは、極めてまずい状況だ。
ミリアは、俺の動揺を楽しんでいるかのように、続けた。
「特に、あの深紅の炎……見事だったわ。あれは、ただの火属性魔法じゃないでしょう? 何というか、とても……純粋で、それでいて全てを焼き尽くすような、完成された破壊の力。まるで、古の伝説に出てくるような……特別な力ね」
彼女は、俺の力の核心を、正確に指摘してきた。映像を見たというのなら、それも当然か。もはや、言い逃れはできない。俺の最大の秘密の一つが、既に彼女に知られているのだ。
「どうして、そんな特別な炎を持ちながら、平凡な生徒を演じているの? 何か理由があるのかしら? それとも、アルクス王国では、その力を恐れられている、とか?」
彼女の翠色の瞳が、探るように俺を見つめる。その言葉には、俺の反応を探るだけでなく、アルクス王国への不信感を煽るような響きも含まれていた。
俺は、古文書を閉じ、ゆっくりと顔を上げて、彼女の目を真っ直ぐに見据えた。内心の衝撃と怒りを抑え込み、冷静さを装う。
「……ヴァレンタインさん。他人の記録を盗み見るのが、帝国のやり方か? 君こそ、ただの交換留学生とは思えないな。一体、何が目的だ?」
俺の反撃に、ミリアは一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「あら、怖い顔。記録を見たのは、あなたへの興味が抑えきれなかったからよ。だって、魅力的じゃない? その隠された強大な力……。私の目的? そうね……例えば、あなたのような『特別な才能』を持つ人材を、私たちの国、ゼノン帝国に迎え入れたい、というのはどうかしら?」
「断る」俺は即座に、そしてきっぱりと答えた。
「あら、即答なのね。でも、よく考えてみて? その類稀なる炎の力、アルクス王国のような古い体制の国では、きっと正当には評価されないわ。むしろ、危険視されて、アストリッド教官のような人間に厳しく管理されるだけ。現に、あなたは力を隠して、窮屈な思いをしているんじゃない?」
彼女は、俺の心情を見透かしたように、誘うような言葉を続ける。
「でも、帝国は違う。帝国は実力主義よ。あなたのその力があれば、他の誰にも干渉されず、思う存分振るうことができる。相応の地位と名誉、そしてあなたが望む『自由』だって手に入れられるかもしれないわ。私たちと一緒に来ない? 帝国は、あなたのような才能を歓迎する」
帝国のスカウト。しかも、俺の力の正体を知った上で、具体的なメリット――俺が最も渇望している「自由」という言葉までちらつかせてくる。これは、単なる探りではない、本気の勧誘だ。そして、非常にたちの悪い、巧妙な罠でもある。
「俺は、どこかの国に縛られるつもりはない。俺は、自由に生きる。帝国だろうと、王国だろうと、関係ない」俺は、きっぱりと拒絶した。彼女の言う「自由」が、結局は帝国という新たな檻に過ぎないことを理解している。
俺の言葉に、ミリアの翠色の瞳が、興味深そうに細められた。
「自由、ね……。あなたも、あの人と同じことを言うのね」
あの人? 彼女は、やはり師匠のことを知っているのか? それとも、単なる偶然か?
「……どういう意味だ?」
俺が問い詰めようとした瞬間、ミリアはふっと立ち上がった。
「ふふ、今日はここまでにしておきましょうか。あまり一度に話しすぎても、面白くないものね」
彼女は、悪戯っぽく微笑むと、俺に背を向けた。
「でも、覚えておいて、リオン君。あなたの力は、あなただけのものじゃない。それは、世界に大きな影響を与える可能性を秘めている。帝国は、その力を高く評価しているわ。……あなたが、正しい選択をすることを期待しているわね」
正しい選択。それは、帝国に従え、ということだろう。ふざけるな、と喉まで出かかった言葉を、俺は寸でのところで飲み込んだ。
「じゃあ、またね、リオン君。これから、もっともっと、仲良くしましょうね?」
ミリアは、最後に意味深な言葉と、底の知れない笑みを残して、閲覧室を出ていった。
後に残されたのは、俺一人と、重苦しい沈黙だけだった。
ミリア・ヴァレンタイン。彼女は、俺の戦闘記録を盗み見、俺の力の核心に気づいている。そして、帝国は、俺の力を利用しようとしている。状況は、俺が考えていた以上に深刻だった。
俺は、革手袋をはめた拳を強く握りしめた。アストリッド教官だけでなく、今度は帝国という巨大な組織が、明確な意図を持って俺に接触してきたのだ。俺の自由は、かつてないほどに脅かされている。
帝国からの潜入者、ミリア・ヴァレンタイン。
俺は、俺自身の意志で、自由を掴み取る。そのためなら、どんな相手だろうと、戦ってみせる。
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