帝国の影と潜入者
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魔法史の授業で見せたミリアの博識ぶりと、エリアーナへの巧妙な探り。それらを目の当たりにして以来、俺の中でミリア・ヴァレンタインに対する疑念は、明確な形を取り始めていた。彼女は、単なる交換留学生ではない。何か別の目的を持って、この学院に潜り込んでいる可能性が高い。
俺は、それ以来、授業中や休み時間に、以前にも増して彼女の言動を注意深く観察するようになった。彼女の完璧な笑顔、人懐っこい態度、そして時折見せる鋭い知性。その全てが、何かを隠すための仮面のように思えてならなかった。
だが、ミリアは非常に用心深く、俺が観察していることに気づいているのか、あるいは元々そういう性質なのか、なかなかボロを出さなかった。彼女は、常にクラスの中心で明るく振る舞い、誰とでも親しげに話し、優秀な成績を維持し続けている。俺が抱いた疑念は、確信には至らないまま、燻り続けていた。
そんなある日の午後、基礎体術の授業があった。担当は、もちろんアストリッド教官だ。今日の訓練内容は、二人一組になっての基本的な受け身と回避の反復練習。魔法使いといえども、咄嗟の状況で身を守るための最低限の体術は必要不可欠である、というのがアストリッドの方針だった。
「ペアを組め。互いに相手を軽く突き飛ばし、衝撃を殺して受け身を取る。あるいは、相手の攻撃を最小限の動きで回避する練習だ。怪我には十分注意しろ。だが、馴れ合いは許さん」
アストリッドの号令一下、生徒たちはぞろぞろとペアを組み始める。俺は、目立たないようにロイと組むことにした。彼は相変わらず無口だが、動きに無駄がなく、組む相手としては悪くない。
ふと、ミリアの方を見ると、彼女は少し困ったような表情で、近くにいた体格の良い男子生徒に話しかけていた。
「あの……私、こういうの、本当に苦手で……。帝国では、あまり体術の授業はなかったものですから。お手柔らかにお願いしますね?」
彼女は、上目遣いで、可愛らしくお願いしている。相手の男子生徒は、顔を赤らめ、「ま、任せろ!」と頼もしく(そして単純に)請け負っていた。
(……苦手、ね。本当だろうか?)
俺は、彼女の言葉を鵜呑みにはしなかった。彼女のこれまでの言動から考えて、これも演技である可能性は十分にある。俺は、自分の訓練をこなしながらも、意識の片隅で、ミリアの動きを注視していた。
訓練が始まり、ミリアは、言葉通り、非常にぎこちない動きを見せていた。ペアの男子生徒に軽く押されると、バランスを崩して、危なっかしく受け身を取る。回避の練習でも、動きが鈍く、相手の攻撃(もちろん手加減されている)を避けきれない場面もあった。「もう、だめですぅ」「難しいですねぇ」と、彼女はわざとらしく弱音を吐き、周囲の同情と、一部の男子生徒からの「俺が教えてやるよ!」という下心見え見えの声を引き出していた。
(……演技にしては、堂に入っているな。だが……)
俺には、その動きの中に、わずかな、しかし見過ごせない「不自然さ」が感じられた。それは、本当に運動が苦手な人間の動きとは、どこか違うのだ。まるで、わざと下手に動いているかのような、不自然な硬直や、力の抜き加減。それは、俺自身が、力を隠すために常に行っていることと、どこか似ている気がした。
その時だった。俺たちの隣の組で訓練していた生徒が、受け身を取り損ねて、大きくバランスを崩した。そして、その生徒は、運悪く、ミリアの方へと倒れ込んできたのだ。
「危ない!」
誰かが叫んだ。倒れてくる生徒とミリアの距離は、もうほとんどない。ミリアのペアの男子生徒も、咄嗟に反応できない。衝突は避けられないかに思われた。
その、ほんの一瞬。
ミリアの身体が、まるで柳のようにしなった。彼女は、迫り来る生徒の身体を、最小限の動きで、しかし驚くほど滑らかにするりと躱したのだ。それは、反射神経が良いというレベルではない。相手の動きを完全に予測し、重心を巧みに移動させ、体全体を使って衝撃をいなす、高度に訓練された体捌き。洗練された動きだった。
だが、その異常な動きは、本当に一瞬のことだった。次の瞬間には、ミリアは「きゃっ!」と可愛らしい悲鳴を上げ、わざとらしく尻餅をつき、目を白黒させていた。
「も、もう……びっくりしたぁ……!」
彼女は、そう言って、頬を膨らませる。倒れ込んできた生徒は、慌てて謝罪し、ミリアのペアの男子生徒も、「大丈夫か、ミリアさん!」と駆け寄っている。
周囲の生徒たちのほとんどは、今、ミリアが見せた一瞬の動きに気づいていないようだった。アストリッド教官も、ちょうど別の生徒を指導しており、その瞬間を見ていなかったらしい。
だが、俺は見逃さなかった。常にミリアの動きを注視していた俺の目には、あの瞬間の、彼女の本来の動きが、焼き付いていた。
(……今の動き……間違いない。あれは、素人の動きじゃない。相当な訓練を積んでいるな……)
俺の中で、ミリアに対する疑念は、確信へと変わった。彼女は、単なる交換留学生などではない。高い知性だけでなく、高度な身体能力、おそらくは戦闘技術をも隠し持っている。帝国が送り込んできた、特別なエージェント。そう考えるのが、最も自然だった。
俺は、自分の訓練に戻りながらも、内心の動揺を抑えるのに必死だった。なぜ、帝国はわざわざエージェントを、この学院に送り込んできたのか? その目的は? そして、なぜ彼女は、俺に接触してくるのか?
授業が終わり、片付けをしていると、ミリアが俺のところにやってきた。
「リオン君、見た? 私、さっき転んじゃったのよ。もう、運動神経が悪くて嫌になっちゃうわ」
彼女は、いつもの笑顔で、わざとらしく肩をすくめてみせた。俺は、彼女の演技に内心で冷笑しながらも、表情には出さずに答えた。
「……ああ、見ていた。怪我がなくて何よりだ」
「ありがとう。リオン君は、体術は得意なの?」
彼女は、さりげなく探りを入れてくる。
「いや、苦手だ。見ての通り、体力もないしな」
俺は、そう言って、さっさとその場を離れた。ミリアは、俺の後ろ姿を、意味深な笑みを浮かべて見送っていた。
ミリア・ヴァレンタイン。彼女の存在は、俺が思っていた以上に、厄介なのかもしれない。
彼女の正体と目的を、暴かなければならない。
そして、彼女が俺の自由を脅かす存在であるならば、それに対抗する準備をしなければならない、と。
帝国の影は、確実に、俺のすぐそばまで迫ってきていた。
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