裏路地の情報屋「迷い猫」
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彼女は、あの日、教官室で俺が規格外の力を隠していることを確信した。それ以降、彼女の監視はより一層、執拗かつ巧妙になっていた。直接的な追及こそないものの、授業中の些細な反応、他の生徒との関わり方、果ては休み時間の過ごし方まで、全てを観察し、分析しているかのようだ。その氷のような視線は、常に俺の背中に突き刺さっているように感じられ、息が詰まる思いだった。
俺が最も懸念していたのは、彼女が俺の情報を、騎士団や王国の中枢機関に報告しているのではないか、ということだった。合同訓練で見せた力の片鱗、そして俺がそれを隠蔽しているという事実。それらが国家レベルで知られれば、俺の「自由」は完全に奪われるだろう。良くて国家魔法師として管理下に置かれ、最悪の場合、危険分子として拘束、あるいは排除される可能性すらある。考えすぎかもしれない。だが、用心に越したことはない。
アストリッドがどのような動きをしているのか、それを正確に知る必要があった。だが、学院内で情報を集めるのは不可能に近い。ならば、頼るべきは外部の情報源だ。
そこで俺が思い出したのが、かつて師匠が、まるで昔話をするかのように、ぽつりと語っていた存在だった。首都エルドラードの裏路地にひっそりと店を構え、どんな情報でも手に入れ、どんな品物でも調達するという、半ば伝説と化した情報屋。「迷い猫」とその店主。師匠は、「情報は信用できるが、食えない男だ」とだけ言っていた。
危険な賭けだ。裏社会の人間と関わることのリスクは大きい。だが、他に手段がない以上、選択の余地はなかった。俺は、アストリッドの動向を探るという明確な目的を持って、その「迷い猫」を探し出すことを決意した。
その日の放課後、俺は人目を避けながら学院を抜け出し、首都エルドラードの迷宮のような裏路地へと足を踏み入れた。大通りから一歩入れば、そこは別世界だ。建物は密集し、陽の光はほとんど届かない。狭く入り組んだ道は、方向感覚を狂わせる。空気は湿っぽく、埃と、どこか腐敗したような匂いが混じり合っている。
俺は、フードを目深に被り、周囲を警戒しながら、師匠から聞いた店の特徴――「三叉路の突き当り、錆びた猫の看板、常に閉まっているように見える黒い扉」――を頼りに、ひたすら歩き続けた。師匠が残した手書きの、不鮮明な地図の断片も役に立った。
そして、薄暗い裏路地の奥深く、俺はようやく目的の場所にたどり着いた。古びた石造りの建物。一階部分には、確かに、錆びて傾きかけた、黒猫を象った小さな看板がぶら下がっている。そして、その下には、固く閉ざされたように見える、黒い木製の扉。間違いない、ここが「迷い猫」だ。
俺は、周囲に人影がないことを確認し、扉の前に立った。師匠の言葉を思い出し、指先で、猫が爪を研ぐようなリズムで、扉を軽く三度、引っ掻くように叩いた。コン、コン、コン。
しばらくの沈黙の後、中から、くぐもった、しかしどこか聞き覚えのあるような声がした。
「……入れ」
ギィ……という鈍い音と共に、黒い扉が内側に向かってゆっくりと開いた。俺は、息を呑み、警戒しながら、薄暗い店内へと足を踏み入れた。
店の中は、相変わらず混沌としていた。狭い空間に、所狭しと古物やガラクタが積み上げられている。埃をかぶった古書、用途不明の機械部品、怪しげな薬草の束、奇妙な装飾が施された仮面、そして、様々な動物の骨や剥製。それらが、無秩序に配置され、独特の雰囲気を醸し出している。空気は埃っぽく、黴と、何か得体の知れない香料のような匂いが混じり合っていた。
店内の明かりは、天井から吊るされた、ごく弱い魔力光ランプ一つだけだ。
その薄暗い店内の奥、カウンターのような場所に、フードを目深に被った人物が座っていた。手元で何かを弄っているようだ。俺が入ってきたことに気づいたのか、その手がぴたりと止まる。
「……何の用だ?」
低い、だが以前どこかで聞いたような気がする声が、カウンターの奥から響いた。
俺は、警戒心を解かずに、慎重に言葉を選んだ。今回は、自分の正体を探られるわけにはいかない。目的はあくまで情報収集だ。
「……情報を買いたい。アルクス王立高等魔法学院の、ある教官についてだ。名前は、アストリッド・ベルク」
俺は、あえて自分のことは伏せ、依頼内容だけを簡潔に告げた。フードの男は、しばらく黙っていた。沈黙が、重く店内に垂れ込める。彼が俺の依頼を受けるのか、それとも断るのか。あるいは、俺の素性を探ろうとしてくるのか。
やがて、男は、弄っていた手を止め、ゆっくりと顔を上げた。フードの奥から覗く目は、暗闇の中でも鋭く光っていた。そして、その口元に、信じられない言葉が浮かんだ。
「……ずいぶんと大きくなったじゃないか、リオン坊」
その声。その呼び方。俺は、全身の血が逆流するかのような衝撃を受けた。なぜ、この男が俺の名前を知っている? しかも、「リオン坊」だと? それは、俺がまだ幼く、師匠と共に暮らしていた頃、ごく限られた人間だけが使っていた呼び名のはずだ。
「な……!? なぜ、俺の名前を……あんたは、一体……?」
俺は、動揺を隠せずに問い詰めた。フードの男は、クツクツと喉の奥で笑うと、ゆっくりと立ち上がり、カウンターから出てきた。そして、俺の目の前まで歩み寄り、フードを少しだけ持ち上げた。
薄暗い明かりの下に現れたのは、四十代半ばほどの、痩せた男の顔だった。鋭い眼光、皮肉げに歪められた口元。そして、その顔には、見覚えがあった。そうだ、俺がまだ五歳か六歳の頃、師匠の隠れ家を時折訪れていた、あの掴みどころのない、胡散臭い男。ギデオン。
「……ギデオン……!?」
俺は、驚愕のあまり、彼の名前を口にしていた。
「はは、覚えていてくれたとは光栄だねぇ、リオン坊。最後に会ったのは、お前さんがまだ師匠の膝の上で、難しい魔導書をふんふんと読んでいた頃だったかな?」
ギデオンは、懐かしむように目を細めた。彼の態度には、敵意は感じられない。むしろ、昔馴染みに対するような、親しげな響きさえあった。
「どうして……あんたが、こんなところで……?」
「どうして、って……ここが俺の城だからさ。お前さんの師匠――あの偏屈で自由奔放な大魔法使い殿とは、まあ、長い付き合いでね。あいつがまだお前さんを拾う前からの、腐れ縁ってやつだ」
ギデオンは、そう言って肩をすくめた。
「あいつが亡くなったと聞いた時は、正直、驚いたがね。まあ、あれだけ派手に立ち回っていれば、いつかこうなるだろうとは思っていたが……。それで、お前さんは、どうやら無事に育ったようだ。しかも、ご丁寧に、あいつが最も嫌っていたであろう、国家の管理下にある学院なんぞに通っているとはね。皮肉なもんだ」
彼の言葉には、師匠への複雑な感情が窺えた。そして、俺の現状に対する、憐れみのようなものも。
「……師匠は、あんたに俺のことを?」
「いや、直接頼まれたわけじゃない。だが、まあ、あいつのことだ。俺が勝手に、お前さんのことを見守るだろうと、踏んでいたんだろうよ。実際、その通りになったわけだが」
ギデオンは、再びカウンターに戻り、椅子に腰掛けた。
「それで? アストリッド・ベルク教官、だったか。元騎士団の『氷の魔女』の異名を持つ、あの女狐の動向を知りたい、と。……なるほどねぇ。どうやら、お前さんの『秘密』に感づかれた、というわけか」
彼は、俺が何も言わないうちから、俺の状況を正確に把握しているようだった。
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