第6話 閑話 クリストフ(義弟)から見たリリーナ様
僕が九歳の時、母が再婚した。
相手はアーベライン子爵。海沿いの小さな領地を持ち、当主は海運業を営み業績は良し。
下位貴族同士の再婚だが、母は周囲から羨ましがられる立場になるほど、アーベライン子爵家は財力があった。
アーベライン子爵が海運業を憂いなく思うまま経営できたのは、執事や家令、商会の者や土地の有力者に声をかけ、領主の彼の指示を仰ぎ、時には自ら裁可を下していた彼の娘の存在がある。アーベライン子爵の領地では、皆が口を揃えて「――リリーナお嬢様は素晴らしかった」と彼女をほめそやす。
僕と一歳しか違わない。
リリーナ・フォン・アーベライン。
黄金の髪に、深いエメラルドのような瞳をした彼女とはアーベライン家で挨拶をすることもなく別れた。
彼女はシュバインフルト伯爵家に引き取られたのだ。
風の噂で、シュバインフルト伯爵が養女に迎えた孫娘は――どうやらただものではないらしい。
女の子を後継者にするなんてという陪臣達に自分の価値を認めさせ、後継者として擁立させるなんて就学前の少女がすることではないだろう――。
いや、それができるから、シュバインフルト伯爵が彼女を引き取ったのだ――先見の明がある。高齢とはいえ、さすが名門シュバインフルト伯爵家の当主。
なんて言葉が、領地にいる僕の耳にもすぐに届いた。
いわゆるコンプレックスを刺激されるには充分だった。
口をそろえれば、領民は「お嬢様は~」とリリーナのことを褒めそやし、後妻に納まった母と僕はその後釜に納まったのはいいが、リリーナお嬢様以上の働きなどは期待できないんだろうなっていう雰囲気が館の中でも外でも漂っていた。
なんせ名門シュバインフルト伯爵家の後継者とすでに認められたのだから、同様の存在にはなれないだろう。
勉強は嫌いだったけど、そこまで言われれば、なにくそと思うわけで、このアーベライン子爵家に入ってからひたすら勉強したし、リリーナと同等ではないものの、領民の声を拾ったり、領地経営について執事と義父についてよく勉強するようになった。
母といえば、やっぱりコンプレックスが刺激されたようだが、当たり散らす存在はすでに伯爵家に引き取られていて、これを宥める作業もなかなか骨が折れた。
義父もなあ……リリーナを放置状態だったのだから、後妻の母や僕も同様だ。
よくこの男と結婚したな……元シュバインフルト伯爵令嬢、リリーナ義姉上の実母。
押しかけ女房だったというから驚きだし。
見た目はリリーナと元伯爵令嬢は似ているらしいけれど、そんなに夢中で男をおっかける女性なのかなと思った。
四年後、王都の学院に入学して、リリーナを初めて見た時は――……うん、美人だったけど、なんていうんだろう……。
見た目はね、見た目は問題ないんだけど、こう、なんというか、義父を追いかけて押しかけ女房に治まった元シュバインフルト伯爵令嬢、彼女の母親……肖像画でしか知らないけれど、それと比較して雰囲気が違う。
この年頃のご令嬢ならもっとこう、ふわっとした感じだろうに、それがない。
一学年上だから専科に進んでるんだろうけど、領地経営科っていうのも、ご令嬢が進むべき学科じゃない。
最終学年で淑女科に転科したみたいだけど、やっぱり浮いてるんだよなあ。
本人はわかってなさそうなところがまた……最初に挨拶した時も、尊大な感じがして、相手は伯爵令嬢で、僕は男爵家からの後妻の子供だから爵位差でそう感じたのかとも思ったけど、誰に対しても尊大さっていうのは隠さないというか。堂々としてる。
館の使用人や領民の代表が口を揃えてリリーナを褒めそやすが、最後に決まって「男だったらなあ、押しも押されもせぬ立派な貴族家当主となるだろうに」と言う意味をここにきてようやく理解した。
まさにそれだった。
最初の挨拶のあと、尊大さを隠すことないリリーナを煽ったりからかったりしてみたが、彼女自身も僕の軽口を上手く流してる。
からっとしてて、後を引きずることはしない性分のようにも思った。
淑女科への転科も社交デビュー後の婿探しの為だろうというのは理解してるが……淑やかさがない。
堂々としすぎている。婿に来ないかと、そんなストレートに打診するのかと驚いた。
照れや恥じらい的な情緒が欠落してるんじゃないだろうか。
リリーナの社交デビューの際は、書類ミスでシュバインフルト伯爵家令嬢ではなくシュバインフルト伯爵夫人となっていて、それが社交界で面白おかしく広まってしまった。
普通のご令嬢ならデビュー直前のこんなお笑いゴシップに、身の置き所がなく、デビューも見送るぐらいはしそうなものなのに「書類ミスなんてどこでもあるだろう、退屈な社交界に笑い話を提供したみたいなもの。それはそれでわたしも伯爵家の役には立ってるということだ」なんて言い放ち、堂々と養父(祖父である)シュバインフルト伯爵とデビュタントとして出席した。
心臓が鋼すぎる。
こういった女性を見てきたアーベラインの領地にいる使用人や領民には、本来あるべき淑女らしい淑女を知ってもらう必要があるかもしれない。
そこで僕が婚約をもちかけたのはベンゲル男爵令嬢マリアンナ。
穏やかで上品で優しい彼女を婚約者にしてみた。
領地や館のリリーナお嬢様の記憶を払拭することができ、義父の商売上の政略の相手としても悪くはない。
このことをリリーナに知らせた時は、めちゃくちゃ悔しそうで幾分、留飲が下がった。
それでも「祝いを贈る」とか言っちゃうあたりが、うちの使用人や領民が口を揃えて賛辞する「リリーナお嬢様」らしいとも言える。
尊大ではあるけれど、度量も深いというべきかもしれない。
「でも、クリストフ様とリリーナ様はとても血がつながってないって、思えないほどです。似てらっしゃいます」
「はあ!? 僕あんなに偉そうなの!?」
「あら、だって、リリーナ様に臆せずお話するではありませんか。今シーズン社交界での醜聞ともいえる書類ミスを正面きって指摘されるなんて、他の方にはできませんよ」
「ええ~」
「クリストフ様にはそういう強気なところがありますが、それが武器ですし、立派にアーベライン子爵家を盛り立てることができます」
これだよ、リリーナにないのはこういうところ!
ほんと、あの人、ご令嬢に囲まれて淑女科に在籍したのにさあ!
「心配なのですね、少し羨ましいです」
マリアンナは家族仲が良いとは言えない。
実の兄姉はそこそこの出来なのに、マリアンナのことをバカにしている節がある。それなのにマリアンナはそれを面に出すことはしない。
「僕にとって最高のレディーはマリアンナだからね」
彼女の実姉より、世間では評判高いリリーナ・フォン・シュバインフルトよりも、この国のご令嬢の誰よりも、心優しさでは彼女の方が上。
ちょっと、他のご令嬢たちは、マリアンナの慎ましやかなしぐさや、穏やかな微笑を見習うべきなんじゃないだろうか。
このマリアンナの良さを知るのは自分だけだと思ったけど、リリーナに引き合わせた時に、ひたすら「お前、いい娘見つけたわね、生意気な」と悔しがっていたから、リリーナの人を見る目は彼女の実姉よりもやはり上なのだろう。
――そんな義姉リリーナだが、さすがにシュバインフルト伯爵の死は堪えたように思う。
葬儀に参列したが、あの強気な義姉が、本当にしおれていて、リリーナらしからぬ態度に不安すらあった。
口を開けば丁々発止の言葉の応酬しかしない僕が声をかけても、いつもの調子にはならないだろう。
そこは実の父、アーベライン子爵が声をかければいい。
「クリストフ様、リリーナ様に元気を出してって、お伝えすればいいのに」
優しいマリアンナが言ってあげてと彼女に伝えたら、彼女は素直にリリーナに声をかけていた。
彼女の素直で優しい心が――リリーナにほんのちょっぴりでも救いになればいいとは思った。
7話9:00に公開