第31話 リリーナ様。拉致られる。
今期の社交シーズン、レオナルト様とご一緒する機会が増えたことによって、さんざん断られた縁談や詐欺未遂の件は、わたしの記憶から些末なことになってきていた。
そしてそれはわたしに対する周囲の評価も変化が――……。
例えば、夜会でわたしにダンスを申し込む紳士が増えたこと。
レオナルト様が席をはずしたところに、何人かからダンスを申し込まれたり、会話を交わしたり。
虫除けスプレーのお仕事の報酬としての結婚相手の紹介を――なんて言うだけある。
だが、わたしが会話をして楽しいのはレオナルト様だ。
政治、経済、文化、芸術、どれをとっても話題をカバーできてる。
やっぱり第二王子の肩書は伊達じゃない。
ランメルツ侯爵令嬢が夢中になったのもわかる。
というか、夢中にならない令嬢なんていないだろう。
社交デビューの際は年配の方々。
今期はレオナルト様のパートナーのご依頼を受けてから若い令嬢や令息との人脈を築くことができた。
「リリーナ様、商会から、来期王都に出店予定店舗の不動産のリストが届いております」
「見つかったか」
あまり手広く商売に手を出すのもどうかと思うが、せっかく金山とダイヤモンド鉱山を手に入れたら、やっぱり王都で店舗を持ちたいと思う。
今期は人脈も広がったし、宝飾店の一軒ぐらいは持っておいてもいいのではないだろうか……ということで、王都内で手頃な物件を探させていた。
レオナルトさまにお付き合いする日程とかぶらないようにして、不動産の視察に行けるようにフリッツに指示を出していたが、ちょうど、それが今日この日ということだった。
善は急げということで、すぐさま不動産視察に向かう。
最後の不動産物件をめぐる時、馬車に不具合が生じたらしく、わたしは店舗前でしばらく待つことに。
そして馬車がようやく来たと思ったのだけど……。
「お迎えにまいりました、シュバインフルト伯爵」
そう言って、馬車に押し込めたのは、フリッツではなく、わたしの商会の一部が運営している店に卸したはずの、ベンジャミン・フォン・ビュッセルだった。
わたしは王族ではないけど、貴族位を持ち、白を黒にできる権限があり、不当とも思える対応をしてもそれが通る。
ファンタジー貴族社会に異世界転生して思ったことは、前世日本とはやっぱりいろいろ違うなってこと。
なので、その社会に馴染む為にはある程度の覚悟もしてきた。
例えば、この目の前にいるベンジャミンに対して行った仕儀は、わたしをこういう危険に追いやるかもしれないという可能性がある……そういう覚悟だ。
さて、どこのバカだろう。
この男を探し出して使うとは。
ビュッセル家か。
それとも別の家か。
ビュッセル家は違うな。
この男を除籍して、評判と資産を立て直すのに必死だ。
あの店からこの男を引っ張り出して、わたしを誘拐させるなんてことができるのは、それなりに地位も財力もある家だな。
わたしは自分の家――シュバインフルト伯爵家を掌握してるから、獅子身中の虫がいないことはわかってるから、身内を疑うのは除外。
となれば、レオナルト様関連かな。
だとしたら、こういうことをしそうなのは、ランメルツ侯爵家なのか、グルーグハルト公爵家なのか。
あと、この男、うるさい。
わたしを馬車に押し込んでから、ペラペラと、ほんと口先三寸でご令嬢達から金をせびり取ってきただけはある。
「俺はとある方に救われた、お前の泣きっ面を拝みたいと言われたんだ。すかしてんじゃねえぞ、生死は問わずといわれてんだからな!」
同乗している他の男二名にうち一人は最初こそベンジャミン同様、ゲスなにやにや顔をしていたが、わたしが沈黙を守っていることに、いぶかしんだようだ。
このバカ男に金を握らせ馬車の準備をさせたのか。
お粗末すぎる。
この馬車カーテンがないのだ。
誰が何を運んでいるのか丸わかりだろう。
おまけにわたしに目隠しもしないとは。
どこに向かうかわかろうというものだ。
きっと馬車のレンタル代をケチったな。浮いた金を自分の懐に入れる算段だろう。
「うるせえ、黙れ」
わたしを押し込めた三人のうちの一人がベンジャミンに対してそう言った。初手から表情もなく沈黙を守ってるガタイのいい男がようやく発言した。
「ああ!? 下民が偉そうに俺に指図すんじゃねえよ!」
「坊ちゃんにとっちゃ恨み骨髄の相手だろうが、ペラペラしゃべってる間に、この女は黙ってても、頭の中は思考をめぐらせてるぜ」
おりこうさん。
どこの誰に雇われたかは知らないけれど、見どころあるわね。
貴族の令嬢が、こんな目に遭ったら、普通なら、泣きわめいて怯えてぎゃあぎゃあ叫ぶところ、それがないのだから。
多分わたしの身柄は最終的には安全であるはず。
レオナルト様関連での誘拐ならば、レオナルト様がわたしに警備をつけていないはずがない。
縁談を申し込む家を牽制するためのわたしに危害が加わる可能性――元王族のレオナルト様が予想しないわけないでしょ。
あと、うち(シュバインフルト)を舐めてもらっちゃ困るな。
ワケアリの店に突っ込んだ新人がこんな勝手なことをしでかしたら足がつくぞ。
どこの誰が何をどうして、お前を野放しにしたのか。
今、どこで何をしているのか。
わたしの商会に連絡が入るからね。
これが家の権限を持てる当主ならばできることの一つ。
貴族家のご令嬢にはこの権限はない。
せいぜい金を使って雇ってわたしを攫うぐらいが関の山。
着いた先は貴族のタウンハウス街のはずれにある空き屋敷だった。
おやおや。
これはこれは。
貴族のタウンハウス街のはずれの空き屋敷だなんて。
わたしだったらここは選ばないな。
人目に付くし、見つけてくださいと言ってるようなものじゃないか。
肩を怒らせて馬車を降りてわたしに降りるように促すベンジャミンが用意したのか。それとも、こいつを放った黒幕が用意したのか。
後者だったら、あきらかに、慣れていないド素人だ。
屋敷のドアをくぐった瞬間、前にいたベンジャミンがわたしに振り返って、拳を振り上げてくる。いままでの恨み、ここで晴らすと言わんばかりに。
わたしは、ベンジャミンの顔面にアトマイザーをプッシュした。
「ぎゃああ、てめえ! このアマ!」
遠慮なく目を狙ってやったからな。
刺激物が入った防犯スプレーだお坊ちゃまめ。
詰めが甘い。