第22話 閑話 レオナルトの初恋
「聞いたか? 利益ときた。ああいうところは、実父であるアーベライン子爵ゆずりだな。あと、先代の言う通り、結婚を政略だと冷めて捉えている」
「レオナルト様……」
「うん。あんなにさっぱりした子はなかなかいないよ。やっぱり気に入った。初恋の子と結婚したいな」
シュバインフルト伯爵家からゴルドアードラー離宮へ戻る馬車の中でそう呟くと、従卒のケビンは溜息をつく。
「俺のタイプだって、知ってて、初見で先代が牽制してきたわけだ」
俺はそういって、窓の外に視線を移した。
リリーナ・フォン・シュバインフルト。
先代シュバインフルト伯爵の孫娘。
彼女と出会ったのは、王都シュバインフルト伯爵家のタウンハウスだった。
当時、当主であったウィリアム・フォン・シュバインフルトを訪ねた時のこと。
金を溶かしたような豪華な金髪も、深いエメラルドのような瞳も印象的で、廊下で筆頭執事のクラウドに、独自で立ち上げた商会について、侃々諤々の押し問答をしているのを遠目で見たのが最初だ。
「廊下で遠目に見ました。先生が引き取った子」
「リリーナに? 可愛いでしょう。残念でしたな、殿下はもうそろそろ婚約者の選別に入られてるでしょう?」
「……十歳の時のお茶会にはいなかったように思いますが……」
「それはそうですとも。あの子は当時、アーベライン子爵家にいましたもので」
下位貴族なら、婚約者や側近を選定する当時のお茶会の出席は叶わなかったということか。
「え、本当に気に入ったのですか? あの子は難しいですよ殿下」
「難しい?」
「賢い子だからねえ、わかってるんですよ。私が言わなくても、シュバインフルト伯爵家を継ぐということを」
当時すでに隣国ガイルートの政略結婚が本決まりになるかならないかの時だった。
大人顔負けの舌戦を筆頭執事とやりあって、自分の縁談も理解している。
「大人になったら、いい友人になりそうではあります。殿下のお話についていける、才覚を持ってる。あの年で」
「今はダメなのか?」
「ダメでしょう。殿下のご縁談が本決まりになるこの時に、あの子と友誼を結ぶつもりで近づけば、恋にも落ちるでしょうから。婚約者がもう決まる前提で引き合わせられませんよ」
なるほど。それほど自慢の孫娘なのかと思った。
彼女と暮らしてるシュバインフルト伯爵は楽しそうだった。
当時の俺は悔しくて、愚痴る。
「あれもダメ、これもダメ、友人はコレ、婚約者はコレ――……か」
「学校は楽しくないですかな?」
「うん。シュバインフルト伯の講義の方が何倍も楽しい。あと周囲が煩わしい」
「嬉しい評価ですな……でも煩わしいですか……」
「わかってる、わかってるよ、シュバインフルト伯の言いたいことは! そういう人材から自分の友誼を結べる相手を選別するのも、王族として当たり前の事――とか言いたいんだろう? わかってる。猫をかぶるさ」
「……そうですねえ……殿下は人誑しなところがおありだから……殿下のそういうところを見て、外交的政略婚、ガイルート第三王女エルヴィラ様とのお話があがってきてるのでしょう」
「……」
「殿下なら、大丈夫ですよ。エルヴィラ様とのご結婚の際は、この老いぼれもお祝いをお贈りしますぞ」
そう先代シュバインフルト伯爵に言われたけれど、俺の外交的なガイルート王国第三王女エルヴィラとの結婚は一か月で終わった。
第三王女エルヴィラは、このグルトライド王国に輿入れする前から、自身の護衛騎士と恋仲で、嫁いで来た時に、俺に言った言葉が「私にはすでに愛する人がいます――」ときたもんだ。
政略結婚なんて王族に生まれたら当たり前のことなのに、平気で自分の恋を優先したあげく、護衛騎士と手に手をとって、俺の前から姿を消し、無残な事故死体で発見された。
「殿下……」
「シュバインフルト伯か……弔問にきてくれたのか? ありがとう」
「気を落とされなさいますな」
「気落ちはしてない」
この老伯爵は口は堅いので打ち明けた。
「伯爵位でこの件を知るのは卿しかいないと思ってくれ。ガイルート第三王女エルヴィラは護衛騎士と駆け落ちした……しかも駆け落ち先はガイルートだ。グルトライド国境を越えての事故死だよ。過失は向こうにある。これでガイルートには強引な関税もかけられるし、領土の譲渡も可能になった。政略結婚の旨味は充分国に還元できただろう……」
「……それは……」
「王族の政略結婚なんてそんなもんだ……それがいやだったのは亡くなった妻だろうな。命がけの恋か……」
だったら最初から駆け落ちしてくれてればよかったのに。
「レオナルト様」
「そんな恋愛なんて夢のまた夢かもな」
「仕方ありませんな、殿下には、うちの孫娘を紹介しましょう」
「前は近づけさせまいとしていたのにか?」
「あの子も、今、少し、明後日な方向にいきそうですからな。友誼を結ぶ程度ならば問題もないでしょう。頼りになる友人を作ることも覚えさせないと……ご令嬢には慕われてはいるようですが、ご令息達には倦厭されてるようでして」
というのも、リリーナは学院で領地経営科に進んで、シュバインフルト伯爵領について学んでいるものの、縁談を打診してる貴族家からは断られているらしい。
婿入りしても、利にならない相手と見られているようで、慌てて淑女科に転科させているとシュバインフルト伯はこぼしていた。
「リリーナは、家を守るということ、政略結婚の意味を理解しておりますが、殿下のお話を伺った今なら――……結婚は愛する者と結婚を進めてもいいのかもしれません」
「卿が大事にしてる孫娘なんだろう? 卿の娘も恋愛結婚だったしね……政略結婚なんて理解してても、気持ちが追いつかないのが大半なんじゃないかな?」
「……いずれ穏やかな愛になる政略結婚もありますぞ? 私のように」
「奇跡だな」
俺はそう言うと、シュバインフルト伯爵は何とも言えない表情をしていた。
エルヴィラの死後、ガイルートへ赴くことが多くなり、シュバインフルト伯爵の秘蔵っ子リリーナの社交デビューは伯爵の手紙でしか確認できず……そしてそれが……伯爵との最後の手紙となった。
――勝手なお願いです。孫娘、リリーナの行く末をお心にかけていただければ幸甚です。
先代、シュバインフルト伯爵のそれは、あくまで孫娘が心配で堪らないと実に親心溢れたものだった。
俺にそんな手紙を寄越すほど、彼女が大事だったのだ。
「できれば近くで見守りたいね」
何度も会って、話して、彼女の笑顔が見たいと思った。